医療大国・満州とその歴史、及び大陸浪人柳川二十三について

鯨井久志

医療大国・満州とその歴史、及び大陸浪人柳川二十三について




土肥原康平『医療大国・満州とその歴史、及び大陸浪人柳川二十三について』(二〇〇二)より抜粋

 一九三二年の建国から今年で八〇年を迎えた満州国は現在、建国当時の五族協和・王道楽土路線は放棄され、ドイツ第三帝国の庇護下にはあるものの、世界屈指の医療輸出大国として名を馳せている。重度うつ病患者に対する電気けいれん療法(ショック療法)の世界初の臨床化を嚆矢に、大麻やLSDといった麻薬・幻覚剤の精神医学的応用、外科的前頭葉切截術(ロボトミー)の安全化の確立、rTMS(反復経頭蓋磁気刺激法)の開発など、主に精神医学の面での卓越した医療技術には目を瞠るものがあり、実際に昨年度における満州国の貿易輸出額の約六割をこうした医療品・医療機器類が占めている。

 世界各国から最先端の医療を受けるべくうつ病・統合失調症・その他精神疾患患者が訪れる「世界の精神医療プラント」満州国だが、その医療技術の発展を巡る経緯については今なおあまり知られていないのが現状だ。

 一九四四年のアメリカ合衆国割譲とその後の日独冷戦の構図、及びそれらがもたらした満州へのドイツ第三帝国からの技術提供が今日の満州国の医療技術の根底にあることは昨年ドイツ第三帝国・ナチ党より公開された情報も裏付ける事実だが、それ以前から満蒙の肥沃な大地に精神医学の種を植え、現在に至る土壌を作り上げた二人の立役者が存在したのである。

 一人は満州国国務院総務庁次長として産業改革を担った、後の日本国内閣総理大臣・岸信介。そしてもう一人は大陸浪人上がりの思想家にして満州国初代大統領・柳川二十三である。

 柳川についてはその出自もさることながら、一九六〇年の新京での突然の死やその動機など未解明の謎が多く、現在でも新史料の発掘や議論が続けられている。

 本書ではその柳川に焦点を絞り、死の直前まで柳川の住居に滞在していた女性の供述記録や柳川死後の回想録、及び他国の先行研究などを引用し、満州がいかにして医療大国への道を歩んだのか、その歴史をまとめたく思う。そして、その中心で指揮を執った謎多き指導者・柳川二十三の実像に迫り、あわよくばその正体を解き明かしたいと考える所存である。

 ゴシップ的な取り上げ方をされることの多い柳川の死について、学術的に、真摯に向き合う書は、本邦では恐らく初であろう。本書にて少しでも柳川を包むベールがはがされることになれば本望である。


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満鉄調査部編『新京事件史』一九六〇年七月二十四日分より抜粋

(死の直前まで柳川の住居に滞在していたとされる女性——満洲映画協会所属の女優・李香蘭——に対する供述記録。柳川の死に際して駆けつけた憲兵の手で記録されたものと思われる)

 柳川さんの自殺に関して私の知ることは、次の通りです。

 彼と出会ったのは一九四〇年の暮れでした。満映の理事長だった甘粕さんが紹介して下すったのです。大陸浪人上がりということで、どんな蛮人が来るのかと身構えておりましたが、背が高く妙にヒョロっとした体躯で、話してみると実に物静かで俳句や漢籍への造詣も深く、意外な心持がしたのを覚えています。

 ええ、確かに柳川さんとはご友人でした。ですが、世間で言われているような関係では決してなかったことだけはお伝えしたいのです。知り合ってすぐの頃は、彼も私に言い寄るなどということはありませんでした。しかし次第に言い寄られるようになり、はじめの内は私も、はぐらかしておればいつかは心変わりすることだろうと思い、考えておきますなどと言い胡麻化していたのですけれども、彼が終始つきまとい続けたので、今年の四月にはっきりと自分の所感を述べました。つまり、あなたの愛人にはなる気はないと、はっきり告げたのです。しかし、彼は自らの権力を使って、私が断り切れないように外堀を埋めていきました。

