第9話 武術とは

 カラン


「おお、ゼロラ。戻ってきたのか。……ん? そっちの若いのは?」

「待たせてすまないな、イトーさん。こいつはさっきそこで知り合った――」

「俺は、オレジャン!」

「……は?」


 店に戻った俺に対して、イトーさんは開口一番に一緒にいた若造について尋ねる。

 そしてその問答に対して「訳が分からない」といった顔で返す。

 まあ、そりゃそうなるよな。


「おい、その言い方じゃ伝わらないって言っただろ……。ちゃんと間をおいて名前を言え」

「え~、めんどくせえじゃん。俺の名前は、"オ・レイ・ジャン"、じゃん」


 そう、こいつの名前は"オ・レイ・ジャン"。

 早口で述べると「俺じゃん」と聞こえてしまう。

 ふざけた名前に聞こえるが、れっきとした本名らしい。


「あ、ああ……そういうことか。変わった名前なんだな……」

「そうじゃん? よく言われるけど、俺はそうも思わないじゃん?」


 おまけに、こいつ自身には自覚が無いときている。

 今までよくそれで生活できてたな……。


「こいつは俺の戦い方に覚えがあるらしい。それなら、何か俺の過去についても知っていると思ってな」

「そこまで保証はできないじゃん。俺も師匠の教えや文献で武術のことを知ってるだけじゃんし」


 ジャンには俺が記憶喪失であることは、ここに来るまでの間に軽く説明をしておいた。

 ジャンも状況を理解したうえで、知っている限りのことは教えてくれるそうだが、あくまで武術に関することしか教えられないらしい。


「悪いんだが、イトーさん。仕事の話の前に、こいつの話を聞かせてくれ」

「そういう事情なら構わないさ。ジャン、だったな。ゼロラは俺のダチなんでな。すまねえが協力してやってくれ」


 イトーさんの了承も得て、俺達はジャンの話を聞くことにした。





「ゼロラさんの武術…… さっきの喧嘩で見せてもらったじゃんけど、大きく分けて三つのスタイルに分かれてるじゃん。一つ目はパンチとフットワークを主体にした<ボクシング>。二つ目は強固な守りと一撃に重きを置いた<空手>。三つめは組技を主流とした派手さのある<プロレス>。俺の知る限りだと、その三つのスタイルを使ってるじゃん」


 <ボクシング>、<空手>、<プロレス>――

 俺が普段何気なく使っていた武術には、そういう名称があったのか。


「ただ、これらは全部俺も文献からの推測になるじゃん。実際の武術とは多分差異があるじゃん。だけど、普通武闘家は一つのスタイルをベースにして戦うのに、ゼロラさんは三つものスタイルを満遍なく使い分けてたじゃん。これって結構すごいことじゃん」

「すると、ゼロラは元々武術の達人か何かってことか?」


 ジャンの話を聞いてイトーさんがそんな疑問を口にする。


「少なくとも、並の武闘家じゃないのは確かじゃん。でもそんなにすごい武闘家だったら、俺も存在ぐらいは聞いたことがありそうじゃんけど、ゼロラさん程腕の立つ武闘家の噂は聞いたことがないじゃん」


 ジャンは王国内の武闘家事情には精通しているらしい。

 そのジャンでも知らないとなると、俺の過去に関することは手詰まりとなってしまった。


「もしかしたら師匠――俺のじいちゃんなら心当たりがあるかもしれないじゃん」

「お前のじいさんが?」

「じいちゃんは若い頃武者修行で世界中の武術を見て回った、凄腕の達人じゃんよ。じいちゃんならゼロラさんのことを何か知ってるかも」


 ジャンの祖父の師匠か。

 俺が元々武術の達人だったとするならば、世界中を回った武術の達人が何か知ってるかもしれない。


「なあ、ジャン。もしかしてお前さんのじいさんってのは"チャン老師"のことか?」

「おお! よく知ってるじゃんね!」


 チャン老師?

 俺の聞いたことがない人名がイトーさんの口から出てきて戸惑ったが、イトーさんは説明を付け加えてくれる。


「チャン老師ってのは、このルクガイア王国でも名の知れた武術の達人だ。国王からも何度か声がかかって、武術師範を務めてたこともあるって話だ」


 国王から声がかかるほどの達人か。

 そんな人からの話ならば記憶のことでなくても、純粋に武術に関する興味もわいてくる。

 一度会って話を聞きたいものだ。


「ってか、イトーさん。よくジャンがそのチャン老師の孫だってわかったな」

「あ、いや。ジャンの本名って"オ・レイ・ジャン"なんだろ? それで気づいたっていうか……」

「俺のじいちゃんは、オジーチャンじゃん」


 『俺のじいちゃんはおじいちゃん』?

 また訳の分からない物言いを――


 ――いや、待て。

 まさかそのチャン老師のフルネームは――


「お前のじいさんの名前を、間を空けて言ってみてくれ」

「え? また? "オ・ジー・チャン"じゃん」


 なるほど。ジャンとチャン老師が血縁関係であることがなんとなくわかった。


「ジャン。お前の家系って、変な名前の付け方をしなきゃいけない義務でもあるのか?」

「そんなに変じゃんか?」


 そしてやはり自覚無し。なんて面倒な名前の家系だ。


「……で。そのチャン老師ってのはどこで会えるんだ?」

「今は王都の、その……"壁周り"にいるじゃん」

「はぁ!? チャン老師ほどの人が、なんだって"壁周り"なんかに!?」


 俺がチャン老師について尋ねていると、イトーさんがひどく驚いた顔をした。

 "壁周り"ってのは何かある場所なのか?


「詳しいことはじいちゃんに直接聞くといいじゃん。機会があったら寄ってみるじゃん。あ、それとこれも渡しておくじゃん」


 そう言ってジャンは一冊の分厚い本を俺に手渡してくれた。


「それはじいちゃんが書いた武術の本じゃん。その本にはじいちゃんがこれまでに経験した、古今東西様々な武術が記されてるじゃん」

「そいつは読み応えがありそうだな。有難くもらっておくぜ」


 記憶の話は別にして、武術に関する本というものには興味がある。

 ゼロラと名乗るようになってから、本なんてほとんど読んでいなかったが、この本は暇があるときに目を通すようにしよう。


「それじゃ、俺はお暇するじゃん。ゼロラさん、仕事の邪魔して悪かったじゃん」

「いや、こっちこそありがとよ」


 そう言ってジャンは酒場を後にした。

 明確な記憶のヒントは見つからなかったが、それでも武術に関する収穫はあった。


 そうして俺はイトーさんと本題である仕事の話に戻るのであった。

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