『訪問』

 朝ご飯を食べるとすぐに、俺はカリメロから渡された住所の元へ向かうことにした。


「あら、今日はどこかへ行くの?」


 机を布巾で拭きながら、メリアが聞いてきた。


「あぁ。少し行きたい所があるからな」


 今日は元々俺は休みだったが、メリアはいつも通りの勤務だ。忙しそうなメリアの邪魔をしてはいけない。

 少し早めに支度を済ませ、レストランの扉へ進む。


「プロト!」

「なんだ?」

「えっと……気を付けてね」


 言葉を選んだメリアがそう言った。俺に気を付けてほしいのは、自分の身の安全なのだろうか。

 それとも、周りに危害を加えないようにという念押しなのだろうか。


 それを問いただしたところで、メリアが困ってしまうだけだ。

 簡単に返事をして、そのままレストランを出ていった。


 外では、庭の花にカリメロが水をあげている最中だった。

 ホースの口を指でつまみ、霧状にして花々に水をやる様は、まるで神話に出てくる天使のように神々しい風格がある。いつものようにまとめられた銀髪は、朝日を反射して仄かに赤く輝いていた。


「あら、プロト様。早速お出掛けですか?」

「あぁ。行ってくるよ」


 話しかけてきたカリメロは、少し寝不足のようだった。


「昨日は寝たんじゃなかったのか?」

「無駄に観察力を発揮する暇があったら、早くその住所の方へお会いになってください。これ以上私の睡眠時間を削るようなことがあれば、いよいよ怒りますからね?」


 ホースの先が思い切り握られた。水の行き場を失ったホースは大きく膨らみ、遠くの水道の辺りでパンッと音を立てて水をまき散らしていた。

 近くで他の作業をしていたメイド達の叫び声が届いてきた。


「あら、これは失礼」

「お前……本当にただのメイドか?」

「いいえ。メイド長です」


 それだけ言うと、行ってらっしゃいと手を振ってくれた。

 いや、これはさっさと行け、の振り方だ。


「……行ってくる」


 水道の方へ駆けていくカリメロの背中を眺め、俺も目的地へ行くことにした。


 ☆


「普通の家だな」


 本当に普通の家。隣に並ぶ数件も殆どデザインが変わらないような、ポピュラーな家だ。簡素な真四角の白い家で、屋根は赤いレンガで詰まれた三角の頭をしている。子供に適当に書かせた家も、こんな感じではないか。

 一つだけ周りの家と違う所は、玄関付近に微かに音楽が流れていることだった。

 この曲はなんだろう。俺が分からないということは、著名なものではない。この住人の自作だろうか。オルゴールの音色で流れるゆったりとした音が、俺の心を緊張から救ってくれる。


 さすがに知らない人に会うのは緊張する。しかも、その人に会って何をすればいいのか良く分かっていないのだ。会ってみれば何か分かるのだろうが、そういう大事なことをカリメロは一切教えてくれなかった。せめてどんな人物かくらいは教えてほしかった。


 念の為、菓子折りを用意している。ここに来るまでに寄った店で買った小瓶に入ったプリンだ。店主曰く、その日の朝に取れた卵を使った新鮮な甘さ控えめプリンらしい。まだ買って時間が経ってないから触るとほんのり温かかった。喜んでくれればいいのだが。


「……よし」


 一つ、大きく深呼吸をして、覚悟を決めた。

 玄関の前に設置された、インターホンを押す。


 家の中でチャイムが鳴った。そして、少し遅れてから足音が聞こえてくる。

 そして、玄関が開いた。


「……誰だ?」


 中から出てきたのは……人ではなかった。

 アンドロイドなのだろうが、その容姿はあまりにも何というか……あまり宜しくない感じなのだ。


 服装はシーパンに大きなパーカーと、家で休んでいる者としておかしな様子は無いのだが、彼の顔に皮膚が無い。

 本来なら人間の皮膚に酷似したフィルムが覆い隠してくれている機械の部分が露呈しているのだ。配線から、金属片、導線を伝う電気の全てが剥き出しで、玄関を開けてくれた手も、機械の腕だ。まるで人体模型が動いているような衝撃に、俺は言葉を失ってしまった。