 今日、私が柳川さんのお宅を訪れたのは、昼の十二時頃でした。本当は今日も訪問する積りではなかった(満映のスタジオで撮影がございました)のですが、柳川さんがどうしても(来てくれ)と、スタジオに直接、何度も電話を寄越すものですから……。

 ええ、ですから再三申し上げる通り、私が彼の愛人であったなどというのはとんでもない誤り、流言飛語の類で、むしろ私の側からは疎んですらいたのです。こんなことになってしまった今、そのようなことを申し上げるのは、大変心苦しい思いですけれども……。

 結局彼との面会も、些細なことから口喧嘩になってしまいました。私が腹を立て、捨て台詞を吐き、そのまま出ていくことになりました。別れ際、彼は私の手にタクシー代を握らせ、強引に握手をして私を見送りました。十三時前だったと思います。部屋(応接間)に時計がありましたから。

 銃声が聞こえたのは、門を出て屋敷の前の道でタクシーを待っていた時でした。私はすぐに事の次第を悟りました。けれども、屋敷に戻る勇気はなく、ただ悲鳴を上げるのみでございました。すると、しばらくすると、発砲音に気付いた近隣の住人数人が、恐る恐るといった面持ちで、屋敷へ入って行きました。

 部屋の中で、柳川さんは仰向けになって倒れていました。胸元は血の染みで赤く染まり、側には黒い小型拳銃が落ちていました。数分前まで自分が居た部屋で起きた出来事だとは到底信じられませんでした。今でも、あの強引な握手の感覚を覚えているほどなのですから……。私は「気分が悪くなった」と言って中庭に出、医者が駆けつけるのを待ちました。そうでもしないと気が鎮まらなかったのです。数分後、サイレンともに救急車が屋敷の前に停まったのを確認すると、側にいた柳川さんの秘書に目配せして、そのまま秘書の方とタクシーに乗って自分の住まいに戻りました。そして満映のスタジオに電話を掛け、今日(の撮影)は休ませてほしいと話しました。それから私は呼び出されて、また柳川さんの屋敷へ逆戻りしました。

 柳川さんと知り合って以来ずっと、彼との性的関係はありません。彼にはしょっちゅう口説かれましたけれども、私はそういうことは嫌だったので(「しょっちゅう」を抹消)。自殺の理由は私にはよく分かりませんが、おおよそ私が性的関係を拒んだことが主な理由ではないかと思います。あるいは、日本側との関係悪化や、生来的にに抱えていらっしゃった神経衰弱も一因であったのかもしれません。

 彼が自殺について私に語ったことはありません。ただ、定期的に電気を浴びに満州医大病院に通っておりましたし、処方された睡眠薬の類も呑んでいましたから、決して健康的な精神状態ではなかったのでしょう。胃も相当悪くしていたようですし……。


 この調書に誤りのないことを認めます。

[李香蘭の署名]


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加藤博啓・編『見果てし夢——満州国秘史』(一九八〇)より抜粋

(大陸浪人時代の柳川を知る、後の側近である人物へのインタヴュー)

 あの頃の満州には、新天地で一旗挙げようという山師みたいな連中がゴロゴロしていたから、柳川さんも最初はそういう輩の一人だったんだろう。実際にどうだったかは、結局分からずじまいだったけど……。ただ、「建国の理想」など持たない、単に外圧への対抗策、内地への補給線としてしか満州を見ていなかった軍人たちとは違って、彼には明確なヴィジョンがあったから、だからこそ満州は舵取りを誤らずにここまで来れたんだと思う。

