1.記憶を失った少年

 広がる青空。燦々と輝く太陽。

 混じりけのない晴天の下、緑豊かな森が広がっている。

 木々がさざめき光り輝くさまは、青空とは対照的だった。さながら大自然が鼓動を続けているようで、天をも飲み込みそうなほどの迫力がある。


 そんな力強い自然の中、不自然にポッカリと空いた穴が一つ。

 円形に切り拓かれたそこには、四角い畑が耕されつつあった。その証に、サクッ、と小気味の良い音が突き抜ける。

 ふたたび、ザクッ。

 そして三度。


「よっ」

 黒髪の少年が、鍬を振り上げる。

 寸分の狂いもなく、一直線に。三叉の刃が、大地を掘り起こす。

「よっ」

 テンポ良い掛け声、続くざっくりとした音。

 その合間に、いつの間にやら馬の嘶きが混じっていた。


 円状の農地の縁を確かめるように、白馬が歩いていた。

 ぱっから、ぱっから。自分の足音にリズムを取って、前後に頭を振る。

 さながら鳥が歩いているような滑稽な姿ではあったが、白馬の毛並みの美しさゆえに、全てが絵になっていた。


 白馬はそれに飽きたのか、歩みを止めてクイッと身体の向きを変える。

 大きくて真ん丸な馬の目には、畑を耕す少年が映っていた。ちらりと視線を逸らすと、今度は老人の姿をとらえる。

 畑の周りは木の杭と縄で区切られていたのだが、老人は杭のそばにかがみこみ、何やら作業をしていた。

 腰に差した刀を揺らしつつ、杭に長方形の紙を貼り付ける。

 そのさまを白馬はじっと見届け……不意に視線を外した。


「よっ――と。ふぅ……」

 少年は地面に突き刺さった鍬を抜くことなく、片手で額を拭った。

 たまのような汗が、額からぼたぼたと滴っていく。


「ふふ。疲れたかい、キラくん。体調はもう万全そうに見えるが」

 深く低く響く声で言葉をかけたのは、老人だった。

 ついた膝を浮かし、華奢で上背のある身体をしゃんとのばした。その一連の動作は、顔に深く刻まれた年齢を感じさせず、若い成人男性にも見劣りしないしなやかさがあった。


「もう大丈夫ですよ、ランディさん。ただ、ちょっと暑くって」

「この森の夏は早くて長い。まだまだ、序の口さ」

 慣れたように朗らかに笑う翁。ざっくばらんに揃えられた癖気味の白髪にも、年相応にシワの密集する肌にも、顎を覆う無精髭にも……ひとつとして汗をかいていない。


「これでですか――っと。なに、どうしたの、ユニィ」

 黒髪の少年キラは、背中をつついてきた白馬のユニィを振り返った。

 馬の表情は、いまいちキラには読み取れなかった。ただ、大きな黒目が半分ほどまぶたに隠れているさまや、繰り返し鼻を鳴らすさまで、その気持ちが手にとるようにわかった。

「暇だっていわれても……もうちょっとだから。たぶん」

 白馬はそれでは納得しないようだった。ブルルンッ、と鼻を鳴らす。


「ユニィ。キラくんは病み上がりなんだ。あまり無理させるものじゃない」

 ぶるんっ、と白馬のユニィが、まるで言葉を理解したかのように応える。

 半目で翁をにらみ、それからそっぽを向いて歩いていく。器用に柵を越えて、地面を踏み鳴らしながら外周を巡回する。


「ほんとに人みたいですよね……」

「私の友だよ。アレで意外と切れ者なのさ」

「はあ、そうなんですか」

「しかし、まあ、なんというか……私もこういうことはほぼ初めてでね。木陰のできる木を一本くらい残しておくべきだったかな。開拓は難しい」

「森に入って一休みしたい気もしますが……」


 キラは言いよどみつつ、開拓地を囲う木々に目を向けた。

 生い茂った木々は密集して視界を遮り、それどころか陽の光さえも通さない。まるで別世界のように薄暗く、どこか恐怖が渦巻いているようでもあった。

「君も知っての通り、森には魔獣が潜んでいる。木々に囲まれての休憩も乙なものだが、オススメはしないね……この森では、特に」

「わかりました」

 そう答えながらも、キラはどこか他人事のように感じていた。

 魔獣と出くわしたことならばあるのだが……。


