忘却の魔道士
デビッキ
第1話 ルーク・パーシヴァル
ある時からすっぽりと抜け落ちたものがある。
それは大事なものなのか、そうでないものなのか。
僕はそれを求めているのか、探しているのか。
わからない。
わからないからこそ、苦しいのか?
抜け落ちたもの。
記憶の中に、すっぽりと空いた空白。
空白は、埋める必要があるのか?
どこにあるかもわからないのに?
でも、それでも僕は、突き進むしかなかった。
空白は、恐怖そのものだから。埋めなければ、自分というカタチが失われるような気がして。
だから僕は探し続ける。たとえその先に、絶望が待っていたとしても…
エストリア王国には、2度の戦争があった。
正確に言うと、50年前に起きたのは内戦。そして、10年前に起きたのは、世界大戦。どちらの戦いも、エストリアの運命を大きく変えた。
エストリアには、人間と魔法使いが共存している。共存などと言うと聞こえはいいが、実際はそう単純ではない。
エストリアは複雑だ。いや、エストリアにかぎらず、国とはそういうものだ。
全ての人々が、種族が、民(たみ)が、博愛と平等の精神を持ち合わせていれば、内戦なんて起きないからだ。
もし私たちの隣人が、魔法を使っていたとしたら、どうだろう?恐れるだろうか?あるいは、うらやむだろうか?
もし自分が魔法を使えたらどうする?
その魔法を何に使う?
これは、とても危険なことだ。制御されない「摩訶不思議な力」は、人々を恐怖に駆り立てる。だから、エストリアの支配者たちは、「法」を作った。魔法使いが「好き勝手」できないような法を。
そう、エストリアは複雑な国だ。それでも…それでもなんとかうまくいっていた。2度の戦争を乗り越えて、ある時まではうまくやっていたんだ…
ルーク・パーシヴァルは優秀な生徒だ。魔法学校の中では、学年成績トップ。
魔法学校について説明すると…そのまんまだ。魔法を学ぶところ。
ルークは卒業試験の真っ只中だった。
およそ半径100メートルはありそうな広場で、少年は片手を上げて意識を集中させる。何をしているのかといえば、これは「使い魔」を呼ぶための予備動作。
ルークが片手をあげて、その意識を集中させてから数秒、空の一部分が黒いもやに覆われる。その黒いもやは、やがて一点に凝縮して弾けた。
まるで花火のように弾けた黒いもやから、そして一つの影が現れる。
その影の正体は、およそ全長3メートルはあろうかというほどの、巨大な鷹(タカ)だった。その鷹は、ルークめがけて一直線に向かってくる。鋭い眼光は、まるでルークを獲物と見定めたかのように凝視している。
「危ない!」
一人の生徒が叫んだ。それもそのはず。鷹は速度を落とすことなく、ルークに突進していく。このままでは、少年の身が危ない。
「あの使い魔は主(あるじ)を襲いますぞ。止めなければ…」
一人の魔法学校教員がそう呟いたのも束の間、鷹はルークと接触する残り1メートルのところで急速に方向転換。上空へと滑空する。そう。はなから鷹は、少年を襲う気などなかったのだ。
教員や生徒たちが安堵の溜息をつく中、一人の女性教員が言葉を紡ぐ。
「使い魔の召喚とその制御…レンバルト魔法学校における卒業試験としては、おおよそ最上位に位置する難易度の高いものです。あのような危険を伴う離れ業を使い魔にさせるとは。ルーク・パーシヴァル。あなたは自らの使い魔を随分とコントロールできているようですね。」
「ありがとうございます、ラスカー先生」
試験を見守っていた一人の女性教員。ビアンカ・ラスカーはルークに賞賛の言葉を送る。
「ですが、危険すぎます。試験だからといって無茶をしようとしたのかもしれませんが、もし失敗していれば、今頃あなたは大怪我をしていたのかもしれませんよ?」
「すみません…それは、減点対象になりますか?」
「加点対象です。でもそれは結果的に、です。もししくじっていれば、あなたは不合格。そして大怪我をして再起不能になっていたでしょう。それを重々理解しなさい」
「すみません…」
ラスカー先生の厳しい言葉に、ルークは猛省するが、それでもその表情には、確かな自信と高揚感が満ち溢れていた。
(成功した…やったぞ…!)
