EP.27:蒼の神鳥
『——私を楽しませて……!』
彼女の声が聞こえる。
俺は、彼女の声に答えない。
彼女は――リーア・テュバリスは人間ではない。
彼女もまた、〈イルミナティ〉の亡者だ。
ただ戦いを求め、人間としての生き方を知らない猛獣。
それが、目の前にいる女の本性。
真紅の機影が翻す。宙域仕様の機体、その凄まじい機動性に思わず舌打ちしてしまう。
高推力のスラスター、航空力学を無視した機動、そして……全く異質な彼女の戦闘スタイル。
真紅の機影は空を縦横無尽に飛び回る。
その乱雑ともいえる機動に、この機体では追従できない。
『——どうしたの? 本気で私を殺しにきて?』
ハイGターンの最中、重たい瞼をこじ開けながら真紅の色を追い続ける。
視界に表示されたガンレティクルがちっとも機影に追いつかない。速度、旋回率、共に負けている――
『じゃあ、私が殺しに行くわね』
突然、視界から機影が消える。
何度目かわからないオーバーシュート、まだぎりぎりのところで凌いでいた。
リーアは俺を弄び、楽しんでいるようだ。
——絶対に、負けるもんか。
バックミラーにちらりと映った真紅の機影、ガンポッドから発射炎のフラッシュが見えるより先に操縦桿を払う。
キャノピーのすぐ傍を機関砲弾が掠め、その振動がコクピットに伝わってくる。
速度でも負けて、旋回率でも負けて、おまけに向こうは失速を気にせずに戦っている。
こっちはただの艦載仕様の
ほとんど勝ち目は無い――
——それでも……!
両方のフットペダルを蹴り込んでリミッターを解除、ベクターノズルの可動範囲の制限を開放。フルスロットル、全力旋回。
機体が失速するほどの急旋回。そして――敵機の上面を捉える。
「——これでもッ!」
稼働させていたマイクロミサイルランチャーが敵機を補足、同時に発射。
数十発の小型弾頭がランチャーから飛び出す。
その盛大なミサイルスモークで視界が覆われた。
その瞬間、機体を人型形態に変形させる。
操縦桿の根本のスイッチを押し、操縦桿そのものをスライド。変形シーケンス実行。
視界が暗転――復帰。
スロットルを開放し、上昇に転じる。
敵機は俺の撃ったマイクロミサイルを引き連れるように急加速を始めた。
その機動を先読みし、ガンレティクルを敵機のシルエットに這わせる。
だが、次の瞬間。明後日の方向を向いていたはずの機首がこちらを向く――
——クソッ!
反射的に機体を倒すようにして射線から逃れる。
思っていたよりも乱雑な狙いの射撃は掠りもしない。
しかし、回避機動を行ったせいで敵機を見失ってしまった。
——落ち着け、どうせ向こうからやってくるんだ。
機体を降下させ、視界の邪魔になりそうなものを排除。
古城からも距離を取り、平地まで後退してから地上に降り立つ。
周囲を見回していると、頭上から雲を突き抜けて真紅の機影が舞い降りる。
そして、両手に抱えたガンポッドをこちらに構えていた。
——撃ち合いがお望みかよ?!
大型ガンポッドが吠える。
頭上から撃ち込まれた大口径の砲弾が、地面に着弾して土煙を上げる。
かなり距離が開いているというだけではなく、そもそも精度は高くないのだろう。
至近弾はあっても、命中はしない。
——そんなものでビビったりするもんか。
深呼吸しながら、ガンポッドを敵機に向ける。
ガンレティクルを敵機に向け、発射炎が瞬くガンポッドに狙いを定めた。
トリガーを引く。
短い間隔で発射した30mm機関砲弾が、曳光弾と共に空を駆ける。
真紅の機影がスラスターを噴射し、射線から逃れようと大きく動く。
その瞬間にスロットルを開放、機体を上昇させる。
機体が浮かび上がる直前に、真紅の機影の行く先にガンレティクルを置いた。
間を置かずにトリガーを引いて、発射。
回避機動の最中、真紅の機体の腕に抱えたガンポッドに30mm弾が命中。小さな爆発がここから見えた。
上昇しながら接近。兵装をマイクロミサイルに切り替え、ランチャーの残弾全てを発射。
雲と煙を裂くように現れた真紅の機影、抱えていたガンポッドごと右腕が吹き飛んでいた。
『——やっぱり、最高よ……ユート』
敵機はそのまま変形、マイクロミサイルの群れを引き離すように一気に加速。
ガンポッドという重量物が外れたというのもあって、その機動は一層鋭さを増した。
『——だって、あなたにも……』
真紅の機影がマイクロミサイルを振り切る。
俺も機体を航空機形態に戻し、搭載している近距離ミサイルを稼働させた。
『——私と同じ『血』が流れているんですものッ!!』
「——FOX2! FOX2!」
大気を裂くほどの勢いでミサイルが敵機を追う。
ミサイルスモークの先で、真紅の光が煌めいた。
タープスポッドの光学センサーが敵機の姿を追従する。
ミサイルは敵機に届く直前に振り切られてしまった。
スラスターが瞬き、真紅の色が跳ぶ。瞬間移動でもするかのように、ミサイルの誘導装置の範囲から逃れる。
——なんだ、あの機動性……!?
