『正常』

 完成した絵は、リンドウが大事そうに抱えて持って帰ることになった。

 曰く、油絵は完成まで処理が必要らしく、それに数日は必要とするようだ。

 壊れた画材も持って帰るというから、家まで運ぶのを手伝おうかと問うが、リンドウは笑顔でそれを断った。

「この絵を最後まで責任をもって完成させると決めたのは僕だ。他に一切の手伝いは不要さ。壊れた画材も、僕の努力の結果が形を変えただけで、大切なものに変わりはない。僕の手で持ち帰るよ」

 何度か往復して持ち帰るようで、まず俺とメリアの絵を抱えて帰路に立つ。


 残された俺たちは、デュランタを誘って夕飯でもどうかと提案した。

 彼女は少し考えるように腕を組んでいたが、残念そうに手を合わせて俺たちの提案を断る。

「ごめんなさい、それはすっごく楽しそうなんだけど、今日はアネモネが……彼氏が早めに帰って来るの。いつもは編集とか色々あって遅いのに。だから、その……」

「二人きりの時間を大事にしたいってことね?」

 メリアの言葉に、デュランタは顔を赤くしながら無言で頷いた。

「メリアちゃんって、そういうの包み隠さず言ってくれるよね……」

「素敵でしょ?」

「えぇ、とっても。皮肉なほどにね!」

 これみよがしに短い舌を出して反論するデュランタは、火照った顔を仰ぎながら杖を握り、俺の方を向いた。

「プロトさん、今日はお会いできて良かったです。なんか、私の彼氏と凄く仲良くなれそうな気がするの。縁があったら紹介しますね。それでは、また」

 最後に小さく会釈をして、空き地を後にした。杖を突いて帰る後ろ姿を見て、そういえば目が見えなかったんだよな、と再確認する。


「すごいな、あれで見えてないんだろ」

「慣れ、もあるんだろうけど、それほど努力をしてきたのよ、彼女も」

 デュランタの背中に小さく手を振るメリアが、俺の肩を軽く叩いた。

「ねぇ、今何時?」

「調べるからちょっと待ってな……えっと、十五時二十分だな」

「ありがと。う~ん、お昼ご飯には遅いけど、夕飯には早い時間ね」

「まだどこか回るか? 服を買ってくれるって話もしてたよな」

「そうね。プロトの服、スーツだけだし。動きやすいの探しに行かないとね」

 目を輝かせたメリアは、スカートのポケットに手を入れた。

「今日はお金、どれくらい持ってきてたかな。どうせなら良いものを買いたいんだけど……」


 ポケットをまさぐり続ける。

 ……まだまさぐっている。

「おい、いつまでやってんだ。なんか面白い動きになってるぞ」

 軽く笑いながら冗談を言ってやるが、それとは裏腹にメリアの顔がみるみるこわばっていった。

 そして、逆のポケットをまさぐり、手を抜いてポケットを上から叩き、左右にクルクルと回ってスカートを翻させた。

「いや、本当に何してんの、メリア」

「無い……」

 鳥の真似でもしているかのようにポケットをパタパタ叩きながら、今にも泣きそうな顔で俺の方を向いた。

「財布が……ない……!」

「財布?」

「貴重品は入れてなかったけど、今日のお金だけ入れた小さいのを持ってきてたのに……」

「まぁ、無くなったもんは仕方ない。飯とか食べに行く前に気付いて良かったじゃんか。なぁ?」

 慌てるメリアを宥め、これまでのことを一度思い返してみた。

 今日、目にしたものは全て頭にバックアップされている。どこかで落としたのなら、景色の端にその一瞬が写っているはず。まだそこに落ちているとは限らないが、場所さえ分かればどうにかなるだろ。


 レストランから出て、マグナムとぶつかりかけた時に落とした?

 いや、その時の映像は、通行人の表情まで細かく残っているが、そんな描写は無い。むしろ、注意をして行動した瞬間だったから、そのような隙は生まなかったはず。危険を冒す度にドジをするほど、アンドロイドの精度は低くない。

 

 じゃあ、カブの店に置き忘れたか?

 それも違う。カブの店で依頼書を書いたが、紙もペンも全て彼女の家のものを拝借して書いたから、そもそもメリアはポケットを触っていない。ただ立ったり座ったりするだけで落ちるような構造のポケットではないから、それも違う。

 

 なら、空き地に来るまでの間か?

