『熱を帯びたり、熱が引いたり』
目が覚めると、左腕が異様に重たかった。骨の奥から響くような鈍い痛みが走っている。そういえば、痛覚遮断を切っているんだ。無視したくとも、痛みが腕から脳みそまで不快に揺さぶってきて二度寝をさせてくれそうにない。
「プロト……大丈夫?」
うっすらと目を開ける。ぼやけた景色の奥に、不安な表情を浮かべるメリアが見えた。柄にもなく、泣きそうな顔をしている。
「ど……うした?」
口を開こうとすると、激痛が走った。首も重く、痛い。歯を食いしばることすら痛みを発しながら、ゆっくりとメリアの方へ顔を向けた。
「それはこっちの台詞よ! 朝方からずっとうなされてて、何度体をゆすっても起きないから心配したのよ?」
「そうか……それは苦労かけたな」
軽く微笑みながら、身体を起こそうとする。
……何故か体が動かない。関節の無い甲冑を着ているように、身体が強張って言う事を聞かなかった。
「動かない」
「え?」
メリアが俺の頬にそっと手を触れた。
「ちょ、凄い熱じゃない!」
弾かれたように手を離したメリアは、思い出したかのように俺の左腕を捲る。
それを見たメリアは絶句していた。患部を俺は見られないが、明らかにそこが一番熱を持っているのは感覚で分かる。よほど残酷な傷口になっているのだろう。見れなくて正解かもしれない。
「すぐにお医者さん呼んでくるから! 待ってて!」
「待て……俺は医者じゃなくて……」
「あ、そうか。サンが良いよね」
メリアはそのまま駆け足で部屋を出ていった。
あいつ、もしかして電話じゃなくて走っていかないよな?
脳内の時計にアクセスしても正常に稼働していないようだ。横目で棚の上の目覚まし時計を確認すると、まだ七時にもなっていない。メリアにもだが、サンにも朝っぱらから苦労をかけてしまうな。
「……ま、たまには良いか」
瞼を閉じる。到底眠れそうにないが、気晴らしにはなるだろう。
☆
結局サンが来るまで、一瞬たりとも休まらなかった。
サンは汗まみれの俺を見るなり、目を丸くして驚いていた。
「何があったかメリアから聞いたよ。頑張ってくれたみたいだね」
「護衛だからな……」
「メリアはレストランの作業に行っているよ。心配そうだったけど、悪いが邪魔になるだけだからね」
「あいつは……ソワソワすることしか出来ないからな」
苦しそうに答える俺に、サンは首を傾げた。
「あれ? もしかして痛覚が残ってるの? 不具合でシャットダウン出来ない?」
「……わざとだ。聞くな」
「……まぁ、不具合じゃないなら構わないよ」
何か言いたげだったが、それ以上何かを聞いてくることは無かった。返事すら苦痛だから助かる。
「今から一部解体……分かりやすく言えば手術をするから、この薬を飲んでもらえるかな?」
サンが持ってきた様々な道具一式の中に、知らない小瓶があった。その中にいくつか入っている白い錠剤を三粒ほど取り出し、俺の口元に持ってきてくれた。
「いわゆる麻酔だよ。アンドロイド用のね。人間用と違って、これは口内で浸透し直接頭部のプラグラムに作用して一時停止してくれるよ。心臓部も脳部も停止するけど手術が終わって再起動すれば完全に復帰できるから安心して」
「元々お前のことは……信頼してらぁ」
軋む顎をぎこちなく開き、錠剤を口に含む。舌の上で転がすと、砂糖菓子のように砕けて無くなった。途端に意識が遠のいていく。
「頼んだ……」
「任せてよ!」
サンの力強い言葉を聞いて、俺は機能を停止した。
☆
プロトの事が心配だ。
でも、私があの場にいたとしても、何も出来ることが無い。それどころか、治療するサンの手元が狂うように急かしてしまうかもしれない。あの場には、私はいない方が正しい判断なのだ。
