第10話 怒り

レンバルト魔法学校生徒の卒業式。その最中、突如として現れた、謎の黒い炎と霧。




「ルーク…!!」




その力の中心は、ルーク・パーシヴァル。


ルークを取り囲むように、燃え盛る黒い炎。その炎を中心に、黒い霧のようなモヤが、広間一帯を覆い尽くす。そして、揺らめく炎の中から聞こえる、謎の叫び声。


その叫び声はルークのものでも、ここにいる他の誰のものでもない。まるで地獄からやって来た使者の如く、耳を裂くような謎の″金切り声″が、その場にいた全員の脳を揺さぶる。


「ルーク、聞こえるか!魔法を止めろ!!」


レンバルト校長が、ルークに叫ぶ。


しかしルークにはどうすることもできなかった。突然湧き出したこの謎の″力″は、ルークに制御出来るものではなく、まるで…


まるで″力″そのものが意思を持って動いているかのようだった。やがてルークを取り囲んでいた黒い炎は、無差別に生徒たちを攻撃し始める。



「…危ない!!」


「きゃああああああ!!!」


炎が、まるで生き物のように、ゆらめき、うねり、その形を大きく変化させながら、大波のように生徒たちを襲う。


「アーサー!生徒たちを守れ!!」


ゲーデリッツ長官が、校長に指示する。レンバルト校長は、ルークに呼びかけを続けてももはや無意味だと判断した。この力は、ルークにも制御できていない。今は生徒達を守ることが先決だ。


しかし″黒い炎″から聞こえ続ける謎の金切り声は、その場にいた全員の聴覚を激しく刺激し、思考力を麻痺させていた。レンバルトは力を振り絞り、意識を集中させる。


(間に合ってくれ……!!)


レンバルトが両腕を前方に突き出すと、その両手の先から、″水″で組成された巨大な球体を発生させる。レンバルトはその″水の球体″を、生徒達を襲おうとする黒い炎めがけて放り投げる。水の球体は黒い炎とぶつかり、その衝撃で水が弾け飛ぶ。炎の勢いは一時的に弱くなったが、すぐにその形を再構成し、また大きな″うねり″となって生徒達に迫る。


「くそっ!」


レンバルトは逃げ惑う生徒たちの前に立ち、その炎を正面から受ける。


「これなら、どうだ!!」


レンバルトは両手を床につける。すると、床から巨大な氷の壁が発生した。天井高くまで発生した氷の壁は、黒い炎による攻撃を防ぎ、それが生徒たちの逃げる時間稼ぎとなった。


「ゲーデリッツ、動けるか!?」

「…ああ、なんとか。あの耳に響く、得体の知れない金切り声のせいで、思うように体が動かんがね…」


「私がこの炎を防いでる間に、生徒達を誘導して避難させてくれ!」


「…わかった。お前も死ぬなよ、アーサー。しかし、あの少年を止めないことには、どうにもならんぞ」


黒い炎は、ルークを起点に、まるで彼を台風の目のようにしながら、巨大な渦を形成している。その現象こそ、この謎の力がルークによる魔法の力であることの証左。


ルークが力を制御出来ていない以上、この魔法を止めるには、ルークを直接無力化するしかない。しかし、レンバルト校長は生徒達を守るので手一杯であるし、他の先生たちも、あの黒い炎から自分達を守るので手一杯であるようだった。


「早くこっちへ!みんな逃げるんだ!!」

ゲーデリッツが生徒たちを出口へ誘導する。


しかし、逃げ遅れた生徒がいた。


「早く逃げないと、あの炎に呑まれちまう…」

「ごめんモーフィアス…頭がフラフラして、ろくに足も動かないの…」


魔法学校生徒のモーフィアスとローラだった。ローラは″金切り声″のせいでうまく動けず、モーフィアスにその体を預けている。しかしモーフィアス自身も、その金切り声のせいで相当に肉体が麻痺していた。


