セリフなんかじゃない

 私、水戸部楓は人とうまく話せなかった。

 極度に緊張してどもってしまい、言いたいことの半分も伝えられない。


 そんな私がクラスで孤立するのは自明の理であった。

 もちろん幼い頃は友達もいた。だけど、大きくなるにつれて友達はおしゃれに目覚めて離れていった。


 幸運にも私は本に出会えた。

 本は私の精神を落ち着かせてくれた。

 一人でいられる強さを身につけられた。


 今日もクラスは騒がしい。

 美少女で有名な猪俣いのまた京子さんを中心に集まるクラスのリア充グループ。

 私には関係ないと思っていた。


「あっ、水戸部さん、今日みんなでカラオケ行くんだけど――、水戸部さんも行ってみない?」


「え、あ――」


 突然クラスのカーストトップから話しかけられて私はキョドってしまった。

 周りを見渡しても私に喋りかけているのは明白。

 リア充とカラオケ……。

 絶対言っても後悔する。私は断ろうと、勇気を振り絞って声を出そうとした――


「わ、私――」

「はい、決定〜! じゃあ放課後駅前のカラオケバサラで待ってるね! 楽しみだね!」


 私は自分の置かれた状況を理解した。

 こんなデブでブサイクな私を誘う理由はイジるためだ。

 それしか考えられない。……今までではハブられていただけ。……行かなかったら余計悪化する。


 でも、今日の私は少し心が上向きであった。

 それは……、投稿しているWEB小説にファンアートが送られてきたからだ。

 返信をしようと思ったけど、すぐに返信したら変な人と思われちゃうか心配だった。

 長文でお礼を書いたけど、気持ち悪いと思われたら嫌だから消しちゃった。

 ……うん、家に帰ったらもう一度書こっと。






 カラオケバサラの前で私は一人待つ。

 ガラスに映る自分の姿が嫌だった。ダサい制服の着こなし、丸メガネに古臭い髪型。コミュ障だからまともに話すこともできない。


 だけど、小説は違う。私が作り出したキャラが物語を描いてくれる。

 スマホの壁紙に写っているファンアートを見る。

 私の理想通りの主人公の男の子がそこにいた。


 ――原作を相当読み込んで内側から出てくる性格までわかるよ。すごい絵描きさんね。


 一枚だけだけど、素人レベルではなかった。今まで見たどのイラストレーターさんよりも衝撃を受けた。



「おっ、誰かいんじゃん? ……水戸部? ヒトカラか?」

「はっ? 私が呼んだんだよ。人数多いから二部屋だね」

「おー、そうだな。とりま勝負すっか」

「それな」

「あはは、勝負したら俺が負けますよ。楽しく歌いましょう」

「あ、ああ、そうだな」


 クラスメイトが来た。

 本当に来るとは思わなかった。絶対私はこのまま三時間くらい待つ羽目になって、トボトボと帰ると思ったのに。


 ――総勢で十数人ほどいるのかな?


 誰も私と目を合わせようとしない。

 誘ってくれた猪俣さんは、えっと、神楽坂君の横にべったりだ。

 神楽坂君は少し変な人だ。


 キレイな顔をしているけど、時折突拍子の無い事を言う。

 クラスの子達は面白がっているけど……見ててあまり気持ちよくない。

 でも、私にはどうしようもできない……。自己嫌悪に陥る。


 そういえば、神楽坂君がちゃんと笑っている姿って見たことない。

 いつも口元を捻じ曲げているだけの笑い方。


 私はそれを見て、ひどく胸がかき乱される。なんであんな笑い方をするのか、すごく気になる。


「水戸部、早く来いや! こっちの部屋だぞ!」

「は、はぃ……」


 私は胸をバクバクさせながらカラオケルームへと向かった。








 ――早く帰りたい。


 こんな気持ちになるのは、中学の時の事件以来であった。

 中学の時も私は地味でデブでブスであった。

 幼馴染のリア充タケル君は私にかまってくるけど、そのせいで逆にクラスのギャル女子から嫌がらせを受ける。


 鈍感勘違いのタケル君はそんなのお構いなしだ。

 私の面倒を見ようとする。

 挙げ句、一緒に登校しよう、と言い出す始末であった。


 最悪な事が起きた。

 私が書いたプロットノートを何故かタケル君が読んでいた。机の中に仕舞っておいたのに!?

