黒い津波

 冒険者ギルドで報告と、これからの方針を話し合った私達は、再度草原に出るべく準備を整える。

 ただ、解毒薬の製薬が終わるのを待つために、一日はフルールでお休み。

 そのお休みも使って買い物を済まし、しっかりと休養をとる。

 流石にみんなぐったりしていた。


 そして休日を終え、私達は再び東の草原へ。

 話し合った結果、初回と同様に七日間を目安に、探索することになった。


「そう言えば、この解毒薬って毒を受けた時に飲ませるんですか?」


 小瓶に入れられた透明な液体を、光に当てながら聞く。


「敵がいないならそれでもいいんだがな。軍隊蜂アーミーワスプと戦っている最中に、そんな暇なんてない。前もって飲んでおくのさ」


 シルヴァさんが答えてくれる。


「あまり効果は長く続きませんが、先に飲んでおくことでマヒ毒を防ぐ効果があるんです。多めに用意しているのは、予防用と、その効果が切れてしまい、マヒ毒を受けてしまった時の解毒用だからですね」


 コルトさんが補足してくれる。


 これを事前に飲むのか……。

 虫から作られたお薬。

 そう考えるだけでも、身も毛もよだつ気分になる。

 どんな風に作られたなんて、考えないようにしよう。

 私達が嫌な顔をしていたのを見ていたのだろう。

 大人組が苦笑をしていた。


「一応、解毒の効果のほかにも、滋養強壮と美肌効果もあるって言われているわね。魔物が魔物だけに、あまり一般には出回らない高級品だったりするのよこれ」


 アミールさんが笑いながら教えてくれる。


「でも虫……」


 ハルルが口をへの字にして言う。


「まぁそうなんだが。お前達は良いよなぁ? まだ若いから肌とかキレイだもんな。美肌とか言われても興味湧かないかー」


 スティレスさんが半目で私達を見る。


「あら? スティレスもお肌の事を気にしているなんて知らなかったわ。そんなことを言うなら、もうちょっと肌のお手入れに気を使いなさいよ。何なら教えてあげるわよ?」


 アミールさんが笑いながら、スティレスさんのほっぺたをつついている。


「あ、いや。それは遠慮しとくよ……。あたしは化粧に金を使う位なら、酒とそのアテに使いたい」


「まーたそうやっておっさん臭いことを言う!」


 スティレスさんとアミールさんはホントに仲がいいね。


「シルヴァちゃーん? もしかしてメノウちゃんに多めに捕獲させたのってー、実はそういう事ー?」


 カルハさんがのほほ~んと言う。


「なっ?! そ、そんなわけ無いだろう! いや、少しは考えたが、今回はちゃんと事前準備のためだぞ!」


 そんなカルハさんの一言に、あわあわと慌てているシルヴァさん。

 あ、少しは考えたのね……。


「シルヴァはですね。ああ見えて案外、お肌のお手入れは小まめにしているんですよ。みなさんも、若いからってお手入れをさぼっていて、後で後悔をしないようにするんですよ?」


