凍りつく世界

「瑪瑙! 足止めして一気に崩すよ!」


「任せて! フローズンアルコーブ!」


 リステルの掛け声に合わせる様に、前方から向かってくる黒い狼達の足元から一気に凍り付かせる。

 思ってた以上に魔法の範囲が広がってしまって、リステルとハルルを巻き込みそうになる。


「わっと!」


「んっ!」


 とっさにジャンプして二人は何とか回避してくれた。


「メノウ! 危ないじゃないですか! 何をやっているんです! ちゃんと集中しなさい!」


「ごめんなさいっ!」


 コルトさんに怒られてしまった。

 それもそうだ。

 魔法の制御が上手くできなかった。

 リステルとハルルが躱してくれて良かった。

 少し魔法を使う事に恐怖を感じてしまった。


 それならばと、剣の柄を握ってみんなと一斉に斬りこむ。

 まずは突進してくる一匹目をすれ違うように右に躱し、剣を一気に抜き放つ。

 強く青色に光る刀身が、黒い狼の首をきっちりと刎ねたと思った。

 そう思ったのだけど、首を刎ねたはずの狼は、傷を負うどころか凍り付きもしないで、反転して飛びかかって来る。


「なんでっ?!」


 右足を軸に時計回りにくるっと勢いよく回転して、飛びかかって来るのを躱すと同時に上段から腹部を斬りつける。

 それでもなお無傷で平然としている黒い狼に恐怖を覚える。


「メノウちゃん後ろっ!」


 慌てて振り向いたけど遅かった。

 後ろから迫っていた、別の黒い狼の突進をまともに受けてしまう。


「ぐっ!!」


 一瞬息が詰まり、派手に吹き飛ばされてしまった。

 私は慌てて立ち上がる。

 巨体から突進を受けたと言う割には、痛みはあまり感じなかった。

 一匹に気を取られ過ぎていたせいで、周りが見えていなかったようだ。


 私目掛けて二匹の黒い狼が猛スピードで接近してくる。

 慌てて剣を構えようとした時だった。

 手が震えて剣が手から滑り落ちてしまった。


「マズイっ!」


 黒い狼が私に飛びかかった瞬間だった。

 青色の炎が槍のように飛んできて、二匹の胴体を貫き大穴を開けた。

 炎の槍に貫かれた狼二匹は、瞬く間に灰と化す。


「メノウちゃん大丈夫ーっ?!」


 カルハさんは複数の狼を相手にしながら、私に声をかけてくれている。

 炎の槍もカルハさんの援護だ。


「すみません! 助かりました!」


 すぐに返事をして慌てて剣を掴むが、手の震えは一向に収まるどころか酷くなる。

 それでも無理やり力を入れて、剣を握る。

 そして、剣に魔法を纏う。

 再び青く強い光が刀身から溢れ出る。


 今度こそは油断しないと、自分に言い聞かせて走る。

 そんな私に次々と襲い掛かって来る黒い狼達。

 さっきまでは大丈夫だと思っていたのに、今は怖くて仕方がなかった。

 剣も片手で扱うと、すっぽ抜けてしまいそうだったので、両手で必死に握っている。

 避けることはできるけど、うまく反撃が出来なかった。

 何度も斬りつけるけど、傷一つつける事ができない。


 流石に焦って、剣に纏う魔法の魔力を上げる。

 すると剣から溢れ出る青い光がより一層強くなる。

 そしてそれを、浅くてもいいからがむしゃらに斬りつけた。

 相変わらず剣での傷を与えることはできなかったけど、剣が触れた部分から徐々に凍り付かせることには成功した。


 私が四~五匹にてこずっている間に、みんなはどんどんと黒い狼を倒していく。


「はぁ……はぁ……」


 何か重しでも乗っているのかと思ってしまうくらいに、体が思い通りに動かなかった。


 怖い……怖い……怖い……怖い……怖い……。


 頭の中にずっとそんな感情が沸き上がっている。


 そんなのはダメ。

 もっと頑張らないと。

 もっともっと頑張らないと。

 頭を振り、怖いと言う感情を振り出すように自分に言い聞かせる。


 近くに仲間がいないことを確認する。

 よし、誰もいない!


「フリージング!」


 私を囲んでいた狼達が一斉に凍り付き始める。

 やっぱり魔法の制御が上手くできてないみたいで、思った以上に広い範囲に効果が出てしまっている。

 パキパキパキパキと音を立てて凍っていく狼達と草花、そして私を中心にどんどん広がっていく霜柱。

 止まって!

 止まってっ!!