 彼の出世ぶりは異例づくしで、内地から来た僕ら官僚は不平不満を大分言ったものだけど、何と言っても岸(信介)さんの後ろ盾が彼を守っていたね。岸さんは柳川さんのことを随分買っていた。後から岸さんに聞いた話だけど、彼は大陸浪人にしては珍しく一高の出で、岸さんと同門だったというのも大きいのかもしれない。インテリだったんだ。それに、昔のことは絶対に話さなかったけど、少し人となりを知ると、彼は並大抵の出じゃないってすぐに分かったよ。

 だからこそ、どうして内地から単身で過去をうち捨てるみたいにしてこちらへ渡ってきたのか、不思議だったね。


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ネミロヴィチ=ダンチェンコ『戦前・戦後の満州史』(一九九五)より抜粋

 三九年の岸の内地帰国後、そのまま柳川が国務院総務庁次長に就任した異例の人事は、岸の口添えも勿論あったことではあろうが、本人の有り余る熱意と官吏としての有能さが多分に反映された結果とされている。実際、彼が満州国の産業分野の長として辣腕を振るうことがなければ、今日の満州国の姿はあり得なかったであろう。なお、この当時の柳川の理想は、三八年に岸に提出され、既に一部が実行に移されていた『精神医学産業立国大綱』(一九三八)に色濃く現れている。

 柳川はこの『大綱』に従い、病院や研究所の新設、麻や芥子(阿片)の大規模農園計画、当時ポーランドで開発されたばかりの合成麻薬LSDの巨大プラント建設等々に多額の資金を注ぎ込んだ。それまで高粱畑・大豆畑でしかなかった満州の大地を、岸と柳川はすっかり作り替えてしまったのである。

 また、こうして出来上がった麻薬(医療品)の大規模生産拠点は、岸・柳川及び満映理事長だった甘粕正彦の三名による密売ルートを経由し、当時の満州、ひいては枢軸国の財政を陰ながら支えたことも特筆すべき事項だろう(※20)。

 その他、柳川は新京に建てられたばかりの満州医科大学に日本やドイツの優秀な若者を呼び寄せ、主として精神医学の研究に従事させた。その最たる結実が四二年に関東軍防疫給水部本部(通称・満州第七三一部隊)で開発された人為的に離魂病(多重人格症)を起こす技術——内的ドッペルゲンゲル術——であり、これが日独の軍事力増強にもたらした影響力は計り知れない。当時の最前線では、鍼灸と投薬によって強制的に二重人格化させられた兵士が投入され、昼夜二交代制で働く彼らは、気力の衰えを知らず、大いに戦果を上げたという。

 四四年には太平洋戦争・日中戦争が終結し、柳川は満州国初代大統領に就任する(※21)。その後アメリカ合衆国の割譲を巡り、日独は冷戦の時代を迎えることとなる。

 そんな中で起こった柳川の突然の死については、当時の政府による「自殺」という発表が公式見解とされるが、その死にいささか疑念が残るのも、また事実である。

 とりわけ「他殺説」を盛り立てたのは、六八年に欧州へ亡命した李香蘭(本名ヨシコ・ヤマグチ)による回想録で、事件発生直前まで柳川と面会していた彼女による新たな回想録では、事件発生当時に記された供述記録とは異なり、柳川との愛人関係を認めた上で「他殺」をほのめかすような記述が見られ、現在でも多くの議論を呼んでいる。


(※20)その収入は満州国建国の一九三二年から三九年までの八年間で年々ほぼ倍増し、三九年には十倍の一億二〇〇〇万円に達していた。この中には満州国を通さず関東軍に直接入った部分も大きく、甘粕機関のような特務機関や満州中央銀行から上海経由で送金された額については満州国の歳入として処理されていないため、全体の規模は表向きの額よりも遥かに巨大なものだったと想像される。

(※21)四四年より満州国は共和制を採用した。


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ヨシコ・ヤマグチ『追想 柳川二十三』(一九六八)より抜粋