 コルトさんが私達にコソっと話してくれた。


『はーい!』


「コルト! 聞こえてるぞ! お前だって気を使っているだろう! 私の空間収納に、三人分バッチリ化粧道具が入っているんだから、私が知らないわけ無いだろう!」


 と、こんな風に呑気に話しながら東の草原に入っていく。


 草原に入ると、会話はピタっと止み、風と風で揺れる草の音だけが聞こえるようになる。

 前回は、キロの森方面へと進んだけど、今回は、草原の中央を進んで移動することにする。


「おかしいですね。小さな群れすらも発見できません……」


 半日ほどが経った時、コルトさんが難しそうな顔で呟いた。

 コルトさんが言った通り、私達は今まで一匹の魔物とも遭遇していない。

 草原は、嫌な静寂に包まれていた。

 結局、何も起こらないまま夜を迎えることになった。



 そして、何百と仲間を引き連れて、赤い狼が牙を剥く。


「ウオォォォォォォォォン」


 全てを食い破れと言わんばかりに咆哮をあげた。



 私達は、野営の準備を済ませ、食事をしている最中だった。

 遠吠えを聞き、シルヴァさんが指示を出す。


「エンゲージ! 照明魔法をっ!」


「「「「イルミネイトフレア!」」」」


 私、リステル、シルヴァさん、カルハさんが、下位下級の火属性魔法を空に打ち上げる。

 空に輝く火球が浮かび、周囲を照らす。


『――っ!』


 照らし出された光景に、私達は言葉が出なかった。


 見えたのは、黒い津波。

 数えきれないほどの、巨大な狼の大群だった。


「コルト、ハルル! 二人はアミールとスティレスのカバーに入れ! 残りは魔法で出来るだけ蹴散らすぞっ!」


 即座に指示を飛ばすシルヴァさん。


「我、解き放つは大地の怒り! その身に刻み、怒りの深さを思い知れ! ライオットクロー!」


 天高く突き出した石の爪が、次々と振り下ろされ、狼を潰していく。

 中位上級まで操れるようになった、ルーリ最大の地属性魔法。


あけに染まりし焔よ! 今こそ吹き荒べ! その慈悲ある愛撫にて、塵へと帰れ! ヴァーミリオンカレス!」


 カルハさんが解き放つのは、上位中級の火属性魔法。

 空があけに染まるほどの光量の炎が、こちらへ向かってくる狼の群れの眼前から噴き上がり広がる。

 そして群れを飲み込むように覆い、次々と焼き殺していく。


「荒ぶる風よ! 全てを切り裂く竜となれ! さあ! 竜と共に天に散れ! トルネード!」


 上位下級まで風属性の魔法を操ることができるようになった、リステルのトルネード。

 それは、カルハさんのあけの炎を巻き込み、火炎の竜巻となって、群れを焼きながら吹き飛ばしていく。


「輝け! 数多の蒼玉よ! 夜天をながるる星々の如く、降り注ぎ貫け! ヘイル・ブルージュエル!」


 深浅様々な青色に煌めく宝石を空へと浮かべ降り注ぐ、サフィーアの宝石魔法。

 詠唱して発動したため、その規模は先日の比ではない。


「貫け疾風! 万象全てを置き去りにし、万物全てを薙ぎ払え! 立ち塞がる愚か者よ、その身をって知るがいい! 其は破壊の権化なり! ソニックブラスト!」


 シルヴァさんが放つ、上位上級の風属性魔法。

 轟音と共に、目にも止まらない速さで、一匹の薄緑色に輝く鳥が解き放たれる。

 その鳥は、狼の群れを一瞬で貫いたかと思うと、後から遅れてやって来る暴風によって、跡形もなく薙ぎ払われる。

 その威力は、大地を抉るほどに強烈だ。


「美しく輝く白銀よ! 我は全てに終焉をもたらす者! 今、我が眼前の子羊に、絶対なる死を与えん! 魂までも凍てつき滅びろ! アブソリュートエンド!」


 私は、普段剣に纏わせているアブソリュートエンドを、魔法として発動する。

 青い光が狼の群れの中心から球を描き、広がる。

 その光に飲み込まれた狼は、程無くして全身が凍り付き、死を迎える。

 上位下級の魔法の中でも、威力、範囲ともにトップクラスに高い魔法だ。


 出来る限りの魔法でもって、波の大半を消滅させることができたけど、それでもまだ狼達は襲ってくる。

 私達は、群れの直撃を避けるべく、左右に散る。

 魔法使い組は、そのまま中央でサフィーアの宝石魔法で受け止め、一気に反撃に出ようとする。


「?!」


 群れの大半が、横へそれたはずの私目掛けて突っ込んでくる。


 マズイ。

 これは接近戦で捌ける数じゃない。

 ましてや、まともに突進なんて受けてしまえば即死してしまうだろう。


「瑪瑙っ!」


 私とは反対側に移動したリステルが、焦った声で叫ぶ。


 私はすぐさま群れから距離を取るべく、全速力で後方へ走る。

 そこへ待ち構えていたと言わんばかりに、群れの狼より巨大な狼が複数、どこからともなく現れ、襲い掛かってきた。

 虐殺狼マーダーウルフだ。

 このままじゃ、横から追いつかれてしまう。


 私は剣の柄を逆手で持ち、剣に魔力を込め、抜き放ち、薄青く輝く刀身を勢いよく地面に突き立てた。


「グレイシャーブルー!」


 私を中心に、怒涛の勢いで現れ出でる氷塊。

 それは、一瞬で河のように流れ、周囲の存在全てを飲み込み、圧し潰しながら広がっていく。

 氷は透明で、月明かりを透し、青色に輝いている。


「ふぅ……。使うならもっと離れてから使いたかったぁ」


 地面に突き立てた剣を抜き、一振りして土を払ってから、鞘に納める。


 この魔法……と言うか、上位中級には、色の名前が入っている魔法が、各属性にそれぞれある。

 さっきカルハさんが使っていた火属性の「ヴァーミリオンカレス」

 先日シルヴァさんが使っていた風属性の「シャトルーズバイト」

 私が今使った水属性の「グレイシャーブルー」

 他にもあるんだけど、この色の名前が付いた魔法は、使う際に注意が必要な魔法だったりする。

 制御が非常に繊細と言えばいいのかな?

