第4話 丸山家

 2人の姿を追って居間に入ると、薄暗い隅っこのほうでカーペットの床に座って携帯型のゲームをしている少年がいた。


 十畳ほどの真っ暗な部屋に小さい非常用ライトがテーブルに置かれているが全体的にかなり暗い。ゲーム画面の明かりが顔を照らしてホラーなたたずまいになっている。ギョッとしたが声を出すのをこらえた。


 そうか乾電池のバッテリーを使っているんだな。子供は友達といつでもどこでも時間を忘れて没頭するから乾電池は必須かもしれない。


 僕はスマホでさえ電源が落ちても気にしない。連絡は職場からしかこないし、遊ぶような友人もいない。家に乾電池はあるがスマホ用はない。


 家にはパソコンがあるのでネット情報はそれで充分足りている。だいたい老眼が始まって読書も辛くなったのにスマホはキツイ。ガラケーに比べれば楽になったけど。

 パソコンの画面の文字も大きくしている。もう元のサイズには戻れない。

 

 丸山さんが少年に声をかけた。


 「秀明、やりすぎると目が悪くなるっていったでしょ」


 少年は顔を少し上げたが、すぐゲームに戻った。耳にはイヤホンをしているようだ。


 「電池が少ないんだから、お店はどこもやっていなかったよ。節約しておかないとお母さん知らないよ。大竹さん、あれが息子、小学六年生」


 途中にある百円均一のお店は開店していなかった。どこも従業員がいないのだろう。

 地震であれ台風であれ、収まったらどうにか動けるが、今回のはどうしようもない。

 例え開店して売ったとしても、車が動かせないから配送が見込めない。すぐに完売してしまうだろう。

 

 丸山さんが何やら一生懸命グルグル音をたてながら回している。


 「丸山さん何をしているんですか」


 「ああこれね、災害用手回しラジオ。何度かやっているんだけどね、まだ放送していないようなのさ。ねえ、春香どうだった」


 「お母さんが出かけてから何度かやってみたけど何も聞こえなかったよ。雨が止んだから電波は大丈夫だと思うんだけど」


 災害用ラジオが家にあるんだ。僕なんか全然災害の準備なんかしていないな。意識低い系なのか。

 仕事柄、必需品はすぐ手に入るし、部屋は狭いから置く場所もない。

 ちゃんと用意しているのが普通なのかもしれない。特に家庭がある家は。

 丸山さんはチューニングをしている。そのうち雑音の強弱のなかに人間の声らしきのが聞こえた。


 『・・・ます。・・・この放送は録音になります。電源の節約のため新しい確かな情報が得られ体制が整い次第生放送になります。今現在は技術者1名、記者1名の体制です。アナウンサーが来られるかは未定です。

 公的機関からの連絡はありません。皆さん、協力していきましょう。一人の方は誰か信用できる人と行動しましょう。

 個人的に得た情報になりますが、車両関係は通行不可能な道路状況になっています。

 それにより緊急車両などは一切出動できておりません。自衛隊のヘリコプターが学校の校庭に降りられる程度ですが救援物資などは未だに確認されていません。

 消防も警察も皆さんと同じく被災しています。よって犯罪や事件事故に注意して、けっして一人では行動しないようにしてください。

 再び噴火が活発になって噴煙が充満したらラジオは聞こえなくなります。スマホも使えません。

 ヘリコプターも飛ばせません。

 自宅にいるかたはそのままいてください、各地の指定避難所に行っても水と食料はありません。

 コロナ対策で収容人員は限られています。ワクチン接種済みの高齢者は例外的に可能かもしれません。対応する職員がいるかも不明です。

 市役所などの備蓄品の配布は職員が集まらないので始まっていません。

 配布場所も泥で身動きがとれない可能性が強いです。

 電気の復旧は漏電とショートの危険があることと、作業員と専用車両が動けないの進展していません。

 上下水道は水源はもちろん設備プールに灰が沈殿して機能していません。個人的に復旧は絶望的と考えています。

 これらの情報は公共機関からのものではなく、関係職員から直接得たものです。

 新しい情報が入り次更新します。時計のある方は定時から三十分おきにラジオを確認してください。

 以上になります。・・・・この放送は・・』


 この場にいる四人は静かに聴いていたが、長女の春香さんが小さく叫んだ。


 「結局、誰もどこからも助けが来ないってことじゃん!」


 確かにそうだ、全て予想した通りの現実が確認されただけにすぎない。希望につながる情報は一つもなかった。むしろ余計に悪くなることしか考えられない。 


 「さあ大竹さんご飯にしますか。災害用の備蓄食品と水があるから一緒に食べましょう」


 丸山さんはそう言って準備を始めた。

 メニューはお湯で戻すお米と、持ち帰ったフライ類。インスタントの味噌汁もあった。

 貴重な食料を分けてもらい恐縮した。


 「いや遠慮することないよ、こっちだって男性がいるだけで何かと安心だからさ。お互い様ということで貸し借りは無いよ」


 丸山さんはそう言ってくれたが、僕なんか何かに役に立つ思えない。少なくとも父親の経験は全くないのだから。


 僕と丸山さんは今日のことを子供たちに色々聞かせながら食べた。小さな明かりを中心にしているので、まるで怪談を話しているような感じだが、いろいろ面白いエピソードを交えながら話した。

 そのうち僕は自己紹介を兼ねていろいろな経験談を話した。

 職場ではそこまで深く話したことが無かったので、丸山さんも興味深々だった。

 北海道での話や転職の話。僕は札幌だったけど丸山さんは道東だったけど共通の話題も出た

 子供達には、僕が無職期間に海外を歩き回った話が好評だった。

 実は転職するたびに失業保険を受けながら合間に旅行に行っていた。一回の最長は二週間ほど。月に一回はハローワークに行って求職活動をしないといけないからだ。

 退職した日に航空券だけ予約して翌週には現地にいるという、あまり子供にはお勧めできない生き方ばかりだけど。

 三回の転職でトータル二年以上はニートだったので行った国は十ヵ国になる。

 失業中なので当然貧乏旅行になるが、三十代半ばを過ぎてまでそんなんだからどうしようもない。

 ただし、あらゆるアクシデントに対して免疫ができた。どうにかなるという根拠のない自信が身に着いた。今回も役に立っている。

 十年前の震災で人生とか生きるとかの価値が大幅に変わった人も少なくないと思う。

 危機と直面すると、人間のなかのホルモンが活性化して「何としても生きる」というスイッチが入るようだ。

 旅は全て未知の環境の中で過ごすわけだから、いつもスイッチが入りっぱなし。帰国してもしばらくは元に戻らないので、未経験の職に就いても前向きになれた。

 今になって思えばの話だ。当時はそんな意識は全くなかった。

 子供たちは僕の話を聞いてもそんなに深くは感じないだろうが、こういった大人もどうにか生きてきたと覚えてくれていたらうれしい。


 そんな食事の後、疲れた僕と丸山さんは寝る準備をしはじめた。

 みんなでペットボトルの水を少量タオルに湿らせて顔や体を拭き歯を磨いた。

 それから子供たちは自分の部屋に戻った。

 丸山さんが旦那さんの布団を居間に用意してくれた。僕は作業しやすいようにライトを照らしながら手伝った。

 そしてお礼を言った後ライトを消して布団にもぐりこんだ。

 なぜか被災しているのに幸せさを感じて、今夜は眠れそうだと頭まで布団をかぶって眠った。


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