 ギャルたちがニヤニヤと笑っている。


『うーん、ちょっと主人公が気持ち悪いな。これって作者の願望が書かれているだけの小説? えっと、これって誰の? 今野こんのの?』


 私が血相を変えてタケル君に迫る前に、ギャルの今野さんがノートを奪い取った。


『ぎゃははっ、マジ妄想乙。超きもいって!! 書いてる作者を見てみたいっしょ!! あはは、えっと、ペンネームはハムスケ……、ダッサ――、んっ、ごほん、えっと、「婚約破棄された可哀想な令嬢――』


 そのまま今野はプロットを大声で読み始めた――

 私の心の何かが壊れそうになった。


 だから、私は自分の席で耳を塞いで時間が過ぎるのを待った……。

 どれだけ過ぎたかわからない。でも、塞いだ手を離したら今野の声が聞こえてくる。

 気がつくと一日が過ぎていた。


 プロットノートは私のカバンの上に置かれていた。

 私はノートを投げ捨てたかった。……だけどそんな事できない。

 だって、これは私の宝物。ノートに罪はない。


 だから絶対負けない、私は書き続ける――

 私はその日から、本当に誰とも喋らなくなった。

 泣いている暇があったら執筆する――


 私は本当のボッチになった。







 ――あの時みたいに地獄の時間よね……。


 状況は違うけど、みんなが楽しそうに喋り、騒ぎながら歌っている。

 私は部屋の隅っこでタンバリンを持って叩いているだけだ。


 私以外のクラスメイトはすでに三巡目の歌を歌っている。

 疎外感がマックスであった。

 まるで私だけ見えていない。

 仲の良い姿を見せつけられているみたい。


「お、お手洗い……行ってきます……」


 ちょうど歌が終わった時、私は動いた。

 誰も喋らない沈黙の時間が生まれた。すごく気まずい。

 私が部屋を出ると――すごく大笑いをしている声が聞こえてきた――


 なんで、私、今日カラオケしてるんだろ?

 悲しくなりながらも私は外の空気を吸うためにカラオケ店内から出た。






 まさか、誰もいなくなるなんて――

 こんな悪質な嫌がらせは初めてであった。

 ……正直そのおかげで神楽坂君……神絵師さんと仲良くなれて良かったけど……。


 なんとも複雑な気分であった。

 神楽坂君は漫画の知識がすごかった。それに小説の細部まで読んでいる人であった。

 私は思わず嬉しくなって早口で喋ってしまった。気持ち悪いと思われたかもしれない……。

 でも、そんな小さな事を忘れるくらい楽しかった。


「……あれ? お姉ちゃんなんか嬉しそうね? ていうか、お姉ちゃん笑うと超カワイイのにぶすっとしてるから」


「う、うるさいわよ! わ、私はどうせデブだもん!」


「はいはい、マジで痩せないで。ていうか、ちょっとでも痩せたらモテすぎてやばいっしょ」


「うぅぅぅ、バカバカ!」


「はいはい、で、絵師さんと会ったんだって? ていうか、同じクラスって運命的じゃん。ちょー羨ましいって。あ、顔赤いよ、ふふ」


 私は家族に恵まれていた。妹と話す時間が私にとって癒やしであった。

 お父さんもお母さんもほんわかして可愛らしい。

 ……でも、もう少しご飯の量を減らしても……。


 この時はまさか次の日あんな事件が起きるとは思わなかった。








「あんた隼人と何話してたの? ていうか、何様?」


「え、あ、そ、そそ……」


 怖くて声が出せなかった。リア充の威圧に押しつぶされてしまいそうであった。

 猪俣さんは私が神楽坂君と二人で歩きながら楽しそうに話している姿を見たらしい。

 ……多分、こっそり陰から取り残された私達の反応を見ていたのかな?


 ……すごく趣味が悪い。

 なんでこんな事をするんだろう……。


 神楽坂君の幼馴染の猪俣さんはどう見ても神楽坂くんの事が好きだ。でも、なんでかわからないけど見下している。

 恋愛に鈍い私でも一目瞭然。


「わ、た、関係な――」

「はっ、私には関係ないって? 何様よ。キモい女のくせにさ」


「ね、ねえ、少し言い過ぎじゃないかしら? 京子、ちょっと落ち着きなって――」


 委員長の五月雨さみだれ美鈴さんが猪俣さんを諌めてくれる。

 でも、さらにヒートアップしちゃった……


「部外者は黙っててよ! これは、このキモイ女と私の話。はぁ、隼人に相手にされないからって私に当たるのはよしてよ」


「……そ、そんなつもりは……」


 五月雨さんは手につけられないと思ったのか、自分の席に戻ってしまった。


「ていうか、あんた話聞いてんの? 私はあんたの話してるの? ウジウジして――ん、あんた何そのノート?」


 昨日の事があって、浮かれていた私は机の上にノートを出しっぱなしであった。新しいプロットが浮かんだからすぐに書こうと思って――

 顔面が蒼白する――


 私は焦りながらノートをカバンにしまおうとした――が、

 猪俣さんが私の手を掴んだ。


「ふーん、大切なんだ、それ――えいっ」


「や、やめ――」


 いやらしい笑みを浮かべながら猪俣さんは私のノートを奪い取った。

 そして――


「なになに……、ぷっ、これって妄想書いてるの? ねえ、これやばくね? ちょ、見てよ――」


 リア充友達にノートを渡す。

 もう私がどうこうできるレベルでは無くなった。

 猪俣さんは私を一瞥して自分の席に戻る。


「マジ、なにこれ? キモッ、みんな見ろよ」

「ふ、ふーん、恋愛小説? 地味子が?」

「うわー、痛いっしょ」


 ――大丈夫、嵐が過ぎれば――、時間が過ぎれば――


 私は中学の時みたいに、耳を塞いで……机に突っ伏した。

 心は強くなったはずなのに……、大丈夫なはずなのに……。


 嗚咽を抑えても抑えても止まらない。悔しくて悔しくて涙が止まらない――






 だから、私は神楽坂君の敬語じゃない素の声を聞いて驚いた――


「――ガキの遊びはやめろ」


 駄目だよ、神楽坂君まで嫌がらせを受けちゃうよ――


 顔を上げた私の目に飛び込んで来たのは――

 精悍な顔立ちで真剣な表情の神楽坂君であった。


 な、に、これ? ……顔付きが全然違う……。


 神楽坂君が声を発するたびに私の心に何かが響いてくる――


 カケル君の事があったから男性は苦手だったはずなのに――

 カケル君は友達じゃなかった。私の小説を馬鹿にした。


 卒業式で喋ったときも、





『まだ小説なんて書いてるの? 高校一緒なんだから心機一転部活でもしようぜ!』


『……高校、違うから』


『へ? そ、そんな事ないだろ? 俺調べて――』


『それに小説なんてって言ってる人と関わりたくないわ』


『だって、小説なんて書いてもプロになれるわけ――』


『――プロになったから。本、発売されるよ。じゃあね、二度と顔見せないで――』


『まて、まってくれ!! お、俺たち幼馴染で友達だろ? と、友達が作家なら自慢でき――お、おい、まてって――』



 ――もう記憶から消した過去の話。

 それでも猪俣さんと言い合う神楽坂君を見て思い出してしまった。


 神楽坂君が私を見つめていた――

 そんな表情見たことなかった。泣いているように見える。なんで? 悲しいの? 

 たまたま小説書いている私と、絵を描いている神楽坂くんと接点があっただけ。

 期待なんてしていない。これからもずっと――


 そのはずだったのに――







「――お前が必要だ。初めての友達になってくれ」






 その言葉が私の胸に食い込んだ――

 息もできないほどの言葉の強さに私はこみ上げてくるものが抑えられなかった。

 私達にしかわからない小説の中のシーンと同じセリフ。


 だけど、この前とは違う。その言葉は借り物じゃない。紛れもなく神楽坂君の感情が込められた言葉であった。



 ――そっか、私も、友達が欲しかったんだ……、




 私は泣きながら何度も頷いていた――



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