栄養映画

霧江サネヒサ

「春」

 去年の夏に、映画を観ようと誘った際、「冷房苦手だから」と断った友人。彼は夏じゃなくても結局映画を観ることを断るし、映画館ではなく、家で映画を見ようと言っても乗り気じゃない人間だった。

 映画が好きではないのだろう。そう思ってからは、その手の誘いをするのはやめた。仲間内の全員が、そうしていたはず。


「クロエ、なんかオススメの映画ない?」


 今年、高校2年生になった春。

 映画嫌いとされていた紙谷に、クロエ(渾名)がそう尋ねられたことは、晴天の霹靂だった。眼鏡を拭いていたクロエは、目をぱちくりさせて、紙谷を見る。ぼやけた彼は、微妙にクロエから視線をずらして、困った顔をしていた。


「急にどうしたの?」


 驚いて眼鏡をかけるのを忘れていたクロエは、弦を目に刺しそうになりながら、かけ直す。


「実はバイト先の先輩が……他校の3年生なんだけど、その人が映画好きで……」


“紙谷くんは映画好き?”


「テンパって、はい好きですって言っちゃったんだよ! このままじゃ、おれは嘘つきになる!」

「要するに、バイト先の映画好きな先輩が好きなんだな。このままも何も、お前はすでに嘘つきだよ、映画嫌い野郎!」

「その通りだけど、助けてくれよ。先輩にオススメの映画を言わないといけないんだよ」


 有名な大作映画ですら、あまり知らない紙谷は、ほとほと困っている。


「はぁ~。しょうがないなぁ、紙谷くんは」

「クロえもん!」


 クロエに頼ったのは間違いであったと、後に紙谷は思い知る。


◆◆◆


「なあ、なんか面白い映画見たいんだけど」

「じゃあ、俺ん家でストレージ24見ようぜ」

「お前には訊いてねぇんだよ、クロエぇ~。お前が薦めてきた映画、ゴミカスゲロつまんなかったんじゃボケェ~。お前は信用ならねぇ」


 ネットで評判を調べ、賛否で言えば否が多かった時点で嫌な予感はしていた。先輩に薦める前に、内容を確認してなかったらと思うと恐ろしい。


「ええ、面白いのに…………」

「あれ面白いと思ってたの? てっきり、おれに苦痛を味わわせるための映像兵器なのかと…………悪意で薦めてきたのかと…………」

「俺は好きなんだよ。評判は悪いけど」

「それはゴメン。たぶん、お前とはシュミが合わないんだ」


 でも、一体どういう心理で薦めてきたのだろう。クロエは、単純に好きなものを薦めただけなのか? しかし、あまりにも評価が低いものを人に薦めるのは冒険し過ぎでは?


「別に謝らなくていいけどね。悪意はあったし」

「やっぱり悪意あったんじゃねぇか!」

「お前の態度が気に入らない」


 クロエは、言葉とは裏腹に口端を吊り上げて笑う。


「もういいよ。七九村、オススメの映画を教えてくれ」

「おいおい、なっくんは俺の幼馴染みだぜ? 俺と長年付き合えるってことは、つまり、俺と同じくらい性格が悪いってことよ」

「いやオレ、クロエほどは悪くないわ。心外だわ」

「そうだぞ。七九村は、性格最悪根性曲がりクソ野郎ってほどじゃないぞ」


 人間性をボロクソに評価されたクロエは、負けじと言い返す。


「カミは嘘つきハリボテ野郎だし、なっくんは、ホラー映画のチャラ男モノマネのためだけに金髪にしたクレイジーな男なのに、まともぶってんじゃねーよ!」

「金髪なんてフツーじゃん? オールバックよりは」


 七九村は、金髪にした動機から話を逸らそうとして、横目でオールバックの男、紙谷を見ながら言った。

 紙谷は、長めの前髪を後ろに撫で付けるのが一番鬱陶しくないと主張しており、よく右目が隠れている七九村に「前髪を切るか固めるか留めるかしろ」と文句をつけるのが日常の風景である。近頃は、舌打ちしてから「前髪」とだけ言うようになったが。


「この学校、髪染めんの禁止だよな? 気のせいか? この金髪おかしいよな?」

「ちゃんと地毛申請しましたぁ~」

「いや、だからなんでだよ?! それがなんで通る?! 先生、去年の記憶なくしたの?!」


 間違いなく七九村の頭は黒かったし、現在の担任は昨年と変わらない。


「そんなことより、なっくんはカミに何を薦めるの?」

「うーん……カルト…………?」

「あー面白いよねぇ」

「どういう映画?」

「強い霊能力者が呪いをバンバン解く」

「金髪の霊能力者だよ」


 その情報は別に要らない。


「ホラー?」

「和ホラー」

「無理」

「怖くない和ホラーだよ」

「怖くない和ホラーなんてねぇよ」


 紙谷は、ジャパニーズホラーを見ると、水回りが怖くて仕方なくなるのだ!


「七九村もダメか……」

「まずさぁ、カミは俺たちがどういう映画好きか知らないよな」

「だよなぁ。オレはホラー、サスペンス映画が好き。クロエは映画が好き」

「俺は守備範囲が広いんだ」


 クロエは、ニヤリと笑った。


「それで、件の先輩ってどんな人?」


 七九村が尋ねる。


「先輩は、映画の話をしていると凄く可愛い」

「つまり、俺たちは」

「カワイイ」

「お前らは可愛くない」


 紙谷は、映画バカふたりの主張を一刀両断した。


「太郎は?」

「太郎は主にアニメ映画。もう帰った」

「先輩、アニメは見るのかなぁ。今度訊いておこう」


 実は太郎は、アニメ映画の週変わりの特典目当てに、さっさと映画館へと向かってしまっている。


「つーか、紙谷はどういう映画が見たいんだよ?」

「小難しくない、女がいっぱい出て来る映画……?」

「デンデラだな!」


 あまりの俗っぽさに引いている七九村とは違い、クロエはすぐさま大喜利めいた返答をした。

 確かに小難しくないし、女はいっぱい出てくる。老婆だが。


「流石だな、クロエ~」

「いや、だからクロエには…………もういいや…………」


 紙谷は、額を片手で押さえながら溜め息を、ひとつ。


「七九村、真面目に答えてくれよ…………」

「この前、太郎に借りたシン・シティが面白かったな」

「マジか? うーんと、ネットの評価は————」


「ネットの評価を鵜呑みにするな!」

「クロエの台詞じゃなきゃ、一考の余地はあるんだがな!」


 男子高校生たちの放課後は続く。


◆◆◆


 後日、例の先輩に、視聴した「シン・シティ」をオススメして、紙谷は自分を映画好きと思わせることに成功した。

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