「……用が無いなら閉めるぞ」

「あ、すまん! 用ならある!」


 このアンドロイドは、見た目はあからさまな機械でありながら、その声はとても低くておおらかな男の声をしている。言動や反応からして、彼に異常があるのは本当にその容姿だけのようだ。


 閉まりかけた扉に手をかけ、若干引きつり気味の笑顔で彼に笑いかけた。


「お、俺はアンドロイドのプロトだ。初対面で申し訳ないが、君の知り合いが俺に君を紹介してくれたんだ。もし良ければ、話がしたいんだが」

「……」


 彼は目をひそめ、小さく唸った。


「……まぁ、良い。今は俺しかこの家にいないから、上がってくれ」

「ありがとう!」


 聞き取りやすい声だが、少し無気力な印象だ。部屋に案内してくれる最中も、あくびをしていた。


「すまない。時間は考えて来たつもりだったが、まだ早かったかな?」


 俺の体内時計は十時半を過ぎた頃だ。早すぎることもないと思ったのだが。


「気にしなくて良い。俺は元々寝不足なんだ」


 眠そうな目を擦りながら、彼は広めの居間へと案内してくれた。

 

 居間には、真ん中にさほど大きくない丸いテーブルが一つと、椅子が二つ向かい合っている。

 部屋の隅には背の高い観葉植物が飾られており、その隣に大きな本棚とテレビが置かれていた。本棚の本は比較的古い作品が多く、その殆どが俺でなくとも聞いたことのあるものだった。


「本が好きなのか?」

「あぁ。同居人がな」


 彼は俺と自分の分の珈琲を用意してくれた。この香りは、カブの所で飲んだものと同じ香りだ。


「良い珈琲を使っているな」

「この街では有名な婆さんが取り扱っているものらしい。同居人が好きなんだ」

「あ、俺も菓子折りを持ってきているから、良かったら食べてくれ」


 珈琲も出てタイミングも良かった。プリンを渡すと、彼はほんの少しだけ嬉しそうに頬の電気がショートした。


「ありがとう。このプリンは同居人も好きなんだ。数もいくつかあるから、君も食べると良い。美味い珈琲には、甘いものは格別だからな」


 一つずつプリンを用意し、残りは冷蔵庫へ入れた。戻ってきた彼は、俺にも座るように促してから自分も椅子に腰を下ろす。


「君はプロト、だったか? 少し噂は聞いている」

「噂?」

「同居人は、噂話が好きなんだ。今日ここに来たことを教えれば喜ぶと思う」


 プリンを一口頬張る。優しい甘さと温かさが、舌に心地よくまとわりついてくる。


「えっと……押しかけておいて申し訳ないんだが、君の名前を聞いていいかな?」

「俺はスターチスだ。よろしく」


 スターチスから差し出された握手に、慌ててプリンを置いて応じた。金属そのものの硬い感触の奥に、しっかりと生物としてのぬくもりを感じた。


「で、話したい事があるんだろう?」

「あぁ、それはそうなんだが……」


 場を繋ぐように、もう一口プリンを頬張った。

 さて、何から話すべきか……いや、そもそも初対面の人物に話すことか?

 今思えばおかしいだろ。なんで俺は知らない人にメリアの相談をしに来たんだ。


「スターチスは占いとかしてたりするか?」

「してない」

「だよな」


 会話がまた一つ死んだ。

 次は何を話せば……。


「プロトから何もないなら、俺から一つ聞いても良いか?」


 脳内で文章を構成していると、スターチスが助け船を出してくれた。

 当然、俺はその助け船に乗った。


 すると、スターチスは一言だけ俺に質問して、珈琲を一口啜るのだった。


「飯屋の令嬢との喧嘩は終わったのかい?」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る