 魔法自体もかなり広範囲かつ、高威力の魔法で、味方を巻き込みかねないのだ。

 私が詠唱無しで咄嗟に発動してしまうと、超広範囲化に加えて、超高威力化してしまうので、若干苦手意識がある魔法。

 まぁ私の場合、何も考えず詠唱無しで魔法を使ったら、どれも桁外れに威力と規模が上がっちゃうから、気をつけないとダメなんだけど。

 今の所ちゃんとイメージして、コントロールできているから問題ないかな?

 さっきは流石に余裕はあんまりなかったけど……。


「せめて最短詠唱だけはしたけど、みんなを巻き込んでないよね?」


 そう独り言を言い、みんなの所へ急いで戻ろうとした時だった。


(メノウ! 気をつけろ! この襲撃の狙いは恐らくお前じゃ!)


 頭の中にサフィーアの慌てた声が響くと同時に、焦る感覚が伝わってくる。

 これは、心語りリサイト

 私が狙われてるってどういうこと?

 心語りリサイトで伝えられた言葉に、私は周囲を警戒する。


 警戒して正解だった。

 後方から一直線に、私へ向かってくる五匹の巨大な狼を発見することができた。

 その内の一匹の毛色は赤色だ。


「アイスシールド!」


 私は、向かってくる正面にぶ厚く横幅も広い氷の盾を出現させ、まずは突進してくるのを防ぐ。

 そして、左右に分かれる様に仕向ける。

 虐殺狼マーダーウルフの一匹が、氷の盾へ全力で体当たりをしてきた。

 激しい衝突音が響くけど、氷にはヒビ一つ入っていない。


「残念だけど、そう簡単に割ることができる強度にはしてないよっ! フリージングレイン!」


 体当たりで足を止めた虐殺狼マーダーウルフに向かって、大量の氷塊を叩き落とす。

 まず一匹!


「サブリメイション!」


 私は氷の盾に手をつき、一気に昇華させ、周囲を水蒸気で覆い、視界を潰す。

 一匹目の死体のある方に走って、水蒸気の中から抜け出す。


「デポジション!」


 回り込んだ一匹の虐殺狼マーダーウルフが、水蒸気の中へ飛び込んだのを確認し、水蒸気ごと一瞬で凝華させ、凍てつかせる。

 二匹目!


 残り三匹。

 出来れば赤く巨大な狼の殺戮狼スローターウルフは後回しにしたい。

 虐殺狼マーダーウルフは何度か戦っているので、何をしてくるのかは大体わかる。

 逆に、殺戮狼スローターウルフが何をしてくるのかがわからない。

 警戒するに越したことはない。


 立ったまま凍り付いた虐殺狼マーダーウルフの、お腹の下を全力で抜け、死角から一気に首元へ近づき、剣を抜き放ち、一閃する。


「アブソリュートエンド!」


 青く輝く剣が、虐殺狼マーダーウルフの首を刎ね飛ばす。

 三匹目!

 残り二匹!


 次!