「駄目だ…もう動けない…」

2人はとうとう力尽き、その場に倒れ込む。


「私たち、ここで死ぬのね…」


死を覚悟した2人に、″黒い炎″の波が迫る。



——刹那、水の弾け飛ぶ音がした。


「——!?」

ローラとモーフィアスが、炎に呑み込まれる直前、2人の前に出現した″水の壁″が、炎を防いでいた。それは水の力を使った、防御の魔法。


「ラスカー先生…!」

その水術魔法で2人を救ったのは、ビアンカ・ラスカーだった。


「大丈夫?早く逃げなさいあなたたち。でも、体がろくに動かないようね。リーベルト先生、この子達を頼んでいいですか?」


ラスカーは、まだ辛うじて動けていた他の教員—アルヴァン・リーベルトに、ローラとモーフィアスの保護を頼む。


「ああ、この2人は私が避難させよう。ラスカー先生、生徒達が皆逃げ延びたら、君も早く逃げなさい。」


「…いいえ。私には、やることがありますから。」


「それはどういう…

まさか、ルークを止めるつもりか?」


リーベルトの問いに、ラスカーは無言で頷く。


「ルークは今、この大規模な魔法を展開しているにも関わらず、その止め方がわからないようですから。だから、彼を直接無力化します。本人が気絶すれば、この魔法の力は止まるはずです。」


「…危険すぎる。ルークを取り囲む、あの炎の渦に近づくのさえ困難だ。下手をすれば、死ぬぞ?」


「…死ぬのは、怖くありません。

でもこのままルークがあの規模の力を展開し続ければ、彼自身が死んでしまうかもしれない。そのほうが、私には耐えられませんから…今ここで止めないと。」


「…わかった。では幸運を祈る」


リーベルトもそれ以上は何も言わなかった。彼女は強情で、自分がそうと決めたことは譲らない。たとえそれが、自らの命を懸けたことだとしても…


「ではリーベルト先生、2人を頼みます」







「くそ…!」


レンバルトは生徒達が逃げる時間稼ぎをしていたが、無数に蠢く大蛇の如く、黒き炎はその形を変質させ、勢いを増し続ける。

自分1人ならいざ知らず、体が麻痺している生徒たちを守り、避難させるのは極めて困難を伴うものだった。


校長は、氷術や水術を用いた防御の魔法を駆使し、炎を無力化していくが、一度消失した黒き炎は何度も再構成され、止むことのない攻撃を、校長や生徒たちに加え続ける。


(これではきりがない…!やはりルーク本人を止めないと…!)

レンバルト校長は思案するが、炎による怒涛の攻勢は勢いが収まる気配がない。と、その間、レンバルトは黒い炎の渦の中心部——その渦の中心に向かって、ビアンカ・ラスカーが疾走していることに気づく。


(やはり…)


レンバルト校長はラスカーに全幅の信頼を置いていた。このような窮地においては、戦況を打開する人間が必ず必要だ。


(やはり頼りになるのはお前だな…ラスカー)


レンバルトは、ラスカーがルークを止めてくれることを信じて、自らの戦いに集中する。


(生徒を守るのは、私がやる。ルークを救うのは、お前にまかせたぞ、ラスカー)





ビアンカ・ラスカーは、ひどく冷静だった。


生徒たちはおろか、魔法学校教員の魔導士や、他の大人たちが、恐怖と混乱に見舞われパニック状態になっている中にあっても、ラスカーの頭は、冴えきっていた。


耳を裂くようなこの正体不明の金切り声や、周囲一帯を覆っている黒い霧やモヤは、たしかにラスカーの動きを制限していたが、ラスカーはそもそも、魔法使いとしての能力意外も、非常に秀でていたのだ。戦闘時における判断力、瞬発力、身体能力。

おおよそ多くの魔道士が″軽視″しがちな要素を、ラスカーは備えていた。

そもそもの話、魔道士は戦闘員でもなければ兵士でもないので、多くの魔法使いが″戦い慣れ″してないのは、当然と言えば当然の話なのだが。


迫りくる黒い炎の数々を、ラスカーは魔法も使わず、いとも身軽にかわしていった。

ラスカーは極力、不必要に魔法の力を使おうとはしない。魔法を使えばそれだけ体力の消耗も激しくなり、自分の限界容量を超えた魔法を使えば、最悪の場合″死″に至ることだってある。


無論、魔法が使える「限界容量」とは個人差があり、その容量がとれほどなのかは訓練をした者だけが「肌感覚」でわかるというもの。だから魔法使いの初心者は、自分の「容量」がどれくらいかわからず、不必要に魔法を使いすぎて、疲労感ですぐに動けなくなる。魔法学校を卒業できるほどの者ならば概ね、自分の魔法使用量の限界点がどれくらいかは、肌感覚でわかっているが。


