『影響』

「俺の親父は芸術を理解できない奴なんだ!」


 酒の勢いで火が点いたリンドウは、これでもかと言わんばかりに感情を爆発させていた。ここが地下じゃなかったら、確実にご近所トラブルになっていただろう。


「俺だって自分の画力や広報力に足りない部分は分かっている。だからその足りない部分を補おうと日々努力をしているんじゃないか! 画材を買うお金だって、色んなバイトをして俺が貯めたお金なんだ。誰にも迷惑をかけないでいるはずなのに!」


 空になったコップをテーブルに叩きつけた。すかさずサンが、酒を注ぐ。


「ありがとう……」

「苦労してんだな。楽しそうに絵を描いてるだけじゃなくて」

「いや、楽しさと苦労は両立するんだ。だからこそ魅力がある」


 リンドウの言葉に、サンは深く何度も頷いていた。


「産みの苦しみってのは何にでもある。ゼロからイチを作るってのは、それだけ異常なことなんだ」

「そんだけ辛いのに、何で描くことを続けるんだ?」

「好きという呪いにかかったからだな。俺は絵が好きだから」


 酒を飲みながら、おつまみのスルメを手に取って咥えた。俺も一口だけ酒を飲む。


「好きは呪いだ。それに使命すら感じてしまう。俺が典型的なパターンだな。いつか俺も誰かの心に残るような作品を描きたいと思って、何年もこういう生活を続けている。技術的には成長している気はするんだが、感動はそれだけでは無いからね。中々難しいところだよ」


 スルメに苦戦しながら、リンドウは呟いた。

 芸術は特に他者評価を狙いづらい特異なジャンルだ。個人の癖もあれば、時代背景も関係してくる。途方もない挑戦だが、それを止められないというのも、大変なんだろうな。


「でもさ、全面協力しろとは言わないけど、家族なら否定してほしくないって気持ち分かるだろう?」


 再びリンドウの言葉に熱が帯びる。コップを握る力が強くなった。


「言われたんだよ、今日親父に。『いつまでもそんなものに縛られるな。趣味で良いじゃないか』って! 俺のアイデンティティーを趣味の一環で良いと言ったんだ!」


 畜生、と悪態を吐く。


「親父は芸術にてんで興味のない人間なんだ。汗水たらして働いて、その日のお酒が美味ければ幸せな人種なんだよ。そりゃ俺の価値観には合わない。でも、趣味で良いって言い方はあんまりじゃないか……」


 再び空になるリンドウのコップ。サンは少し考えてから、ただの水を注いでいた。


「世間的には、親父のような生き方の方が理に適っているのかもしれない。家族を養うという点では、男は稼がなければいけないしな。親父が働いているおかげで俺もここまで大きくなれた。だが、俺には俺の生き方がある。それに、皆がそんな生き方をしていたらこの世に芸術が無くなってしまう。世間には、一摘まみの異端者がいないと味気なくなるんだよ」


 水に口をつけて、一瞬片眉を上げた。サンの意図を察したリンドウは、何も言わず水を飲み干した。


「家族なら……軽率に言ってほしくなかったなぁ……」


 置いたコップの淵を指でなぞる。結露で濡れた指が、寂しく涙を流していた。


 リンドウにとっては、家族とは一番の理解者であってほしいのか。

 そんな家族から自分の人生を懸けた行為を軽く言われて、ダメージを負ったのだろう。そこまで苦労して描いた絵を壊された時よりも、その傷は深く新しいように感じた。


「俺には、夢があるんだ」


 リンドウは指の水滴を服で拭い、ダボダボのズボンのポケットから綺麗に折られた一枚の紙を取り出した。

 それを広げると、一枚の絵だった。だが、明らかに作成途中。鉛筆で適当に丸や線を引き、大まかなバランスを象っているだけの、ラフ画にすら満たないものだ。何の絵のラフかも分からない、ただの落書きにも見える。

 サンも不思議そうにその紙を見ていた。何の絵か分かっていないようだ。


「この紙を、幼い頃に家の押し入れの奥で見つけたんだ。しかも、大量に。これ自体は落書きにも劣る完成度だけど、これに無限の可能性を感じたんだよ。僕の心は、まだ見たことのない、この絵の完成品に魂ごと持っていかれたんだ」


 再び大切に折り曲げ、ズボンのポケットにしまった。


「これを描いた人物に会ってみたいが、親父に聞いても、誰が描いたか知らんと言っていた。それどころか、ゴミだから捨てておいてとまで言いやがった。まぁ、芸術に興味のない人なんて、理解できないのだろうけど」


 理解できない、と言う時のリンドウは、笑いながら眉を下げていた。


「これの紙だけじゃなくて、家にいろんな下書きが何十枚もあるんだ。全て大事に保管してある。俺の夢は、この下書きを完成させること。そして、この下書きを描いた人にあって芸術について語り合うことなんだ!!」


 鼻息を荒げながら、サンの近くに置かれた酒瓶を取り、自分のコップに注いで一口で飲み干した。アルコールで焼けそうな喉の痛みを噛みしめながら、野心剥き出しの表情で笑う。


「きっと、そうすれば誰か理解してくれると思う。俺のことを」


 回るアルコールに体を揺らしながら、つまみのスルメをまた齧る。

 リンドウも、しっかり芯がある男なんだな。


「俺はお前の絵は好きだぞ、リンドウ。メリアも喜んでた。応援してるぞ」

「あとは、カリメロさんにも応援してほしいなぁ……」


 最後に小さく願望を呟き、いきなりテーブルに突っ伏してしまった。


「リンドウ!? 大丈夫?」


 驚くサンに、返事の代わりにスヤスヤと静かな寝息でリンドウは答えた。

 俺とサンで込み上げる笑い声を抑えつつ、サンがどこからか毛布を持ってきて、リンドウにかけてやった。


「プロトが来る前から、この調子だったんだよ。ずっとお酒を飲むは愚痴を零すわで。苦労してるんだね、彼も」

「みたいだな。そんなことより、二人がここまで仲良くなってたのも以外だったよ」

「夢は違えど、境遇は似てるからね。孤独の挑戦って面では」


 水で割ったお酒を飲みながら、サンが笑う。


「どうする? メンテナンスする? 僕も酔ってるから、本当に簡単なものしか出来ないんだけど」

「いや、それよりサンにも聞きたい話がある」


 リンドウの家族観は分かった。優しい男に見合う、優しい家族観だった。

 そして、サンの家族観はどういうものなのだろう。ここまでくると、もはや好奇心の方が強いのかもしれない。


「サンは、自分の家族について、どう思う?」


 そう聞いたサンは、表情を曇らせるのだった。

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