「ルーク、おまえの使い魔すげえな!試験も1発合格だって?」
魔法学校内で行動をともにするルークの親友、スヴェンは興奮を隠さない。
「ありがとう、スヴェン」
ルークとスヴェンはだだっ広い学園内の廊下を歩いている。ルークは絵に描いたような線の細い少年で、色素の薄い髪に、青い瞳。その細身な体格は、およそ恰幅の良いスヴェンとは対象的だ。
「俺なんてなぁ、使い魔うまく制御できねえもん。このままじゃ卒業試験受かれずに留年かなぁ…」
スヴェンは出来の良い親友を横目に、自らの実力のなさをを嘆く。
「大丈夫、スヴェンなら出来るよ…」
「はは、また何を根拠に…って言ってる間に、授業始まるぞ。早く第3講義場に急がないと。ベルナール副校長の授業に遅れたら、あとで恐ろしい目に遭うぜ…」
「——さて諸君。わがエストリア王国における魔法使いの歴史については、本講義をもって最後となるわけだが…」
ベルナール副校長は、この魔法学校の創設メンバーの一人。教員のほとんどが魔法使いで占められる同学園にあって、彼は魔法が使えない(普通)の人間だ。
「50年前に起きたエストリア内戦。それは、人間と…いや、魔法使いと非魔法使いの凄惨な戦い。多くの民が命を落としました…」
副校長は既に70歳を超え、この国で50年前に起きた内戦の経験者だ。
「炎は肉を焼き、水は無差別に人々を窒息させ、風は刃となり血の海が出来上がり…それはつまり、魔法という存在の恐ろしさが、エストリアの民に植え付けられた戦いでもあったのです…」
低く重苦しい声色で、彼が語る内戦時の話は、時におぞましく、時に悲しく、時に怒りを孕んでいた。
「この意味が、あなたたちにわかりますか?」
副校長の言葉に、生徒たちは静まり返る。ここは魔法学校。生まれながらに魔法を使える特性を持つのが魔法使いと呼ばれる種族。そしてその魔法を学ぶ、魔法使いの生徒たちが集う学校。当然ながら、この国における魔法使いの歴史とその立場についても、教えられる。でも歴史的事実を直視するのは、自分たち魔法使いの負の側面を直視することでもある。だからこそ、副校長の言葉は生徒たちには辛いものだった。
「魔法」が大勢を殺したという歴史の事実。
「みなさん、私はね…あなたたちを…魔法使いを責めようとしているわけではありませんよ?」
「理解してほしいのです。″力″の責任を…魔法が使えることに、優越してはいけません。
魔法はある時に人を救うかもしれませんが、同時に人を苦しめるのです。だからこそ、魔法使いとして生まれたものは、その力を制御し、″絶対″に人を傷つけることなく、社会のためにその力を使わなければならない。
あの内戦の後、この国の統治者たちは法を作りました。魔法使いは、その力を戦争や戦いのために使ってはいけないのです」
魔法使いと非魔法使いの内戦の後、この国には魔法使いを「縛る」法律が出来た。その法律の名前は「魔法抑止法」。単純にいうと、この法令に明記されている魔法以外は使えないというものだ。その内容は細かく多岐にわたるが、この法律が作られた主な目的は、魔法が「戦争利用」されることへの抑止。
魔法にもいくつか種類がある。火を発生させる。水を発生させる。雷を発生させる。使い魔を召喚する—など様々だが、この現象を「攻撃」に流用して恐ろしい破壊を引き起こすこともできるのだ。例えば、火と風の力を利用して周囲一帯を焼き尽くすことも、可能だろう。
「あなたたちが自らの責任のもと、魔法を制御しその力を人々の役に立てること。この学園の一番の目的は、魔法使いとしての責任感をあなたたちに養ってもらうことです。だからこそ、魔法使いの生徒諸君らには、辛い現実も教えなければなりませんでした。」
この国に置かれている魔法使いの立場は苦しい。内戦時の「魔法」の恐怖や憎悪が、エストリア国民の間に内在しているのが現実。主に内戦を経験した高齢者層を中心に。
だから、魔法使いがエストリア社会で受け入れられるためには、しっかりとした「教育」を施された魔法使いが、社会へ奉仕することが重要。もっとも、最近は風向きも変わりつつあり、魔法が社会に受け入れられてきつつある。魔法使いで国家の要職に就く者も増えてきている。
「私の講義もこれで終わりです。最後になにか、質問はありますか?」
誰も挙手せず、辺り一面静まり返っている。
みんな、副校長を恐れている。
それは、副校長が自分たち魔法使いを憎んでいるのではないか?何か質問したらしたで、徹底的に攻撃されるのではないか?という予期的な不安とも言える恐れだった。生徒たちにそう感じさせるほど、副校長には威厳と威圧感があったのだ。
その静寂を破ったのはルーク・パーシヴァルだった。
彼には疑問があった。
副校長のことは怖かったが、それでもこれだけは聞かなければならないと思ったのだ。
「すみませんベルナール副校長先生… ひとつ質問をよろしいでしょうか…」
「言いたまえ」
遠慮がちな口調でルークは尋ね、副校長は相変わらずな威圧的な口調で返す。
「魔法が危険だと思うのなら、なぜ法を作った人々は魔法そのものを規制しなかったのですか?」
この質問に副校長は少し驚いたような表情を見せたが、ルークの傍にいた親友のスヴェンは、その副校長の表情から少しばかり…ほんのわずかに、微笑が現れていたのを見逃さなかった。
「なぜかって…?魔法使いが受け入れられる社会を作ることが、理想の社会ではないか…そう思わんかね…?だから……魔法そのものを規制してはいけないんだよ。それは魔法使いのアイデンティティを奪う行為そのものだからね。」
副校長はそう言ったが、その言い方は妙に含みを持たせた口調であると、ルークは感じていた。
「なあ、ルーク」
学園の敷地内にある寮で、ルークとスヴェンはルームシェアをしている。
「なに?スヴェン」
「お前さ、学校卒業したらどうすんのさ。」
「僕は…調査隊に入りたいんだ」
「調査隊って…王室直属の?」
「そう」
「ルークお前、調査隊ってのは国王からの極秘任務を遂行する連中だぞ?そんな危険な仕事をしたいのか?」
「調査隊に入れば、王室の支援を受けながら世界中をまわることができる。それが大事なんだよ、スヴェン。」
「なんだそれ。世界を旅したいってか?」
「ただ無意味に世界を旅したいってことじゃないんだよ。そう、僕には…」
探さなければならないものがある。探さなければならない、″記憶″が。
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