 そう思った瞬間、赤い狼が大きな口を開き、咆哮をあげた。

 ただの遠吠えじゃなかった。

 耳をつんざくほどの爆音と衝撃が体を襲い、私の意識は刈り取られた。

 意識を失う寸前に、誰かが私の前に飛び出したように見えた……。



 ――サフィーア視点――



 妾達が狼共の波の大半を魔法で蹴散らした後、近距離で叩けるものは、波の直撃を躱すために左右に分かれる。

 残念ながら妾は、見た目通りの幼い体つきなので腕力はなく、武器を振るうことはできない。

 もちろん走り回っても、突撃狼コマンドウルフの群れから距離を保てるほどの、脚力も無い。

 じゃがその分、どの属性の魔法にも負けない程の、守りの強度を誇る宝石魔法が使える。


「煌めけ! 蒼玉の盾よ! 我が紋章を示し、絶海の如く全てを阻め! エスカッシャン・サファイア!」


 蒼く煌めく結界にて、突撃狼コマンドウルフの群れの衝突を正面から受けようとする。

 が、そこで群れの多くが右側にそれ、ある一人に向かって殺到する。


「瑪瑙っ!」


 リステルの慌てた声が聞こえる。

 そして、残りの突撃狼コマンドウルフ達が、妾が使った宝石魔法の結界に突っ込み、衝突音がいくつも鳴り響く。

 当然の事じゃが、結界にはヒビ一つ入らん。

 動きを止められた突撃狼コマンドウルフ達に向かってルーリとシルヴァが、次々と結界の中から魔法を放ち、横っ腹から残りの者が、切り崩していく。

 その間にも、メノウは妾達からどんどん遠ざかっていく。


「こいつらの目的はメノウかっ! まずいっ!」


 シルヴァが焦った声で叫ぶ。


「どういう事じゃ?」


「恐らくメノウが一番の脅威だと思ったんだろう。だから一気にメノウを私達から離れさせたんだ!」


 シルヴァがそう言った瞬間、離れた場所から轟音が響いてくる。


「あれは……グレイシャーブルーかっ! サフィーア! 結界の維持に注意しろ! あの氷河が襲ってくるかもしれんぞ!」


「メノウはその魔法をあれだけの規模で使えるのかっ?!」


 妾は結界を維持するために、魔力を注ぐ量を増やす。

 じゃが、青く透き通る氷河はギリギリの所で止まり、妾達を飲み込むことはなかった。


(メノウ! 気をつけろ! この襲撃の狙いは恐らくお前じゃ!)


