『招いた客と招かれざる客』

 夕方から、レストランは目が回るほどに忙しくなった。

 少なくないテーブルがすぐに埋まり、様々な家族がそれぞれの夕食の時間を幸せそうな顔で過ごしている。


 一つのテーブルでは、まだ五歳くらいの男の子と三歳くらいの女の子を連れた母親と父親が、子供の食事を微笑ましく眺めていた。父親は自分が頼んだパスタを適当に頬張りながら、オムライスのケチャップで口を汚した男の子の口を拭いている。母親は女の子が頼んだハンバーグを切り分けて、一切れずつ息を吹いて冷ましてから、その食いしん坊な口へ運んでいた。子供が食べ終わる頃、母親が注文していたカレーライスはとっくに冷めてしまっていた。


 他のテーブルでは、若い男女が会話もままならない状態で黙々とワインを飲んでいた。せっかく質の高いワインを飲んでいるのだし、もっと会話を楽しめばいいのに。

 男も女も、妙にお洒落な雰囲気の服装をしていた。何かの帰りか? それとも、この食事のためにめかしこんでいるのか?

 結局男も女も、ずっと黙ったまま、お互いの顔をみたり目を逸らしたりしながら、ワインが空になるまでそれを続けていた。互いに赤らんだ頬は、酒のせいなのか。


 他のお客さんも、それぞれ何かストーリーを帯びた食事をしている。たったひと時の中に、彼らは何を思っているのだろうか。

「食事ってのは、ただ栄養補給するだけじゃないんだな」

 配膳の合間、メリアに言った。

 忙しい時間帯は、俺もメリアもスーツを着て、メイドと同じようにフロアで料理を運んだり注文を聞いたりするのだが、ほぼ一斉に注文してくるので、料理を受け取りまでの数分の合間だけは無駄口が叩けた。

「そうね。少なくとも私は、心も満たされる時間だと思ってるわ」

「満腹になれば幸福度も上がるってことか?」

「それもあるけど、それだけじゃないのよ。言いたいことは」

 注文のピザが出来上がった。

 メリアは話を中断し、焼けたチーズの香ばしい香りを連れてお客さんのテーブルへ行ってしまった。

「プロトくん! 七番テーブル注文の白魚のムニエルと、海鮮ホワイトソース煮込み出来上がったよ!」

 キッチンから声が上がる。もうこの数時間で何度目になるだろう返事をして、料理を運んで行った。


「お疲れ様です、プロト様。初めてのウェイターは如何ですか?」

 控えに戻ると、カリメロがほんの少しだけ疲れた様子でお茶を飲んでいた。

「目まぐるしいこと、この上ないな。こんなことを毎日しているのか」

「えぇ。人の幸せな時間を作るのは、中々大変でしょう? でも、好きなんですよ。私達は」

 そこまで言ったカリメロは、急に表情を曇らせてしまった。

「でも……プロト様が来てしまったせいで、弊害も起きています……」

「すまん、何か失敗してたか? 改善するから教えてくれ」

「プロト様がいるせいで、メリア様がメイド服を着てくれないのです……」

「それ本当に俺のせいか……?」

 顔を上げたカリメロは、もはや血涙を流さんばかりの勢いだった。

「私達は……少なくとも私は……毎日昼と夜の繁忙期にメリアお嬢様が給仕係の手伝いとして、我々と同じメイド服を着用しての仕事を拝見できることを癒しとして生きてきました……」

「お前ほど邪な人間もそうはいない」

「いえいえ。お嬢様大好きクラブの下っ端ですよ、私ごとき」

「護衛として無視して良い話かどうか、判断に困る集団を作るなよ……」

 どちらかと言えば、俺の身の方が案じられる。その辺は、銃や大砲を持ってこない限り問題ないだろうが、夜道は気をつけようと思った。


「そういえば、一席だけ空いてるテーブルがあるが、予約でもあるのか?」

 店の一番端の小さなテーブルが、これだけ人で溢れている店に異質なほどに静かな存在感を醸し出していた。席の真ん中に、一輪の真っ赤な薔薇が飾られている。

「そうです。お名前は私も忘れてしまいましたが」

「サンよ」

 カリメロと話していると、配膳を終えたメリアが額の汗をハンカチで拭いながら戻ってきた。

「サン様ですか。この店に足を運んでくださるなんて珍しいですね」

 カリメロは冷えた水の入ったグラスを用意して、メリアに渡した。

「ありがと、カリメロ」

 笑顔で受け取り、一口。細い首に汗が流れた。

「でもサン様は、あまり言いづらいですが……それほど贅沢できる方ではなかったですよね?」

「今日は私の驕りよ。一番量のあるコースを用意させたわ」

「高いコースではないのですね」

「あいつは質より量の方が喜ぶでしょうからね」

「彼のことなら、何でも理解してらっしゃいますからね。ホホホッ」

 カリメロがあからさまに意味深な笑みを浮かべ、メリアが眉間に皺を寄せた。

「あなたが何を想像しているのか容易に想像がつくから特に明言はしないけど、私とサンはそういうのではないから」

「そういうのってのは何だ?」

「メリアお嬢様とサン様は、とっても仲の良いということですよ」

「それは俺も知ってるぞ、色々とな」

「色々って、また含みのある言い方を__」

 口止めしようとしたメリアの口を、目にも止まらぬ速さでカリメロが塞いだ。

「プロト様! ぜひお教えください!!」

「良いのか? お前の上司が鬼の形相だぞ」

「構いません……数か月の減給程度は覚悟しております!!」

「そこまで覚悟するなよ、こんなことで……」

 そう言われても、俺の情報にカリメロが喜びそうなものは無い。

「そもそもサンから、メリアの情報は入力された。どんな人物で、どんな性格で、どんな思考なのか、とかな」

「なんか、事務的な香りがしてきました。私が求めていた甘々なものはありますかね? こちとら減給を天秤にかけての行動なのですよ?」

 それに関しては勝手に自分でした判断では?