 それ以上広がると、みんなを巻き込んでしまう!

 この魔法はフローズンアルコーブみたいに、ただ足元を凍り付かせて動きを止める魔法じゃない。

 凍り付かせて"殺す"魔法なんだ。


「止まってえええええええっ!」


 思わず叫び声をあげる。

 すると、ピタっと霜柱が広がるのが止まった。

 ホッとする間もなく慌ててみんなの方へ向かって走り出す。

 少し離されてしまったけど、すぐに追いつくことが出来た。

 追いついた先には、黒い狼の死体が数えきれないほど横たわっていた。

 どうやら戦闘は終わっていたようだ。


「ご迷惑をおかけしました」


 みんなに向かって頭を下げる。


「気にするな。それよりメノウは大丈夫だったか?」


 シルヴァさんが私の肩に手を置いて優しい言葉をかけてくれる。


「はい。運が良かったのか、怪我はしていません」


「そうか。だったら、アミールとスティレスに治癒魔法をかけてやってくれないか?」


 その言葉に背筋が冷たくなる。

 慌てて座り込んでいる二人の元へ走る。


「大丈夫ですかっ?!」


「メノウちゃん落ち着いて? 二人ともちょっと引っ掻かれただけよ。血は結構出ちゃってるけどね」


 アミールさんは右太ももから、スティレスさんは左腕から血を流していた。


「すぐに治癒魔法をかけますね」


 そう言って、二人の傷口に手をかざす。


(あれ? 魔法が上手く使えてないのに、治癒魔法なんて使って大丈夫なのかな?)


 ふとそんなことが頭をよぎる。


「袂に集え、癒しの青光よ。水の加護の下、かの者に癒しを与えん。答えよ血よ。汝の主のもとある姿を。さあ祈れ、祝福せよ。清浄なる流れにより、主の傷は癒されん。ヒーリング!」


 詠唱をして魔法を発動を試みるも、余計なことを考えてしまって集中できていないのか、手から青い光が生まれることなく、魔法も発動しなかった。


「あれ? ヒーリング! ヒーリング!! なんでっ? どうしてっ?!」


 何度もヒーリングを発動しようとしても、わずかにでも発動する気配がなかった。


「メノウ少し落ち着け。手の震えが酷いぞ? 最近不調だったろ? そのせいじゃないのか?」


 スティレスさんが、震えながら傷口にかざしていた手をそっと握って、優しい声で言う。


「そうね。治癒魔法はルーリちゃんも使えるから、ルーリちゃんにお願いするわ。メノウちゃんは少し落ち着かないとダメよ?」


 そう言って、アミールさんも私の手を優しく握ってくれた。


「……ごめんなさい」


 手を強く握り返し、私は頭を下げて謝る。


「気にすんな! これくらいの怪我なんて冒険者をしていたら、しょっちゅうだ。むしろ治癒魔法なんて使える魔法使いがいるってこと自体、贅沢なんだからな」


 ニカッと笑って励ましてくれるスティレスさん。


「はい……」


 握った手を離し、ルーリの元へ行く二人を見送る。

 手の震えは、未だに収まっていない。


「っ」


 唇を噛み、震える手を合わせて力を入れる。

 震えを無理やり抑え込むように。


 何をやっているんだ。

 これじゃあただの足手まといじゃない……。

 頑張らなきゃ。

 頑張らなくちゃ!

 もっと頑張らないと!!

 元の世界に帰る事なんてできるわけがないんだ!


