枕投げ

 脱衣所で服を脱ぐ。


 嬉しいことに、私達が泊っている離れの一軒家は大きな露天風呂が敷地内に造られていて、本館にあるという大浴場を利用しなくてもよくなっている。

 残念ながらショウコの街は温泉地ではないので、ただのお湯ではあるのだけれど。


 脱いだ服を竹で編まれた籠にたたんで入れて……。


「……」


 こそこそ。


 つばきさんが脱衣所の隅の方で小さくなって服を脱いでいた。


「あのっ。じっと見られると……恥ずかしいです……」


「女同士なんだからいいじゃないのー。つばきは恥ずかしがり屋なんだから―」


 そう言って恥ずかしがっているつばきさんの横で、すっぽんぽんで仁王立ちをしているちゃちゃさん。


「でも、皆さんスタイルいいんだもの。私はちょっとお腹周りが……」


 狐耳がへにょんと垂れて、尻尾で腰辺りをくるんと巻いて隠している。


 うーん。

 つばきさん、着ている服が和装に似ているせいか、着やせして見えやすいのかな?

 お腹は気にするほどではないのだけれど、胸がそれはそれは大きかった。


 今までで出会った人の中で一番大きいのじゃないだろうか?

 珍しくリステルもルーリも、つばきさんの胸に視線をじっと送っていた。


「つばき、でかいでしょ?」


「わっちょっ!! ちゃちゃ!」


 ちゃちゃさんがつばきさんの後ろから両手首をつかみ、羽交い絞めにする。


「やめてよっ!」


 つばきさんが身悶えするたびに、胸がぷるんと弾む。


「え、すご……」


 思わずそう零してしまう程には衝撃的だった。


「ほー、立派なものじゃのう。妾が見た中で一番の大きさじゃ。宝石族ジュエリーは皆ぺったんこで、妾も例には漏れんからのう。良いものが見れたのじゃ」


「サフィーア、おじさんみたいなことを言わないでよ……」


「おじ……さん……」


 今にも手を合わせて拝みだしそうなサフィーアに思わずツッコんでしまい、サフィーアはショックを受けて固まってしまった。


 脱衣所を抜けると、高い竹垣に囲まれた広い浴場。

 積まれている木桶を取り、湯船のお湯を汲んでかけ湯をする。

 ちゃちゃさんもすぐ横でかけ湯を始め、つばきさんも諦めたのか、遠慮がちではあるけれど手や尻尾で胸とかを隠すようなことは無くなった。


「全員が入れるって結構な広さですよね」


「ですね。ここは身分の高い人が宿泊する事もあるそうですから」


「ねえ、お湯熱くない? 瑪瑙は普通に入ってるけど」


「あっ! すみません、忘れてました……。フラストハルンの方達は温めのお湯を使われるんですよね」


「リステル、大丈夫大丈夫。これくらいの方が気持ちいいんだから」


 湯船に足だけをつけていたリステルに、太腿、お腹、肩の順番でお湯をかける。

 そして、手を取って湯船の真ん中まで引っ張る。


「はい、ゆーっくりつかって」


「まだちょっと熱いんだけど!」


「慣れる慣れるー。ゆっくりしゃがもうねー」


 リステルの肩に手を乗せて、ぐいぐいと押さえていく。


「あっあっ……。あ~~~~」


 肩までつかると、リステルの顔が一気にふにゃんとなった。


「これは……確かに気持ちいい~」


「瑪瑙お姉ちゃん、このお風呂ちょっと深い。肩まで浸かれない」


 ぱしゃぱしゃとこちらまで歩いて来たハルル。

 ハルルの身長で湯船の中で座ってしまうと、眼のあたりくらいまで沈んでしまう事になるようだ。


「じゃあハルルは私の膝の上においで―」


 足を延ばした太ももの上に、ハルルを乗せる。


「サフィーアはこっちおいで」


「こればかりはしかたないのう」


 ハルルとほとんど同じ身長のサフィーアは、ルーリに抱えられて肩まで浸かっている。


「確か子供用の湯船の中に入れる椅子があったと思うんだけど」


 ちゃちゃさんがきょろきょろと周りを見渡していると、


「瑪瑙お姉ちゃんの膝の上がいい」


 ハルルはくるんとこちらを向いて、私をぎゅっと抱きしめた。


「では、妾はその椅子とやらを探すとするかのう」


「もー、私の膝の上でいいじゃない」


 立とうとしたサフィーアを引き留めて、ルーリは頭を撫でる。