レンバルト校長のように、大規模な魔法を長時間継続的に使える魔道士は、それだけ魔法を使える肉体の「容量」が大きいということで、魔法使用による「疲労」も起きにくい。


ラスカーは、生き物のように迫りくる炎の攻勢をかわしながら、その炎の発生源——ルークを取り囲むように渦を巻いている炎の元へと近づく。炎の渦の隙間から、ルークの姿が僅かに見えた。


「ルーク!」


ラスカーはルークに声をかける。


「ルーク!聞こえる!?」


しかし反応はない。どうやらルークに声は届いていないようだ。あるいは、言葉を返せないぐらいのまずい状態になっているのか…


(仕方ない)


返事がないなら、ルークそのものを無力化する。ラスカーは右手に意識を集中させる。


その右手から閃光が上がったかと思えば、雷を帯びた球体が発生した。ラスカーはその雷撃弾を、ルークを囲っている炎の壁に目掛けて、突き出す。

雷撃弾は、まるで大砲の如く炎目掛けて飛んでいく。雷撃が炎とぶつかり、雷と火の混じった巨大な爆発が起きた。



(……駄目か!)


だがラスカーの攻撃で、炎の壁を破ることは出来なかった。どころか、びくともしていないようだ。


(あの炎の中に直接飛び込む?でもどうやって…)


ラスカーは、再び迫りくる黒き炎の攻撃を避けつつ、思考する。何か打開策はないか…?






ルーク・パーシヴァルは、自らの体から発生した、この″謎の力″に対して、理解することはおろか、もはやその思考すら外界から遮断されつつあった。


(助けて……!)


身動きすら取れないルークを囲むように渦を巻いている、謎の黒い炎。その炎は時に揺らめき、時に「人の形」をつくっているように見えた。それはほんの一瞬で、残像でしかなかったが。


そしてルークには、周囲の状況がどうなってるのかすらわからない。ルークはもはや意識酩酊状態で、体の自由も、精神の自由も奪われて、僅かに認識できることは、目の前に揺らめく黒い炎と、時折り垣間見せる黒い人間のような″影″。そして耳に直接語りかけるような、″ささやき声″。


…その声は誰のものかすらわからないし、何を言っているのか解することもできない。おそらくこれまで感じたことがないほどの恐怖感が、ルークの感覚を支配する。


(誰か助けて…!)


ルークは心の中で祈ることしかできなかった。



(助けて……ラスカー先生……!!)





ラスカーは、炎の渦の中に入る方法を考えていた。

(炎を無力化できないなら、どのみちあの炎の中にいるルークに、直接近づくしかない)


だがルークの周囲には、外部の侵入を一切許さないように、蠢く炎が囲っている。


ラスカーはそれでも、冷静に状況を分析する。

ルークを取り囲む黒い炎は、竜巻のように渦を巻いているため、側部からの侵入は不可能。だが、ラスカーは炎の渦にある「死角」を見逃さなかった。


(側面が駄目なら…上が手薄ね…)


つまり、炎の渦の天井部分。そこが一部空白になっている。そこから侵入が可能だ。


(そうだとわかれば)


ラスカーの行動は早かった。彼女は両足に力を入れると、その足裏から電気が発生。彼女は足に力を入れて、その電撃の反動で思い切り跳躍する。


雷術の魔法を利用した、高い跳躍。


天井高く飛翔するラスカー。そして彼女は、天井まで斜めに跳躍すると体を反転。その無茶な姿勢で、天井を蹴りつける。雷術を利用した瞬時の移動に、ひしめく炎の手は彼女を捕らえることができず、ラスカーは炎の死角を突破し、ルークの付近へ落下する。落下の際氷術魔法を利用して、床の一部を凍らせ、ラスカーは滑るように床に降り立ち、落下の衝撃をそれで緩和させた。

まったくもって無茶な芸当だが、ラスカーの魔法能力と運動能力たがらこそ、成せるわざだった。


炎の渦の内部。さしずめ″台風の目″に降り立ったラスカー。眼前にはルークがいた。ルークは身動きが取れなかったが、目の前に降ってきた人物が、ラスカー先生だということは認識できる。しかし残念ながら、会話をしている暇はない。