「まぁ、なんだ。そういった情報は常識や知識とは違って、個人の感想まで混ざりやすく、要は依怙贔屓も反映しやすいんだ。つまり、俺にインプットされたメリアの情報はサンの個人的主観が大きいわけなんだが、これまたべた褒めだったぞ」

「例えば?」

 カリメロの腕の中で大暴れするメリアを、カリメロは完全に制していた。

「とても人思いで優しい、美しいお嬢様というのが軸だったな。そこから派生して、相手のために厳しくなれる人、見下さず慈愛のある女性、たまに垣間見える子供らしさが残る女の子、とか、色んな表現をしていた」

「なるほど。メリアお嬢様の顔を抑える私の手が火傷しそうなくらい熱くなってきてるのを鑑みるに、とても素敵な情報なのでしょう」

 もはや手を噛まれているカリメロは、幸せそうな顔をしていた。


「単刀直入に聞きますが、お嬢様はサン様のことをどう思いなのですか?」

 やっとカリメロの手から解放されたメリアは、若干息を切らしながら恨めしそうに睨んでいた。

「どうも何も……良き友人よ」

「ただの?」

「そうね」

「その割に、よくあの薄暗い小屋に遊びに行かれてますよね? あの甲斐甲斐しさは友愛のそれだったでしょうか?」

「友愛のそれでしょ」

 メリアの表情に照れ隠しは見られない。だからこそ、カリメロの頭の上に疑問符が浮かび上がっていた。

「私が知っている男女の関係にはありえない進展の無さですね」

「進展してるでしょう。家に遊びに行く仲なんて、仲良くないと出来ないんだから」

「プロト様、これは間違った関係性なので、くれぐれも学習しないように」

「雇用主に失礼すぎないか……?」



 サンが来店したのは、他のお客が店から帰り始めた頃だった。サン曰く、お店が楽になった頃を見計らってきたそうだ。

 大量の料理とはいえ、1人分だ。厨房も配膳も一息入れながら対応が出来て、こちらとしても有難い配慮である。


 店が本格的に暇になると、メリアはサンに同席し、休憩がてら簡単な食事を交え始めた。楽しそうに話しをする二人は傍から見ても仲睦まじく、とても微笑ましい。気を使わない仲だというのは、やはり本当のようだ。

「だからこそ……俺は逆にカリメロの感情が分からんな」

 隣でずっと不満げな表情を浮かべるカリメロは、もう仕事も終わりと判断したのか、自分のまかないであるハンバーグを噛みしめていた。

「だって、若い男女がただの友愛で止まりますか? 普通」

「そういう事もあるだろ」

「私が思うに、サン様はお嬢様に恋心くらいあるんじゃないかなと思うんですけどね」

「そうか? 俺にはそんな素振りは見せていなかったけどな」

「そりゃ、恋心なんて誰にでも言うようなことではないでしょうし」

「じゃあ、二人とも隠してるだけじゃないのか?」

「なるほど。それなら納得、もとい満足です」

 美味しそうに肉を食うカリメロを横に、俺はスパゲッティにフォークを刺した。

 くるくると回しながら、何ともなしに質問してみた。

「カリメロは、恋や愛はしてるのか?」

「はい、私はプロト様にゾッコンですので」

「はいはい」

 適当に流して頬張る。ミートソースが絡み合い、食べているのに腹が減るような、いくらでも食べられる美味さがあった。


「じつは私、恋したくないんですよね」

「人の恋愛には興味津々なくせに」

「他人事だから楽しめるものってありません?」

「一理ある」

「それに私、恋愛は向いてないんですよ」


 カリメロに返事をしたのは、俺ではなくレストランの入り口だった。

 力いっぱい開け放たれた扉が、盛大な音を立てた。

「カリメロさぁぁぁぁん!! 今日も来ちゃいましたぁぁぁぁ!!」

 入ってきた男は、随分と細身の男だ。ダボダボの服に、膝の破けたズボン。その全てがペンキのようなものでカラフルに汚れていた。お世辞にも、このレストランに似合うとは言えない風貌の男は、声も高らかにカリメロのことを呼んでいた。

「おい、あいつ知り合いか?」

 声をかけると、カリメロはいつの間にかテーブルの下に潜り込んで、ただでさえ小柄な体をめいっぱい縮めていた。

「いえ、知り合いではないので私はいないと伝えてください」

「いるの知ってるような感じだぞ」

「では急遽帰ったという事にしましょう」

「それ信じるか?」

「では食中毒で倒れたと伝えてください」

「店共々潰す気か」

 額に嫌な汗を浮かばせるカリメロは、いかにも嫌悪感に満ちていた。


 他のメイドが男を対応してテーブルに案内している間も、カリメロは客間から見えないようこそこそと動いていた。

「お前がそんなになるなんて、よほどの相手なんだな」

「苦手なタイプです……」

 どう説明しようか考えているのだろう。頭を抱え始めた。

 そして、やっとのことでカリメロは顔を上げたのだ。

 すごい顔してた。


「私は……ここ最近、あの方に熱烈なアプローチされてるんですよ……」

「はぁ」

「熱烈すぎて……疲れます」

「殴って良いかな?」

 

 お前が言うなよって、怒鳴ってやろうと思ったけど、我慢した俺は偉いと思う。

 

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