宙域仕様だからという理由だけでは説明がつかない。
あんな機動でパイロットが無事なはずがないのだ。
だが、敵機は健在。パイロットのリーアも無線に気味の悪い笑い声を垂れ流し続けている。
『——私を見て』
——このままじゃ、勝てない……!
『——何もかもを取り去って、何も背負わずに、あのくだらない世界から解き放たれたら……』
真紅の機影がまっすぐこちらに向かってくる。
正面から迫るシルエットに、ガンポッドのレティクルを合わせた。
『——私みたいに、自由に飛べるのにッ!!』
トリガーを引く――が、射線に敵機の姿は無い。
紅の軌跡が視界の端にちらつく。
フルスロットル、最大加速で振り切ろうと急旋回を繰り返す。
だが、真後ろにぴったりと張り付かれてしまっていた。
『あなただって、自由に空を飛びたかったのでしょう? 今の私みたいに、自由に――』
——自由、だと……?!
バックミラーに映った紅の機体、そのキャノピーは装甲に覆われている。
センサーの明滅する光が、俺に死を告げているように思えた。
『——今、私があなたを自由にしてあげる』
——自由なんて、いらない。
敵機の機首の鼻先、そこから武装のようなものが現れた。
それはきっと機関砲か何かだろう。
「——俺、は……」
激しい旋回、高Gで呼吸もできない中、俺はコンソールに手を伸ばす。
そして、最後の手札を切る――
「——自由なんか、必要ない!」
——自由なんか、求めてない。
警告がバイザーに表示された後、機体が大きく振動。
破裂音と共に、機体に取り付けられた外部装甲やミサイルがパージされる。
ガンポッド、タープスポッド、ミサイルを懸架するパイロンも、何もかもを取り去る。
——空を飛ぶために、何かを犠牲にする必要なんて無い。
操作感覚が過敏になり、推力が増大。
これまで以上に苛烈なGが、意識を刈り取ろうとのしかかってくる。
——空を飛ぶために、何かを捨て去ることも必要ない。
色を失っていく空に、敵機の紅だけがはっきりと見える。
その色を、俺は追う。
もっと速く、もっと鋭く、もっと強く――
激しい機動の連続、入り乱れる軌跡、交じり合う航跡。
その応酬の中、真紅のシルエットに追いついた。
はっきりと見える。
紅の翼、スラスターの明滅、複雑に動くベクターノズル、可動する動翼。
そのディテールから、敵機のマニューバが読み取れる。
眼前にいる敵機は真横にスピン、不安定になった機体は失速。
スラスターで強引に機体を持ち上げ、機首に付いている武装が俺を狙っていた――
『——さようなら、同族のユート・ライゼスッ!!』
「——さよなら、だ!」
スロットルを最大開放、強烈なGを受けつつも急上昇。
背後からの射撃を避け、上昇から転じて急降下。
こちらに向けて機首の機関砲を撃ち続けている敵機に、リーアに、俺はガンレティクルを合わせる。
機関砲の弾幕を避けつつ、俺はトリガーを引く。
機首の10mm機関砲が吠え、レティクルを合わせた敵機の主翼に風穴を開ける。
交差――その直後に、機体の変形シーケンスを開始。
変形完了と同時にフルスロットル。
リミッターを解除し、V-MAXを発動したEYF-Xの新型エンジンが、スラスターが、膨大な推力を放出。
上昇していった敵機へと突撃。
雲を突き抜け、真紅の機影に追いつく。
そこには同じく人型形態になっている敵機の姿があった。
―—俺は、強さなんか必要ない。
敵機はこちらに残った左腕を向けてくる、その腕には小型機関砲があった。
その射線を掻い潜り、機体を接近させる。
——俺は、力なんか求めてない。
システムを切り替え、近接格闘モードを稼働。
左腕に内蔵されていたコンバットブレードを展開。
バイザーに格闘モーション用の専用レティクルが表示される。
——俺は、自由を失ってなんかいないッ!!