「これはこれでいいものじゃのう~」


 頭を撫でられてふにゃっとした表情になるサフィーアだった。


「はー、ゆっくりお風呂に浸かれて幸せです」


「船で出てる時は軽く手拭いで拭くしかできないし、ミュセットはシャワー。やっぱりお風呂よねー」


 つばきさんもちゃちゃさんも、ぐっと大きく伸びをして溜息をつく。


「ミュセットって大衆浴場ありますよね? カイヤさん外観が綺麗だって連れて行ってくれたんですよ」


 ミュセットの街でカイヤさんのゴンドラに乗って、観光をしていた時にカイヤさんが案内をしてくれた。

 中に入ってはいないのだけれど、外観がすごくお洒落だったのを覚えている。


「ほら、さっきもチラッと言ったけど、あっちの大陸はお湯が温いの。あと、マナー悪いのが多いかな。お湯、結構汚いんだよ」


「そうですね。ガラクではお風呂に入る前にかけ湯して汚れを落として入るのですけど、あっちではそのまますぐに中に入る人も沢山います」


「それに、つばきは獣人だからね。嫌がる人もいるんだよ」


「あー……。フラストハルンとハルモニカって獣人いませんもんね」


「こんなに可愛いのに……」


「かわっ?! そんな、皆さんに比べたら私なんて……」


「つばきも負けてないって。むしろ胸の大きさは全員に勝ってるんだから!」


「胸の話はやめてよー。まあ露骨に嫌な顔をする人はいなかったのは助かったけどね。それよりも臭いがちょっと……」


「臭いですか?」


「獣人の中で私達のような狐族や、狼族、猫族は、聴覚と嗅覚が人族より鋭敏なんです。それで……」


 そこまでいって、つばきさんがごにょごにょと言葉を濁す。


「小便垂れてるやつがいるんだって。湯船の中で。人族の私はぜんぜんわからないんだけど」


 口ごもるつばきさんのかわりに、ちゃちゃさんが苦笑しながら続けた。


「……うわっ気持ち悪っ」


「え、お湯から臭いがするって、結構な人数いるってこと?」


 リステルも他のみんなも、何とも渋い顔をしている。


「人族の方だと、鼻のいい方でもわからない程度ですよ。まあ、同じ獣人の方はだいたい利用を避けてますね」


「あ、だからカイヤさん外観を見るだけで利用は控えた方が良いって言ってたのか……」


「体を綺麗にするために利用しておるのに、余計に体が汚れそうじゃのう……」


「まあつばきからこんな話聞いたらさ、使いたくなくなるよね大衆浴場。カイヤも絶対使わないって言ってたもん」


 お風呂の中でおしっこをする人の話は聞いたことはあったけれど、その後にもお湯が使われてることに考えが今まで行っていなかった。

 不特定多数が入る温泉とか、少し入るのが怖くなったのだった。



「体がホコホコして気持ちいー」


「そうね。熱いお湯って初めてだったけど、悪くないわね」


「風が気持ちいいのじゃ」


 つばきさんとちゃちゃさんに着つけてもらった浴衣を着て、縁側でゆっくりと寛ぐ。

 熱めのお湯で温まって火照った体に、ひんやりとした風が心地い。


「浴衣ってゆったり着れて、結構好きかも」


 ルーリが袖を広げて自分が来ている浴衣を眺めている。


「ルーリちゃん、つばきをみて」


 ちゃちゃさんがそんなルーリを手招きして、つばきさんを指さしている。


 全員がつばきさんの方へ視線を送ると、


「?」


 つばきさんはきょんとして首を傾げている。


「こうして」


 ちゃちゃさんがつばきさんの浴衣の裾を軽くまくって、太腿がちらりと覗くようにし、


「こう!」


 そして、がばっと胸元をはだけさせた。


「どう? 色っぽくない?」


「お淑やかに見えてたのに、今はどこからどう見てもいかがわしいですね……」


「……」


 何とも煽情的な姿にさせられたつばきさんは、その場で顔を真っ赤にして固まっている。


「また私で遊ぶ! ちゃちゃが自分でしたらいいじゃないのっ!」


 再起動したつばきさんが慌てて襟を正して、ちゃちゃさんをぽかぽかと叩く。


「いや、私がやっても面白くないじゃない?」


