第18話 ささやかな願い

バルデッリ隊長と町長を殺したキーラ一行は、兵舎を離れ、来た道を戻っていた。


「一度宿の付近に戻りましょう。グレンヴィル達と合流する。」


戦闘の喧騒はもはや消え失せ、町はひどく静かだった。キーラは、道中にまた町の人間が襲ってくるのではないかと「期待」したが、町民達は、警備隊が全滅したことを察して、もう勝ち目はないと認識したのかもしれない。…彼らの姿はなかった。


「…もう、行くのか。」

未だ兵舎に残っていたメアリー・ヒルは、自らが救った兵士、マルセロに名残惜しそうに声をかけられる。


「…もう、行きます。この町を放っておくのは心苦しいですが、優先的にやらなければならないことがあるので。」


「…メアリー。この町のことなんか放っておけ。こんな寂れた町はもう、薬物中毒者の巣窟でしかない。」


まだ町のことを気にかけているメアリーに、複雑な思いを抱くマルセロだが、彼の言葉もある意味真実である。修復困難なほど″壊れた″町を再生させるのは、ほぼ不可能なのだ。


「…もし首都アルベールに着いたら、青の教団と司法院に、この町で起きている現状を伝えます。そうならば、この町へ調査が入り、少しずつ町の問題は解決されていくはずです。」


(なるわけないさ)


マルセロは、メアリーの押し付けがましい願望を鼻で笑いたくなったが、あえて何も言わなかった。いやむしろそんなことは、マルセロにとってはたいした問題ではなかった。彼は、自らの命を救ってくれたこの可憐な女性に、命の恩人として、そして一人の女性として好意的な感情を抱いていたのだ。


「…じゃ、さっさと行けよメアリー。あの女騎士達に置いてかれるぞ?」


「…じゃあ、さよなら」


兵舎から立ち去ろうとするメアリーを、マルセロは最後に呼び止める。


「なあ、メアリー!」


「……何?」


「…あんたにとって、俺は取るに足らない人間だろう。あんたが救った、″大多数のうちの一人″でしかない、俺は。

だからあんたは、すぐに俺のことを忘れるだろう」


メアリーは、マルセロの唐突な告白に少し驚くが、歩を進めず最後まで彼の話を聞く。


「…でも、俺は違う。命を救われた人間は、救ってくれた人間のことを決して忘れない。だから…」


その心からの思いを、マルセロは言葉に示す。



「ありがとう。俺のことを助けてくれて」



メアリーは答えなかったが、マルセロに笑顔で返した。それは決して愛想ではなく、心からの笑顔。そして″心の中″で彼女は、マルセロに言葉を返した。



(ありがとう…私もきっと、あなたのことを忘れない)



誰かを救っても、必ずしも感謝の言葉があるわけではない。医療者にとって、「誰かを救う」ことは当たり前のことかもしれないが、それを明確に「感謝してくれた」人のことを、やはり医療者は覚えているものだ。



ルークもまた、傷つきマーカスの胸で泣いていたメアリーの姿を見ていた。しかしマルセロに言葉をかけられた彼女の表情は妙に火照ったような———それは涙の跡かもしれないが——ルークには、幸せの表情のように思えた。


「…メアリーさん。大丈夫ですか…?」

ルークがメアリーのことを気にかける。もはやその憔悴の色を、メアリーが隠しきれていないことは、ルークには理解できた。

無論この1日で起きた激動に、あらゆる疲労や心労が付き纏っていたのは、ルークにとっても同様だが。


「…ありがとう、ルーク」


メアリーは、ルークのそんな気遣いだけでも嬉しかった。村にいた頃は、マーカスと3人でルークと暮らしていた。メアリーにとってルークは家族のような存在であることに、疑いはない。