「メノウよ。俯いたままじっとしてどうかしたのかの? どこか痛むのか?」


 気が付くとサフィーアが私の顔を覗き込んでいた。


「あ、ううん。何でもないよ。ごめんね? ちょっと考え事をしてたの」


 慌てて首を横に振る。


「ふむ。そうだったら良いのじゃがな。あまり思いつめるでないぞ?」


「……うん。ありがとう」


「では、皆の所へ行くぞ。そろそろ前進じゃ」


「了解」


 みんなが集まってるところへサフィーアと駆け足で行く。

 合流して、再び草原を歩く。

 さっきの私の失態を誰も咎めたりはしなかった。


「瑪瑙。ヒーリングが使えなかったって聞いたんだけど、大丈夫?」


 ルーリが私の隣を歩いて、話しかけてくる。


「大丈夫かはわからないけど、ヒーリングが使えなかったのはホントの事だよ……」


「他の魔法は大丈夫なの?」


 心配そうな顔で聞いてくる。

 私は手を前にかざし、こぶし大の氷の塊を五つほど作って前に解き放つ。


「良かった。ちゃんと使えるみたい」


 ホッとしてルーリに言う。


「それじゃあヒーリングが使えないのは今だけかしら。治癒魔法ってかなり繊細な魔法だから、今はちょっと調子が悪いせいで使えないだけね。きっと」


「ごめんね? みんなに迷惑をかけてしまって。ルーリにも負担になっちゃってるよね――きゃっ!」


 離し終わる直前に、後ろから手が伸びてきて、ガバっと背中に飛びつかれた。


「まーたそんなことを言ってる。瑪瑙の調子が悪いのはみんなちゃんとわかってるんだから。それに、助け合うのがパーティーだよ!」


 リステルが私の左肩に顎を乗せて、笑いながら言う。


「もう! びっくりしたじゃない! ……でも、ありがとね?」


「いいえ。どういたしまして」


 そう言って、ぎゅっとリステルに後ろから強く抱きしめられた。

 少し心と体が軽くなった気がした。

 ……物理的にはリステルの頭が私の肩に乗っかっているので、重くはなっているんだけど。


 そんなやり取りをしていると、左手がぐいーっと引っ張られた。


「んーっ!」


 ほっぺたをぷくーっと膨らませているハルルちゃんが引っ張っていた。


「お姉ちゃん達だけ仲良くしててずるいーっ!」


「はいはい。ハルルもね?」


 そう言って私は左手を広げる。

 ハルルは指と指を絡ませて手を握ってきた。

 おっと?

 これは恋人つなぎというやつでは?

 そんなことを考えていたら、そのままぎゅっと腕を抱きしめられてしまった。


「じゃー私は瑪瑙の右手を貰いまーす」


 そう言ってルーリは反対側の手を繋いできた。


「あっずるい!」


 リステルが抗議の声を上げる。


「リステルお姉ちゃんは、瑪瑙お姉ちゃんを抱きしめてるからダメー」


 その抗議をハルルちゃんが即座に却下する。


「いや、あの、離れてくれないと歩けないんだけど……」


 苦笑しながら私は一応抵抗を試みる。


「「「だーめ!」」」


 んー知ってた!


「お前さん達は相変わらず仲が良いのう? ただ、時と場所を少し考えんか」


 サフィーアが呆れたと言わんばかりに半目になって注意してくる。


「んー。サフィーアも手ぇ繋ご?」


 そう言って左手をサフィーアに伸ばすハルル。

 いや、あの、私、歩けないって言いましたよね? ハルルちゃん?


「しょうがないのう。少しだけじゃぞー」


 しょうがないと言いながら、嬉しそうにいそいそと手を繋いでるサフィーアさん。

 いやもうなんかサフィーアちゃんでいいかも?

