−196℃ストロング・ゼロとの日常

アズマライト

第1話:−196℃の誕生

 仕事終わり、金曜夜のルーティーンは決まっている。

 俺は部屋に帰るなりスーツを脱ぎ散らかし、ボロボロのソファに沈むように座っては、ストロング・ゼロのプルタブを音を立てて開け、口をつけて一気に飲み干す。

「う……ゲホッ! ゴホ!」

 三回に一回ほど、むせて死にそうになるが、これが今の俺の人生の、唯一『生』を実感できる瞬間だった。

 空き缶を握りつぶし、床のビニール袋に放り込む。45リットルのゴミ袋がもう満杯だ。ここ最近飲んできた分で、今日まで捨ててこなかった分である。

 二缶目を開ける前に、リモコンを手に取り、目の前のテレビをつける。経済ニュースは気が滅入る。芸人バラエティは嫌気がさす。

 テレビを消し、スマホを開く。ホーム画面で指が迷子になる。テレビに比べスマホは格段に便利だ、どんなコンテンツでも選び放題、ただし、自分で選ばなければならないのが面倒だ。

 一度アダルトサイトも開いたが気分が乗らず、結局、保存してある昔の動画を見る。

 それは駅伝の動画だった。画面の向こうでは、溌剌はつらつとした大学生が、冬場に汗を掻き、白い息を切らしながら、苦悶くもんの表情で走っている。

 自分よりも辛い人間を見ると、元気が出てくる。

 こっちは暖かい部屋でソファに座り、こうしてスマホ片手に酒をあおっているのなら、なおさら。

 まるで貴族にでもなったようだ、そう思っ瞬間、床に散らばったスーツが目に入り、気分が悪くなる。

 何も変わらない。

 俺は現代における奴隷階級で、辛い思いをして走るだけだ。

 まだ中身の残った缶を握り潰し、ゴミ袋に放り込む。そして、そのままソファの上に倒れ込んだ。

 週末の予定はない。

 きっと、飲んで、寝て、飲んで、寝て。後悔する時には、月曜日の朝だろう。

 毎日がつまらない。

 いっそ、エイリアンでも攻めてくれば良いのに。

 いや、人類みんなと辛い思いを共有するくらいなら、自分だけ、楽しい思いを独占したい。

 だから、別の想像をしよう。

 例えば、朝起きたら、美少女がいて、俺のために朝ごはんを用意してくれる……とか。

 我ながらしょーもないと思いつつ、夕食用に買ってきた唐揚げ弁当の存在も忘れ、俺は眠りについた。



********************


「……ん?」

 酒と劣悪な睡眠環境のせいで、早朝手前の深夜に、俺は覚醒した。

 ソファの斜向かい、テーブルの裏から、空き缶をばら撒くような、耳障りな音が聞こえる。

 空き巣……? そんな場所を探っても、飲みかけのスト缶くらいしか出てこないぞ……?

 そう思ったが体は動かず声も出ない。金縛りにあったようだ。体の感覚は残っている。額を、冷たい汗が伝う。

 薄目で捉える視界の端に、音の元凶を見た。

 さながら、ヴィーナスの誕生の如く、裸体の少女が出現した。

 彼女は息継ぎのため水中から顔を出すように、頭を天井へと振り上げる。ショートの黒髪が一瞬逆立ち、赤いメッシュが踊り、すぐに顔の横に戻る。

 次に、両手を頭の上で組んで、伸びをする。すらりと伸びた細い四肢が、綺麗な流線型を描く胸が、背筋が、腰が、月明かりに照らされて白く輝く。

 その幻想的な光景に恐怖を忘れ、呼吸を忘れ、うるさい鼓動が耳鳴りとなって頭を叩く。

 誰だ……? いや、何だ……あれは? 

 彼女は、しばらくその場に立ち尽くした後、キョロキョロと周りを見回し始める。

 目線が、こちらに向く。

 こちらに振り向き、微笑む。

 笑顔のまま、テーブルの奥から、身を乗り出し、手を伸ばしてくる。


「もーらいっ」


 彼女の口が、そんな言葉を発する風に動いていた。

 彼女は、テーブルの上のビニール袋を掴み取り、中身を取り出す。

 出てきたのは、コンビニで安売りされていた唐揚げ弁当。

 蓋を開け、指でレモンを摘み、顔の前で眺める。

 舌を伸ばし、レモンを乗せ、それを唇で挟むようにして、咀嚼を始め……。

 

 俺の記憶は、そこで途切れている。

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