謙介16

 彼女の誕生日前の土曜に謙介は真維と逢うことにした。

 世界三大珍味のうちキャビアやフォアグラは食べたことがある。しかし、トリュフは何かの料理に少しかかっていただけで、どういうものなのかよく分からなかったし、香りや味もはっきりと覚えていなかった。

 それもあり、彼女の誕生日祝いということで、都内のトリュフ専門店を予約した。


 約束の8時頃には間に合わないとの連絡があったので、謙介は先に店に入って待っていた。20分ほどして、彼女がやって来た。

 驚いたことにいつものようなラフな格好ではなく、白地に紺の水玉模様のワンピースを着て、空色のハンドバッグを持っていた。

「高級レストランでの食事なので、OL時代の服を数年ぶりに来てみました。変ですか?」

「いや、似合ってる」

「よかった。自分では落ち着かなかったので、小林さんに変に思われないか不安でした」

「素敵です」

 いつもよりずっといい、と続けようとしたが、言葉を飲み込んだ。

 テンカラットや彼女のブログやツイッターに載っている写真をいっぱい見た。

 正直言って、テンカラットのユニフォーム姿が一番似合っていない。 

 年齢と衣装が合っていない。

 娘が言っていたように若作り感がすごく出ている。

 先日の水着のような大人の女性のセクシーなものや今日のようなエレガントな服の方がずっと似合っている。


「いつもすっぴんでラフな格好なのに、今日はメイクしてワンピースを着てたから、メンバーから一体どうしたの?何があるの?デートなの?と冷やかされました」

 そう言って、真維は微笑んだ。

 

 普段はこういう格好をしないのだと知り、謙介は自分のためにわざわざしてくれたことに感激した。そして、彼女には、おめかしをして逢う男性、つまり恋人はいないのではないかと思った。

 アイドルグループは恋愛禁止という規則があると思っていたが、テンカラットはファンやスタッフとの恋愛は禁止されているが、それ以外ならオッケーということであった。

 ネットでそれを読んだ時から、恋人がいるのではないかとずっと心配していたので、それを聞いて少し安堵した。


 料理は奮発してトリュフのコースにした。

 ワインを飲み、料理を楽しんでいると、ウェィトレスが来て、「オプションで、トリュフの追加が出来ますが、どうされますか?」と言った。

 何gと言ったのかよく聞き取れなかったが、追加料金が2000円というのは分かった。彼女の手前2000円をせこるのはみっともない。

「では、お願いします」と答えると、ウェイトレスは金具のようなもので数回トリュフを削った。

「少な!」

ウェイトレスが去った後、彼が小声で言うと、真維は頭を少しのけぞらせて口に手を当てて笑った。彼女が本当に面白がっている時にするポーズである。

「聞こえなかったけど、何gと言っていた?」

「私もよく聞こえなかったけど、確か3gのような」

「高っ!」

そういうと彼女は頷きながら、また手を口に当てて笑った。


 ホテルに行くと、真維は約束通り、先日の水着に着替えてくれた。

 実物を目の当たりにすると、写真より数倍煽情的でエロチックであった。

 大翔をはじめどれだけ多くの男がこの水着の中を見たがっていることか、そう思うとひどく興奮して、たまらなくなった。

「ガルー」と言いながら、彼女にむしゃぶりついた。

「あっ」彼女は小さく悲鳴を上げ、それから「ばかねえ」と笑いながら言った。

 

 行為の後、ベッドに並んで仰向けになり、謙介はテンカラットのことをいつ切り出そうかとタイミングを測っていた。それで、本題を言う前に、別のことを言った。

「誕生日プレゼントは何がいい?」

「えっ、いいのですか?この前水着を買って貰ったのに、申し訳ないです」

「いや、水着は商売上必要なもの。誕生日プレゼントは君本人の個人的なものだから、全然違う。遠慮しなくていいよ。何でも言って」

「本当にいいんですか?じゃあ、ずっと欲しかったコートがあるのです。それをおねだりしてもいいですか?」

 コート……、一体いくらするのだろうか?自分で何でも言えと言ったが、コートなんかピンキリで、プランドものになると何十万もするのではないだろうか?

 彼は内心狼狽え、恐る恐るたずねる。

「いくらくらいするの?」

「ハイブランドではないのですが、若い人に人気のあるブランドもので、通販で割引使えば5万円くらいかな?」

 ほっとした。そのくらいなら大丈夫である。

「分かった。いいよ」

「いえ、高いので全額は申し訳ないので、一部出してくれたら、それで十分ありがたいです」

「いや、それではプレゼントにならないから、全額出すよ」

「ホントに?ありがとうございます!とても嬉しいです」

そう言って、真維は彼の脇に抱きついて、しなだれかかってきた。それから、楽しそうに鼻歌を口ずさんでいる。

 