「私なら平気よ。…ルークも、大丈夫?」


「はい。僕は…何もしてないから…戦ってすらいない…」

ルークは自分の無力さに負い目を感じていたが、メアリーはルークのその内罰的な言動を察して、軽く彼をフォローする。


「ルーク…あなたは過度に頑張る必要はないわ。今大切なのは、自らの命を危険に晒さないこと。戦いは、″その道″の人間にまかせればいい。私だって、無茶をしすぎて…守られてばっかりよ…」


「はい…」


それでも。それでもメアリーは、自ら道を切り拓こうとする強さがある。勇気がある。だからルークにとっては、メアリーのその——時には無謀とも言える——行動力を、羨ましくもあった。


しかし、メアリーの言うことも最もであった。戦闘の素人が前面に出過ぎると、やはり味方に迷惑をかけてしまうのだ。その点に関しては本能的にルークもわかっていたので、彼の「引き気味」な姿勢はある意味間違ってはいなかった。ましてやルークは、少なくとも騎士団の「護衛対象」でもあるのだから。



「…キーラ様。町の人間達は無力化しました。そちらも…もう仕事は済んだようですね」


宿へと戻るルートの道中、キーラ達はグレンヴィルと合流した。どうやらグレンヴィルと魔道士のサダムは、住民を殺さずに全員を気絶させ、彼らを無力化させたらしい。しかし、その人道重視のグレンヴィルのやり方は、「効率」重視のキーラ・ハーヴィーにとってはあまり気に入るやり方ではなかった。


「…時間がかかりすぎよぉ、グレンヴィル。戦闘に″加減″はいらないの。殺すか殺されるか。あなたのやり方は、とーっても非効率じゃないのかしらぁ?」


いつもの煽り口調のキーラ。グレンヴィルは軽く流すかと思いきや、意外にも彼は、眉間に皺を寄せてキーラの言葉に、あからさまな不快感を感じているようだった。


「…キーラ様。我々は…いえ、私は殺戮者ではありません。どうかご理解を。」


その言葉には、キーラとグレンヴィルの間にほんの僅かな…しかし決定的な″確執″を感じさせた。少なくとも、ルークはそう思った。


グレンヴィルのどこか挑発的な言葉にも、キーラはいちいち激昂したりはしない。殺戮者という点においては、彼女も自覚している。自覚しているからと言って、それに対して何ら感情や考えも抱かないのが、キーラ・ハーヴィーという人間の″欠落″した部分ではあるのだが…


「ま、とにかく危機は脱したことだし。さっさとこの町を離れましょう。もし住民達がまた追ってくるようなら、その時はまた始末すればいいし」


キーラはそう言ったが、町の人間の攻撃はもう完全に止んだものと思われた。


「…キーラさん。」


「なぁに?メアリーちゃん」


「…警備隊の兵舎に、ガンビラを管理してる倉庫か何かありませんでしたか?…多量にガンビラの粉が貯蔵されていれば…」


メアリーの懸念を、キーラはすぐに理解する。


「ああ、あったわよ、ガンビラの貯蔵庫。でも安心してぇメアリーちゃん。全部燃やしたから。」


キーラはバルデッリ隊長を殺した後、警備隊拠点に「隠されて」いたガンビラの貯蔵庫。その全てのガンビラを焼き払った。これでもうこの町の人間達は、ガンビラを使用することはできないはずだ。だからといって、根本的な解決にはならないが。

