白髪の少女
――リステル視点――
「見事なフローズンアルコーブだったのです」
後ろを振り向くと、パチパチパチと拍手をしている少女が一人。
その少女の姿を確認した瞬間、背筋に冷たいものが走ると同時に、咄嗟に剣を抜きそうになったけど、寸前のところで剣を抜くのを堪えた。
「えっ?! あ、はい。ありがとうございます」
突然話しかけられた瑪瑙が、驚いた顔で返事をしている。
その様子を見て、不自然にならないように私は少し後ろに下がる。
コルトも私と同じことを考えていたのか、ほぼ同時に少し後ろに下がり、私と目を合わせる。
「コルト。気づいた?」
コッソリと小声でのやり取り。
「いえ、お嬢様もですか……」
コルトが苦い表情を浮かべているのを見て、冷たくなった背筋がさらに冷える。
私とコルトは警戒しているのを悟られないように、目の前に現れた少女の一挙手一投足に注意をする。
私とコルトが何をそんなに警戒することがあるのか?
それはこの少女が気配無く、いつの間にか私達の後ろに立っていたこと。
自慢じゃないけど、視線や気配と言ったものには私は敏感だ。
それはコルト達に子供の頃から叩き込まれたおかげで身についたもの。
だけどコルトすら、この少女の登場には気づかなかった。
いつからいたのかすらも、私達はわからなかった。
見た感じ、恐らく私よりも年下。
身長もそんなに高くない。
ハルルより少し背が高いくらいだ。
髪の色は真っ白。
私のような銀色の髪じゃない。
膝丈ほどある艶のない真っ白な白髪が、風に吹かれてなびいている。
「お一人ですか?」
私達の警戒に気づいていない瑪瑙が少女と話を続ける。
「そうなのです。実験材料の確保の為にフルールの東の草原に来たのですが、当てが外れたのです」
がっくりとうなだれて見せる少女。
「今この草原は危険だって言われていて、一人で行動するには危険ですよ?」
瑪瑙がそう言うと白髪の少女は、
「知っているのです。だからワタシはここにいるのです。冒険者ギルドに持ち込まれた
「
相変わらず無警戒に会話をしている瑪瑙。
でもこればっかりは仕方ないか。
この少女が要警戒対象なことに気づいているのはたぶん私、コルト、シルヴァ、カルハの四人。
あ、もしかするとハルルも警戒しているかも?
あの子も視線や気配には敏感だからね。
「そうなのです! こんな機会は中々やってこないのです! なのでがっかりなのです……はぁ」
大きなため息をつき、さっきよりも大げさに肩を落として見せる。
「ハルモニカ王国の東部なら、
酷く落ち込んで見えたせいだろうか?
アミールさんがアドバイスをし始めた。
「あー、東部はダメなのです。
「あのー。冒険者ギルドで、
今度はルーリも会話に交じっちゃった。
「死体には興味ないのです。ワタシが欲しいのは生きた
「どうして生け捕りなんて考えるんですか?」
瑪瑙がそう聞いた時だった。
少女の体がビクっと震えたかと思ったら、がっくりとした態度から一変して、顔を上げ、口角もニヤァっと上げる。
それを見た瞬間、私の肌が粟立った。
「おや? おやおやおや?
