謙介38

 猛暑の中、日中出掛ける体力に自信はなかったので、暑さのピークを過ぎた午後3時過ぎにホテルを出た。

 JRから私鉄に乗り換え、さらにバスに乗って、真維の実家や墓のある町に着いた時には6時近くになっていた。


 冷房の効いたバスから降りると、むっとした熱気に包まれ、蝉時雨が頭上から降り注いできた。

 騒がしく間断ない蝉の鳴き声が暑さを募らせる中、スマホで地図を見ながら、墓地のある寺を探して歩いていく。

 以前、真維が狸やイタチを見たことがあると言っていたが、それが納得できる大変な田舎だった。東京にこんな田舎の村のような場所があるのは驚きであった。

 

 10分程歩くと、寺に着き、側の花屋で供える花を買ってから、寺に入った。

 が、想像していた以上に墓地は広かった。寺の裏の緩やかな斜面に、横に三十基ほどの墓が並んだ列が二十段以上もあった。

 10名くらいの人が墓参りに来ていた。

 この中から真維の墓を見つけるのは大変なことだと思ったが、墓地の端にしつらえている階段を上がり、端から一つずつ墓の名前を見ていった。

 しかし、数だけでなく、墓石の文字が薄くて読みづらいものもあり、見つけるのは不可能に思われた。

 さらに、暑さに体力も奪われてゆく。

 謙介は諦めて、寺に行くことにした。住職に聞いたら、分かるのではないか。


 階段を降り、寺に近づいてゆくと、本堂の隅で、女の人がしゃがんで草むしりをしているのに気がついた。

 日焼け防止のためか、帽子を被り頬被りをし、紺の長ズボンに白の長袖のシャツを着、手袋をつけていた。

 彼は近づき、「すみません。紺野さんの墓はどこかご存知ありませんか?」と尋ねた。

 女性はびくっと肩を振るわせ、驚いたように振り返った。そして、立ち上がると、不審者を見るような険しい表情で彼をじろじろと眺めた。

「今、紺野と言いましたか?」

「ええ、紺野真維さんという人のお墓参りに来たのですが、どこか分からなくて」

女性は謙介の持っている墓花の束に気がついたようで、「ああ、そうだったのですね。大変失礼しました」

 帽子と頬被りを取って、頭を下げた。

「真維はうちの娘です」

今度は謙介が驚いた。なぜ真維のお母さんが寺でこんなことをしているのか?

 

 墓へ案内されて行く途中で、そのことを問うと、彼女の家はこの寺の檀家で、娘がお世話になっているので、住職が忙しい時には時々草むしりをさせて貰っている。しかし、この暑さなので、暑さが和らいでからほんの1時間だけむしろうと思って、5時に家を出て、さっき来たばかりだった。その時にたまたま墓参りに来た謙介に声をかけられて、とても驚いたという説明をした。

それから、「よろしかったら、お名前を教えて頂けますか?」と言った。

「あ、申し遅れました。すみません。小林です」

「ああ、あなたが小林さん……」

ポケットからスマホを取り出し、目を細めて、画面を見ていたが、

「やっぱり小林さんだ」と独り言を言った。

 不審に思って尋ねると、「私が死んだら、きっと小林さんという関西に住んでいる人が訪ねてくるから」と真維が言っていたそうだ。それで、話をしていて、訛りから彼が関西人だと気づき、忘れないように、また、いつでも調べられるようにスマホにメモしていたものを確かめたのだと言った。

 

 そうだったのか。真維は自分が会いに来ることを予期していたのか。

「真維は何人かの人に遺言を残していて、小林さんへの遺言も預かっているのですが、言ってもいいですか?」

 自分に対して、遺言まで残していたのは思いもよらなかった。

「ええ、もちろんです。教えてください」

 母親はまた目を細めてスマホを見た。

「「また残してしまって、すみません」です。なんのことか分かりますか?」

「ええ、分かります」

そう答えながら、目頭が熱くなるのを感じた。

 初めて真維と会った時に、家内が亡くなるのを看取るのはとても辛かった、もう二度とあんな経験はしたくないので、再婚はしないと言ったのを彼女は覚えていたのだろう。それなのに自分の方が先に逝き、また残してしまった。それを謝っているのだろう。

 

 謙介は泣きそうになるのを堪えるために、彼女に聞いた。

「死因はなんだったのですか?」

「癌が膵臓に転移していて、それが命取りでした。医者が言うには現代医学では膵臓癌は治せないそうです。若いから進行も速かったそうで」

「でも、3月に一時退院していますよね?それからは治療が楽になったのですよね?」

母親は足を止めた。

「よくご存知ですね」

「メールをくれたので」

「そうなのですね。でも、実は真維には本当のことは言っていなかったのです。本当のことは隠していたのです。

 今は医者が本人の意思を確認することになっていますが、一度目の手術の時に、「もし私が死ぬということが分かっても、嫌だから決して私には知らせないで」と言っていたのです。