 メノウに心語りリサイトを送る。


「くっ! こういう時、メノウからの返事が聞けんのは、不便じゃのう! 誰かメノウの援護に行けんのかっ?!」


 流石の妾も焦りを覚える。


「サフィーア! ここは私達が抑える! 行って! 瑪瑙をお願いっ! アースシールド!」


 ルーリがそう叫び、妾の結界の前に石の盾を作る。


「――っ!」


 ルーリの声に気圧されて、思わず妾は走り出してしまった。

 戦力的に考えるなら、攻防バランスよく魔法が存在する地属性を操るルーリの方が、適任じゃろう。

 何より妾は足が遅い。

 それに、妾は守ることは得意でも、攻撃はあまり得意ではないのじゃ。

 じゃが、そんな考えを無視するように、体は全力でメノウのいる方へ走っていく。


 場所を見失いかけた時、向こうに巨大な氷の盾が現れた。


「あそこかっ!」


 全力で走る。

 巨大な氷の盾は、一瞬で水蒸気と変化し、辺り一帯に漂ったかと思うと、すぐに一点へと向かって収束する。


「メノウはとんでもない魔法使いじゃなっ! これは妾達が焦ったのは無駄じゃったかのう?」


 そう思った瞬間じゃった。


「ガアアアアアアアアアアアアアアアッ!!!!!!!」


 明らかに遠吠えとは違う爆音と衝撃が、妾を襲った。

 一瞬酷い耳鳴りと、眩暈を覚えてよろけるが、何とか耐えることができた。


 目に入ってきたのは、メノウが膝から崩れ落ちる瞬間。


「今のはスタンハウリングッ?! 相手は虐殺狼マーダーウルフではないのかっ! 赤い狼?! マズイっ!」


 巨大な狼二匹の中に赤い狼がいるのを確認し、倒れるメノウの前に割って入り、詠唱する。


「煌めけ! 蒼玉の盾よ! 我が紋章を示し、絶海の如く全てを阻め! エスカッシャン・サファイア!」


 蒼く輝く結界を妾とメノウを包むようにして、発動する。

 虐殺狼マーダーウルフが、何度も体当たりをし、爪を振りかざし、結界を攻撃するも、微塵も傷つくことはない。


「ふん。狼の魔物ふぜいが、妾の宝石魔法に傷一つでもつけられると思っておるのか?」


「ガアアアアアアアアアアアアアアアッ!!!!!!!」


 赤い狼が声を上げる。


「無駄じゃよ。この結界は全てを阻む。無論、キサマの声すらもなっ!」


 スタンハウリングらしき咆哮が聞こえた瞬間から、ルーリがこのことを予想していたのかと言う考えに至った。


「じゃが困ったのう? このままでは逃げられるぞ。まぁルーリがそんなことを許さんか」


 相手がこちらに手出しをできないのと同様に、妾にも攻撃手段がない。

 エスカッシャン・サファイアを発動しながら、別の魔法を使うことは、妾にはできんのじゃ。


「のう? ハルルよ?」


 妾が問いかけると同時に、紅蓮の炎が虐殺狼マーダーウルフの首を一瞬で刎ね飛ばした。


「許さない」


 ハルルの怒りが具現化したかのような猛火が、大鎌から噴き上がっている。


 赤い狼が、口を開いた。


「いかんっ! にげ――」


 逃げろっと言い切る前に、ハルルは赤い狼の顎を蹴り上げ、顎を砕いてしまった。

 その速さは、一瞬たりとも赤い狼に、声を上げさせることはなかった。


「お前は絶対っ! 許さないっ!!!!!!」


 怯んだ隙に、すかさず上段から大鎌を振り下ろすハルル。

 あまりの鋭さに、炎の残光だけが見え、赤い狼の首が弧を描いて飛んでいく。


 ゆっくりと巨体が倒れていくのを、振り返りもせずに無視をして、こちらに走ってくるハルル。


「瑪瑙お姉ちゃん! サフィーア! 瑪瑙お姉ちゃんは大丈夫なの?」


 蒼く輝く結界をゴンゴンと叩く。

 ……ハルルじゃと、この結界を壊せるかもしれんのう。

 妾は少し背筋に冷たくなるものを感じ、結界を解く。


「恐らく大丈夫じゃ。スタンハウリングを至近距離で受けてしまったから、気を失っただけじゃろう」


 そう言う妾の言葉を信じたのか、ほっと胸をなでおろすハルル。

 そっと近づき、うつ伏せで倒れているメノウを仰向けにして、頬を優しく叩いている。


「瑪瑙お姉ちゃん。瑪瑙お姉ちゃん」


 ペチペチ。


「ん……」


 メノウは少し声を上げ、ゆっくりと目を開ける。


「っ?! って、あれ? ハルルとサフィーア?」


 跳ねるように飛び起き、妾とハルルの顔を見て、キョトンとした顔になる。


「瑪瑙お姉ちゃん!」


 そう言って、メノウに抱きつくハルル。


「そっか。また助けられちゃったんだね……。二人ともありがとう」


 首のない赤い狼の亡骸に目をやり、悲しそうに笑い、礼を言うメノウ。


「私はみんなに迷惑をかけてばっかり……」


 ハルルの頭を撫でながら、小さく呟くメノウ。


「「瑪瑙っ!」」


 項垂れてしまったメノウに、リステルとルーリが飛びついてくる。

 二人同時に飛びつかれて、押し倒されるメノウに、間に挟まれ潰されるハルル。


「「ふぎゅっ!」」


 押し倒され、潰される二人が間抜けな声をあげた。


「無事でよかったっ!」


「瑪瑙怪我はない? 大丈夫?」


 リステルとルーリがペタペタと体中を触り、服をはだけさせ、怪我を確認している。


「そっちはもう終わったのかの?」


 この様子を見ていると、聞く必要も無い気がしないでもないが、念の為に聞いておく。

 妾の言葉に、リステルとルーリは、メノウとハルルを引っ張り起こして、


「うん。こっちは終わったよ。怪我人も無し。っと言うか、大半を瑪瑙が持って行っちゃったから、割と後は楽だったよ」


 リステルが笑いながら言う。


「ルーリは、殺戮狼スローターウルフがスタンハウリングを使うのを知っていたのかのう?」


「ううん。でも、警戒はしていたわ。何をしてくるか情報が無い魔物相手に、私の地属性魔法を使うより、サフィーアの宝石魔法の結界の方が優れているのは、わかっていたから。無茶なお願いを聞いてくれてありがとうサフィーア。それにハルルもね?」


「んっ!」


 嬉しそうにピョコピョコと飛び跳ねるハルル。


「ごめんね。みんなにまため――むぐーっ!」


 謝ろうとしたメノウの頬をリステルが、むぎゅっと両手で挟んで遮った。


「今回は瑪瑙は悪くないんだよ! 相手が想像以上に賢かったのが原因。瑪瑙が悪いんだったら、この事態を防げなかった私達も悪いの!」


「シルヴァさんが言ってたんだけど、瑪瑙を一番脅威だと思ったんじゃないかって。それで、優先的に狙ったんじゃないかしら?」


「確かに、メノウはあ奴らにしたら脅威でしかなかったじゃろうな。お前さん、タルフリーンの時は、完全に手加減していたんじゃな。今回の事で、つくづくそれを思い知らされたぞ」


 ……メノウは今回の事でも、本気を出していないのではないじゃろうか?

