外の世界

 高校を卒業し、それと同時に私は家を出、アルバイトを始めた。

 施設から私を引き取り、深い愛情をもって“正常”な世界で私を育ててくれた叔父と叔母は、私が進学する気がない旨を伝えた途端、

「なあ茜、どうか遠慮しないでくれないか。茜は、茜がしたいことをしてくれたらいいんだ、僕らにはそれを応援する義務がある」

 と私に縋った。彼らはやはり、父が私に行った仕打ちに対する罪滅ぼしをしていたいのだろうな。瞬時にそう思ったが、

「私、夢があるの。その夢のために私は大学に行かないって生き方を選びたいし、今は一人暮らしをして、アルバイトでお金を稼ぐっていう生き方をしたいな」

 私は、嘘を吐いて彼らに抵抗した。

 あのころ――小学二年生の私は嘘を吐くなんて最低・最悪の人間がする愚劣な行為であり、そんなことをすれば世界の全てから裁かれてしまうと思い込んでいた。けれど今はそんなものなど子どもによくある未熟な思想だったとしか思わない。

 そう、あのころの私は結局、年相応に幼い子どもであり、父によって創られた、父の理想とする箱庭に閉じ込められていただけだったのだ。外、という世界を知った今の私は平然と嘘を吐くし、自分の父は異常だったと正しく認識できている。

 彼らは私の言葉をあっさりと受け入れ、その後は楽しげに私が暮らすアパートを一緒に探し、引越しの支度を手伝い、細かな書類のやり取りまで進んで済ませてくれた。最後の夜には、私たちは三人家族だというのに叔父は五人前もの寿司を手配し、私の内臓がはち切れる寸前まで「たくさん食べるんだぞ」と繰り返し笑っていた。

 翌日、叔父の運転する車の助手席に座りながら、私は駅に向かった。叔母は私の真後ろに座っている。私は窓の外を見ながら、おそらく自分はもう二度とこの街に戻ってくることなどないだろう、と予感していた。

 不意に叔父が口を開く。

「茜。ごめんな」

「んー? なにがー?」

 呆けた声で私が訊ね、その声に促されるまま叔父の顔を見る。彼は、大粒の涙をぼろりぼろりと大量に流していた。私は面喰って、どしたの、と言うのが精いっぱいだったが、叔父は構わず語り出す。

「ずっと、茜には申し訳ないと思い続けていた。兄さんは――“アイツ”は、昔からどうかしてたんだ。今思い返すと、アイツのことを狂っていると思ったことは何度も何度もあった。でも、やっぱりアイツは僕の兄だったから、どこかそれを信じたくなかったんだよな。

 藍子さん……茜のお母さんが亡くなったときだって、アイツは一粒の涙も流しやしなかった。そのときは必死に、気丈に振舞っているだけだと思っていたけど、たぶん、そうじゃなかった。なあ茜、僕は、本当はアイツが藍子さんを殺したんじゃないかって思っている。根拠はないよ。当然、証拠だって何一つない。でも、きっと真実はそうなんだ。

 アイツさえ狂っていなければ、普通の人間であれば、藍子さんも、茜も、もっともっと幸福に生きていけたはずなんだ。僕は、もう、茜にどう償っていけばいいのかわからない。ごめん、本当にごめん」

 叔父は眼球から大量の水分を放出しながら、尋常ではない痛みに耐えるような表情で私に詫び続けた。叔母がすすり泣く声が車の隅々まで充満している。

「はは……やだなあ、やめてよ、もう充分だよ。私、二人には本当に感謝してるんだよ? 二人が謝るべきことなんて何にもないんだよ。大丈夫。もう私、本当に大丈夫だから。ね? バイト、慣れてきたら連休ももらえるはずだからさ、そしたら必ず帰ってくるから。やっぱりお盆とかお正月とか、そういうときにはどうしてもおやすみもらえないと思うけど、でもちゃんと、ちゃんと帰ってくるからさ。これからもたくさん顔見せにくるから。そのときはまた一緒にお寿司食べようよ。手作りの煮物も食べたいし、唐揚げだって山ほど作ってほしいし、一緒に映画行ったりボーリング行ったり、お買い物だってしたいもん。ね? いいでしょ? これからだってなんにも変わんないから。だって私、本当に大丈夫なんだから」

 二人は代わる代わる「ごめん」と「ありがとう」を繰り返し続けている。居心地が悪くてたまらない。頼むから一刻も早く駅に着いてくれ、と、なかなか青に変わらない信号をじっと睨むことで私は自らの精神を安定させようとしていた。

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