謙介30
早く会って祝いたかったが、年内は10カラットのイベントが多い上に、ソロデビューの様々な準備のために彼女のスケジュールが埋まっていた。そのうえ時間の空いた午前には相変わらず弁当屋のバイトをしていたので、真維は多忙を極めていた。
大翔とはほとんど会話はなかったが、年越し蕎麦やおせちや雑煮を一緒に食べるだけでも何となく正月気分を味わえた。
しかし、大翔が大学に入ってからの二年間は、大晦日も正月も1人で過ごした。
やる事もなく、やる気もなく、自堕落に昼間からお屠蘇を飲みながら一日を過ごした。寂寥感以外の何もなかった。
昨年はまだ真維に対して遠慮があった。が、今年は彼女との距離がずいぶんと近くなったように謙介は感じていた。京都に2回、大阪に1回旅行に行ったし、10万円の援助もしたし、彼女も自分のことを信頼し、わずかかもしれないが好意を抱いてくれているという確信めいたものがあった。
それで、思い切って、正月に会えないかと連絡をしてみた。
31日、1日は実家に帰っているが、2日は初詣イベントのために都内に戻っているので、その日の夜は会えるとの返信があった。
本当は二人で年越しを祝ったり、初詣に行ったり、おせち料理を食べたりしたかったのだが、仕方ない。
自分はそこまでの存在ではない、2日でも十分ありがたいと思った。
それで、2日に会うなら、いっそのこと東京で正月を過ごそうと思って、大晦日に謙介は上京することにした。
ホテルに荷物を預けると、電車を乗り継いで大翔のアパートに行った。そして、気乗りしない大翔を強引に連れ出し、近所にあった蕎麦屋に入った。謙介にとって関東の濃い出汁の蕎麦を食べて年越しをするのは生まれて初めての経験で、なんだか新鮮な感じがした。
明けて、元旦の昼はスーパーで買ったおせち料理と日本酒を持って、また大翔のアパートに行った。そして、またも嫌がる大翔を押し切って、無理矢理部屋に上がり込んだ。
部屋に入るのは不動産屋に連れられて内覧に来て以来で、大翔が住み出してからは初めてのことであった。
1Kで、部屋の片側にベッドがあり、もう片方の隅には机と椅子があり、真ん中に電気コタツが置かれている。
謙介はコタツに座り、おせちのパックを置いた。
机の上には真維の卓上カレンダーが、部屋の壁には真維との2ショットの写真が何枚も貼られていた。
大翔は何か言われるのではないかと身構えていたようだったが、謙介が何も触れないので、拍子抜けしたように黙って台所から皿やコップを運んで来た。
壁に貼られていた一枚の絵が謙介の目に止まった。
四つ切りの画用紙に書かれたもので、橋の上に男女が立ち、夕陽を眺めている絵であった。
男女は真維と大翔であるとすぐに分かった。
真維のブログや大翔のツィートにも書いていたオークションで競り落とした真維が描いた絵であると察しがついた。
拙い絵ではだったが、時間をかけて細部まで一生懸命に描いたのが分かり、彼女らしいなと微笑みたい気持ちになった。
しかし、あれは確か陸橋だった筈だ。それが絵ではなぜか川橋になっている。
不思議に思い、大翔に一瞬尋ねそうになったが、「陸橋だとどうして知ってるのか?」とやぶ蛇になるだけだ。まずいまずいと思い、訊くのはやめた。
大翔の家を出た後、JRの駅からホテルに歩いていると、途中に小さな寄席があるのに気がついた。中の様子を伺うと、新春落語公演と書いている張り紙が見えた。
今まで落語を見たことはない。別に落語が好きなわけではなかったが、暇であったし、正月気分で浮かれていたせいか好奇心をくすぐられたので、入ってみることにした。
20畳ほどの小さな部屋にパイプ椅子が置かれていて、何人もの落語家が次々と演目をし、入場料を払うと、途中で帰ってもいいし、終わりまで居てもいいとのことだった。
名前を聞いたことのない若手の落語家ばかりだが、落語家までの距離が近いし、みんな熱演していて、なかなか面白い。
新年早々、東京で落語を見ているなんて、乙なものだなと上機嫌だった時、真維からメールがあった。
明日は仕事が入って行けなくなった。3日の昼なら会えるので、昼ご飯でも一緒に出来たら嬉しいとのことであった。
ひどく落胆した。
来られないくらい、そんなに夜遅くまで仕事があるのだろうか?
たぶん、男と会うのだろう。恋人か?それともパパなのか?
深夜でもいい、何時でも待つからホテルに来てくれと連絡しようかと思った。
しかし、プライドと意地、そして嫌われたくないという思いから、彼女の言う通りにすることにした。
それからは落語も面白くなく、ただなんとなく話を聞き、終わるとホテルに戻り、缶酎ハイをしたたかに飲んで、寝入った。
2日はホテルのそばの神社に初参りに出かけた。真維はファンと一緒に初詣に行っている。大翔は今日から電気店のバイトがあると言っていたので、初詣イベントには参加していないはずだ。
謙介はホテルに戻ると、何もすることなく、ビールを飲みながらテレビを見ていたが、寂しさともやもやした気分に我慢がならなくなり、デリヘル嬢を呼ぶことにした。
真維に似た大柄で目の大きい子を指名した。よく喋る気のいい女の子で、寂しさは紛らわせたが、もとより真維の代わりになる筈はなかった。彼女を裏切ったという思いがずっと付き纏って、気分は浮かぬままであった。
女の子が帰った後、ホテルのベッドに横たわって、どうせ真維も男と同じことをしている、お互い様ではないかと思ってみたが、疾しさと後悔の念は積もる一方であった。
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