 そういってちゃちゃさんは、さっきのつばきさんより大胆に裾をまくり、胸元もぎりぎりまで開いて、さらにノリノリで座りながらセクシーなポーズまで取って見せた。


「ほら」


「なんか、つばきさんは色っぽいって感じだったけど、ちゃちゃさんは何か……」


 何かを言いかけてリステルは途中で切るが、


「下品」


 ハルルがバッサリと切って捨てた。


「ひどくない?!」


 ちゃちゃさんがハルルの痛打で涙目になってしまった。


「……誰か来たよ?」


 そんな事はお構いなしと、人の気配を察知したハルル。


『ご歓談中の所失礼いたします。お夕食の準備が整いましたので、お運びさせていただいてもよろしいでしょうか?』


「もうそんな時間か―」


「瑪瑙お姉ちゃん、なんて言ってるの?」


「夕食の準備が出来たから、運んでいいかって」


『はい、お願いしまーす』


『かしこまりました』


 ちゃちゃさんが了承すると、着物を着た女性は静々とお辞儀をして去っていた。


 しばらくして玄関がノックされ、何人もの着物を着た女性達が、手際よく食事を並べた。


「うわ、凄い綺麗」


 並べられたのは、お魚中心の料理。

 ただ、どれも色鮮やかに作られていて、香りが良いだけではなく、見た目でも楽しめるほど。


『机に並べられない分は、こちらに重ねて置いておりますので。では、ごゆっくりお寛ぎください』


 黒く艶やかで色とりどりの花の模様が入った箱が、部屋の隅のいくつも重ねられていた。

 十人分くらいありそうな量で、どうみてもハルルの分だった。


 ちゃちゃさんがさっき泊る受付をしてくれた時に、ハルルの事を話しておいてくれたのだろう。

 軽いノリでよくふざけている人だけれど、ちゃちゃさんはこういうさりげない気遣いが出来る優しい人だ。


「それでは、船旅お疲れ様ー!」


「「「「「「お疲れさまー!」」」」」」


 ちゃちゃさんが音頭をとって、夕餉が始まった。


 旬の野菜や魚が使われていて、和食のような繊細で、素材の味を活かした味付け。

 今まで食べてきた料理とは、まったく違う基礎から作られている料理だとわかる。


「おさしみがあるけど、これ、ミュセットでみんなで釣って食べた奴の方が美味しくない?」


「そうね。食べれないほどではないんだけど、少し生臭いかしら?」


「えー?! このお刺身すごく美味しいんだけど?!」


「これは、メノウさんが教えてくださった魚の処理の仕方の違いね。ミュセットでもそうだけど、ガラクでもあんなことはしないもの」


「あー、つばきとカイヤが食べたって言ってたやつ? 私も食べてみたかったなー。このお刺身より美味しいなんて、私信じられないもん」


「釣った時にする処理の差ね。ここの旅館は仕入れた魚を使っているはずだから、仕入れ先が処理の仕方を変えないと、味はこれ以上良くならないわね」


「そんなに変わるの?」


「ここのお刺身がいまいちに感じてしまう程度には……ね」


「みんなー、今度一緒に釣りに行こ! 私もその新鮮なお刺身って食べてみたいよ!」


「ちゃーちゃ! 皆さんは旅の途中なのよ! 釣りをしたいって言っているのなら未だしも、あなたが釣りをしたいだけでしょうに!」


「そんなこと言わないで―! ね? ねー??」


 つばきさんに窘められるも、半泣きで私達に懇願するちゃちゃさん。

 そんな二人を見て、私達は顔を見合わせる。


「まだしばらくはショウコでゆっくりするつもりですから、釣りに行くのもいいですね」


「ハルルいっぱいお魚釣るー」


 リステルが答えると、ハルルも嬉しそうに手を挙げて続く。


「皆さん……。すみません、ちゃちゃの我儘に付き合ってもらって」


「美味い魚が釣れると良いのう。処理は大変じゃが、皆とならばそれもまた楽しいものじゃ」


「こっちではどんな魚が釣れるんですか?」


「ミュセットとあまり変わりませんよ。この時期だとカマスが釣れるようになりますね。大きな青物も釣れだしますよ」


「青物……大きなサバとか?」


 ルーリが首を傾げている。


「サバも釣れるけど、やっぱりブリだね。脂が乗り出して美味しいよー! 刺身でもいいし、煮て良し焼いて良しの美味しい魚だね」