 ふと、そんなことを思ってしまった。


「私、もっと頑張らなくちゃ……。せめて今回みたいなことが無いようにはしなくちゃ……」


 メノウは思いつめた顔で言う。


「瑪瑙? 魔法が使えるようになったのっていつ? 剣を持ったのっていつ? それに、魔物を知ったのっていつ?」


 ルーリがメノウを優しく抱きしめて聞く。


「まだ全然時間が経ってないのよ? わからないことだらけで当然じゃない。今回の事は、私達も反省してるわ。だからお願い。思いつめないで?」


「うん。ありがとうルーリ」


 メノウの顔に笑顔が戻った。


「それにしても、これで終わりなんじゃろうかの? これでまだ次があるとは考えたくないんじゃが……」


 空気が緩んだのを感じて、妾は話を切り出す。


殺戮狼スローターウルフが何匹もいるなんて考えたくもないし、こんなおかしな数の群れが他にもあるとは、あんまり考えられないかしら?」


 ルーリが言う。


「ふむ。可能性は無いわけではないのじゃな? 一応警戒をしておいた方が良いじゃろうな」


「それじゃあ、コルト達と合流しよ? 向こうも警戒しているだろうから、早く戻ってあげよう」


 リステルの言葉に妾達は頷き、コルト達の元へ行く。

 殺戮狼スローターウルフの死体は、メノウの空間収納にしまうことになった。



「「「メノウっ!」」」


「「メノウちゃん!」」


 コルト達が安心したように声を上げ、走り寄って来る。


「サフィーアも無事でよかった……」


 シルヴァは妾の顔も見て、ほっと一息つく。


「ルーリがサフィーアを行かせたときは、ハラハラしたんだが。あれ、スタンハウリングだったんだろ? 私かルーリが行っても返り討ちに合ってたよな」


「お前さんは風の上位上級の使い手じゃろう? スタンハウリングも風の魔法にあたるんじゃから、防げたのではないのか?」


「確かに防げなくはないが、それをしてしまうと、直接的な攻撃を防御できなくなってしまうからな。ルーリの判断は正しかったってことだ」


「ハルルが後から来たのは?」


「それもルーリの判断ですね」


 コルトが答える。


「大半がメノウを追いかけて行って、グレイシャーブルーに飲み込まれましたからね。こちらがだいぶん楽になったんですよ。そこをすかさず、ルーリが判断をしてって感じです」


「メノウが目の前で倒れた時は、流石に肝が冷えたのじゃ……。あと少し遅かったらメノウは死んでおったかもしれん」


 リステル達は、油断した時にメノウが酷い目に合ったと言っておったのう。

 この胸の苦しさを、リステル達も味わったことがあるのじゃろう。

 ここまで戻ってくる間、いつものように皆で手を繋いで戻ってきたが、誰一人として警戒を緩めてはおらなんだ。


「ご迷惑をおかけしました」


 メノウが頭を下げる。


「メノウちゃん。謝ることはないのよ? メノウちゃんは凄く頑張ってたんだから」


 アミールが、メノウの肩に手を乗せ、頭を上げさせる。


「そうだな。足を引っ張ってるって意味じゃー、あたしとアミールが一番だろう」


 スティレスが頭をかきながら言う。


「そんなっ!」


 そんな二人にメノウは反論しようとするが、


「はーいそこまでにしましょうねー? そんなこと言い合ったってー、誰も幸せにならないわよー? こんな死体の山がある場所で休憩は嫌だしー、どうせみんなしばらく目が冴えて眠れないだろうからー、さっさと移動しましょー?」


 手を合わせて、のほほんとカルハが言う。

 すると、


 ぐぅ~。


 っと、物凄い音が聞こえた。


「なんじゃ? 今の音は」


「ハルルお腹すいた……」


 さっきまで元気そうにしておったハルルが、しぼんだ花の様にうなだれていた。


「夕飯の最中だったもんね」


 メノウが優しくハルルの頭を撫でる。


「ハルル、魔法も使ったから余計にお腹ペコペコ」


「そうだったんだ。ありがとうハルル。それに、サフィーアもありがとう」


 メノウの温かい手が、妾の頭に触れ、そっと撫でてくる。


「大したことはしておらん」


 それにしても、頭を撫でられることが、こんなにも気持ちが良いものだとは思いもせなんだ。

 たまにはこういった扱いも悪くはないのう……。



 そんなことを考えている妾を、皆生暖かい目で見守っておるのを、妾は気づいておらなんだ。


 まさか頭を撫でられている時の妾の顔が、物凄くふにゃふにゃになっているだなんて、しもの妾でも、気づかなんだわ。

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