第19話
燐が目を覚ましたとき、目の前には端正な顔があった。
それが誰だかわからなかったが、その切れ長な目を見たことがある気がした。瞳に宿る光が特徴的なのだ。それは獣のようにギラギラとしているくせに、その奥に宿っている光はひどく優しい。
「ん、起きたか?」
その声で、やっとそれが誰だかわかった。
「……まさ、み……?」
「ああ、大丈夫か?」
そこでやっと状況を思い出した。
そして、今の自分の状況も。
燐は眞己に抱えられて運ばれていたのだ。お姫様抱っこというやつだ。しかも自分は服の胸元が破られ肌蹴ている。
それを認識した瞬間、瞬間沸騰するかのように顔が熱くなった。
「あ、ぁああ、まままま、眞己! お、お、降ろしてぇっ!」
「ん、ああ、立てるか?」
「立てるから早く!」
「わかったよ」
眞己はゆっくりとリンを降ろした。
リンは眞己を突き放すように離れ、両手で胸を押さえたところで、足をもつれさせた。そのまま後ろに倒れそうになるのを眞己の手が支えてくれた。
「本当に大丈夫か?」
「だ、大丈夫だから──」
離せ、と続ける前に眞己の顔が接近してきた。切れ長な目を細めリンの顔をじっと見てくる。その視線に絡めとられたように身動きがとれなくなった。咽喉が干上がり、頬が火照るのを感じる。心臓が爆発しそうなほど速く脈打っている。それを聞かれるのがひどく恥ずかしく、早く離れなければと思っているのに──それなのに、動くどころか彼の瞳から目を反らすことすらできない。
なんて綺麗なんだろう。
そう思ってしまった。眼鏡を外した眞己の顔をこんなに間近で見るのは初めてだった。それに爆炎が髪を焦がしたのか、前髪がいつもより短くなっていてその容貌がはっきりと見てとれた。鋭く理知的な黒瞳に、夜色の髪、それが映えるような病的なまでに白い肌。薄い唇は血の気がなく、どこか皮肉げな曲線を描いるように見えて、それがなんとなく眞己らしくて安心した。
「……あっ」
その思考の間に眞己がリンの頬に手を添えた。その手のひらはひんやりとして冷たく火照った頬に気持ちよかった。手の冷たい人は心が温かい人だというのは本当だろうか。そんな考えが一瞬脳裏をよぎる。
「悪かったな。助けるのが遅れて」
そういえば彼の手が触れているところは、栄一郎に殴られた箇所だった。そこはひどく腫れていて、口の端は血がかたまり瘡蓋が出来かけていた。明日には痣になっているかもしれない。
そのことに眞己は悔しげに唇を歪めた。
その表情にリンは胸が痛くなった。
「だ、大丈夫だよ。これぐらい。若いんだからすぐ治るよ」
「だが……」
眞己の言葉を遮るようにリンは言葉を重ねた。
「眞己が謝ることなんてないよ。眞己は、助けに来てくれたじゃないか」
リンは眞己に言い聞かせるように言った。
「すごく、嬉しかったんだよ。まさか助けに来てくれると思ってなかったから、だってボクは……」
ここでリンは言葉を詰まらせて俯いた。ここでかれんのことを言って謝ってしまえば良いものを、謝るという行為が自らの弱みになると戒める習性が、素直にそれを言わせてくれなかった。
躊躇っている間に、眞己が再び口を開いた。
「……ごめんな」
それはまたしても謝罪の言葉で、リンはそれに顔を上げた。
「眞己が謝ることなんてないって言ってるだろうっ」
それに眞己は首を横に振る。
「かれんとのこと」
「え?」
「オレが無神経だった。ごめん」
「なんで……」
悪いのは、自分のほうなのに、眞己は全然悪くないのに。それなのに、彼は自分に謝ってくれた。そのことにリンは唇を噛んだ。
「違うよ。それは……ボクが……」
そこでまた言葉は咽喉に引っかかってしまった。
言え。言ってしまえ。ここで謝らずに、いつ謝るというのだ。リンは咽喉を鳴らし、やっとの思いで口を開いた。
「────っっ!」
だが、その謝罪は声にならずに、呼気が鋭く口から漏れただけだった。
それは眞己が抱きつくようにリンに覆いかぶさってきたから。
彼の息づかいが首筋をくすぐる。リンの思考は瞬時に沸騰した。
「あ、ぁああ、ま、ま、まさみ?」
心臓がバクバクと鳴っている。絶対眞己に聞こえてる。それを思うと羞恥のあまり彼を突き放そうとする衝動に駆られるのだが、手は自分の意思とは逆に彼を受け入れるようにその背にまわされ──
「──え……?」
その手のひらに触れる異様な感触に、リンの思考は凍てついたように固まった。
「なに、これ……?」
リンの手についた真っ赤な粘りのある湿ったもの──血だった。
「まさみっ?」
それと同時にリンにかかる眞己の体重が増えた。
それを支えることができずリンは膝を折る。眞己の頭はリンの肩から崩れ落ちるように、そのくずした膝の上に落ちた。
「なん、で……」
眞己の後頭部からこんなにも血が溢れているのだろう。
「なんで……?」
眞己はここで倒れているのだろう。
「なんで……っ」
自分は気づかなかったのだろう。眞己の手はこんなにも冷たかったのに、彼の顔色は病的なほど真っ白で、唇は血の気を失い紫に変色していたのに。
彼は──自分をかばって怪我をしていたというのに!
「いや、だよ……っ」
ボクは、まだ謝っていない。ボクはまだ、大切な気持ちをなにも伝えていない。
それなのに──
「いやだよ、まさみ……、返事をしてよ……」
お願い、起きて。お願い、目を覚まして。
涙がこぼれた。いくつもの雫が眞己の顔を濡らしていく。
それでも、眞己は目を開けることはなく。ただ血だけが、彼の命だけが流れでていた。
「いやだ。いや。いやあっ。いやああああああああああああああああああああああああああああああああああああああっっ」
お願いだから、死なないで──
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