「ごめんね、カリメロ。あなただけ働かせてしまって」
「いえ、どうせいきなり休みになっても持て余すだけです」
今日は、レストランは臨時休業にした。プロトのことのあるが、食糧庫があんなことになってしまえば、提供できる食品が微量しか残っておらず、仕事になるわけなかったのだ。
急な話なのでわざわざ出勤してきたシェフやメイド達に事情を話し、頭を下げた。みんな片付けを手伝うと言ってくれたのだが、料理や接客のスペシャリストに雑用をさせるのは心苦しい。みんなには数日の休みを与え、私とカリメロの二人で荒れた食糧庫を前に腕を捲った。
「さて、どれほど時間がかかるでしょうかね」
カリメロが苦笑いを浮かべた。壁や床に刺さった錆びたナイフはともかく、なぎ倒された棚や踏み潰された果実、割れた調味料の小瓶など、片付けというより処分から始めなければならない凄惨な状態だった。被害総額でいうといくらになるのだろう。余裕のないお店であれば一発で閉店を余儀なくされていた。
「本当はカリメロにも、こんな雑用じみたことをさせたくないんだけどね」
「そんなことを言うなら、私だってメリアお嬢様のような令嬢にこんな作業をさせたくありませんけどね」
「自分の家の片付けをするのは当然でしょ?」
「じゃあ私が片付けをするのも当然ですね?」
二人で微笑み、手元の物から少しずつ作業を始める。
「そういえば、昨晩はいかがでしたか?」
「うん。プロトの傷の血も止まったし、夜の時は大丈夫だったんだけどね。朝方から炎症を起こしていたみたいで、今治療中」
「だからサン様が慌てて来たのですね。私への挨拶も疎かに階段を駆け上がっていったので驚きました。私に適当な挨拶をする殿方は少ないですからね」
「リンドウ君もあなたに対して熱烈だもんね」
「朝から彼の名前を聞くことになるとは……お休みを貰えば良かった……」
カリメロが疲れたような表情で小瓶の破片を拾っていた。それを見て笑っていたがよく見たらリンドウ君の名前に関係なく、どことなく表情が重い感じがした。
「カリメロ、あなた昨日はちゃんと寝たの?」
「……はい」
誰がどうみても嘘をついていた。
責めるようにその目を見つめると、大袈裟に目を合わせないように口笛を吹きながら私に背中を向けた。
「でも確かに、あの子を見張ってたら眠れないよね。ごめんね」
「私は大丈夫ですよ。数日は寝なくても問題ないので」
「疲れが目元に出てるわよ?」
「うっわ最悪なんですけど。目元ってとこがリアルじゃないですか!」
「オススメの乳液があるから、あとで貸してあげる」
カリメロは頑丈な子だけど、だからこそ無理をしてしまう。それが分かってて、私も甘えてしまうから申し訳がない。でもそれを言ってしまったら、その方がカリメロに対して失礼だから言わないでおく。
「あの子はどんな感じ?」
「熟睡してます。寝具で寝るのが相当久しぶりだったのでしょう。口を開けば生意気ですが、寝てしまえばただの子供です」
クスクスと笑うカリメロの目は、疲れを浮かべながらもどこか慈愛を滲ませていた。
「俺は子供じゃない」
幼い声が食糧庫に入ってきた。
まったく気付かなかった。食糧庫の入り口で、いつの間にか泥棒の子が立っていたのだ。その手に持っているのは、近くに転がっていた大きめのガラスの破片だ。
それを片手に、ゆっくりと私とカリメロに近付いてくる。
「起きたのですか。周りも騒がしかったですものね」
「俺はそもそも寝てねぇ。お前に負けてねぇ」
子供は強い口調のまま、しゃがんだままのカリメロにガラスの破片を差し向けた。
子供の表情は、何かを押し殺すような苦悶の顔をしていた。
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