第5話 暴走
人身売買の現場を目撃したルークは、ジョージに見つかり窮地に陥る。
「お前…どうしてここに…」
ルークは戸惑いながらも、驚愕の表情を見せるジョージに声をかける。
「ジョージさん…」
ルークの声色には、困惑と不安、そして絶望が織りまぜられていた。
「なぜなんです」
「………」
「なぜ、こんなことを…」
「それを、俺に聞くか?」
しかしジョージは、少年とは対照的に、あくまで冷静な口調で返す。
「なぜか、って?わかるはずだ。いやわからないかな。ルーク。お前が見てる景色と俺が見えてる景色は違うんだ。」
「あなたが見えてるもの?そんなの…わからないですよ……わからないよ…!」
「暗闇だよ。永遠に光の差し込まない暗闇。それでも…それでも俺にはまだ仕事があった。運び屋家業は俺の人生そのものだ。
だがそれすら奪われた…!」
「奪われたって… 一体誰に……!?」
「わからないか?魔法使いだ!!
やつらは魔法の力を…使い魔を使って、俺たち普通の人間に出来ないことをやってのける!俺のところに仕事の依頼は来なくなった!」
「だから生活のために、こんな違法行為に手を染めたのですか!そんなの間違ってる!!」
ルークは感情が昂っていた。怒りと悲しみで。それはジョージが人身売買に関わっていたというショックからなのか。あるいは、(魔法使い)である自分すら否定されたような、拒絶の言葉をかけられたからなのかすら、わからない。
…確かなのは、今ルークの心は酷く爛れて、深く抉られていた。
「仕事がないなら、村を離れたらいい!みんなを騙して、犯罪行為を続けるぐらいなら!!」
ルークのこの言葉は、ジョージの胸に刃を突き立てた。
「村を離れたらいい、だと…?」
ジョージの顔には、怒りが滲み出ていた。
「俺はあの村で生まれ、あの村の教会に通い、あの村で妻を持ち、そして…妻を看取った…!」
ルークは、自分が取り返しのつかない言葉を彼にかけてしまったのだと、自覚する。
「なぜ俺が村を離れなくちゃならない…!?後からのこのことやってきた魔法使いどもが、俺の仕事を奪い、村に居座り、なぜ俺が!!あの村にずっと住んでいた俺が、村を離れなくちゃならないんだ!!!」
ジョージの怒声にルークは怯み、そして彼の心もまた、底なしの暗闇に突き落とされそうな気分だった。ジョージの苦しみ、怒りは、ルークが受け止めるにはあまりに重かった。
「お前にもわかるはずだ!故郷を離れることがどれだけ辛いかを…!」
故郷……?
ジョージの言葉は、ルークの心の深淵に鈍く響いた。
「母親や父親が!俺を産み落としてくれた大切な土地だ!その重さをお前に理解できるのか?」
母親…?父親…?
ルークの心に黒い(何か)が沸々と沸き上がってくる。
もうやめて…
「大切な人の魂が眠っている、俺の村だ…!!」
大切な人…? 苦しい…!
もうやめて…! これ以上言わないで…!!
「魔法使いは嫌いだが、お前のことは気に入ってたんだよ。だが…」
ジョージをナイフを取り出し、おもむろにルークに近づく。
「真実を知られた以上は、生かしてはおけない。」
ジョージは左手でルークの首を掴み逃げられないようにする。
憔悴しきったルークは、もはや抵抗の意思も示さない。そして右手に持っていたナイフを、ルークの喉元に突きつける。
「死ね」
(あ………)
今殺されるんだという恐怖。
ルークは正気に戻る。
抵抗しなければ。
しかしこの死の間際にあっても、彼の頭によぎったのは、
(僕は魔法を使っちゃだめなんだ)
「うわああああ!!!!」
絶叫。そして流血。しかしその血は、ルークのものではなかった。
ジョージの血だった。
一瞬何が起こったのか理解できなかったルークだが、すぐに状況を理解した。
およそ大人の人間サイズほどはあろうかという狼が、その強力な牙でジョージの肩に噛み付いていたのだ。
「ルーク、大丈夫か!!
