5.”再生の神力”

 白馬、青馬、栗毛の馬の順に、森の中を駆ける。


「キラ! 振り向いてはなりません! 落とされては一巻の終わりです!」

「でも……!」

 キラは轟く叱責にも関わらず、振り向いた。

 白馬の右後ろにピッタリ青馬をつけるリリィ。少し離れて、ランディの操る栗毛の馬がしんがりを走っている。


 そしてそのまた後ろに、〝大鬼〟オーガが迫っている。

 流れ行く景色の中、老人は巧みに馬を操り、木や木の根や低木を避ける。一方でオーガは、巨体と腕力で障害物をはねのけ走っている。

 その差は縮まるばかり――ついにランディは刀を解き放った。


「キラくん! ユニィに掴まっていなさい!」

 老人の怒号を合図に、白馬が速度を上げる。

 そのスピードといったら。

 顔を上げていると息もできなくなるほどだった。

 キラは必死になって白馬の首にしがみつき――やがて、ピタリと止まる。

「ユニィ、どうしたの……あ」


 体を起こすと、あたりはガラリと変わっていた。

 周りを囲んでいた木々がぐんと遠くなり、爽やかな風が吹き抜ける。さあっと通り過ぎていく風が草原をなで、つややかな色を波立たせる。

 空を見れば、木々も枝も何も遮ることのない青色が広がり……場違いにも、キラは開けた自然に唖然としていた。


「――そうだ。リリィは……ランディさんは?」

 白馬のユニィが、場所を示すように体を向ける。

 青馬を駆るリリィが、森から出てきたところだった。

 彼女は黄金のポニーテールをはためかせ、手綱で愛馬に合図を送る。キラに近づいたところで、森の方へ方向転換しつつ、停止させる。


「びっくりしましたわ……あっという間にいなくなるんですもの。さすが、英雄の愛馬ですわね」

「僕も、一瞬何が起こったか分からなかったよ。それで、ランディさんは?」

「わかりません。途中から姿が消えてしまって――ん、いました!」


 老人と栗毛の馬は、リリィが出てきたところから少し離れて姿を現した。

 続けて、大鬼が幾本もの樹木を弾き飛ばしながら、森から出てきた。

「リリィくん! 手出しは無用だ!」

 老人は見向きもせずに、リリィの動きを把握していた。


 その直後、大鬼に追いつかれる。

 背中に迫る、巨大な剣。

 それをランディは、

「え……っ!」

 リリィも驚くほど簡単に、刀で斬った。

 真っ二つに折られた剣が宙に舞い、その衝撃でオーガが体勢を崩す。

 巨体が、老人に力負けしたのだ。不細工なうめき声とともに、尻餅をつく。


「すごい……! あれ、普通じゃないよね?」

「ええ。さすが、”英雄”と讃えられた方ですわ」

 キラはもちろん、リリィも釘付けになっていた。


 馬から降りた”不死身の英雄”は、改めて鬼と対峙した。

 立ち上がった魔獣はおびえている。ただ、ただ……その巨体を目いっぱいに大きく見せて吠えるだけの、獣と成り下がっていた。

 汚い雄叫びを上げつつ、拳を振り上げる。

 が……。

「圧倒的、でしたわね」


 老人のほうが、はやかった。

 懐に忍び込む足運びも、両手でしかと振り上げられた刀も。目に見えないくらいに速く、そして静かだった。

 ずるり、と。”大鬼”オーガの体が真っ二つにずれ、地面に倒れる。


「リリィも似たようなことしてたよね」

「似ているだけですわ。炎の力で焼き切るのと、純粋に剣術で断ち切るのとは、次元が違います」

「……自信、なくした?」

「まさか。あんな格好いい背中見せられて、奮い立たないほうがおかしいですわ。むしろそれで言うなら……」

 リリィの言葉は小さく消え入り、代わりに彼女の瞳が代弁しているようだった。

 美しい青い瞳に見つめられるも、キラはその意図をはっきりと読み取ることができなかった。


「ふたりとも、無事かい」

 リリィの視線が外れ、キラは金縛りが解けたかのように同じ方向を見た。