『
警戒している者を除いて、みんな揃って声を上げる。
その言葉に気を良くしたのか、少女は体をゆらゆらと揺らしながら話し始める。
「
「ちょっちょっと待て! 赤い狼の魔物って
スティレスさんが動揺を隠せないで大きな声を上げる。
そんなスティレスさんの言葉に、ゆらゆらと揺れながら話していたのがピタっと止まる。
「……スローターウルフ? ああ、なるほどなるほど。皆さんは変異種のことをスローターウルフと呼んでいるのですね? 簡単なことなのです。餌となる魔物の確保をしやすくするためなのです」
白髪の少女は顎に手を当て、少し首を傾げて話を続ける。
「
私はハルモニカ王国の東部には行ったことが無いので、東部に出没する魔物の種類を知らない。
今ここにいる仲間の中で、
「コルトは知ってた?」
「……いえ、そんな恐ろしい能力を持った魔物だとは聞いたこともありません。確かに東部では体の色が赤く、大きな群れを率いる魔物が存在はします。ですがそれは、上位種だと言う認識でしかなかったはずです。それに、
コルトは白髪の少女から目を離さずに話をする。
すると、コルトとの会話が白髪の少女に聞こえていたようで、
「おやおや、そうなのですか。こんなことも失ってしまったのですね。……東部に出没する赤い変異種の作る群れが、この街ほど脅威に思われていないのは、知性がそもそも高くない魔物しかいないからなのです。素体となる
まるで本を音読しているように淀みなくスラスラと語る少女と、その少女から放たれた話の内容に、私達一同唖然とする。
「それが事実だとしたら、あなたはどうしてそんなことを知っているのですか? 恐らく、東部の人間ですらそんな話は知らないと思うのですが……」
恐る恐ると言った感じで、コルトが質問をする。
出来るだけ会話は避けたかったのだけれど、話の内容が今私達が受けている依頼と関連のある内容だったので、そうも言ってられなくなってしまった。
「あなた達の話を聞いていると、ワタシが話した
少女の話しぶりから考えると、嘘を言っているようには見えない。
それ程に、少女の話しぶりには迷いが無かった。
「貴重な情報をありがとうございます。だけど、そんな簡単に教えてもらって良かったんですか?」
ルーリがお礼を言った後、心配そうに首を傾げて聞く。
「問題ないのです。元々ワタシが発見したコトではないのです。それに、誰でも知っていたことなのです」
そう話す少女の目は、一瞬だけ遠くを見ているように感じた。
「おやおや。少し話し込んでしまったのです。まともな会話をしたのは久しぶりだったので、ついつい楽しくなってしまったのです。お邪魔ではなかったです?」
「お邪魔だなんて、そんなことはありませんよ。こちらこそ貴重な情報を教えていただいて、助かりました」
ルーリが笑顔でお礼を言うと、頭をペコっと下げた。
「ではでは、そろそろワタシは街に戻るのです」
そう言って、ゆらりと体を翻すと、白髪の少女はフルールの街の方角へ向かって歩いて行った。
私達は、突然現れた白髪の少女の後ろ姿が、完全に見えなくなるまで見送ると、
「「「「……ふぅ」」」」
私、コルト、シルヴァ、カルハは盛大に息を吐き、その場に座り込んだ。
「どっどうしたの?!」
そんな私達四人を見て、瑪瑙が驚く。
――瑪瑙視点――
「どっどうしたの?!」
いきなり四人が大きく息を吐いたかと思うと、その場に座り込んだ。
かなりぐったりしているように見える。
「ちゃんと話すけど、今はちょっと休憩させて……」
そうリステルが言うのと同時に、私の背中にハルルがしがみ付いてきた。
「ハルル?」
背中から回された、私にしがみつくハルルの手にそっと触れる。
その手は、何かに怯えているように震えていた。
そっと手を解き、背中にいるハルルの方を向く。
「どうした……の……っ!?」
覗き込んだハルルの顔を見て、息をのむ。
ハルルの顔は真っ青で、今まで全力で走っていたかのように、汗でびっしょりと濡れていた。
慌ててハンカチを取り出して、ハルルの顔を拭いてあげ、今にも倒れてしまいそうなハルルを思い切り抱きしめた。
そうすると、ハルルは私の胸に顔を埋め、痛いぐらいに強く抱きしめ返してきた。
さっきは手の震えだけにしか気が付けなかったけど、腕の中のハルルは全身が震えていた。