「大きいサイズの魚を狙いたいなら、筏や船宿を利用すると良いですよ」


「あ、こっちにも筏ってあるんですね」


「ミュセットにあった筏は、元々ショウコにある筏を参考にして作られたんです」


「そうだったんだ」


「釣り関係の技術や文化は、ガラクが他国より一歩進んでいる感じですね」


 つばきさんが言うには、私達がミュセットで買った釣竿からリール、ちょっとした道具なんかもガラクの技術が基礎になっているそうだ。


 夕食が終わる頃には陽はとっぷりと沈み、少し赤みを帯びた優しい光が室内を照らしていた。

 もうずいぶんと陽が沈む時間が早くなった。


 縁側から空を見上げると、煌めく星々とまだ少し低い位置にある上弦の月。

 海を越えて訪れた国。

 見上げる空はとても綺麗なはずなのに、恵黄けいおうの頃……秋になったせいか、少しだけ寂しく感じ――……。


「え?! 床に布団を敷くんですか?!」


「そうですよ。ガラクの宿はどこも畳の部屋に布団を敷いて寝るんです」


「国が変われば寝方も変わるか。興味深いのう」


「あ、畳の匂いがふんわり香ってくるのね。この香り、なんだか落ち着くわ」


「つばきお姉ちゃん。枕、なんかシャラシャラなってるー」


「それはそば殻の枕ですね。程よい硬さで、蒸れたりしにくいいい枕ですよ」


「ハルルちゃんハルルちゃん」


「ん?」


「ていっ!」


 ちゃちゃさんがハルルに向かって枕を投げる。

 運動神経が良いハルルは、当然容易く受け止める。


「なーに? どうして投げたの?」


「枕投げっていう、宿に泊まった時の定番の遊びだよ!」


「おー! ルールは?」


「特にない!」


「こらちゃちゃ! 間違ったことを教えないの! そういう遊びをするのは子供だけで――」


「隙あり!」


「ぷふっ!」


 ぷりぷりとお説教を始めそうになったつばきさんに、ちゃちゃさんが容赦なく枕を投げ、顔に命中する。


「もぉぉぉぉぉぉっ!!!!」


 怒ったつばきさんが、ちゃちゃさんに容赦なく枕をいくつも投げつける。


 それを見ていたハルルが枕を持ってソワソワし始めた。

 ……あ、リステルもソワソワしてる。


「あーあ。敷いた布団がぐちゃぐちゃになっちゃった」


 私の隣に来て溜息をついているルーリ。


「賑やかだねー」


 なんてのんびり話をしていたら、ぽすっと私とルーリの頭に枕が投げつけられた。


 振り返ると、リステルとハルルがこちらに向かって枕を投げたようだった。


「やったなー!!!」

「もー!!!」


 私とルーリも負けじと枕投げに参戦する。


 結局全員浴衣の乱れなんて忘れて、枕投げをして遊んでしまった。

 私にしんみりとする時間は、どうやらやってこないらしい。


「あ……汗かいちゃった」


「妾もついはしゃいでしまったのじゃ」


「寝る前にお風呂、もう一度入りましょう」


「さんせーい!」


 私達はとても賑やかな夜を過ごしたのだった。



 ショウコの街は私にとってだけでなく、リステル達にとっても過ごしやすい街のようだった。


 ちゃちゃさんのリクエストもあって、釣りに行って釣った魚をお刺身だけじゃなく、他のお魚料理も沢山作って食べた。


 二人が言っていた通り、カマスやハマチなんかも良く釣れた。

 お刺身は当然ながら、カマスは一夜干し、ハマチは塩焼きや、トマト煮なんてのも作った。


 ハマチだったりワラサだったり、ブリが出世魚で、幼魚の呼び方がガラクの地域でバラバラなのは、日本と同じらしい。


 ブリの幼魚はブリでいいんじゃないかな?

 ややこしいもん。


 ちゃちゃさんは、それはもうお刺身の鮮度の良さに驚いていた。


「もう絶対お店のお刺身食べれない」


 そんな事を言っていた。


 つばきさんやちゃちゃさんだけじゃなくて、ガラク貿易船団の何人かに私の知識とルーリが作った魔導具の試作品を渡しているので、もっと新鮮なお魚がショウコの街にも出回る日が、そのうちやって来るのかもしれない。

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