 ハッとして前方を見ると、大人組が私達の事を生暖かーい目で見ている。


「瑪瑙お姉ちゃん。手の震えは収まった?」


 ハルルがニコっと可愛らしい笑みを浮かべて聞いてくる。

 ……ほんとにこの子は。


「もう、ハルルには敵わないなぁ。ありがとう」


「ん!」


「おーい! そろそろ進みますよー!」


 コルトさんが手を振って私達に声をかける。


『はーい』


 みんなで返事を返し、みんな私から離れていく。

 よし、頑張ろう。

 温もりの残る手をギュっと握りしめる。


 私は嘘をついた。

 ううん。

 正確には、答えなかった。

 手の震えは、未だ収まってなんていない……。


 しばらく草原を歩いていると、突然周囲からいくつもの遠吠えが聞こえてくる。


『ウオォォォォォォォォン!!!!!!!』


 目の前に現れたのは、巨大な赤い狼。

 それも一匹や二匹ではない。

 緑の草原が、血に染まったかのように赤い狼達が埋め尽くしていた。


「来ます! 気をつけて!!」


 コルトさんが叫ぶ。

 次の瞬間、赤い津波が押し寄せてくる。


「フリージングレイン!」


 咄嗟に上空に氷の塊を数多作り上げ、雨の如く降り注がせる。

 私だけじゃなくて、魔法を使える六人が、一気に数を減らそうとそれぞれに魔法を放つ。

 そして、ハルル、コルトさん、アミールさん、スティレスさんが武器を構えて走り出す。

 それから少し遅れて、私、リステル、カルハさんが、突撃する。


 震えの収まっていない手では、いつものように初手で居合切りをする自信がなかった。

 なので、鞘から剣を抜いて、両手持ちをして右下段に構えつつ走る。


 まず私に向かって来ている先頭の一匹の足をすれ違いざまに、横薙ぎに一閃する。

 今度こそは斬ったと思ったのだけど、ダメだった。

 だけど、凍り付かせることには成功しているようで、身動きがとれなくなっているようだった。

 そのまま別の一匹に狙いを定め、左中段から右上段に向かって胴体を薙ぐ。

 やっぱり斬れない。

 でもパキパキパキと凍り付かせて行動不能にはできている。

 この巨体相手だと、さっきのように一気に凍り付かせて殺すことはできないみたいだ。

 殺すことは諦めて、次々と凍り付かせて行動不能にしていく。

 そして、一気に集団から距離を取り、周りにみんながいないことを確認してから、地面に左手をつける。


「フリーズランス!」


 そう唱えた瞬間、私の想定していた以上の範囲で、地面から氷の槍が、まるで生け花に使われる剣山のように大量に、空に向かって突き出した。

 それに貫かれた赤い狼達は、次々と凍り付いていき、そして、バラバラに砕け散っていく。


「メノウ! サフィーアの近くに戻れ! 早くっ!」


 シルヴァさんの焦った叫び声が聞こえた。

 振り返った瞬間私の目に飛び込んできた光景に、思わず剣を落としてしまった。


 空が黒い何かに埋め尽くされている。

 それはガチンガチンと背筋が冷たくなる音を大量に空に響かせ、こちらに迫って来る。


 剣を拾うことすら忘れて、私は一目散にサフィーアの下に飛び込む。

 いつの間にか他のみんなも戻ってきていたようだ。


「よし!」


 そう言って、サフィーアが手をかざした瞬間に、私達は蒼く煌めく結界に覆われた。

 それを待っていたかのように、空を覆っていた何かが一斉に結界目掛けて、飛びかかってきた。

 それは私と同じくらいの大きさの巨大な蜂だった。

 物凄い羽音と共に、結界に体当たりしてくる蜂。

 結界が壊れないとわかるや否や、結界に取り付いて這いずり回る。

 間近で見てしまったため、私は足が震え腰が抜けそうになる。


「メノウ! アブソリュートエンドを叩きこんでやれ!」


 シルヴァさんが私に言う。


「でも、もしこの間みたいに制御に失敗したらっ!!」


「安心するのじゃメノウよ。妾の結界は易々と破れはせんよ」


 笑顔で言うサフィーア。


「……わかった」


 どの道このまま何もしないわけにはいかない。

 震える足で何とか踏ん張り、空を埋め尽くす黒い群れを見る。

 そして、詠唱を始める。


「美しく輝く白銀よ。我は全てに終焉をもたらす者。今、我が眼前の子羊に、絶対なる死を与えん。魂までも凍てつき滅びろ! アブソリュートエンド!」


 唱え終わった瞬間、空高くから青い光が全てを飲み込んでいく。

 その光は徐々に強くなり、目を開けていられない程の輝きを放つ。

 あまりの眩しさに、目を瞑る。


 パキン


 何かが砕ける音が聞こえた。


 目を開けると、そこは別世界のようになっていた。

 全てが凍り付いた青色の世界。

 草原を赤く染めていた狼達も、空を覆っていた黒い蜂の大群も地に落ちて、青白く凍り付いていた。

 まるで音までも凍り付いたかのように静かだった。


「みんな大丈……、え?」


 振り返ったそこには、九つの氷像があった。


「う……そ? うそうそうそ!!」


「サフィーア! サフィーアー!! 大丈夫って言ったじゃない!!!」


 サフィーアの姿とそっくりな氷像に向かって叫ぶ。


「リステル! ルーリ! ハルル! サフィーア! コルトさん! シルヴァさん! カルハさん! アミールさん! スティレスさん!」


 全員の名前を叫ぶ。


「誰かっ誰か返事してよっ!」


 返事は帰ってこない。

 相変わらず、音一つ聞こえない。


「私のせいだ……。私のせいだ……っ!!」


 頭を抱え、地面に蹲る。


「どうしてこんなことにっ」


 どれだけ後悔してももう遅い。

 そんな時だった。


 ピシッ


 無音の世界に、何かにヒビが入るような音が響いた。


「え?」


 顔を上げると、氷像にヒビが入り始めた。


「うそっ! やだやだやだ!!!!」


「まって! まって! まって!」


 必死に叫び声をあげ、これ以上ヒビが入らないように、心の底から祈る。

 その祈りは何者にも届かず、どんどんヒビは広がっていく。


「あっあっああっ!!」


 そして。


 全ての氷像が砕け散り、跡形も残らなかった。


「いやあああああああああああっ!!!!!!!!」


 残されたのは、叫び声をあげる私と、全てが凍り付いた世界だけだった。

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