「ラスカー先…」

「ごめんなさいルーク、眠ってもらうわよ」


ラスカーにとっては、ひとまずルークを無力化して、彼の魔法を止めることが最優先事項。ルークがラスカーの名前を呼び終わる前に、ラスカーはルークの頭を片手で鷲掴みにし、そのルークの頭に強力な電撃を浴びせる。


「うぅ……!!」


ルークはラスカーの電撃技を受けて、意識を失い倒れ込んだ。



ルークが倒れ、同時に広間を覆っていた霧は晴れ、黒い炎もその力を失って、みるみる縮小。やがて炎は霧散し、その形を失う。

あの″金切り声″も、いつのまにか消えていた。


「やった、のか…」


校長が呟く。それは疑問というよりも、確信。ラスカーが、ルークを止めるのに成功した。

ルークは意識を失い、気絶している。


「はぁ…はぁ…」

戦闘中は、その片鱗を見せなかったとはいえ、ラスカーも相当のエネルギーを使っていたので、息を切らしている。


ラスカーの元に、レンバルトが駆け寄る。


「大丈夫か?ラスカー」


「校長こそ、自分の心配をしてください…もう若くないのですから…」


「それぐらいの軽口を叩けるようなら、まだ大丈夫だな…」


ルークが発動させた魔法は解け、広間には灯りが戻る。校長の尽力もあってか、幸い死者はいない。だが重症を負った者は大勢いた。


「先生、大丈夫ですか!」


生徒のモーフィアスが、リーベルト先生に声をかけている。リーベルトはあの後、モーフィアスとローラを守りつつ、2人を出口まで避難させていたが、途中黒い炎を体に受けて、背中から胸部にかけて大きな火傷を負っていた。


「ごめんなさい…私たちが足手まといだったせいで…」


ローラは泣きながら、リーベルトに謝る。


「泣くんじゃない…生徒を守るのが教師のつとめだ。みな命を落とさずに、生きている。それでじゅうぶんだ…」


リーベルトはそう言いつつも、火傷の痛みで声を出すのも辛そうだった。




「動ける者は、負傷者の手当てを!」


ゲーデリッツ長官は指示しながら、レンバルト校長とラスカーの元に駆け寄る。


「アーサーも無事だったか!いやはや、いい加減死んだものと思っていたがね、はっはっは!また生き長らえたな!」


「その言い草はないだろうゲーデリッツよ…私も命懸けだったんだぞ…。今度ワインを奢ってもらうとしよう。…お前にな。」


ゲーデリッツとレンバルト校長の皮肉まじりの会話は、ある意味この2人の余裕を感じさせる。


「ラスカー先生、君もよく頑張った。あの炎をかいくぐり、ルーク君を止めたのは君だろう?」


「私のことはいいんです、長官。ルークを、この子を早く運ばないと…」


「そうだな…しかし、今は気絶しているが、彼が再び目覚めた時、またこのような事態が、2度と起きないという保証はない。


…″あのような″魔法は、これまで見たことがない。


ルークの意思に反して、暴走した魔法なのか…?

これはいろいろと面倒なことになりそうだ…」


「…でしょうね」


ルークは担架に乗せられ運びこまれる。ラスカーはその様子を心配げに見守っていた。

…そんなラスカーの背後に、意外な人物から声がかかった。


「おやおや無事でしたか?ラスカー先生」


「…ベルナール副校長」


やや上擦ったような大袈裟な声で、ラスカーに話しかけるベルナール副校長。


「…ルーク・パーシヴァルに随分とご執心のようだな。」


「彼は、私の生徒ですから…助ける義務があります…… 副校長は、今までどこに?」


「私は自分の身を守るので精一杯だったよ!…君のような、魔法の力を持っていないのでね。私にはどうしようもできなかったよ!」


副校長の、上擦ったわざとらしい口調は、ラスカーにとっては不快だった。だから、彼女は一刻も早く、この副校長の元を離れようとする。


「…そうですか。お怪我はされてないようで、何よりです。では失礼しま—」


「なぜ、ルークを放っておかなかった?」


ラスカーを引き止めるように、声をかける副校長。


「…それは、どういう意味でしょうか?」


「わざわざ彼を救う必要はなかったはずだ?

