第7話 理想の自分とそれに憧れる誰か
病院を退院して、俺はまず一番に家に帰った。学校に行きたくなかったから。こんな弱いところを見られるのは嫌だったから。誰もいない少しほこりっぽい俺の部屋は案外そのまんまで安心した。好きだったこと、夢中だったこと、必死だ立ったこと、忘れかけた思い出がそっと息をする。疲れた日々をもがくばかりで苦いだけの後悔を知らずしらずのうちに沢山溜め込んで溢れでてしまいそうで、苦しかった。そんなこともすべて忘れて温かいオレンジ色の光の中で理想の自分の虜に。ベッドに座った。ふんわり、白いほこりが舞い、オレンジ色に染まった。暫く何も考えずに過去を想像した。すると、過去の自分が俺のそばにいる気がする。まだ、何も知らず理想の自分に憧れて惚れいっていた過去の自分。今は、その頃に戻りたかったと思えた。きっと過去の自分が今の俺を見たら酷く悲しむだろう。まだ、正義に揺れる純粋な自分はこの事実を認めてくれないだろう。
考えるだけ無駄だった。
現に過去の自分だった俺は、今の俺を受け止められずにいる、幻滅している。それは、自分が一番良くわかっていることだ。何事も理想通りにはいかない。特に、大事なときに、は。両親が言ってた通りで馬鹿馬鹿しい。
今の俺は居場所がなくて過去を探すばかり。過去に戻れたらどれだけ良いことか。
一つ、後悔したことがある。それは、あいつらに伝えていないことがあること。
俺はもう、この自慢の足を使って走り回ることはできない。あのカウンセラーがそう、俺に伝えた。足の負傷があまりにも酷くて、手遅れだったらしい。そんなの、あの時、あの後の俺には伝える余裕なんて少しも残ってなかった。きっと会ったところで、傷つけて突き放してしまう。俺だって、そんなことしたいとなんて思っていないのに、無駄なことをしてしまう。もう、誰にも会いたくない。頬に、生温かいものが伝った。それが涙だと気づくのに少し時間がかかった。涙は今まで覆い隠してきていたものが溢れるかのように素直に、ドロドロ溢れて止まなかった。オレンジ色の光が涙に吸い込まれてキラキラ光る。そんな、涙を隠すように大きな傷ついた両手で顔を覆い隠す。しかし涙は止まらず、指と指の間からボロボロ溢れ落ちた。
「もぉ…やだァ…!!」
今まで溜め込んできていた物を壊すように叫んだ。
ガチャ
すると俺の部屋に誰か入ってきた。驚いて、目を丸くして扉の方を見た。そこには、身長の高い逆光で影っているが間違いなく兄貴が立っていた。
「マルシー兄…。」
マルソンだった。この、少し客観的な慈悲のこもったライトブルーの瞳は長男のマルソンだった。マルソンは暫く、惨めな俺を見ていたが次第に微笑んで言った。
「ブラルディー、帰っていたんだな。おかえり。」
そして、口をぱくぱく開いたり閉じたりしてる俺の隣に座った。そして、俺の涙を拭った。
「会いたかったよ、ブラルディーに。だって、お前は、ぐんぐん前に進んでしまうから追いつけなくて、帰ってきてくれないんじゃないかと思ってたからね。そっちの生活はどうだい?俺ときたら、小説家やってるけど売れなくてねぇ。ははは。」
兄貴はどんどん話をしてくれる。俺のことを根掘り葉掘り聞き出さずに。今は、それが助かって仕方なかった。涙は再び溢れた。今度は兄貴は焦っていたけど。
「……なんで泣いてるのか、聞いていいかい?」
「もぉ、やだ。死にたい…。」
そう言って、俺が黙ると兄貴は大きなくたびれた立派な手で俺の頭を撫でた。恥ずかしかったが、いちいち反抗するほど余裕がなくて無視した。
「死にたいなんて…簡単に言うもんじゃないぞ。だって、人生は一度きりだから。さぁ、話してご覧?何があったんだい?」
「……グズッ…こういう時だけ兄貴面してんじゃねぇ。」
「酷い言いようだなぁ。」
暫く沈黙が続き、その感覚が少しばかり懐かしいとさえ感じた。
「何に責任を感じてるのかわからないけど、お前もまだ16歳だ。そう難しく人生を生きるな。緩くていいんだよ、緩くて。」
「………大失敗したんだ。」
兄貴は俺の顔を見つめた。
「大失敗?」
「うん………もう、二度と走ることはできない。」
「それって…。」
「俺が悪いんだ。仲間の言うことも聞かず、好き放題した俺が悪いんだ。でもっ…こんなことになるなんて…考えても、考えてもみなかった。俺って大馬鹿者だぁっ!!!!」
涙と泣き言で上手に呼吸ができない。兄貴は俺を背中を優しく撫でた。何度も何度も。それが余計、俺を苦しめた。
「…俺は、お前が羨ましい。努力すれば感覚を覚えて軽々と難問を乗り越えてゆく。俺にはできない。でも、実際お前俺が思ってたよりも馬鹿で、何もできなくて、自慢の弟だ。何もできないのに、乗り越えて来た。俺ときたら諦めたのに。……お前は、お前が思っているよりも馬鹿で、頑固で、我儘で、ガキで可愛い優しい子だよ。だから大丈夫。お前はもっとお前が信じてる人を信じて上げなさい。」
俺は、赤く腫れたまぶたを擦って兄貴の顔を見た。少し、いつもの調子を取り戻し恥ずかしくなった。
「何言ってるのかわかんねぇよ。馬鹿兄貴。」
馬鹿にしたのに兄貴は嬉しそうに笑って撫でるのをやめた。
「お?いつものブラルディーに戻っちゃった。別に可愛い弟のままでも良かったのに。」
「黙れブラコン野郎。」
「酷いなぁ。」
兄貴は立上がって言った。
「まっ、たまには、俺のとこ帰ってきな。お前も俺も寂しいだろ?」
兄貴は部屋を出ていった。あの、クソ兄貴。恥ずかしくなって顔が熱い。
暫くして、ファントム達に会いたくなり、扉に手を掛けた。
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