助けに来たぞ!!」
声の主は、親友のスヴェンだ。ジョージに噛み付いている狼の正体は、おそらくスヴェンが召喚した使い魔…
「スヴェン、どうして…」
「お前の後をつけてきたんだよ!俺に一言もかけずに単独行動しやがって!!俺ら友達じゃなかったのかよ!」
ジョージは狼に噛みつかれ、痛みに悶えている。
「途中で馬車を見失っちまってな…だからここを探すのも手間どった。」
「でもスヴェン、僕は君を巻き込まないように…」
「お前なぁ!俺がいなけりゃお前死んでたんだぞ!!」
スヴェンが叫ぶ間、ジョージはナイフで、スヴェンが召喚した使い魔の狼に応戦していた。
「この魔法使いが…邪魔をするなぁ!!」
狼の首に、ナイフが突き刺さる。
「グオオオオン…!」
狼が苦痛の叫びをあげる。
「頑張れ!俺の使い魔!!」
狼も力を振り絞って応戦する。ジョージが再びナイフを振りかざす。しかし狼は、ナイフが振り落とされる腕に噛みつき、その腕を一気に食いちぎった。
「ぎゃあああああ!!!」
ジョージの叫び声が響く。
「もうこれであいつは応戦できない!よくやった俺の使い魔!もう十分だ!」
しかし狼は、主の命令を聞かなかった。無抵抗のジョージに、さらに攻撃を加える。ジョージの首に噛み付いていた。
「ひぃぃ…!た、助けてくれ…!!」
「もういいんだ使い魔!攻撃を止めろ!!」
しかし、狼は主の命令を聞かず、ジョージの首を噛みつき続ける。
「使い魔が、言うことを聞かない…!このままじゃ…」
ジョージが死んでしまう。
「術を解きなさい!!」
突然現れた、女性の声。その声の正体は、ルーク達の担任教員である、ビアンカ・ラスカーだった。
「ラスカー先生!」
「どきなさい」
ラスカーは、制御不能に陥った狼のまえに立つ。そしてその右手から、鮮やかな閃光が走る。閃光は弾け、彼女の右手からは狼に向けて一筋の雷撃が放たれた。雷は狼に直撃し、狼は一瞬で機能を停止。ぴくりとも動かなくなった。
「凄い…これが雷術魔法ってやつか…」
スヴェンは感嘆の声をあげるが、ラスカーは彼に冷たい視線を浴びせる。
「使い魔が制御不能に陥った時は、召喚の術を解除し、使い魔を消失させる。これは基本中の基本ですよ。
…まあそんなことよりも、いろいろと追及しなければならないことが、山ほどあるようです。」
ラスカーの言葉は、明らかに厳しさを含んでいて、ルークとスヴェンは一瞬怯んだ。
「先生、どうしてここが…?」
「わかったのか、ですか?