もしかすると、冗談だったのかもしれないけれど、その言葉どおりに内緒にすることにしました。

 一時退院の後はもう抗がん剤治療はせずに、終末医療で緩和ケアを始めました。それで、だいぶ楽になったみたいで、歌をよく口ずさむようになりました。

 一度、体調が良かった時に、相部屋の患者さんから「真維ちゃん何か歌ってよ」と言われて、上体を起こして、十八番のハナミズキを歌い出したことがあったのです。病院だから大きな声は出せないし、そんなに声量もなくなっていたので、小さな声だけど、あの子の声はよく通るでしょ?それで、聞こえたのだと思います。他の患者さんや看護師さんや介護士さん、お医者さんまでが病室の周りに集まってきて、まるでミニコンサートみたいでした。その後も請われて、時々いろいろな歌を歌うようになりました。テンカラの歌ではなく、有名な曲ばかりでした。マイウェイを歌ったこともあります。あの時も絶賛されました」

  母親は目を細めて、楽しそうに微笑んだ。そして、思い出したように「あ、もしかして、マイウェイを教えたのは小林さんですか?」と問うた。

「ええ、そうです。真維さんを元気づけると思って」

「ええ、きっと元気づけたと思います。本当は3月末までだと言われていたのですが、5月の連休明けまで生きたのは、歌への愛があったから、歌の力に励まされたからだと思います。


「私には愛する歌があるから、信じたこの道を私は行くだけ、すべては心の思うままに」

 このフレーズを鼻歌でよく歌っていました。

 本当に娘にぴったりの歌詞だと思います。

 それで、葬儀の時には「いつか、君とふたたび」やテンカラットの歌やハナミズキなど娘のの好きだった歌と一緒にマイウェイも流しました」

 

 墓についた。

 謙介は花を手向け、線香に火をつけて、しゃがんで、手を合わせた。

 母親はそんな彼の様子を後ろで見ながら、「不思議だわ。こんな風に真維のお墓参りに来た人と偶然出会うなんて。盆だから、あの子が戻って来て引き合わせたのかしら」と独り言を言った。

謙介は涙がこぼれそうになるのを懸命に我慢しながら、拝み終わり、立ち上がって、母親の方を振り返った。

「ありがとうございました」

 そう言った彼女に対して、彼は黙ったまま頭を下げた。一言でも発すれば、感情が一気に溢れ出て、嗚咽を漏らしそうに思われたからだった。

「失礼ですが、どういう関係だったのでしょうか?」

そう言われて、昂っていた感情が一気に治った。

「仕事関係の知り合いですが、真維さんの才能を買っていて、一ファンでもあります」 

 もし真維の親族や知り合いに会って聞かれたら、答えようと用意していた口実を言った。

「そうですか。今日は関西から来られたのですか?」

「いえ、息子が東京に住んでいるから、昨日兵庫から来ました」

「遠くからわざわざありがとうございました。こんな田舎なので、都内からでもだいぶかかるのに」

「いえ、こちらこそもっと早く来たかったのですが、コロナのせいで、こんなに遅くなって申し訳ありませんでした」

気分が落ち着き、改めて母親を見ると、真っ赤な丸いペンダントトップのついたネックレスをつけているのに気がついた。

「そのペンダントはもしかして、真維さんの1位の副賞ですか?」

「ああ、これですか?」

先を持ち上げて見せてくれた。

「そうです。真維が1位になった時の賞品です。この歳で真っ赤は恥ずかしいのですが、娘がくれたものだし、娘が「好きな色なので、これにした」と言っていたから、娘の形見だと思って、チェーンを付けていつも身につけています」

 真維が赤が好きだとは初めて聞いた。彼女はいつもピンクとか水色とかの淡い色か、白やグレーの服が多かった。赤色の服やバッグは見たことがないので、意外だった。

 それに確か彼女は母親が好きな色なので、血赤珊瑚にしたと言っていたような記憶がある。


 自分は彼女のことを本当は何も知っていないのではないかと不安になった。

 それで、不躾な質問だろうとは思ったが、一番気になっていたことだし、この機会を逃したら、一生知り得ないと思って、思い切って尋ねた。

「真維さんは恋人はいなかったのですか?」

「え?……そうですね。私が知る限りではいなかったと思います。見舞いに来る人もいなかったし。結婚に失敗して、「もう恋愛はこりごり。私の恋人は歌だ」とよく言っていたので、たぶんいなかったと思います」