結局のところ、町中に薬物が蔓延している以上、この町を根本から変えることはほぼ不可能。少なくとも今は。


メアリー・ヒルの解決策は、後にも先にもこの町で入手したガンビラの取引リストを精査し、しかるべき「機関」にリストを渡して、町の調査に乗り出してもらうことだ。



「…すみません、キーラさん。私、勝手な行動ばかりして。ジェイコブさんにも何度助けられたことか。」


「いいのよぉメアリーちゃん。私も仕事の間の″余興″として、少しは楽しませてもらったからねぇ。」


余興…やはりキーラにとっては、″戦闘″あるいは″殺し″は、そういう位置づけになるのか。もはや冗談のつもりで言ってるのかどうかもわからないが。


「それにねぇメアリーちゃん。″すみません″なーんて心にも思ってないことを、軽々しく口にしないほうがいいわよぉ?」


やはりキーラ・ハーヴィーという女性は、どこか油断ならない。その飄々とした言動の中に、人を見透かす鋭さもそなえている。

少なくともキーラは、メアリーという人物の

″まっすぐさ″に内包されている″独善的″傾向を感じ取っていた。


「まあこの町で一悶着あったせいで、大幅に時間をロスしたのは事実。先を急ぎましょう。」



キーラ達は、町の停留所に留めていた馬車に搭乗する。魔道士のサダムが、再度使い魔を召喚させ、使い魔が馬車を牽引した。


町を離れるキーラ達一行。もう夜明け近くになっていたが、なかなか闇は晴れなかった。ラスカーや騎士団達はあれほどの戦闘をこなした後だというのに、相変わらず一睡もとっていなかったが、ルークやメアリー、そしてマーカスは相当に疲労し、うとうと眠りについていた。


「…あの町の惨状は、ほんの一部でしかないでしょう。国境付近はあらゆる地域が不安定なため、どこで何が起きていても不思議ではありません。」


「…グレンヴィル騎士団長。この調子で、無事国境地帯を抜けられるのですか?やはり、ルートを変えて内陸部から首都を目指したほうがいいのでは?」


ビアンカ・ラスカーは、先刻の町のことだけではなく、東部に侵入してくる難民達のことも気がかりだった。

国境警備隊はともかく、難民達の一部が魔法を使えるのなら、彼らと遭遇した時とて危険かもしれない。


「…内陸部の最短ルートは、安全ではありますが、司法院や、大神院の手の者が多い。

彼らの検問にかかった時が、非常に面倒なのです。


東部国境付近では、治安が悪い分法治も行き届いてないので、″多少″問題を起こしても力技で押し切れます。しかし司法院となるとそうはいきません。危険を伴うとはいえ、やはり大神院の裏をかくという点では、この東部ルートのほうが最適なのですよ、ビアンカ・ラスカー。」


「グレンヴィル団長。国境警備隊はどうなのです?彼らと遭遇したら、また危険があるのでは?」


「…あの町で我々が襲撃されたのは、ガンビラの件に我々が介入したため、町の警備隊に襲撃されたという側面が大きいでしょう。他の警備隊がどこまで腐敗しているかは未知数ですが…必ずしも警備隊全体が、そうと言うわけではありません。ただ…」


「ただ…?」


「国境警備隊は基本的に、王室や騎士団を嫌っていますから。

シャーロット王女…王室政府としては、国境警備隊を再編したいという考えがあります。


しかし大神院がそれを妨害している状況です。なので東部国境を乗り越えてくる膨大な数の難民に対して、我々騎士団も部隊をいくつか派遣しているのです。

…我々からすれば、責めるなら王室や騎士団ではなく、大神院を責めてもらいたい所ですが。」


王室と騎士団。そして大神院。ラスカーは政治のことに精通しているわけではないが、その関係性は簡単に説明できないほどの複雑性を孕んでいるだろうことは、彼女にも理解できた。


世間的には、国政の実務を担っているのは″王室″であり、「大神院」の存在はベールに包まれている。だから、何かにつけて「表」に出てこない大神院よりも、王室とその配下たる騎士団達が、あらゆる批判の矢面に立たされやすいという事実がある。

