謙介28

 盆休みに京都の鴨川の料理店に川床料理のランチを食べに行った。

 江戸時代に建てられたのであろうか、古びた建物の店で、それが古都の風情を感じさせた。 

 仲居さんに先導されて、洞窟のように暗い廊下を進み、階段を上がってゆく。廊下も階段も黒く塗られた板で作られていて、歩む度にキュッキュと軋む音がした。

 と、突然、視野が明るくなり、日当たりの良い二階の座敷部屋に出た。そして、そこを通り抜けると、河原の方に突き出た店外の座敷があった。

 壁も天井もなく、真っ青な空が頭上に広がっている。

 そこにお膳が並べられており、その前に置かれた座布団に隣り合って座る。

「綺麗ねえ。こういうところは初めて」

 真維は感激していた。

 謙介も初めてであった。

 青空の下、鴨川が流れ、対岸の緑の木々とのコントラストが清々しくて美しい。


「先日はありがとうございました」

 ビールで乾杯をした後、真維は10万のお礼を言った。

「どう、1位になれそう?」

「それが全然分からないのです。そういうのはテンカラはガチなのです。ライブが近づいて、リハーサルが始まれば、立ち位置で何位か大体想像がつくのだけど、事前に教えてはくれないのです」

「そうなんだ。1位になれたらいいね」

「ええ、小林さんからも助けて貰ったし、祈るような気持ちです」

「ねえ、1位になると親会社から宝石をくれるでしょ?やっぱりサファイアにするの?」

「え?ああ、そういうのがありましたね。……全然考えてもいませんでした。ソロデビューしか考えていなくて……。もし1位になれたら、それから考えます」

「そうなんだ」

「綺麗ねえ」

 彼女は目を細めて再び言った。

「こういう景色を見ていると、嫌なことや心配事などすべて忘れられますね」

謙介も同感であった。

 川べりの床に座り、涼やかな微風を受け、青空と鴨川の流れを見ながら和食をつまんでいると、心が浄化されていくのを感じる。

 彼女と知り合わなければ、こういう所に来ることは一生なかったと思う。そして、彼女と二人で食事出来ることの幸せを噛み締めていた。


「もし、ソロデビュー出来たら、ポップな曲でなく、バラードがいいなあ」

「君は歌が上手いんだってな。誕生祭でハナミズキを歌ったんでしょ。バイヤーさん達やメンバーも絶賛してたよ」

「うふふ、ありがとう。めっちゃ小さい内輪の話ですが」

そう言って、微笑んだ。

「アイドルらしからぬと言うのですか?AKBの365日の紙飛行機という歌を知っていますか?」

「うん、朝ドラの主題歌だったやつでしょ?」

「そう。あんな聞かせる歌がいいの」

「希望は聞いて貰えるの?」

「以前、茉由さんに聞いたのだけど、最初に企画会議があり、それに参加出来て、こういう曲がいいという要望は出せるそうなの。そして、作詞家と作曲家先生に依頼して5曲くらい作って貰って、その中からA面とカップリング曲を選べるみたい。そのくらいの権利はあるらしいです」


食事を終えた後、彼女は立ち上がり、景色を眺めるために河原の方の柵に近づいて行った。

 写真を写そうと謙介も立ち上がると、ちょうど食器を片付けに来た仲居さんから「お撮りしましょうか?」と声をかけられた。

一瞬遠慮しようかと思ったが、二人で写真を撮ったことはこれまでに一度もないことに気がついた。

 それで、柵のところに並んで立ち、青空と鴨川を背景に、真維のスマホで写真を撮って貰った。

 

 別れた後、彼女からお礼の言葉とともに写真が送られて来た。

 彼女は写真を撮られることに慣れている様子で、にっこりと美しく微笑んでいた。

 自分は川面を渡る風のために、薄くなっている髪がさらに乱れて薄くなり、みすぼらしく年老いているように見えた。どう見ても彼女とは不釣り合いに思え、落胆し、溜め息をついた。


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