第2話 行動
噴火から三日の朝になった。昨日からの雨は止んでいないようだ。
道路は泥状になった灰が流れている。排水溝など関係なく彷徨っているように動いている。
試しに出歩いてみたが長靴がほとんど埋まってしまうほどの深さなうえに抜くことも難しい。
田んぼの土より荒いザラザラして重い感触。深さもあって何かに掴まっていないとバランスを崩しそうだし、底がまったくわからないので不安でしかたない。傘をさしては危険だと思い早々と断念した。
部屋に戻っても洗えないことに気が付いた。水道がまだ出ないからだ。
飲料はペットボトルのお茶と缶コーヒーがケースで買い置きしていたので何とか大丈夫だと思う。
ここしばらくは顔も歯も、もちろん風呂どころか体も拭いていない。トイレは流せないので袋に溜めて夜に外の灰に埋めている。街灯も無く真っ暗なので誰に見られることはない。いたとしてもライトを持っているはずだ。僕は埋める直前に消しているし、音を立てないようにしている。
他の人はどうしているのだろうか。排便の処理など相談などできないし、そもそも人に会って話す機会がない。
救助のヘリコプターの音は昼に一度聞こえただけで近所に動きはない。これがただの洪水ならボートとかで助けてくれるのだろうが、底なし沼のような泥流では無理なんだろうか。
だいたい消防や警察も僕らと同じ境遇なはずだ。緊急の招集があっても自宅から出られないだろうし、当番の職員も外には出られないことは想像できる。
せめて水と食料とトイレはどうにかしてほしい。
今日もエネルギーを抑えて横になるだけの過ごし方になっている。
明るいのだから本でも読んで時間をつぶそうかと考えたが、脳みそを使うこともエネルギーを使う。
気温も上がらないので布団の中で暖まる。いつのまにか浅い眠りを繰り返し、気付いたら夜になっていた。
三度目の夜を迎えた。真っ暗だからか、やけに目が冴えるし雨音がはっきり耳に届く。秘境に一人迷い込み危険を回避するためにセンサーを働かしているかのようだ。
これが家族で籠っている人なら話し相手もいるし安心感もあるだろうけど一人暮らしはキツイ。
だからと言って親しくないアパートの住人と同じ部屋で過ごすことは考えられない。若い女性でもいて、先方から近寄ってきたら考えないこともないけど。どういった人達が住んでいるのか二年以上住んでいてもわからないまでいる。
皆が皆生活リズムが異なっているようで、いや僕だけかもしれないがほとんど見かけたことが無い。
昨日お邪魔した人や来た人達はもちろん初対面になるが男性ばかり。僕は接客業なのでスイッチを入れれば見知らぬ人でも会話はできる。ただし店ではお互い要件がはっきりしているからどうにかなるが、ナンパのようなことは苦手なままだ。
深夜になって雨音が止んだ。窓から月明かりがさしている。
外に出てみた。夜空を見上げてみると満月が輝いている。星もはっきりと見えた。
今日は31日か1日なんだろう。部屋に時計は無く、いつも携帯かテレビで時刻を確認していた。
電気がないと時間感覚も危うい。江戸時代の人はこれが普通だったことを考えれば、現代人は退化しているのはないか。
部屋から椅子を持ち出してコートを着込みしばらく外にいることにした。
東の空が明るくなるまで外にいた。4日目の朝になった。
スズメやカラスたちは元気に鳴いている。
泥は多少固まっているようだ。足は沈んでいくがうまく歩けばどうにかなりそうな感じだ。
とりあえずの目的地として職場に向かった。状況を確認したかったし、なにしろ食料があるはずだ。
二日目から食事は控えていた。理由は節約もあるが、それよりもトイレの回数を減らしたかった。小便なら風呂の排水溝に流せるが大便はそうもいかない。外に捨てるのも罪悪感が捨てきれなかった。
陽が上るにつれ気温が上がってきた。そういえば梅雨は開けていないはずというか決めるのは気象庁なので正式には誰もわからない。
どちらにせよ蒸し暑くなってきた。出てきたときは防寒とカッパ代わりになる上着を着てきたが、歩き始めて三十分ほどで脱ぐことになった。時間はあくまで体感でしかない。
住宅地を通ると玄関先で泥となった灰を取り除く人たちを多く見かけた。