 謙介は驚いた。

「真維さんは結婚していたのですか?」

「あ、ご存知なかったのですか?」

「ええ、今初めて聞きました」

「そうですか。……仕事関係の人にも内緒にしていると言っていましたからね」

「良かったら、真維さんの話を聞かせて貰えませんか?」

母親は一瞬、躊躇ったが、意を決したかのように頷いた。

「盆にこうして小林さんにお会いしたのも真維の導きだと思います。それで真維がきっと話してもいいと言っているのだと思います」

謙介は黙って、頷いた。


「娘は小さい頃から歌が好きでよく歌っていました。親バカかもしれませんが、歌はとても上手でした。

 この地区の夏祭りでのど自慢大会があるのですが、娘は小学4年から6年まで三年連続で優勝しました。中学ではもう出ないでくれと言われ、審査員になったくらいです。

 それで、ずっと歌手になりたいという夢を持っていて、高校生になると、卒業したら歌手になりたいと言っていましたが、芸能界って怖い世界だと聞くじゃないですか。そんなところに娘を行かせて、大人の食い物にされてボロボロにされるのが怖くて。主人は好きなことをさせたらいいと言いましたが、私が大反対して、無理矢理短大に行かせて、卒業したら、会社に勤めさせました。

 それから三年後に仕事で知り合った人と結婚して。このまま幸せな家庭を築いてほしいと思っていたのですが、相手の男が勤めていた会社を辞め、自分で仕事を始めたのですが、それが上手く行かなかったみたいで、その頃から真維に暴力を振るうようになって。

 娘は忍耐強いから、それから1年以上も我慢していたみたいだけど、とうとう我慢しきれなくなって、家に帰って来て、娘の口からそんなことを聞いて、主人も私も何も知らなかったものだから、もうびっくりして。すぐに離婚の手続きを始めたのです。

 離婚してからは、娘はやはり歌手になりたいと毎日のように泣いて言うものだから、私もしたいようにしたらいいと言いました。

 後になって、最初から娘の希望通りにさせていたら良かったと何度も後悔しました。そしたら、あんな苦労はしなくて良かったのに」

母親は話を止め、ポケットからハンカチを出して涙を拭った。謙介はなんと言ったらいいか分からず、黙っていた。

「ごめんなさい。……それから、娘は都内に住んで会社に勤めながら、オーディションをいくつも受けたみたいですが、どれも不合格でした。ずっと歌を歌っていなかった素人が簡単に受かるほど、甘いものでなかったようです。年齢も年齢でしたし。また、娘は言わなかったのですが、毎日ように顔を叩かれていたので、骨がずれていて、発声にも影響していたのではないかと私は思っています。

 それで、歌の練習をする時間が取れないという理由で会社を辞め、アルバイトで生活費を稼ぎながら、毎日、何時間も発声練習をしたり、ボイストレーニングを受けに行ったりして、元の声を取り戻すのに3年もかかったと言っていました。それで、やっとテンカラに受かって。

真維はもう大喜びしてました。29歳にもなってアイドルは恥ずかしいけれど、ようやく夢への第一歩を切れたと言っていました。

それまでは、ロングスカートやジーンズばかりでしたが、テンカラに入ってからはミニスカートや丈の短いパンツばかりになり、一度どうしたのかと聞くと、普段の生活からアイドルにならなければいけないからだと言っていました」

そうだったのだ。色々なことに納得がいった。

「努力家だったのですね」

「ええ、我慢強くて、努力するのがあの子の一番の長所だったと思います」


 母親は謙介をバス停まで送ってくれた。

 バス停に着くと彼女が言った。

「今日は本当にありがとうございました。さっき、娘の導きだから、娘のことを話すと言いましたが、本当は私が話したかっただけかもしれません。娘に悪いことをしたという思いがこの辺りにずっとあって、それを吐き出したくて、誰かに聞いて貰いたかったのかもしれません」

母親は胸に手を当てた。

「いえ、おかあさん、大丈夫ですよ。真維さんは歌手になるという夢を果たして、CDも出してヒットもしたじゃないですか。決して後悔をしていないし、お母さんのことを恨んでいませんよ。お母さん、最近、彼女のブログを見たことがありますか?」

「いえ、辞めてからは一度も見ていません。娘が何も書いていないので」

「ええ、娘さんはもちろん何も書けません。でも、もう卒業して、1年半も経つのに、いまだに誕生日とか記念の日にはファンの方からのコメントが投稿されています。それだけファンの人に愛された真維さんは幸せだったと思います」

 

 バスが来るのが見えた。

「あと、最後にもう一つ聞きたいのですが、真維さんは赤が好きなのですか?」

「いえ、そんなことはなかったので、真っ赤な色が気に入ったので、賞品は血赤珊瑚にしたと言ったのは意外でした」








 

 

 


 

 




 

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