お父さん

 その後、私の生活は一変する。私はその場で丁重に『保護』され、来る日も来る日もさまざまな人にその都度同じ説明をさせられた。

 訊かれることは決まっていつも家族、特に父のことだった。

 私はあの日、クラスで発表した『ぼくの・わたしの家族』というテーマの作文通りのことを、さらに細かく、噛み砕いて彼らに説明し続けた。

「お父さんは、サラリーマンです。

 お母さんは、私が幼稚園のころに死んじゃったから、今はいません。

 おばあちゃんとおじいちゃんは一人ずついて、一年に二回会いに行きます。夏休みと、お正月のときです。

 お父さんはいつもご飯を作ってくれて、お洗濯もお掃除もしてくれるし、誕生日にはご馳走とか、ケーキとか、あと私のお願いしたものを一つプレゼントにくれます。今年は、水色のくまのぬいぐるみをくれました。

 お父さんはいつもお仕事で大変なんだけど、ときどきお休みがあって、そのときは必ず私と遊んでくれます。結構前だけど、遊園地にも行きました。メリーゴーラウンドとか、ティーカップとか、いろいろ乗って、いちごのクレープも食べました。

 お父さんは私が学校に行く前にお仕事に行くので、おうちの鍵は私が閉める係です。お父さんはだいたい六時半くらいに帰ってきて、大急ぎでお夕飯を作ってくれて、七時半くらいに二人で食べます。そのあとはちょっとだけテレビを見て、宿題を見てもらってから歯を磨いて、お風呂に入ります。お風呂の中で私はお父さんにその日のことをいっぱい喋ります。

 私が喋り終わると、次はお父さんが喋ります。お父さんは毎日、お風呂に入ったときだけ赤ちゃんごっこを始めるから、そのときだけ私はお父さんの“ママ”の係をします。お父さんは、会社で大変だったこととか、悲しかったこととか、イライラしたこととかを赤ちゃんみたいに喋りながら、私のおっぱいを吸います。飴玉みたいに舐めたりもするし、ちょっとかじったりすることもあって、それは痛いから嫌なんだけど、痛いって言うとお父さんは必ず、『ママごめんなさい、悪い子でごめんなさい』って言うから、私はちゃんと謝ってくれたから、いつも、うん、いいよーって言います。そうするとパパは、『ママ大好き、ぼくママ大好きだよ』って言って私にいっぱいちゅーってしてきて、私の顔とか舌をワンちゃんみたいにぺろぺろってします。あとは、お父さんに、髪と、顔と、身体をきれいに洗ってもらって、バスタオルで何回も拭いてもらってからお風呂を出ます。

 そしたらもう赤ちゃんごっこはおしまいでお父さんはお父さんに戻っているから、私はお父さんに髪の毛をドライヤーで乾かしてもらって、あとは自分の部屋にいって寝ます。

 朝になるとお父さんが出してくれた服に着替えて、お父さんが作ってくれた朝ご飯を食べて、お父さんを見送ってから、鍵を閉めて学校に行きます。勉強はちょっと難しいけど、ちゃんと先生が教えてくれるし、お父さんも教えてくれるし、お友達もいっぱいできたからとっても楽しいです」

 何度説明しても、結局私はいつも皆に痛そうな顔をさせてしまった。言い方が悪いのだろうかと思い、自分なりに工夫もしたがほとんど効果はなかった。

 今日もだめだった。お医者さんだというその男の人は、私の話を聞き終えると、そっか、と言って手元の紙に何かを走り書きし、やはりすごく痛そうな顔をした。お前はとことんだめな子なのだ、と言われているような気がし、悲しくてたまらなかった。父に悲しいと伝えて、私の気が済むまで慰めてほしかった。私はもう何日も知らない場所で寝泊まりさせられていて、名前も知らない人から食事を与えられ、学校には通わせてもらえず、父にも会わせてもらえていなかった。

「お父さんとはいつ会えますか?」

 タイミングを見計らって、私はお医者さんに訊ねる。お医者さんは少し黙ったあと、すーっと内側に入ってくるような、穏やかな波のような声で、

「茜さんはもう、“そんな人”とは会わなくていいんですよ。これから茜さんは、自由になるんです。自由、とは、好きなことを好きなだと言っていいということでもあるし、嫌なことは嫌だとはっきり言っていいということでもあります。茜さんはもう、“そんな人”のことなんてきれいさっぱり、忘れてしまっていいんです。いや、そうするべきなんです。茜さんが“そんな人”のことを忘れたって、誰も、茜さんのことを責めたりしないんです」

 静かに私の父を断罪した。

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