 言うのは今だ、と思い、彼は切り出した。

「東京10カラットに所属しているのだね」

真維は弾かれたように身体を離し、上体を起こした。シーツで前を覆ったが、謙介の目の前には剥き出しの背中があった。

 前屈みで丸くなった白い背中が小刻みに震えていた。大柄な彼女なのに、その姿は小さくか細く弱々しく見えた。こんな彼女の姿を見たのは初めてだった。

 思いがけない彼女の反応に、彼は慌てて言った。

「心配しなくていい。誰にも言わないから」

「……ほ、ほんとうに?」

「ああ、本当だとも。俺は碌でもない男だけど、君の信頼を損なうようなことは決してしない」

 彼女がほっと息をつくのが分かった。

 しばらくして、彼女は振り返った。

「なぜ分かったのですか?」

 まさか息子があなたのファンだからとは口が裂けても言えない。咄嗟に娘が言っていたことを思い出した。

「JKリフレで補導された子がいたじゃない。ネットニュースでそれを見て、どんなグループか検索したら、君の写真があったから」

「そうなのですね。あんな事件があったからですね」

「すぐにメールで言おうと思ったのだけど、こういう大事なことは直接会った時に言った方がいいと思って」

 少しは事実であったが、本当はメールで言って、今日会うのを断られることを恐れていたからである。6月以来だし、水着のこともあって、今日はとにかく彼女を抱きたかった。

「そうなのですね。気を遣って頂いて、ありがとうございます」

 彼女はそんな謙介のいやらしい打算を知る由もなく、感謝の言葉を述べた。


 それから、なぜ名前を変えているのかを訊いた。

 確かAKBなどは本名だった筈だ。

「それはメジャーなところは大手の事務所に入り、マネージャーも付いて守られているから。テンカラみたいなところは、何もないから、身バレが怖いのです。ほら、地下アイドルがファンに襲われたことがあったでしょ?うちは苗字を出していないけど、念のために漢字は変えたの。白石麻衣さんているでしょ?」

「ああ、有名だよね」

「同名だからあやかって、麻衣にしました」

「誕生日は?5歳もサバを読むとは大胆というか思い切ったね」

「 ふふ」

 真維は笑った。

「やっぱり、やりすぎだと思う?」

「君は若くは見えるけど、5歳というのはすごいな。ツワモノだと思った」

「あはは」

 真維は口を手に当てて笑った。

「実は理由があるの。うちの試験は普通、社長と支配人と歌の先生とダンスの先生の4人が審査員なのだけど、私が受けた時はたまたまオーナーがいたの」

「オーナー?社長と支配人と3人もいるの?」

「あのね、夕夏江さんという歌手を知っていますか?」

「うん、昔、ちょっとだけ売れた演歌歌手でしょ?」

「ちょっとだけ……」

 彼女は笑った。

「宝石の通販会社の社長、オーナーのことだけど、夕夏江さんと知り合いで、夕さんのために芸能事務所を作ったの。

 それからアイドルグループが流行りになってから、宝石の宣伝と会社のアピールも兼ねて宝石をコンセプトにしたテンカラを作ったの。

 だから、事務所にはテンカラの他にも昔有名だったおじさんやおばさんの歌手や芸人さんが何人もいるのです。 

 で、その事務所の社長がいて、テンカラの業務全般を仕切っているのが運営で、その責任者が支配人なのです」

「つまり、オーナーは宝石の通販会社の社長で、その子会社に芸能事務所があり、その所属グループのテンカラの責任者が支配人ということですね」

「その通りです。で、オーナーが私のオーディションの時に、たまたまテンカラを視察に来ていたの。私のパフォーマンスの後、支配人は落とそうと思ったのか「せめてあと5歳若かったら、頭を下げてでも入って貰いたかったのだけど」と言ったたら、オーナーが「では、5歳若くしたらいい」と言ってくれて、鶴の一声で合格が決まったの」

「運が良かったね」

「ええ、とってもラッキーでした」

「嬉しかった?」

「もちろん!歌手になるのが夢だったから。私、踊りは得意ではないです。でも、歌には自信があるのです。それで、ステージに立って歌える仕事にずっとつきたかったの。それが叶って、感激して号泣してしまいました」

「そうなんだ。オーナーがいたのは運命だったのかもね。でも、君は美人だからね。君が若かったら、テンカラももっと人気が出たと思う」 

「それ、よく言われます」

 彼女は真顔で言った。

「誕生月も5小さくして、4月23日にしました。でも、知っているのは審査員の5人だけ。バイヤーさんはもちろん、スタッフもメンバーも知らないの。他のメンバーも名前や年齢を偽っているかもしれないけど、私は知らないし、別に知りたくもない。芸名の人も多いし、年をサバを読むのもよくある世界だから。気にならない」

 ふーんと謙介は思った。虚構の世界か。

 そういえば、交際クラブの社員も虚構の世界みたいなことを言っていたな。 

 こうして、自分が合っている真維も虚構なのだろうか?


 別れの際に、謙介は「俺は悪い男だなあ」と思っていたことがつい口に出た。

「え?」

 真維はまた怯えたような表情になった。

 息子に内緒で、交際クラブに入り、推しの女性を抱いたことに対する罪悪感からつい出た言葉だったが、真維は勘違いしたらしい。

 本当のことは言えないのて、慌てて思いついたことを言った。

「いや、死んだ家内に申し訳ないと思って」

「そうなんですね」

真維は安心したかのように微笑んだ。

「天国の奥様もきっと許してくれますよ。小林さんが奥様のことすごく愛していたのは、奥様も分かっていますよ。私は奥様の代わりに小林さんの男性としての欲求を処理しているだけなので、けっして怒らないと思います」







  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る