呼吸すら震えているのではと思ってしまう程に、その震えは酷かった。
それはまるで、何か途轍もなく恐ろしいものを見たかのようだった。
「ハルル。座ろ?」
出来るだけ優しい声でハルルに言う。
「……ん」
腕の中のハルルがコクンと静かにうなずき、ハルルを抱きしめたまま、ゆっくりと腰を下ろす。
「なぁ急にどうしたんだ? いきなりぐったりしちまって……」
スティレスさんが疑問を口にする。
だけどその顔は、疑問を浮かべている顔ではなくて、不安なのが見て取れるほどだ。
流石の私も今の五人の状態を見れば、何かがあったことくらいは気づける。
「あの真っ白な髪の女の子って何者?」
そう、恐らくはあの子が原因。
私の問いかけに、少し間を開けて、
「正直……わからない。得体の知れない少女だ」
シルヴァさんがポツリと漏らした。
「何をそんなに警戒することがって思うかもしれないけどー、あの子が私達を殺す気があったのならー、私達はあの子の接近に気づくことすらなく殺されていたってことよー」
いつも、のほほんと笑顔を絶やさないカルハさんが、苦虫を噛み潰したような顔をしている。
「そうじゃなくとも、あの状態で真正面からの戦闘になったとして、私達が倒せるのかも疑問ですけどね……」
座り込み、空を見上げてそう言うのはコルトさん。
「瑪瑙とルーリが会話を始めた時は、正直生きた心地がしなかったよ……。かと言って、無視して機嫌を損ねるのも危険なのは間違いないんだけど……」
リステルは私の隣まで歩いてくると、頭を私の肩に預けてそう話す。
「ハルルも同じように感じてたの? だからそんなに怯えてるの?」
ずっと私の胸の中に顔を埋めっぱなしのハルルに話しかける。
すると、ハルルは首を思いっきり横に振る。
「違う。あれは……あれはそんなものじゃない。確かにハルル達が気づかないうちに後ろにいたのは驚いたし、警戒はした!」
そう話すハルルが、私を抱きしめる力を強めた。
「あれは何かが狂ってる。まともじゃない。伝わってくるのはただただ真っ黒な何か! ハルル怖かったっ!!」
今にも泣き出しそうな声で叫ぶハルル。
「さっ流石にそれはハルルちゃんの気のせいじゃないかしら? コルト達が警戒する程の女の子だとしても、普通に楽しそうに会話してたんだし……」
アミールさんがハルルの考えを否定する。
アミールさんにそう言われたせいか、私をきつく抱きしめていた力が弱くなる。
でも、私は知ってるんだ。
この子が私の心境を、リステルとルーリにも隠していた気持ちを、それも初対面でまだ会話もあまりしていない出会った当日に、正確に、的確に把握して、リステルとルーリに忠告をしたことを。
この子は人の心の機微を、想いをすぐに感じ取ることが出来る子なんだってことを、私は知っているんだ。
だから、
「ハルルがそう言うなら、間違いないですよアミールさん。ハルルはそう言う事がわかる子なんです。それで私がどれだけ助けられたか……」
「……瑪瑙お姉ちゃん」
ハルルは私の名前をつぶやくと、また抱きしめる力が強くなる。
「ありがと……」
そう言って、私の胸に顔を埋め直す。
「さて。そうなってくると、あの者が話しておった、
サフィーアがそう言うと、
「うーん。私もハルルのいう事が間違いじゃないって信じてるんだけど、あの話って全部嘘なのかしら?」
ルーリが疑問を口にする。
「全てが嘘だと言うわけではないと思いますよ?」
コルトさんはあっさりと否定する。
「話の内容の内、いくつかは私達が知っている内容のものがありました。そうですよね? シルヴァ、カルハ」
コルトさんに話を振られた二人は、すぐにうなずいた。
「まず、東部に体色が赤く、大きな群れを作る上位種、あの少女は変異種と呼んでいましたが、確かに頻繁に存在が確認されています。そして、体色の赤い魔物の特徴として、魔石の形が歪だと言う点は、あの少女の言う通りなんですよ」
コルトさんがそう言うと、
「そして、東部には狼種、あるいは、狼種に匹敵するほどの知性を持った魔物が存在しないと言うのも事実だ」
シルヴァさんがそれに続く。
「
リステルが質問すると、
「あいにくとそこまではわからないわー。大体討伐されたとしてもー、傷だらけにされてしまうからねー。ハルルちゃんみたいに一撃で首を刎ねられる力を持った冒険者なんてそうそういないわよー」