しかし、「法」も「予算の承認」といった国家の「首根っこ」は大神院が握っている。その現状こそが、このエストリア王国を″捻れ″させているといっても過言ではない。


しかしやはり、ラスカーには単純な疑問がつきまとう。


「なぜ大神院は、王室のやろうとすることを妨害しようとするのですか?」


「…さあ。それは大神院に聞いてみないとわかりませんね。彼らの考えていることは、いつもわからない。」

グレンヴィルの言葉は事実かもしれないが、どこか話をはぐらかしているような気もする。そうラスカーには感じられた。


「…そろそろ、ラヴォーナ地方に入ります。ここは、国境警備隊の拠点がありますから。連中の基地には近寄らず、迂回ルートを通っていきましょう。」


ラヴォーナには、東部全体の国境警備隊を統括する本部基地がある。当然ながら、基地に近いルートはそれだけ警備隊の監視も激しい。なので、多少険しい道のりだが、警備隊の監視の目が薄い断崖ルートを通る。


「サダム大丈夫ぅ?結構険しい道だけど。」

キーラが使い魔を駆っている、魔道士のサダムに声をかける。


「…たしかに。道は狭いし、この蛇行っぷり。走破するのはなかなか骨が折れますが、どっちにしろここを通るしかないのでしょう?」


サダムがやや不満げに言うが、もうすでにそのルートを通ってしまっているので、今更引き返すこともできない。


「ごめんねぇサダム。後でご褒美のキスをあげるからねぇ。」

「…いりません、そんなの。」


キーラの冗談に、相変わらずサダムはつんつんとした言葉で返す。そしてキーラの傍で座っているジェイコブ・ウッズは、町での饒舌な一面は何処かへ。また元の「無口モード」に戻っていた。


「…でも、この断崖は危険ですね。少しでも道を踏み外したら下に落下します。もし敵の襲撃でもあれば…」


サダムの心配は、早くも的中することになった。



突然の爆発。



馬車は大きく傾く。


「———!!」


ラスカーは、咄嗟に動いていた。


彼女は、爆発によって馬車から身を放り出されるルークに覆い被さり、2人は崖下に落下する。落下の最中、ラスカーはルークを庇い、その体に強烈な岩の衝撃を受ける。


崖下に落下した時、ラスカーがルークを守ったことによって、ルークは軽傷で済んだが、ラスカーはその身に深いダメージを負っていた。


「ラスカー先生!!」


落下の衝撃からもルークを守ったラスカーは、立ち上がることもできず、苦痛の唸り声をあげていた。頭からは出血し、全身を酷く打ちつけている。


(先生が…大変だ…!どうしよう…!!)


しかし、まわりにルークとラスカー以外の姿はない。どうやら崖から落下したのは、自分達2人だけらしい。


(ラスカー先生を、手当てしないと…!)


ルークはまたしても、ラスカーに助けられた。また……



また、自分で自分を守ることができなかった。


その悔しさと、自分の無力さが、またしてもルークの心を押し潰そうとしていた。


(僕は…僕は…)


ルークはそれでも、行動しようとした。とにかく今は、ラスカー先生を助けなければならない。彼女を手当てしなければ。


ルークは自らの衣服の一部を破って、それを包帯がわりにラスカーの頭部に巻きつける。

ラスカーの意識は朦朧としていたが、幸い息はある。


(どこか安全な場所へ…)


ルークが彼女を運ぼうとした時。

またしても、試練が訪れた。


(誰だ…?)


ルークの眼前に現れたのは、汚しい身なりの、3人の男だった。


男達はルークを一瞥すると、いきなり大声でまくし立てるように、ルークに対して怒声をあげる。しかし、その言葉は、エストリア王国の言語ではなかった。


(まさか、難民…?)


彼らはどう見ても、国境を超えてきた難民達だ。

さっきの襲撃も、難民達の攻撃によるものだろうか。


ルークは、終始怒鳴り立ている難民達と、身振り手振りでなんとか疎通を図ろうとする。しかしそれは無駄な努力だった。


難民の男は、懐からナイフを取り出し、脅しつけるような口調でルークに叫び続ける。男の言葉は理解できないが、服を寄越せ、金目のものを寄越せ、と言っているように思えた。


「駄目よルーク…逃げて…」


ラスカーが声を振り絞って、ルークに呼びかけた。


「私のことはいいから…逃げてルーク。」



……逃げる?