 老人が馬を連れて近づいてくる――その姿に、キラは少しの違和感を覚えた。いつもピンと張っている背筋が、わずかばかり緩んでいる。


 すると、白馬のユニィが老人に向かって突撃した。ブルンッ、と鼻を鳴らし、左腕をつく。

「ユニィ。わかっているなら触れないでくれ」

「まさかランディさん、怪我を……?」

 よく見てみると、老人のしわがれた顔つきは歪んでいた。頬がひくつき、それを我慢しようとして、いつもはほほえみがちな口元が険しくなっている。

 そして、左腕の袖の一部が真っ赤に染まり始めた。たらりと、赤いしずくが手の甲から地面へとこぼれ落ちる。


「大変ですわ。早く治療を……!」

「昨日も言ったはずだよ。私は”授かりし者”だ。”治癒の魔法”は効き目が薄い。だが――見たまえ」


 老人はゆったりとした袖をまくり、傷を見せた。

 痛々しくも、断面が見える傷口。瞬きをするうちに、その深さが徐々になくなっていく。傷はみるみる肉に埋もれていき、赤い線となり、最後には綺麗サッパリなくなってしまった。


「”再生の神力”。あらゆる傷をまたたく間に癒やす”神のごとき力”さ。昔はもっと早く傷が治ったんだが……年にはかなわないということかな」

「話には聞いていましたが……驚きですわね。本当に、『不死身の英雄』そのままです」

「詩のほうを言っているのかね? あんな恥ずかしい詩、吟遊詩人も良く人前で披露できる。私は聞いていてむず痒くなるよ」

「あら。子供の頃は、みなが熱狂しますわよ」

「よしてくれ。――”授かりし者”に会うのは初めてかね?」

「ええ。話に聞いたり家庭教師に習ったりはしましたが、実際には……。てっきり、みな”流浪の民”の一員と思っていましたが、ランディ殿はそうではないのですね?」

「ああ。彼らは”聖地巡礼”のために世界を旅しているからね」

「存じております」

 リリィはポニーテールを揺らして頷いた。


「魔法ではない強大な力を持つ子どもたち……”授かりし者”たちは迫害や差別を受けがちですから、その保護を行っているのですよね。素晴らしいことです」

「その通り。しかし私の場合は別でね。彼らとは全く関係のないところで育ち、力をつけた。関わったのも一時期のみ。……ぽかんとしているが、一応君にも関係があるんだよ?」


 話についていけずに適当に聞き流していたキラは、いきなり話しかけられたことにピンと背筋を伸ばした。

 その反応があまりにも滑稽だったのか、ランディにもリリィにも笑われてしまう。

 むんっ、とキラは唇を尖らせ、そっぽを向きつつ話をそらした。


「それで。これからどうするんですか。昨日、何か話してたみたいですけど……」

「アレは竜ノ騎士団に小隊の派遣をしてもらってたんだ。さっきのオーガも昨日の二体のオーガも、強力な魔獣……本来あの森にはいないはずなんだよ」

「じゃあ、やっぱり……」

「何、大丈夫さ。村の皆も力をつけているし、リリィくんにも精鋭隊の派遣を許可してもらった。そうだろう?」

「ええ。もうロットの村にはついているはずですが……少し、確認してみます」


 確認? キラは首を傾げ、リリィの行動を見守った。

 彼女は右手で右耳に触れていた。耳には金色の長方形のイヤリングがぶら下がり、それに指の腹を当てていた。

「リンク・イヤリング……。魔法陣の小型化とその維持に成功したのかね」

「発明者は”声の転移”なのだと言っていましたわ。――ああ、セレナ、つながった?」


 リリィは虚空を見つめながら話したと思いきや、いつもと違ってかなり砕けた口調となった。

 さきほどまでキリリとしていた顔つきが、わずかにほころぶ。

「ええ。――そう、昨日伝えたとおり。少年? ――そういえば、いってなかったわね。王都まで同行することになったの。許可? 大丈夫よ、ランディ殿もいるもの。ともかく、ロットの村で待機しているのね? 明日にはつくと思うから。うん、じゃあ、また」