 それも違う。立ったり座ったりするだけでも落ちない財布が、ただ歩くだけで落ちるわけがない。


 そして、一つの可能性に気が付いた。

「分かったぞ、メリアの財布の行き先」

「本当……?」

 潤んだ瞳を拭い、湿った瞳で瞬きする。

「言っとくけど、最初から忘れてたってのは無しよ?」

「分かってる。メリアはそんなドジはしないタイプだし」

「たった数日の付き合いで、知った口を……」

 若干嬉しそうに口角を上げるメリアが、息を荒げて詰め寄った。


「財布、盗まれた」

「盗まれた……?」

 目を皿にして、ただただ復唱するメリアは、そんなはずないと首を横に振る。

「それは無いわ。自慢じゃないけど、私は色々と鍛えてるの。殺気や違和感があれば、実害が無くても気付けるくらいには敏感なの。プロトが来る前は、幾度となく夜盗に奇襲に対応してきたんだから」

「どんだけ殺伐としてんだ、この街は」

「頻繁ではないけどね。でも、そのどれも、襲われる前に何か違和感を感じて身構えてた。それくらい、警戒心が強い私から、財布を盗む? ありえないわ」


 自分の自己防衛能力によほど自信があるのか、俺の言葉を受け入れようとしない。たしかにメリアは、人並み外れたその辺の感覚は養われているのだろう。

「それは、メリアが油断していたからだろ」

「油断はしてないわ。マグナムとぶつかりそうになった時は、まぁ、油断してたけど……でも、その時だけだもん!」

「あと一回、明らかに油断していた部分があるんだ」

 人差し指を立て、メリアの目の前に出す。


「カブの店から飛び出してきた子供、覚えてるか?」

「子供って……あっ」

 驚く、ということは、忘れていたという事。

 そう、メリアの財布を盗んだのは、あの子供だ。すれ違った隙にポケットから掠め取ったのだろう。あの一瞬で不可能だとも思うが、あの一瞬だけ至近距離すぎてポケットの辺りが見えていなかった。他の景色では、見えていたし落ちた景色もないのなら、その時が消去法で財布を無くした瞬間となる。

「いくら何でも、子供相手にまで警戒はしないもんな」

「うん……そうね……」

 すんなりと受け入れたメリアは、悔しさよりやるせなさを称えた表情で、口に手を当てた。

「まぁ、憶測ではあるが、ほぼその時だろうな……でも、もっと反論されると思っていたが、案外すんなり受け入れるんだな」

「うん。噂で聞いてたけど、この街には貧しさが原因で盗みをしている子供がいるらしいから。あの子もそうなのかなって」

 盗まれたはずのメリアは、むしろ自分に非があるかのように心を落としていた。

 それは優しさに違いない。いわゆる道徳なのだろう。根が優しいメリアは、泥棒に対して可哀想、何かしてあげたいと考えているはず。

 それは、正しいのか。


「何を考えているか分からんが、俺からすれば巨漢だろうが子供だろうが、等しく犯罪者だ。あの時に犯行に気付いていれば、容赦なく制圧した」

「プロトは子供相手にも、正当防衛なら手を上げるの?」

 単純に理解が出来ないといった表情が刺さる。

 当たり前のことだろう。だって、俺はお前を悪の手から守るための存在なんだから。


 守る方法は二つある。

 一つは防衛。襲い掛かる敵を薙ぎ払い、安全を確保する。


 そしてもう一つは……再犯防止。

 サンからプログラミングされた、護衛としての二つの仕事が俺にはインプットされている。

 蛇口を捻れば水が出るのと一緒。コンロを捻れば火が出るのと一緒。

 何かがあれば、俺はそう動く。


「プロト」

 メリアが言った。真っすぐに俺をみて、言った。服の胸元を掴み、自分に引き寄せて俺の顔を近づけた。メリアの瞳に、俺の顔が映っていた。

 不思議なことに、その顔は困惑していた。


 何を困ることがある?

 俺は一言『そうだ、子供だろうが悪者は倒す』と言えばいい。そうプログラミングされているんだから、そこに負い目を感じる必要は無い。むしろ俺の存在意義じゃないか。胸を張らずして、どうするんだ。

 分かっているのに……答えられない。

 メリアが望む答えがそんなに大切か? 当たり障りのない答えが大事か?

 そうじゃない。そうじゃないから、マグナムから守った時にあんなことを言ったんだ。あの時だって、当たり障りのない言い方も出来た。それなのに、突き放して伝えたじゃないか。それと一緒のことじゃないのか?