 ……あの頃——一九六〇年の夏——二人の人間が、いた。どちらも人生の盛りに在って、ごく自然な自尊心の持ち主であり、どちらにも弱点や欠点、その他その他があった。

 では、あの後、およそ十年を経た今、私たちの関係から離れて、柳川二十三とはどのような人物なのか、想起し、理解することを試みたいと思う。思想家であり、革命家であり、文人であった柳川さんのことを思い出してみたい。……


 ……実際に生年を聞くことはなかったが、当時の彼は恐らく五〇歳の峠は越え、中年から老年の域に差し掛かった頃であっただろう。だがその精力と野心は二十代の頃から全く衰えてはいないのではないかと思わせる程旺盛で、二十は年下である筈の私は、それに付いていくことに時折著しい困難を覚えた。

 何が彼を突き動かしていたのか。それは「野心」ではなく「怯え」であった。……


 ……初めて出会った一九四〇年当時、彼は既に満州国総務庁次長として満州の産業全般を取り仕切る役職にあった。満洲映画協会の「中国人」専属女優として売り出し中だった私を柳川さんに引き合わせたのは、当時の理事長だった甘粕正彦氏である。甘粕氏と柳川さんは公私共に仲が良く、しばしば私も柳川さんに連れられ、その会談に加わった。

 軍人上がりの割には文化全般に関心があり、満州で交響楽団を結成したり、巨額の予算を注ぎ込んで満映を立て直したりしていた甘粕氏と、大陸浪人上がりなのに奇妙な程の教養を身に備えていた柳川さんは馬が合ったようで、国策映画の脚本案や西洋の音楽家の話を肴に、いつも酒宴は盛り上がっていた。

 だが、実務的な話になると人相が一変するのは二人とも同じで、柳川さんのヒョロっとした細長い体躯から眼光が鋭く光り弁論が逞しくなると、その度に彼の秘める二面性が私を怯えさせた。とりわけ、彼肝煎りの『精神医学産業立国大綱』の話題になると、あの細長い身をグイと乗り出して、未来の満州の理想図を語った。

 一方で、ひとたび憂鬱と絶望に飲み込まれると、一日中沈み込むこともしばしばであった。そんな時には私が何を言っても低い唸り声でしか応えず、また、過敏になった神経を刺激すれば、大声で罵倒されることもしばしばだった。……


 ……柳川さんは英語が達者だった。どこから取り寄せたのか、アルファベットの詰まった横書きの書物を、よく自室で読んでいた。また、私に英語を教えるから、その代わりに、自分に中国語をレクチュアしてくれと頼まれたこともあった。

 その時だっただろうか、自分は一度上海と北京に旅行したことがあると、ある時彼が話した――それを皮切りに少しだけ彼の昔の話になったことは、今なお鮮明に記憶に焼き付いている。大陸浪人になるような人は何かしら脛に傷を負った人が多いものだから、彼もその類だと思い、気を遣ってこちらから込み入った話をすることはなかった。けれどもその時は彼の方から「叔母が心配だ」ということを言った。

「お母様ではなくて?」

「いや、叔母だ。母は狂人で、とうの昔に死んだのだ」

 私にはそれ以上踏み込むことはできなかった。

 だが、彼を精神医学大国の野望に走らせた裏には、母由来の精神病が自らに遺伝し発症するかもしれない、という恐れがあったことは間違いないだろう。

 彼は自らの発狂に怯えていたのだ。……


 ……私が彼と最後に会った時も、彼は深い絶望の淵に沈み込んでいた。相当量の酒を飲んでいたのか、あるいは先生から貰った睡眠薬を呑んだのか、どことなくふらふらとしていた。私はそんな彼を叱り、彼は怒り、喧嘩になった。結局、彼は私にタクシー代を握らせ、「これで帰れ」と言って屋敷を追い出した。