あれだけ大規模な魔法を発動させていれば、そのうちルークは肉体の限界を超え、自滅していたはず。」


「…それでは、ルークが死んでしまいます」


「死なせればよかった」


「………!!」


ベルナールの発言に、ラスカーは絶句する。そして自分の中に、″怒り″という感情が湧き上がってくるのを、感じていた。


「あんな危険な力を発動し、制御できていなかった者を…救う必要などなかったのだ。…死んで当然だ」


「……言うな」


(駄目よ、抑えて)


「そうまでしてルークを救う。…教え子への愛、というやつか?だがやつは…ルークはきっとまた同じことを繰り返すぞ。いつかまた制御不能に陥って、その恐ろしい力で誰かを殺すのだ。だからここで、死なせるべきだったのだ!」


「…それ以上、言うな…!!」


気がつくと、ラスカーは副校長の胸を掴み、壁に押さえつけていた。左手で副校長を押さえつけ、右手には電撃の閃光が走る。ラスカーの顔は、怒りに震えている。



「……ラ、ラスカー……!私を、その魔法の力で殺すかね……!?」



「はぁ…!はぁ…!」


(駄目よ、抑えて)


ラスカーは自分に言い聞かせる。その僅かな理性が、ベルナール副校長に対する攻撃を、″かろうじて″制御していた。


「やるがいいさ…!私を殺せばいい!それが君の正体だ!!

無抵抗の人間に、魔法を使ってはいけない…頭の中ではわかっていても、怒りで我を忘れ、今私に魔法を使おうとしている!!」


「違う…私は…!!」


(怒りに身を任せては駄目)


ラスカーはなんとか、理性を保つ。



「私は…あなたの挑発には乗らない」


ラスカーは副校長を離し、彼を解放した。


「…非礼をお許しください、副校長」

それだけ述べ、今度こそラスカーはベルナールの元を離れる。


「それで済んだつもりか?」

ベルナールはなおも言葉を続けるが、ラスカーは振り向かないように歩き続ける。


「″魔法抑止法″がどれだけ優れた法律でも、

″理性″までは止めることはできないのだ!

君は今、私を殺そうとしたんだからな!!少しはわかったはずだ!」


しかしその言葉は…ラスカーの精神を爛れさせるには、十分だった。


「自分の力の恐ろしさを…!!」


ベルナールの言葉は、ラスカーに胸に痛く響いた。

副校長に雷撃の魔法をかけようとした時、副校長の顔に一瞬浮かんでいた表情…

それは、まるで人形のようだった。あらゆる感情を失い、目は生気をなくしていた。それは、恐怖の表情。私に対する、恐怖。


(私は——)

もう少しで、副校長を殺してしまうところだった。



「…どうしたね?ラスカー先生。浮かない顔をして。」


ゲーデリッツが、ラスカーに話しかけてくる。


「あ… ゲーデリッツ長官」


「…またなにか、心配事でも?」


長官が尋ねるが、ラスカーは沈痛な面持ちで…言葉を返す。


「私はまた…しくじりました。」


「何を、だね?」



「副校長を……魔法の力で殺そうとした…


彼は、ルークを放って死なせれば良かったと言って…それで私、頭に血がのぼって…」


ラスカーの言葉を傾聴するゲーデリッツ長官は、やはり優しい言葉で、彼女に言葉を返す。


「…だが、やらなかったんだろう?」


「…はい……」


「ならば良いではないか。それが君の強さだ」


長官の言葉にラスカーは安心感を覚えるが。それでもやはり、自分のことを許すことが出来ない。


「いいえ…もっと感情を制御すべきでした…私は、教師なんですから…」


「そうやって自らの行動を省みて、傷つくことが出来る。それは、人間にとって大切なことではないかね?」


「それは…」


それでもゲーデリッツは、″そんな″彼女を受け入れるように、優しく語りかける。


「君の今の感情は、まぎれもなく君を成長させる。今のこの″感情″を忘れなければ、もしまた同じような状況が起きた時に、この″感情″が、君に答えをくれるはずだ。」


「…そう、ですね」


「″逃げないで欲しいんです…哀しみや苦しみに、向き合ってほしいんです。哀しみや苦しみから逃げずに立ち向かったあなたの感情は、紛れもなく…あなたを成長させ…あなたという人間を形作る、一部となります。

向き合うことで、あなたは強くなれる。″」


突然そう言うゲーデリッツに。ラスカーが驚きの表情を見せる。


「え…?」


「ラスカー先生。卒業式の祝辞で、君が生徒たちに述べた言葉だよ。もう、忘れたのかね?」


ラスカーの顔には、自然と笑みがこぼれていた。

















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