「ところで。本格的に体を動かして何日かたつが、何か異変はあるかい? ――なくなってしまった記憶の断片でも戻ったりとか」

「……いいえ。何も。変わり有りません」


 キラには、記憶がなかった。

 森近くの海岸で倒れていたところを老人に拾われた――そう聞いてはいるが、何も覚えていなかった。

 それどころか、名前ですら老人につけてもらったくらいだ。

 親も友も生まれ故郷も、目を覚ましたときには全てが消えていた。


「私は医者ではないが、記憶をなくすくらいだ。なにかとてつもないことが起こったんだろう。無理に思い出すのは良くない」

「……ありがとう」

 非知的生物〝魔獣〟や、世界の法則である〝魔法〟。ありとあらゆる常識は、キラにとっての非常識となってしまったが、へこたれずに前を向けていた。

 全てはランディや彼の家族のおかげだった。


「ふふ。少し前の君に戻ったみたいだ。敬語は思いの外辛いだろう?」

「ええ、まあ。でも、慣れていかなきゃいけないでしょう?」

「確かに。――おっと。雲行きが怪しくなってきた。この時期はどうにも気候が読めない。一度村に戻ったほうがいいかもしれない」


 翁のぼやきに呼ばれたかのように、青空はどんどんと灰色の雲に侵食されていた。どこからともなく雲がやってきては、遠目でもわかるほどに分厚くなっていく。

 その様に、キラはなぜか目を奪われていた。頭の中が空っぽになり、ぼんやりと見上げてしまう。


「君にとっては、自然そのものも興味深いかな?」

「そ、そんなんじゃないですけど……」

 キラは今更ながら口が半開きになっていたことに気づき、そっぽを向いた。が、視線の先で白馬のユニィと目がばっちり合う。

 真っ黒な眼はまんまるに見開かれ、唇がめくれ上がっていた。

 ひひん、と。

 その嘶きは、明らかに笑っていた。


「……他の馬はそうでもないのに、ユニィだけ感情豊かですよね」

「ふふ、控えめな言い方だ。もっと言ってやってもいいんだよ」

「別に、悪口じゃないですよ……」

「そうかい? ――さて、雨に振られたら困る。特に君は、病み上がりなんだから」

「はあ。でも、もういいんですか? なにかやってたみたいですけど」

「〝やきつけ〟は済んだからね」


 そう言ってランディは、透けるほどに薄い正方形の羊皮紙を見せた。短い直線が三本、中央で交差している。

「便利なものでね。貼りつけて擦る。それだけで、魔力の練り込まれた魔法陣が、摩擦で転写される。まあ、これは魔法陣というよりも単なる記号だが」

「はあ……魔法陣、ですか」

「そういえば、まだ教えていなかったね。帰ったら――」


 翁の言葉は、深く低く埋もれていった。

 いつも朗らかな笑みを浮かべる顔つきを一変させる。眉を逆立て眉間にシワを寄せ、鋭く引き絞った眼でギラリと空を睨む。

「ふむ……魔獣がいるね。強力なのが二つに、小物もちらほら……ずいぶん、協力して動いているようだ」


 キラには何がなんだか分からなかった。

 だが、危険が差し迫っていることは確かなのだと、ピリピリと泡立つ肌で感じ取った。

 不意に、ユニィのいる方へ顔を向ける。白馬はいつの間にやら柵を越えて、すぐそばにまで近寄っていた。


 興奮で身体を揺さぶるユニィ。それに合わせて、鞍が揺れ動く。

 すると、鞍に取り付けていた剣――”ペンドラゴンの剣”が、己の存在を主張するかのように、かちゃりかちゃりと鳴り響いていた。


「キラくん。ユニィに乗って村へ。この場から早く逃げるんだ」

「え――でも、ランディさんは?」

「私が引きつける。なに、心配はいらない――開拓よりよっぽど慣れている。さあ、早く!」


 キラは剣を手に取り、言われるがまま鞍にまたがった。

 白馬が合図するように一つ嘶き、走り出す。

 ちらりと振り返ると、ランディは刀を解き放ち……一瞬にして姿を消していた。

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