眼前に迫る紅、その直前に敵機の攻撃が止んだ。
照準を調整し、攻撃実行のためにトリガーを引く。
青い腕が振り下ろされる。
刹那、衝撃と手応え。真紅の腕が宙を舞う――
——俺は、帰るんだ!!
何も背負わず、何も守らず、何も願わない。
そうすればきっと、翼は軽くはなるだろう。
だが、空っぽの翼では……どこにも還ることはできない。
空っぽのままでは、何も掴めない。
だから――
——リーア、君の言う『強さ』は本物なんかじゃない。
最後の攻撃手段を失った敵機は、足掻くように乱雑な機動を描く。
それはただ、死から逃れようとじたばたと踊っているようにしか見えない。
——その強さは、人間のものじゃない。
格闘モードのレティクルを変更、モーションを調整。
激しく明滅するスラスターを目で追い、その未来位置を見定める。
——俺は、人間だ。
——人のまま、生きたいんだ。
機体をフルスロットル。
最大加速で、敵機に吶喊。
左腕から伸びているブレードを突き出し、敵機の胴体に向ける。
スラスターの光の先に、真紅の装甲が見えた。
そのまま吸い込まれるように、その装甲を貫き、ブレードが紅に埋まる。
「——さよならだ、リーア・テュバリス」
突き刺した左腕を、そのまま外側に払う。
胴体の中身を暴くように、ブレードが装甲を裂いた。
もうそこには、彼女の姿は無い。
美しいプラチナブロンドの髪も、あの緑色の瞳も、そこにはない。
かつて、彼女だったもの。
その躯と共に、紅の亡骸は落ちていく。
敵機は古城へと墜落し、爆発。
その衝撃波が城の何もかもを吹き飛ばし、城は崩れ去る。
彼女と、イルミナティとの因縁が終わったように。
その役割が終わったように、壊れていく。
音を立てて、それが崩れていくのを俺はただ見ていた。
かつて、その城にどんな意味や価値があったのかは知らない。
だが、どんなものでも、いつかは滅んでしまう。
その果てに、価値を残せないということが――きっと、哀しいことなのだろう。
壊されたから、壊しに来た。
その応酬も、報復の連鎖も、これで終わる。
全ての戦いが終わるわけではないだろう。
それでもきっと、今よりもっと平和に近づくはずだ。
だから、価値はある。
平和に、平穏に、誰かが安堵して生涯を全うできたなら――俺は、ここで戦った意味が、価値があったということだ。
俺はすべてを護ろうと思った。
それは、一個人には到底できなくて、無謀で、浅はかだった。
それでも、俺は戦い続けた。
やっぱり、俺は――誰かのためじゃないと戦えなかった。
何もかもを捨てて、何もかもを取り去って、空っぽなんかにはなれなかった。
俺は常に、誰かの『希望』を翼に載せていた。
速くもなれないし、高くは飛べないし、強くはなれない。
でも、それで良かった。
荷物を背負うから、地に足を着けられる。
一歩、一歩を大切に踏みしめられる。
エリカのいる世界を、俺の人生を、守りたかったから――
だから、俺は……最後まで、戦えた。
『——作戦本部より各部隊へ、作戦は終了! 繰り返す、作戦は終了――』
空は、自由だ。
飛んでいると、どこまでも行ける気がする。
だけど、気付けば自分がどこにいるのか、わからなくなってしまいそうになる。
――でも、帰るところがわかっていれば、そうはならない。
行先がわからないのに、飛ぶことなんかできない。
だから、本当の『自由』は――帰るところを決められることだ。
どんなに速く、高く、力強く飛んでも、いつかは自分を見失ってしまう。
そうならないために、止まり木を――巣を――鳥は探すのだろう。
翼を休め、また自由な空に繰り出すために――
「——レイヴン1、帰投する」
俺は、もう――自由を手に入れた。
だから、あとは還る。
アキツへ、自分のいるべき場所へ――
――大切な人の元へ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます