謙介1

 謙介は度々腕時計に視線を落としながら、落ち着かなくシティホテルのロビーのソファに座っていた。

 と、スマホに着信があった。

 5時55分。待ち合わせ時間のちょうど5分前である。

「小林様の携帯でしょうか?」

「そうですが……」

エントランスの方を見ると、紺色のスーツを着た30半ばの男がスマホを耳にあてたまま歩いていた。

 謙介が立ち上がると、男は彼に気づいたようで、

「わかりました。失礼します」

 そう言って、電話を切り、会釈しながら、近づいて来た。

 どういう男が来るのか不安であったが、スーツ姿で、髪をきれいに撫でつけたエリートサラリーマンのようにしか見えない男だったので、意外であった。

 そういう類の店なので、柄の悪そうな男かチャラい男が来るものだと思っていた。

「小林様、今日はありがとうございました」

 そういうと、男は謙介の前で立ち止まり、深々と頭を下げた。 

「あ、いや、どうも」

 謙介が立ち上がると、「では、お話はラウンジでいかがでしょうか?」と言って、男はロビーラウンジの方へと彼を案内した。


「あちらの席がよろしいかと」

 そう男に促されたので、謙介は窓際のテーブルの奥側の席に座った。

 男は前の席に座り、「この度はご連絡ありがとうございました」と言って、名刺を差し出す。 

 [クリエーションクラブ、コンシェルジュ上田]と書いてあった。

 こういうクラブでは、営業のことをコンシェルジュというのか、と謙介は思った。

 ウエイトレスが注文を取りに来て、謙介はアイスティーを注文し、男はアイスコーヒーを注文した。


「小林様は交際クラブは初めてでしょうか?」

 ウエイトレスが去ると、男は口を切った。

「あ、そうです」

「さようでございますか。当社は出会いを求めている男女に出会いの場を提供させて頂く会社です」

 それから、店のシステムを説明し始めた。

 男性も女性もまずは登録して、店の審査を受け、それに通らなければ会員にはなれない。だから、ヒモつきのようないかがわしい女性に出会う心配はない。女性会員も身元が保証されている男性しかいないので、へんな男や危ない輩と出会う恐れはない。

 女性会員は容姿や職業により、上から順にブラック、プラチナ、ゴールド、シルバーの4つのクラスに分かれている。

 男性会員の場合も同様に4つのクラスに分かれているが、男性の場合は入会金の違いでクラスを分けられる。

 ブラックは30万円、プラチナは10万円、ゴールドは5万円、シルバーは3万円が必要であった。

 そして、男性は自分と同等のクラス、またはそれ以下のクラスの女性にデートの申し込みが出来るということだった。

 

 ウエイトレスが飲み物を持って来たので、男は話を止め、ブリーフケースからノートパソコンを取り出した。

 そして、パソコンの画面を謙介に見えるように、また店内からは見えないように、窓の方に向けた。

 首を傾けて、覗き見ると、女性の顔写真が画面上に並んでいた。

「たとえば、この女性はモデルの方です」

 そう言って、顔写真をタップすると、女性の全身を写した大きな写真に変わる。そして、スライドして、3枚ほど写真を見せた。

 モデルというだけあって、スタイルの良い背の高い目鼻立ちのはっきりとした美女である。田舎に住んでいる自分の生活では普段会えないような女性である。

 こんな人もいるのか、信介は目を見張った。想像でしか出会えない、まさに理想の相手である。

 その時、ふと、窓に女性の写真が映っているのに気づいた。外がずいぶんと暗くなって来て、窓が鏡のようになり、画面上の女性の写真が反射しているのだった。

 ウエイトレスや他の客に見られていないだろうか?また、外を歩いている人からも見えているのではないだろうか?

 謙介は急に落ち着かなくなった。三十半ばのスーツにネクタイ姿の男とポロシャツとチノパンのラフな姿の初老の男がラウンジの端に座って、パソコンで女性の写真を見ながら、何かコソコソと話しをしている。いかがわしいことかぎりない。

 これから宿泊しなければならないのに、ウェイトレスからホテルの他の社員にへんな噂が広まるのではないだろうか?さすがにそれはあり得ないか?

 謙介は色々な心配をし始めたが、男はそんな彼の気持ちなど、微塵も気づかずに次々と女性の写真を繰って説明していた。が、謙介は上の空で、男の言葉は頭に入って来ない。

「あ、もういいです。わかりました。綺麗な女性がいっぱいいますね」と、暫くして、頃合いを見て、謙介は言った。

「さようでございます」

男は我が意を得たりという感じでうなづくと、パソコンを自分のほうに向けた。 

謙介はほっと息をついた。

 次に、身分証を見せるように言うので、謙介が運転免許証を渡すと、男はなにやら情報をパソコンに入力し始めた。

 悪用されはしないか不安になったが、「ままよ。どうなっても」と思った。普段は小心者だが、時に自分でも不思議なくらい大胆になることがある。

 知られたって、別にどうってことないし、そういう規則なら、従わざるを得ない。

 それから、男は職業と年収と好みの女性のタイプを訊いた。

 謙介は少し照れながら、答える。

「大人っぽい落ち着いた感じの人がいいです」

「例えば、芸能人でいえば?」

「えーと」

 顔は思い浮かぶのだが、名前が出て来ない。歳のせいか最近こういうことが多い。若い頃にポッキーのCMで人気が出た子だ。なんと言ったっけ?えーと、えーと、そう、思い出した!

「……ガッキーとか」

「新垣結衣さんですね」

 そうそう、新垣結衣だった。

「お目が高いというか、なかなかハードルが高いですね」

 男は苦笑した。

 

 それから、クラブを利用する時は本名でなく、必ずクラブネームを使うので、何にするかと問われた。

 想定外のことを言われて、謙介は戸惑った。 

 生まれてからこれまで偽名など使ったことはない。LINEも本名である。なかなか思いつかない。

「僭越ですが、小林様なので、小森様とかどうでしょうか?」

様子を見ていた男がこのままでは埒があかないと思ったのか助け船を出した。

「そうですね。では、小森にしょうか。いや、森田がいいかな。森田謙作で、お願いします」

「承知致しました。森田様」

 後で、千葉県知事の元芸能人の名前と同じであったことに気づいて、森田健吾に変えて貰ったのだが。


 以上で、今日の面接は終わったらしい。その後、質問はないかと言うので、謙介は女性にどのくらいの謝礼を渡したらいいのかを尋ねた。

「女性と会った時に交通費として、1万円は必ずお渡しください」

「いや、男と女の関係になりたい場合、いくら渡せばいいのかということです」

「大人の関係になった時のお手当ということですか?」

 上手い表現だなと思った。

「ええ、そうです。それはいくらなのですか?」

「それは女性とお二人でお決めくださることで、私の方では言い兼ねます。私どもは売春の斡旋業者でありませんので」

男はちょっとムッとした表情に変わった。

「なるほどね。でも全く見当もつかなくって。ネットで調べてみたのだけど、色々だったので。一般的にはいくらくらいですか?」

「一般的には5万が相場みたいです」

 男は苦々しい顔で、言った。

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