と、カルハさんが答える。
「そう言えば、オークションっていつ開催されるんですか?」
もし傷を確認するにしても、もう既に
まさかこんなことになるとは思ってもいなかったし、オークションに私達が参加するわけでもないので、開催される日程なんて誰も気にしていなかった。
「あー、確か三日後だったよな? アミール」
「ええ。三日後のお昼よ」
それでも、現冒険者ギルドの職員であるアミールさんとスティレスさんがいる。
ちゃんと二人は日程を把握していてくれた。
「よし、まだフルールから出て半日程度しか歩いてないんだ。みんなが良ければあたしとアミールで確認してくるが……どうする?」
「そうね。傷の確認にわざわざ十人全員でフルールに戻ることも無いわね。私とスティレス二人でフルールに戻って見てくるわ」
アミールさんがスティレスさんの意見に同意した時だった。
「ダメっ!!」
ハルルが叫んだ。
「今は絶対、バラバラで動いちゃダメ! 今フルールに戻ればあいつがいる。二人で行動するより、みんなで行動した方が絶対いい!」
ハルルが必死に二人を止めている。
「ハルルちゃん。ハルルちゃんの言う通り、あの子が異常者だったとして、私達に危害を加えると決まったわけではないでしょう?」
「そうだぜハルル。そうじゃなくても、フルールでまた会うかもわからねーんだ。流石に気にし過ぎだぜ? ダイジョブだって!」
アミールさんとスティレスさんが笑顔でハルルに言う。
その二人の言葉を必死で首を振って否定するハルル。
「ハルル? ハルルはあの子がアミールさんとスティレスさんに危害を加えるって確信があるの?」
私はそっとハルルに話しかける。
すると、目を見開いて私を見るハルル。
「瑪瑙お姉ちゃん……信じてくれないの?」
「信じるって言ったじゃない。ハルルが何か感じ取ったのかなって、思っただけだよ」
「ほんと?」
「ほんと」
そう言って、ハルルをギュっとする。
「……わからない。あいつから伝わって来たのは、どこまでも真っ黒で得体の知れない感情。凄く冷たくて怖かった。絶対に、絶対に二人だけを行かせちゃダメだって、ハルルはそう思うの……」
ハルルの言葉は抽象的だけど、必死さが嫌と言う程伝わってくる。
「全員でフルールに戻りましょう。どの道、傷の有無を確認してもらっても、すぐには連絡が取れないんです。全員で戻ったほうがいいでしょう。コルトさん達が危険視する程の子でもあるんです。帰りの道中も最大限の警戒をすることに越したことはないはずです」
すると、
「私もメノウの言葉に同意です。全員で戻りましょう。ただ、正直な話をすると、全員がいたからと言って、はたして敵うのか、いささか疑問ではあるのですが……。アミールとスティレスの二人だけを帰還させると言うのは、私もハルルと同じで怖いです」
コルトさんが同意してくれた。
私とコルトさんの話を聞いて、残りのみんなも頷いてくれた。
「私とスティレスを心配して言ってくれてるのがわかるから、断れないじゃないの。それじゃあお言葉に甘えるとするわ。ありがとね? ハルルちゃん」
アミールさんが笑顔でハルルに話しかけ、
「ん」
ハルルが短く返事をする。
「全員がそんなに警戒する相手って考えると、流石にあたしも怖くなってくるぞ。一体どんなバケモノなんだよ……」
スティレスさんが頭をボリボリと掻きながらそうぼやいた。
「まぁ、このまま普通に戻れば、あの子と遭遇するってことはないでしょう」
アミールさんがそう言った。
そして、私達は少し遅くなった休憩と昼食をとり、ゆっくりとフルールに戻ることになった。
このまま戻ればフルールには夜遅くに着くことになる。
夜も更けた頃、私達は何事も無くフルールに到着することが出来た。
そのままの足で、私達は冒険者ギルドへ向かう。
そして、私達は再び出会う事になる。
静まり返った暗い街で、異様に目立つ白髪の少女に。
「おやおやおや。また会う事になるとは思ってもいなかったのです。やはり変異種の確認をするために戻って来たのです?」
私達の前に立ち、白髪をなびかせる少女の表情は、真っ暗で見ることができなかった。
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