 会話は終始和やかに進み、リリィはイヤリングから指を離した。


「わたくしの友人が、すでにロットの村で小隊とともに待機しております。準備は万端ですので、ご安心くださいな」

「それはよかった。ありがとう。――で、これからの行路だったか。急な出立だったから、説明が十分じゃなかったね」

 老人はそう言って、栗毛の馬を手招きした。鞍に取り付けた麻袋をよいしょと外し、地面に置く。

 それから草原に腰を下ろし、袋の中身をいくつか取り出す。正方形の布を地面に敷いて、草で編まれた籠を置き、その蓋を開く。

 中には、いっぱいの握り飯が詰め込まれていた。


 キラは、思わず飛びつくように老人の対面に腰を下ろした。

 それに対してリリィは、ソワソワとして立ったままでいる。しきりにこれから向かう方角を気にしている。

「王都まではすぐだ。焦る気持ちもわかるが、まずは抜いた朝飯を腹に入れなければ。どんな戦士も、どんな騎士も、食がなければ力の半分も出せない――友人の受け売りだがね」

「……わかりましたわ」

 リリィはモヤモヤとしながらも、老人の言葉に従った。キラの隣に品の良い動きで腰を下ろし、ピタリと密着する。


「娘自慢の塩むすびだ。昼の分はまだあるから、二つは食べなさい。――キラくん、改めて聞いておくが、我々が何を目的としているかはわかっているかね?」

「戦争のために王都に行く、ですよね」

「そう。戦争だ。帝国との。――単刀直入に聞くが、これに参加する意思はあるかね?」

 老人は一口でおにぎりの半分を食べ、もごもごと口を動かした。頬の膨らむ姿はなんとも平和的だが、しわがれた瞼から覗く瞳はひどく鋭い。


 それに応えたのは、キラではなくリリィだった。彼女は両手で品よく塩むすびをひとくち食べ、極めて冷静に言う。

「ランディ殿。わたくしはキラの想いに共感したから、旅の同行を認めたのです。決して、此度の戦争に参加させるためではありませんわ」

「君も、君のお父さんと似て頑固だ。そうは言うが、私もキラくんのそばを離れられないんだ。彼も”授かりし者”……どんな”神力”を有しているかはまだわからないが、この強大な力から目をそらすわけにはいかない」

「それでは、戦争に参加させると? 身体が弱いキラを? いくら”不死身の英雄”の言葉でも、聞き入れられませんわね」


 キラは塩むすびをパクリと食べたが、塩気も何も感じなかった。

 まさに板挟みの状況で、味など分かるはずもない。

 もそもそと口を動かしていると、リリィがギュッと抱きついてきた。体を寄せられ、頭を抱き寄せられ……彼女の香りが鼻孔をくすぐる。

 どきりとしたキラは、詰まりそうになる喉を何とか抑え、落としそうになったおにぎりを慌てて遠ざける。


 と、白馬のユニィがぱくりと食べてしまった。あッ、と言葉に出す間もなく、もぐもぐと咀嚼する。

 キラが睨むと、ユニィはその馬面に満面の笑みを浮かべていた。

 リリィとの距離感にドキドキするよりも、その煽りにどうにかなりそうだった。


「勘違いしているようだが、キラくんは病弱でも虚弱でもないよ。むしろ、人よりも頑強だ」

「しかし、実際にわたくしの前で何度も苦しそうにしていましたわ」

「”授かりし者”は皆そうさ。なにかしら、身体に問題を抱えている。実際、私も昔はすぐに動けなくなった。だがこれも自然なこと――”神力”に人の体が耐えられるはずもないだろう?」


「では、普通より頑強とは?」

「君も目の当たりにしなかったかね? 彼は、オーガを相手に戦っていたんだ」

「あ……! 強力な一撃を耐えていましたわ――真正面からの力勝負で。あれも、”授かりし者”の特徴でしょうか?」

「いいや……実のところ、私もわからない。しかし、だ――なんの対策も施していない状態で、しかもつい数日前まで寝込んでいた少年が、オーガの攻撃に耐えられるはずもないんだよ。よりによって、心臓に負荷がかかっているというのに、だ」