(そんなこと…)



ルークは迷っていた。



(そんなこと、出来るわけがない…)



この危機的状況をどう脱したらいいのか。難民達はナイフを向け、今にも攻撃してきそうだ。対話は不可能。



(どうしたらいい…!)



魔法を使って彼らを脅すべきだろうか。しかし、もしまた魔法が暴走したら?


黒き魔法の暴走。そのトラウマは今もルークの心に刻みつけられている。それがルークの行動を抑制している。


ルークは思考するが、その最中、もう1人の難民の男が、ラスカーのほうに歩いていく。



(何を——)



ルークは戦慄する。その男は、ナイフを取り出していた。そして、ナイフはラスカーに振り下ろされる。



(駄目だ——)



ラスカー先生が殺されてしまう。今、魔法を使えば男を止めることが出来る。出来るのに、何を躊躇している?


しかしふと一瞬、ゲーデリッツ長官の言葉が、頭の中を駆け巡った。



《仕方がなかろうな。そう、君の言うように、″どうしようもなかった″ことだからな…》



《本当は心の中でこう思っているのではないか?…自分は悪くないと。》



僕はまた…言い訳をするつもりなのか?



ラスカー先生が殺されても、また「どうしようもなかった」って…自分に言い訳するつもりか?


なぜ…躊躇う必要がある?

自分は、何を恐れている?


自分の力で、人を殺めてしまうことを恐れているのか?大切な者すら守ろうとしていないのに?



(駄目だ…)


自分のくだらない矜持なんて、今はどうでもいい。ためらって、それでラスカー先生を失うぐらいなら…



(自分の手を汚すことを、恐れるな)




今度は、僕が助けないといけない。 


 


(やめろ…)



そしてルークは、行動する。



 


「ラスカー先生に、手を出すな!!」




「——っ!!」

ルークの声が響き渡った時、ルークの右手から赤い炎の渦が巻き起こる。炎は、ラスカーを刺そうとしてい男の全身を覆い、その体を焼き尽くす。


「ぎゃあああっ!!!」


男は叫び声をあげ、のたうち回る。


今度は前方にいた男が、ナイフを振り上げルークに飛びかかってくる。ルークは、再度炎の渦を発生させ、炎は男を焼き尽くした。



(そうだ、何を躊躇う必要があったのか。)



難民達は、ルークによる魔法での攻撃を受けて、その全身に浴びた炎の熱さと痛みで断末魔をあげ、絶命する。

「焼き殺される」という至極残酷な死に方ではあったが、今のルークには、そんなことはどうでもいい。


ルークはなおも、ゲーデリッツ長官の言葉を思い出していた。



《君に伝えたくはなかったが、あの黒き魔法のせいで、命を落とした者もいたのだよ》



そうだ、僕はもう既に「殺人者」だったじゃないか。レンバルト魔法学校の卒業式で魔法が暴走した時、僕は何人かを殺めてしまっていたんだ。長官にそう言われたじゃないか…


その言葉は真実ではなかったが、皮肉にもゲーデリッツ長官の「嘘」が、今はルークの行動のストッパーを容易く外していた。


(もう僕はとっくに、人殺しだったじゃないか。ならば僕は…大切な者を守るために、戦うことを躊躇う必要なんてないんだ。たとえそれが、相手の命を奪ったとしても…)


そしてルークは、今日2人を殺した。


(だが、あと1人いる)


3人いた難民のうち2人を始末した。



最後の1人の男。

男は片手を前方に突き出した。それは何らかの予備動作のように思えた。


(まさかこの難民の男、魔法を使う?)