…5時間ほど前、村人から通達があったのです。深夜に村を抜け出した生徒たちがいたと。」
「どうやってこの場所を…?」
「…嗅覚の発達した使い魔を使役する教員に協力してもらいました。あなた達の私物から、あなた達の匂いを使い魔にたどらせたのです。そして先程ここを発見し、いざ来てみればこれは一体、どういうことなのですか?」
「先生、事情は後で話します!でも今やらなければならないことがあるんです。
人身売買のブローカーが、さっきここから南の方向に向かいました。彼らは子ども達を誘拐しています!手遅れになる前に、奴らを捕まえないと!」
「治安維持部隊に通報している暇はなさそうですね… わかりました。私が彼らを捕まえます。あなた達はここにいなさい。そしてあの男性の手当てを。出血が酷いから、早く止血して。」
「わかりました。」
「後でまた会いましょう」
そう言うとビアンカ・ラスカーは、自らの使い魔を召喚する。右手を上げると、無数の銀色の結晶が、渦を巻いて地面を覆いつくす。結晶の渦がやむと、そこには双翼を持つ、白銀の首長竜が現れていた。美しさと気高さ、そして力強さを兼ね備えたその使い魔は、ルークとスヴェンを魅了した。
「なんだこの使い魔…すげー綺麗だ…」
「頼むわ、アーク」
アークと呼ばれたその白銀の竜に、ラスカーは飛び乗る。そして一気に飛翔し空を駆けて行った。
「頼みます、ラスカー先生…」
ルークとスヴェンは、ジョージの手当てを行う。出血箇所を圧迫止血し、包帯を巻く。
「なんで、俺を手当てしている…?俺は、お前を殺そうとしたんだぞ、ルーク…?」
「そうですね。でもあなたを、死なせはしません。助けます。だって…」
ルークは手当ての手を止めず、ジョージの腕に包帯を巻き続ける。
「ジョージさん、僕たちに食事を作ってくれたから…」
「……本当に馬鹿だよ、お前は…」
ラスカーとアークは、南を突き進む。
ルークの言っていた犯罪者集団は、もう遠くに行っているだろうか?この岩場の険しい道に、人の往来はほとんどない。ならば複数の馬車が走っていれば、明らかに目立つはずだ。
(————見つけた!)
並列に走る4台もの大型の馬車。あれがきっと、例のブローカーの馬車。
殲滅するのは簡単だが、馬車の中には子ども達がいる。子ども達を危険に晒すわけにはいかない。
(あの真ん中を走っているのが、積荷を積んでるわね。周りを囲む3台は、おそらく護衛。)
ならば、あの3台から先に始末する。
「ボス、ボス!大変だ!」
「なんだやかましい!」
「9時の方向に、白い竜がいる!」
ブローカーのボス、クルーガーは異常に気付く。
「あの竜は…人が乗ってやがる。あれは使い魔だ。
…ならあいつは魔法使い。
…警備隊か?いずれにせよ、俺たちを狙っているのは確かだ。」
クルーガーは部下に命じる。
「お前ら、あの竜を撃ち落とせ!」
「了解だ!ボス!ってうわあああ!!」
クルーガーの部下たちが、射撃体制を整えるよりも早く、ラスカーが先手をうつ。ラスカーの使い魔″アーク″が、馬車から10メートルほどはあろうかという距離を、その驚異的なスピードをもって一瞬で接近。
馬車に体当たりした。
クルーガーの部下が乗っていた馬車は、一瞬にして破壊され横転する。
「まず1台」
護衛車は、残り2台。しかしクルーガー達も反撃する。馬車に乗っていた部下たちが、アークめがけて一斉に射撃を開始する。その射撃に対して、アークは空中で回転しながら、アクロバティックな飛行でその銃弾の雨をかわした。
「おいおい、なんだあの竜!すげー動きしやがるぞ!!」
クルーガーは、まるでショウでも観てるかのように興奮していた。
アークは、護衛車2台に並列しながら接近する。
「お前ら、撃て!撃て!」
アークは射撃が来るよりも早く、護衛車に向かって、真っ白な息を吹きかける。それは息というよりも、対象を一瞬で氷漬けにするブレスそのものだった。これで護衛車は残り1台となった。
「お前ら、あの竜に息を吹きかけられたら、一瞬で氷漬けにされちまうぞ!やつを馬車に近づけるな!」
怒涛の一斉斉射。相変わらずアークは、その身軽でスピーディーな動きで、銃撃を容易くかわす。そして横回転しながら再度護衛車に接近、その長い尻尾で横一閃。馬車を横転させた。
「使えねえ部下達だな!!」
アークに弄ばれるかの如く、護衛車はあっと言う間に全滅した。残るのは本命、クルーガーが操っている馬車だけだ。しかし積荷には子ども達がいる。迂闊に攻撃するわけにはいかない。
———どうする?