雪国ならスコップなどを使うところなんだろうが、掃除用具や何か代りになるようなものでやっていた。
でも横に避けて積み重ねたとしても時間とともに緩く崩れていくので徒労に終わることだろう。
水分がもっと蒸発して塊にならことには意味がないと、水害などでボランティアに行った知人が話をしていた。やるなら何か袋か容器に溜めておかなくてはいけない。
敷地内をきれいにかたずけたとしても、雨が降ったりすると門から流れ込むし、そこをふさいだとしたら水が出て行かない。どちらにせよ無力感を味わうだけ。
何かをしていないと落ち着かないのかもしれない。気持ちはわかる。僕が店に向かうのもそんな感じだ。
職場に徒歩で行ったことは一度だけある。休みの日に往復したが、途中コンビニに寄りながら散歩気分。何かの災害で電車が止まり帰宅困難になった時、道順や時間を体験しておくために。
今は足元が20センチほどの泥で道が埋まっている。流されてきたゴミなどが散乱しているので、それらを避けながら歩く。ゆっくりジグザクになってしまうし体力が消耗する。
コンビニはどこも閉まっていた。ガラス越しに除いてみたが商品棚にほとんど物がなかった。
噴火の最中にも営業していたのだろうか。だとしたらうちのスーパーもそうなのか。
とりあえず急ぐことにした。
ようやく店に着いた頃には太陽が高く上がっていた。時間はわからないが四時間以上は歩いているのだろう。以前の徒歩はゆっくりだったが、それでも1時間ほどだった。
店は閉まっていた。通用口にまわってみようかと思ったが、とりあえず休むことにした。
ここにいれば馴染みのお客さんか同僚が来るかもしれない。
店の前を見知らぬ誰かが通り過ぎるが、特に話しかけられることも無く時間が過ぎた。
皆さん様子見のお出かけというより何か目的があってなのかもしれない。施設や入院している身内の安否確認なんだろうか。
ボーっとたたずんでいると声をかけられた。振り向くと全身赤いジャージ姿の女性。
丸顔にニッコリ笑顔で、
「おはようございます、大竹さん。いるとは思わなかったさ」
総菜責任者の丸山さん、僕と同い年の女性。勤務歴は僕より10年以上長く、最初はパートだったらしい。今は社員として先輩になる頼りになる人だ。
北海道の出身で、話し言葉にちょくちょく方言がでる。
声をかけられた瞬間は驚いたが、同僚の中では一番気心の知れた人になのでほっとした。
「だいぶ前に着いたんだけど疲れて体が動かなく休んでいたんだ」
「私は自宅が近いからすぐなんだけど、いろいろ寄って来たから今になっちゃった」
高校生の娘さんと小学生の息子さん、5年前から単身赴任をしている旦那さんがいる。
噴火の直後は旦那と連絡は取れたが、今はまったくつながらないらしい。
子供たちは学校からの連絡はなかったが、状況的に行くほうがおかしいので家にいるようだ。
公休だったが店の近所ということもあり、一度灰が積もる前に来てみたが誰もいなかったので施錠を確認してすぐ帰宅したそうだ。店の合鍵を持っている人なので、いつも店長などと交代で開けている。
店長は来たかもしれないがわからない。家の電気が止まったので店も同じだろうから、積もり始め雨が降り続いたので、その間一度も店には行っていないようだ。
店内の冷蔵冷凍はダメになっているだろうし、生鮮や総菜の在庫も同じだろうから、状況を確認しに来たようだ。
「店長の自宅はけっこう遠いはずだから、たぶんだけど来ないと思うんだよね」
丸山さんはそう言ったが、どうなんだろうか。確かあと少しで定年になるから60歳くらいになるはず。
責任感が強くて向かっているかもしれないが、僕でさえ三駅程度で数時間かかった。とてもじゃないが当日中には無理だろう。
「だから合鍵責任者として勝手ながら店の状況を確認しに来たのさ。
できそうなら売れそうなものは売るか、処分するようなものは近所の人たちに配布してしまおうかと思っているのさ。
一人かなと思ってきたけど、大竹さんがいるならどうにかなりそうだね」
そうだな、せっかく来たのだから何かしら動いてみよう。
僕らは店の中に入ることにした。
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