「では、一体……?」


 リリィが間近で見つめてくるも、キラはなんのことか分からなかった。

 塩むすびを巡って、ユニィと攻防を繰り広げていたのだ。正直にいって、それどころではなかった。

「なに遊んでますの」

「だって……! 食べられた!」

「わたくしのぶん、一個分けてあげますから」

 はい、と新しく取ったおにぎりを押し付けられ、キラは礼を言った。まんまるとした黒目をなおも向けてくるユニィを警戒しながら。


「そういえば、王都への道のりは話したかな?」

 なおも体を密着させているリリィのポニーテールが首筋をくすぐるのを感じつつ、キラは首を振った。

「いえ」

 もぐ、もぐ、と。老人をならって、二口で握り飯を平らげる。


「さっき、それを聞こうとしたんですけど……」

「ああ、悪かったね。リリィくん、このあたりの地図は持っているかね?」

「一応、持ってきましたわ。どうぞ、キラ」

 きれいな口笛で愛馬の青馬を呼び寄せ、値の張りそうな革の鞄を取る。その中から、布に折りたたまれた羊皮紙を出し、キラの目の前で広げた。


「このあたりは元々森林地帯でね。交通の便が最悪なのもあって、”グエストの村”と”ロットの村”しかない。この山の向こう側は平原なんだがね」

 老人の言う通り、地図の殆どが森林地帯を示す斜線で埋め尽くされていた。

 例外なのは、中央に広がる楕円形の空白部分のみ。その真中には〝ロットの村〟と記され、左隅の方に〝竜ノ騎士団第一師団支部〟とある。

 ランディの説明によれば、第一師団支部はどうやら山の中腹にあるらしく、等高線の狭さからその道のりの険しさを物語っていた。


「あれ……グエストの村は?」

「こっちさ。地図で見れば、海岸近くの森の中にあるんだよ」

「なんでロットの村……というか、このあたりはこんなに広々としているのに、グエストの村は森の中に?」

 キラは改めて草原の風を感じた。木々とは違う土の匂いを運び、じっとり汗ばむ肌をなでていく。

 日差しが木々に阻まれないせいか、ジリジリと焼けるような暑さを肌で感じる。

 ようやく密着していた体を離したリリィも、暑そうにしていた。カバンから小ぶりなハンカチを出して、額や首元をぬぐう。


「元々、ロットの村と第一師団の行き来を楽にするために開拓をしたのが一つ。そしてもう一つ、グエストの村の周りの森は開拓できないんだよ。一気に伐採しても、いつの間にか景色が戻っている」

「でも、村は……」

「そう。そこが謎なんだ。なぜだか、村を築けた。それに、あの外れの畑も」

「不思議ですね」

「全くだ。――で。我々は先程も話題に上げている通り、ロットの村を経由して、第一師団支部へ向かうこととなる」

「この山の中腹のところですね。それで、山の向こう側に行くんですか?」

「いいや。飛ぶ」

 にやりとしていう老人に、キラは首を傾げた。


「飛ぶ?」

「”転移の魔法陣”さ。教えただろう? ”神の魔法”の恩恵を受け、騎士団支部から騎士団本部へ一気に移動するんだ」

「それって……王都に着くってことですか?」

「そのとおり。普通は三ヶ月かかるところを、たったの三日にまで短縮できるんだ」

「すごい……! じゃあ、ほんとにひとっ飛びじゃないですか」

「うむ。だから”飛ぶ”んだ」

「じゃあ、リリィも”転移の魔法”で村まで来たんだね」


 キラは興奮気味に問いかけたが、リリィは何も応えなかった。

 彼女はうつむいて何やら考え込んでいた。太ももの上で、ハンカチをギュッと握る。

「リリィ?」

「え……あ、すみません。ぼうっとしていましたわ」

「もしかして、疲れてる?」

「ふふ。そんなはずありませんわ。――さあ、キラ。まだおにぎりが一個残っていますよ」

「え、それ、リリィの分じゃ……」

「わたくしは十分です。さあ、お早く」

 押し付けられたおにぎりに口をつけ……ちらちらと様子のおかしいリリィを盗み見ていると、またもユニィにかっさらわれてしまった。

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