「アーク、あの馬車の御者の真上へ行って。私があの男を直接始末するわ。」
(クゥ——)
アークは、同意したという意味合いの声をあげる。そして、クルーガーのいる御者席に接近する。
「はっはぁ!!この馬車は攻撃できねえだろ!子ども達が乗ってるんだからなあ!!」
「そうね。だからあなたを始末するわ」
そう言うとラスカーは、使い魔から、クルーガーの真横へと飛び降りた。
「なっ!?」
クルーガーは銃をラスカーに向けるが、彼女は銃を蹴り上げて、逆にクルーガーの銃を奪った。
「馬車を止めて」
銃を奪われたクルーガーは、ラスカーに銃口を向けられ、大人しく従う。
「積荷の鍵を開けて。」
「嫌だと言ったら?」
「この場で殺すわ」
「おーこわ。あんた魔法使いだろ?無抵抗の人間を魔法で殺すのは、重罪だぜ?」
「大丈夫よ。魔法は使わずに、この銃であなたの頭を撃ち抜くから。」
「へへ…食えねえ女だ…」
クルーガーは軽口を叩きながらも、ラスカーに逆らうつもりはなかった。
(この女は本気だ。迂闊なことをすれば、本当に俺のことを殺すだろう。)
「なあ姉ちゃん、見逃してくれねえか?金なら持ってんだ。いくら欲しい?」
「ワイロなんて、私には通用しない。」
「おいおい冗談だろ?この地方の警備隊で、ワイロが通用しないなんてあんたぐらいじゃねえか?」
「私は警備隊じゃないわ。…ただの、教師よ。」
(教師…?そのわりには、えらく戦い慣れしてやがるが…)
「ご協力、感謝します。ビアンカ・ラスカー様。私はこのジョバール郡の警備隊隊長です。このクルーガーという男の身柄は、後は我々警備隊が責任を持って引き受けます。」
「警備隊長。このクルーガーという男は大規模な子どもの人身売買に関わっていた可能性があります。司法院に早急に連絡すべきです。」
「中央に移送するので?」
「大規模な犯罪に関わっている可能性があるため、首都アルベールに移送すべきです。そこで司法院の判断を待つ。こんな地方に留めておいたら、すぐにでも自由の身になるかもしれませんから。」
ラスカーの言葉に、警備隊長は不穏な声を出す。
「言ってる意味がわかりませんな。」
「ジョルバールの警備隊は、この男からワイロを受け取っている可能性がある。つまり、あなたたちのことです。」
責めるように強い口調で言うラスカー。
「…冗談きついですよ。そんな証拠でもあるんですか?」
「このクルーガー自身が、そう言っていたからです。」
「そ、それは…」
警備隊長は、激しく動揺する。
「だから、あなたたちに任せていたら、この男からワイロを受け取って、クルーガーは自由の身になるかもしれない。
…そうですね。この男の処理は、あなたたに頼むのはやめにします。騎士団にこの男の移送を頼むことにします。」
「な…!わざわざ犯罪者の移送のために、騎士団がこんな地方に来るはずありませんよ…」
「それについては問題ありません。レンバルト魔法学校からの依頼だと言えば、騎士団も対応してくれるでしょう。」
あくまで冷静な態度のラスカーに…
警備隊長は吐き捨てるように言葉を放つ。
「はっ、魔法使い風情が偉そうに…なら勝手にしろ。正義の味方を気取っても、何の得もありはしないぞ?」
「そうかもね。でも、腐敗するよりはましだわ。」
警備隊が去った後、ラスカーにはまだまだ仕事が残されている。
「あの子達…魔法を使っていた…」
ラスカーははっきりと見てしまった。「魔道士」の称号を持たない魔法学校の生徒が、法に反して魔法を使っていたこと。そして、「制御不能」に陥っていたこと。
(でも…いえ、いけない。)
状況的に考えて、スヴェンはルークを救おうとして使い魔を召喚したのだろう。
…どういう経緯かは不明だが、ルークはあの違法ブローカーの犯罪現場を目撃したようで、それで危機に陥った。
ビアンカ・ラスカー個人としては、彼らを許したかった。でも教師としての彼女は、決して彼らを許すことができなかった。
(これだから、教師は嫌)
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