 ……一緒じゃない。そんな気がした。

「……正直に言う。なんて答えればいいか……分からない」

 まつ毛の細かいとこまで見える距離で、瞳に映る俺は瞳孔が開いていた。みっともない。護衛用アンドロイドが、動揺をさらけ出していた。

「うん」

「俺には、元々教え込まれた考えがある……アンドロイドだから」

「そうね」

「存在意義がある以上、それを遂行するための行動が優先されて当たり前なんだ」

「分かってる」

「なのに……何故か、メリアの目を見て言えない自分がいる」

 額から汗が流れた。頬を伝い、顎で水滴となって、落ちた。


「俺は……不具合が起きたのか?」

「はっきり言うわね」

 メリアは更に引き寄せ、よろけた俺を力強く抱きしめた。

 予想外のことで、変な声が出てしまった。突き放すわけにもいかないが、抱きしめ返すのもおかしい。行き場を失った腕が、みっともなく空を舞う。

 そんな俺を抑え込むように、メリアの力は強くなった。

「それは、不具合なんかじゃない。生きてれば必ず起きることよ」

「生きていれば……」


「当然、教えというものはある。人間も親から教えられ、世間に教えられた常識があるの。それが正しいものかどうかは、生きている中で精査されていく。本当に正しいものであれが貫くべきだし、もし疑問が浮かんだなら再確認するべきなの。あなたはサンのプラグラムの通りに動くように教えられたアンドロイドだけど、あなたは実際に生活して、世界を見て、あなた自身の考えも生まれつつあるはず。おかしいと思う部分があったはず。だからこそ、今すぐに言えないんじゃないの?」

 抱きしめられ、メリアのぬくもりが伝わってくる。正常な体温ではない。明らかに緊張からか、熱を帯びているようだ。不意に抱き寄せたりするだけで顔を赤らめるメリアが、ここまでして何も感じないわけがない。それでも、俺に伝えようと必死に行動してくれていた。

 それが、無性に嬉しくなった。


「ごめん……本当なら、子供だろうが関係なく対象を守らなければならない。そして……再犯防止のために、状況に応じて少し非人道な行動もするようにインプットされている……人の道から離れたことをな」

「それに関して納得してないんだよね?」

「納得してないと言い切れない。守るために本当に必要なのであれば、心を鬼にしてしなければならないからな。でも……人ってそんなに簡単に傷を負わせていいものではない気がするんだ」

「うん」

 抱きしめられ、メリアの顔が見えない。あっちも俺の顔は見えていない。そのおかげか、少しだけ言葉が浮かんできた。


「叶うことなら……誰も怪我をさせないアンドロイドになりたい」

 そうすれば、みんなが笑顔だ。もし、メリアを守るためとはいえ、誰かに対して傷を負わせてしまった場合、俺は今のような気持ちでみんなと接せなくなる気がする。

「今の生活しか知らないから分からないが、今の生活は心地いい……失いたくない」

「そうだね。今はそれで充分」

 そっと俺からメリアが離れた。

 メリアは笑っていた。これを満面の笑みというのか。

 こっちは思考が混乱してクラクラしているのに、何故かメリアは、彼女に抱きしめるカブのように優しく笑っていた。

「プロト、やっぱり子供だね」

 カブの店でも言われた。でも、あの時のような感じはしなかった。

「あぁ、子供だ」

 素直に言えた。頷けた。


「なんたって、まだ起動して三日だからな」

「人間だったらオムツしてるくらいだもんね」

 二人で笑った。ぎこちなくだけど、気分は軽かった。

「ま、これからもプロトは色々とプログラムとのギャップには悩まされると思う。一般的なアンドロイドは日常の知識とかだけをインプットされてるけど、それと違って、使命もプログラムされてるからね。でも、それを少しずつ正しい方向へ直していくのも、成長だよ。そこは人間と一緒。私と一緒。みんなと一緒」

 少し背伸びをして、俺の頭を撫でた。いつもなら突っぱねるのに、何故か俺はそれを受け入れるために、少し頭を低くしてしまった。

 自分の思考と行動が、もうよく分からん。でも、それでいいや。


「一緒に頑張っていこ?」

「……よろしく」

「うん!」


 元気に頷いてくれた。

 そして、メリアは俺の手をとり、そのまま歩き出す。

「どこへ行くんだ?」

「帰る」

「なんで!」

「だって、安心したらお腹空いちゃった。お金もないし、レストランに戻って、みんなの顔を見ながら、ご飯でも食べましょう!」

 ずんずんと歩いていくメリアは、すれ違う人が振り返るほど元気に歩いていた。


 周りを気にしない、なんとも危なっかしい背中だ。守る対象としては、警戒心が薄すぎる。これを守るのは、面倒なことなのだろう。でも、プログラムされてるんだから仕方がない。


 でも、少しだけ俺の中の考えが変わりつつあった。

 守らなければならない、から、守りたい、に。

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