『科学と美術は語り合う』
「そもそも私は誰ともお付き合いするつもりはないのですよ、プロト様」
溜息混じりに呟くカリメロのコーヒーは、すでに冷えていた。
「特に彼は、何の仕事をしているかも知りませんし、どのような生活をしているのかも知りません。長い付き合いとかではなく、それこそいきなり愛を伝えられて……」
「美人も楽じゃないな」
「中途半端な魅力は誰も救いませんよ」
どこか憂いた笑みで飲むコーヒーは、大量のミルクが入っているはずなのに表情は苦味を帯びていた。
「……ひとまず、どんな人間でも客は客だ。俺が対応しよう」
注文票を取り、大広間へ向かう。
俺の顔を見た男は、少し驚いた様子ではあったが、特段嫌がる様子もなく、笑顔のまま俺を迎えてくれた。人懐っこさすら感じるこの男は、もしかしたらサンやメリアよりも年下なのかもしれない。
「君は初めて見る店員さんだね! 最近雇われたのかな?」
「そうだ。あんたのお求めの女性じゃなくて悪いな」
「全然構わないよ! そりゃ、少し残念ではあるけど、彼女には彼女の時間や考えがあるんだろう。次に来る時は、顔が見れることを願っておくさ。今日はよろしくね」
まるで無垢な少年の笑顔だった。もし酒を注文されたときは、念のために年齢確認をしないといけない気がする。
男を席に誘導し、椅子を引いてやった。
「ありがとう」
こんな小さな行為にも礼を言いながら、男はメニューも見ずに注文をした。
「いつものお願いします!」
「いつもの……?」
困惑する俺をみて、男もハッとした。
「そうだった。君は最近来たから知らないよね。ごめんごめん」
恥ずかしそうに笑いながら、男は俺に耳打ちをするように注文をするのだった。
「この店で一番安い料理をお願いするよ」
☆
「カリメロ、この店で一番安い料理ってなんだ」
「ポテトサラダですね。いつもの」
調理場のスタッフにアイコンタクトを送るカリメロ。スタッフも頷いて、作業に取り掛かってくれた。
「悪い男じゃなさそうだな」
「誰も悪い人とは言っていません。苦手なだけです」
俺が注文を取りに行っただけの間に、目に見えて疲れて見えた。生理的に無理という奴か。
「そんなにキツイならもう今日は休ませてもらえ。どのみち、何も出来やしないだろ」
「それは……勝手に私が判断することではありませんので……」
「ならメリアに聞いてくるか? あの、楽しそうにサンと談笑しているメリアに」
「ぐぬぬ……」
カリメロは何も言い返せない様子だ。
それもそうだろう。もし自分が抜けると言えば、いくら業務が少なかろうとこちらへ回って業務を全うしてくれる。そうすれば、サンと話をする時間はそれで終わりだ。それはカリメロも望んでいないだろう。
「怒られはしないさ。それに、カリメロ以外にもメイドはいるし、客も少ない。一人抜けたところで、大して問題もないだろ」
「……分かりました。このお礼は深夜にプロト様の部屋でお返ししますので」
「俺の部屋には近寄るな。夜盗と勘違いして撃退するかもしれない」
「あら、最新のアンドロイドもポンコツなのですね」
やっと小さく笑ってくれたカリメロは、身体を丸めてコソコソと逃げるように、裏へと消えていった。
「お待たせいたしました。ポテトサラダでございます」
男に運んだポテトサラダは、木のボウルに盛り付けられており、木製のスプーンで食べてもらう。基本的には銀製品や陶器を使うのだが、こういった家庭料理に近い食品は雰囲気のぬくもりまで届けるのが目的で木製を利用するようだ。
「これこれ! ありがとうね!」
手を合わせた男は、久しぶりの食事かと思うくらいの勢いでポテトサラダを口へ運んで行った。本当なら控室に戻らなければいけないのだが、その勢いに見入ってしまい、呆けてしまった。
「えと……何かな?」
俺に気付いた男が、スプーンを止めずに話しかけてきた。
「あ、いや。美味そうに食べるなと思って」
「そりゃそうさ。美味しいんだもん」
頬にポテトサラダを付けながら満面の笑みで答える男を、俺はどうも気になってしまった。
「あんた、仕事は何をしているんだ?」
「僕かい? 僕はしがない画家だよ。とはいえ、収入はバイトだけの人間だけどね」
「それは画家と言えるのか?」
「僕が名乗らないと、僕は画家では無くなってしまうだろ? それは、僕を否定することになるからね!」
皿に残ったポテトサラダを丁寧にかき集めながら、男は恥ずかしそうに頬を赤らめる。
「そろそろ人からも言われてみたいものだけど、さ」
最後の一口を頬張り、結露が付いたコップの水で流し込んだ。
お手拭きで口周りを拭う。頬のポテトサラダも取れた。
「才能が無いって、中々大変だよね~」
「あんたに才能があるかどうか知らないが、無いと思ってるなら諦めればいいのに」
「そんなに単純な生き物だと思うかい、人間が。そんな綺麗な生き物じゃないだろう」
「俺はアンドロイドだから分からん」
「君、アンドロイドなのか。ごめんごめん。アンドロイド相手に人間の話をしても、難しいよね」
「ちょっと……今のは聞き逃せないな……!」
大広間の端っこの席。
声を出したのは、サンだった。
テーブルを強く叩き、椅子を倒さん勢いで立ち上がったサンは、虚ろな目で男に指さして大きな声を出した。