ルークの予感通り、男は片手から巨大な炎の球体を発生させ、ルーク目掛けてその巨大な

″炎弾″を突き飛ばしてきた。ルークは攻撃を防ぐために、″水″で形作られる球体を発生させ、それを″炎弾″にぶつけた。炎と水がぶつかり、激しい衝撃音が発生する。


(この男は、魔法を使って危険だ。早く殺さなくちゃいけない。)


ルークは、再度魔法の攻撃動作に入る。しかし難民の男が、ルークが次の攻撃に移るよりも早く、ルークに突進してきた。


(くそ、間に合わない!)


男はルークに強烈なタックルをかまし、ルークの軽い体は岩の壁に激突する。後頭部を打ちつけたルークは、一瞬意識が飛びそうになり、頭が朦朧とした。


(まずい…!)


男は左手でルークの首を掴んで壁に押し付ける。そしてその右手には、またしても炎の球体を発生させようとしていた。ルークは抵抗しようとしたが、頭を打ちつけたせいでうまく力が入らなかった。


(殺られる…!)



男の魔法が、ルークを襲おうとしたその時、銃声が響きわたった。男の背中には、銃弾が撃ちこまれる。


突然の背後からの攻撃に、難民の男は叫び声をあげて、ルークのもとから離れて逃げ出す。


(助かった…?一体誰が?)


最初は騎士団のメンバーが助けてくれたのだと思った。

しかし難民を射撃した者の正体は、騎士団ではなかった。


「ひぃぃぃっ!!」


難民の男は、背中を撃たれながらも必死に逃げ出していた。しかし、「彼ら」は男を逃さなかった。

10名ほどはいたであろう銃手達。彼らの一斉射撃が、逃げようとしていた男の全身を貫く。難民の男は人形のように地面を転がって、一瞬のうちに絶命した。


男を射殺した兵士達。彼らが何者なのかは、ルークには理解できた。



(国境警備隊……)


しかし先刻の町にいた、バルデッリ達警備隊とは異なり、彼らの身につけている鎧は立派なものだ。今ルークの目の前にいるこの兵士達は、国境警備隊の中でも相当の精鋭部隊かもしれない。



そして警備隊の背後から、指揮官らしき男がこちらにやって来る。男は、毛並みの良い黒馬に乗っていた。


「…大丈夫かね、少年?」


その指揮官の男は、黒馬から降りてルークに手を差し伸べる。男は190cm以上はあろうかという長身で、その面長の顔には立派な口髭が蓄えられている。しかし顔面に残る大きな火傷跡の模様が、まさに歴戦の兵士を思わせる風貌だった。背筋の伸びた立派な体格からはわからないが、その渋く落ち着いた口調から、男は相当な高齢であるようにも思えた。


「…はい、なんとか。」


ルークは男の手を取り、立ち上がる。国境警備隊とはいえ、バルデッリ達と違って明確な敵意は感じられなかったが、それでも気を緩めてはならないことを、ルークはわかっていた。


「君は…いや、君たちはどこから来たのだ?この付近の住民ではないな?」

指揮官の男は、優しい口調でルークにそう尋ねるが、その言葉の裏には、ルーク達への警戒も見え隠れしている。


「まずは私から名を名乗ろうか。私はヴェッキオだ。アゴスティーノ・ヴェッキオ…

東部国境警備隊の全軍を統括している、総司令官だ。」


ヴェッキオ…

この男が、国境警備隊のトップ…

ルークは、背中に冷たい汗が流れ出るのを感じた。


「ヴェッキオ総隊長。残り2人の難民達は、息絶えています。…全身が焼け焦げています」

警備隊の兵士が、ヴェッキオに報告する。焼け焦げた2人の死体とは、ルークが殺した難民2人のことだ。


「…あれは、君が殺ったのかね?」


ヴェッキオがルークに尋ねる。隠し通す必要もないと思い、ルークは頷く。


「そうか。ならば君は魔法使いか。

見ての通りこの地域は、大勢の難民達が国境を超えて来る。いわば危険地帯だ。なぜ、この場所にいるのだ?ここで何をしようとしていた?」

ルークは、頭の中で必死に理由を考えた。どうにかして取り繕わなければ。


「…僕達は、国境付近の町に住んでいるんです。それで、都市部に住んでる家族が危篤だと聞いて、会いに行こうとしたんです…」


「この地域の住民?