「僕のアンドロイドに難しいものなんて、あるもんか! この僕が作ったんだぞ!」
「ちょ、サン! お客さんに絡まないで!」
隣で制止するメリアが何度も頭を下げていた。それもそうだろう。自分の店で喧嘩沙汰なんて、たまったもんじゃない。
それにしても、サンはこんなに喧嘩っ早い人間ではない。長い期間苦労をしてきた男だ。慣れてると言えば少し違うかもしれないが、罵倒や皮肉の受け流し方は心得ているはず。
「あ……」
サンとメリアのテーブルに、ワイングラスが乗っていた。そういえば祝いだと言っていた。酒の一つくらい出て当然だ。
サンは……酒に慣れるほど裕福な生活を送ってないからなぁ。
「そこの無名の画家さん……こっちで話そうじゃないか」
酔ったサンが手招きする。
男は一回だけ俺と顔を合わせた後、ゆっくりと席を立ち、サンの元へ行こうとした。
「待て、あいつは今酒に飲まれている。俺も謝るから、ここで喧嘩は辞めてくれないか?」
男の肩を掴んで止める。
振り返った男は、なぜか満面の笑みだった。
「喧嘩? まさか。むしろ僕は彼と仲良くなりたいんだ」
澄み渡った冬の夜空のような瞳で俺に応える男は、声色からも喜びが溢れていた。
「だって彼は、僕のことを『無名の画家』って呼んだんだよ! 僕のことを、画家って! これを喜ばずして、何を喜ぶんだ!」
酔ったサンよりも浮足立ちながら、男はサンのテーブルへと駆け寄り、正面の椅子に座った。
「お誘いありがとう、無名の発明家さん。僕は君との出会いを心の底からありがたく思うよ!」
「そう言ってもらえて嬉しいよ、無名の画家さん。でも僕が無名なのは時間の問題。いかに僕のアンドロイドが優秀で稀少であるか、教えてあげるよ」
「うん、聞かせて聞かせて! 君の努力を、僕も勉強させてもらうよ!!」
二人はその後、数時間にわたって話し続けていった。
メリアが途中で席を外し、大広間の清掃を終わらし、厨房の皿洗いが終わり、明日の仕込みも完了し、シェフが皆帰宅し、日を跨ぐ頃になってやっと、メリアから二人へ退場の指示が出たのだった。
「あんたら、もう帰れ」
「メリア、まだ僕は語り足りないんだよ。僕のアンドロイドへの熱意はまだ半分も語り切れてない!」
「そうだよ! それに、彼は僕の芸術への愛も聞いてくれるんだ。こんな素敵な出会いを早々に終わらせるなんて、僕には出来ないよ!」
抗議する二人の顔は、もはや異常といえるほどに紅潮していた。サンのワインを二人で飲み続けていたのだろう。二人して慣れない酒に、完全に飲まれていた。
初めて共感できる仲間を得た二人は、その熱情をまっすぐにメリアにぶつけていた。
それを見るメリアの表情は、冷や水よりも冷たかった。
「あんたら、もう帰れ」
「で、でも……」
「次は言葉じゃなくて、身体に言い聞かせるわよ」
「……今日は帰ろう」
「うん……僕もそうする」
サンと男は、お祝いから通夜に変わったようなテンションで席を立った。メリアの威圧のおかげか、足取りも至って普通だった。
「えと、ごめん、メリア」
「うん」
「あと……ありがとう」
「……うん」
そう言い残して、サンが店を出た。
男も足早に店を後にする。
店は途端に静まり返ってしまった。
「さて、片付けて休もうか」
「そうだな」
綺麗に食べ尽くされた食器を重ね、厨房へと運ぶ。
山のように運ばれていた料理が、面白いくらい完食されていた。
「サン、お酒に強くないからなぁ」
「面白いくらい酔ってたな、サンは」
「あそこまで酔われると、面白くないわ」
皿を洗いながら、メリアが眉間に皺を寄せた。
「でも、サンがあそこまで語れる人が見つかって、なんか嬉しさもある」
「たしかにな。俺も、サンの友達を知らない。本当にいなかったんだろう」
「サンも苦労してるからね」
蛇口から流れる水が、食器の泡を綺麗に洗い落していく。
濡れた食器を俺が受け取り、渇いた布巾でしっかりと拭き取って食器棚へと戻した。
メリアの手際が良くて、食器洗いは十分程度で終わった。これで完全に仕事は全て片付いたことになる。
「お疲れ様、プロト。ゆっくり休んでね」
「おう。メリアもお疲れ」
「日記、忘れないようにね」
「……」
「まさか忘れてた、なんて無いわよね? 高性能なアンドロイド様が?」
ニヤニヤと笑いながら、俺の顔を見上げてくる。
「嫌な言い方をする奴だな……ちゃんと書くっての」
「うん、ありがとね」
今度はニッコリと微笑んで、エプロンを外した。
「あなたは素敵な護衛だわ」
「メリアにとって護衛って何なんだよ……?」
「人として背中を任せられる相手かな?」
静かに笑い、メリアは俺を残して厨房から出ていった。
「人としてって、俺にとって不可能なんじゃね……?」
何か、蜘蛛の巣のようなモヤモヤしたものが胸の中に残った。
アンドロイドである俺に対して、なんとも意地悪な言葉じゃないか。
「今日の日記はこれにしよう。いつか見返して、謝罪させたらぁ」
俺も厨房の電器を消して、自室に戻った。
真っ暗な厨房は、明日の朝を待ちわびながら眠るのだった。
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