はて不思議だな。君は魔法使いなのだろう?東部国境地帯に魔法使いは住み着かない。この地域の住民は、魔法使いをひどく嫌っているからだ。

もし東部国境地域に魔法使いがいるとすれば、それは越境して不法に住み着いた者か、難民保護施設から逃げ出してきた魔法使いか。そのどちらかだ…」


やはり、即席の嘘が通じるほど、単純な相手ではないようだった。


「見たところ君は…綺麗なエストリア語を話すな。難民ではないようだ。そちらの女性は?」


ヴェッキオは、岩場の壁にもたれかかっていれビアンカ・ラスカーを指し示す。ラスカーは落下の衝撃で、既に意識を失っているようだった。幸い呼吸はしている。


「彼女は…僕の、姉です」

またしてもルークはヴェッキオに嘘をついたが、今は嘘を貫き通すしかない。メアリーやマーカス、騎士団達の安否も気がかりだったが、今は国境警備隊に従わなければ、命はないだろう。


「そうかね…まあいい。とりあえず君達には、我々と一緒に国境警備隊の基地まで来てもらおう。」


…基地に連れていかれると、僕らはどうなるのだろうか?牢獄に入れられるのか、あるいは嘘をついていたことがばれたら、殺されるのか。

それはわからないが、今ルークの眼前にいる数十名の兵士たち。彼らは国境警備隊の精鋭部隊だろう。


いずれにせよ、今逃げて逃げ切れるような相手ではない。ラスカー先生も負傷している。今はまだ、ヴェッキオ総隊長に従うほかない。


ルークとメアリーは、警備隊達に連行される。数十名ほどはいる警備隊の兵士達は、ヴェッキオを取り囲むようにして、その荒涼とした道を前進していく。基地へ向かう道中、8名の難民達と出くわしたが、兵士たちは問答無用で彼らを″射殺″した。


「驚くことはない。…君達を見つけるまでも、今日は100名以上は始末した。国境を超えて来る難民達は、どんどん増えていく一方なのだ…」


ヴェッキオはルークにそう説明する。国境警備隊が、越境してくる難民を見つけ次第殺しているというのは、やはり常態化しているようだ。この地区だけではない。他の国境地帯も、そうなのだろう。


しかし、兵士達が今射殺した8名の難民の中には、子どももいた。…地域の安定を保つためとは言え、これは正しいことなのか?

ルークはそう思わざるを得なかった。


「君もわかっているかもしれないが…難民達の中には、魔法を使ってくる者もいる。

…だから、見つけたらすぐに殺す。それが味方を守る最善の手でもある。子どもだろうが女性だろうが、老人だろうが関係ない」


ヴェッキオは、老々としたその雰囲気から口調こそ落ち着いているが、酷く無機質だった。まるで、いっさいの感情が削ぎ落とされたかのような、人としての「何か」が抜け落ちたような…


それはキーラ・ハーヴィー副騎士団長に感じられるものと、同じような「冷たさ」だった。

表面をいくら取り繕っても、決してその人間が隠すことのできない、人形のような「冷たさ」。


願わくば、ルークは逃れたかった。

この老人の前から、今すぐ。

ヴェッキオは「必要」と判断すれば、即座にルークを殺すだろう。ヴェッキオは、そういう「類」の人間であることを、ルークは理解していた。本能的に。




束の間。国境警備隊の背後から、とある声が投げかけられた。その声の主は、難民ではない。


…それは紛れもなく、キーラ・ハーヴィーの声だった。


「ちょっとぉ、そこの一団、行進止めてくれなーい?」


その相変わらずの軽々しい口調は、少なくともルークの緊張を緩和させた。



「君は…キーラ・ハーヴィーかね。

エストリア騎士団の副団長が、ここで何をしている?」


ヴェッキオは振り返り、キーラに声をかける。


「任務よ、任務。

ヴェッキオ。あなたが今連行しているその少年と女性は…私の大事な客人よ。その2人をこちらに渡してちょうだい。」


キーラの側には、グレンヴィル達騎士団のメンバーに加え、メアリーやマーカス達もいた。馬車が難民達に襲撃された後、どうやら全員無事だったようだ。ルークは安心でほっと胸を撫で下ろす。


「キーラ・ハーヴィー。この2人が君の″客人″だと?それを信じろというのか?


…私が、騎士団の言うことを容易く信用すると思うのか?」


ヴェッキオは、キーラへの警戒を解かない。キーラも一才動じず、脅しつけるような口調で、ヴェッキオに伝える。


「…従わないなら、実力行使に出てもいいのよぉ?ねえ、今ここでやり合う?国境警備隊の″英雄″さん?」


それが、ヴェッキオ総隊長の別名。


″国境警備隊の英雄″…


そのどこか皮肉めいた呼び名に、ヴェッキオは自嘲するような口調で返す。


「住民達は、私のことをそう言うがな…

私は、たった一つの指令を下しただけだ。


″難民達への人道的対応はいっさい停止しろ。

そして、国境を超えて来る難民達は全員殺せ″


ただ、それだけだ。


それだけで私は英雄になった。だが、その指令が全てを変えた。


殺したい相手を…殺すべき相手を、

自分が″そうしたい″時にいつでも殺せる。そしてその行いを、誰にも咎められることはない。


難民を問答無用で殺すこと。これこそが、住民や国境警備隊たちが最も望んでいたことだ。…私は、その″ささやかな願い″を叶えさせてやっただけだ。


人がなぜ、怒りを心のうちに溜め込むかわかるか?


我慢するからだ。


自らを押し殺して人々は″思いやりのある善人″になろうとする。…最初のうちはな。


だが、もう十分だ。


難民達の流入によって、この地の安寧は脅かされ、我々は十分に苦しんだ。

後はもう…我々のやりたいようにするだけだ。


ここには、ここのルールがある。

我々は、君たちに従う義務もない」


ヴェッキオは、ルーク達を引き渡すことを拒否した。無論、そのために払う代償も大きいはずだが…


「そう…

それが、あなたの答えなのね…

いいわ。じゃあ、無理矢理にでもその2人を渡してもらうから…」


キーラはどこか嬉しそうだった。


なぜみんな、血を流すことを望むのか。


ルークにとはとても理解できない。理解できないからといって、彼はキーラを責める気にはなれないし、ヴェッキオを責める気にもなれない。


ルークだって、自分の″願い″のために、同じことをしたから。


(ラスカー先生を助けたかった)


そのために、彼は殺しを躊躇しなかった。難民達を始末した。


そして、魔法を使って難民達を殺した時…ラスカーを助けた時、ルークの心に生じたもの。それは、″高揚感″だったのだ。

自分のやるべきことをした。その「高揚感」

と「達成感」。それが意味することはつまり、「自らの手を汚す」ことよりも、「ラスカーの命を救う」ことのほうが重要であったということだ。

だからこそルークは、自らの魔法の力で、難民達を無情にも殺したことを、後悔などしてはいなかった。


「願い」は全てを超越する。「願い」を実行できる時、人の心は「解放」される。


だが…



(自分のしたことは、消えるわけじゃない)



「罪」は残る。それは永遠に。たとえどのような理由があろうと、人を殺めることは「罪」だ。


その償いを、いつかしなければならない時が来るのだろう。それは「死」を以ってか、あるいは「行い」を以ってか。



「全体、射撃体制を取れ…」


ヴェッキオが、兵士達に命令する。


キーラ・ハーヴィーは、剣を抜いていた。


また、多くの血が流れるのだろうか。




しかしもう、止めることはできない。

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