 不機嫌になった私は、しかしいつもの神経衰弱だろう、またしばらくして電話でもすれば、けろっと機嫌を直していることだろうと思い、泰然とした心持でと屋敷を出た。

 屋敷の正面にある門を出た時、私は一人の男とすれ違った。だが、彼の在宅中に彼の部下が屋敷を訪れることは珍しくなかったので、私は気にも留めなかった。

 そして門の前の道路でタクシーを待っていた時、あの音が聞こえた。……


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ドニャ・アステナ・サルセド『三九年目の真実 柳川二十三暗殺事件』(一九九八)より抜粋

 柳川暗殺の実行犯として筆者が最も疑うのは、やはり日本軍である——即ち「日本軍関与説」を筆者は支持する所だ。

 一九六〇年当時の供述記録では柳川のことをストーカー紛いの迷惑人物として語り、最早「公然の秘密」然として噂されていた愛人関係を真っ向から否定したヨシコ・ヤマグチ(李香蘭)だが、事件当日、殺人事件が発生した恐怖に怯えていたであろう彼女のことを思えば、当時の供述は、自らの関与を勘繰られたくない一心での仕方のない偽証だったと言えるだろう。実際、彼女は事件の後、精神的ショックを受けたとして女優業を一時休業し、治療に専念している。

 当時の満州国は日独両国の間に挟まれた極めて微妙な立場にあった。だがその中で柳川はナチスドイツ率いるドイツ第三帝国への共鳴を顕にし、日本の傀儡国家という現状からの脱出を望んでいたとされる。これを快く思わなかった日本本国が内密に手を下したと考えるのは、そう道理に外れてはいまい。 

 この時ヨシコ・ヤマグチがすれ違ったという謎の男の行方については、目撃情報等もなく、依然として誰の知るところでもない。


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『毎日日報』一九四八年三月二二日付朝刊より抜粋

満独首脳会談実現 技術提携を約束

【ベルリン本社特電】(二〇日発)現地時間二二日、ベルリンにて戦後初となる満独首脳会談が開催された。満洲国代表として柳川二十三大統領他数名、対する独国側はアドルフ・ヒトラー総統及びリッベントロップ外相他数名が参加した。

 満州国側の強い要請により実現した今回の会談では、米国の割譲を巡る日本及び独国の関係を巡る協議のみならず、独満二国間の技術提携合意が正式に交わされるなど、満州側の「日本脱却」姿勢を独国が後押しする形でまとまった。

 溥儀帝の廃位以来、満州本位的な行動が目立つ柳川体制の挙動について日本側は厳しい視線を注いでおり、岸信介外務大臣は「日満は建国当時からの共同体。自己本位的な独国との連携は三国間の関係、引いては大東亜共栄圏全体に亀裂を生じさせかねない」として難色を示した。

【写真:会談に臨む両国首脳。左からヒトラー独総統、柳川満大統領】

【写真:パリ・凱旋門前で行われた歓迎パレード】


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『毎日日報』一九四八年五月五日付朝刊より抜粋

精神病「根絶」へ 満州国・柳川大統領宣言

 本日柳川二十三満州国大統領は所信表明演説にて、満州国における医療技術の発展及び全世界からの精神病の「根絶」を宣言した。先日の世界保健機構(WHO)総会における「世界天然痘根絶計画」の発表を受けた、政府による医療国家への産業体制移行を象徴するスローガンとして発せられたものと思われるものの、満州国の公式声明では「『根絶』とは文字通りの意味であり、世界から精神病をなくすことが満州国の一つの使命と心得ている」とされ、満州国の突然の強い意思表明には各国首脳も戸惑いを隠し切れない様子だ。

【写真:演説する柳川満大統領】


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広報映画『満州国のあゆみ』(一九七〇)より抜粋

【字幕】満州国のあゆみ。星財団提供。一九六九年撮影——

【説明】こちらに見える巨大な煙突が立ち並ぶ工場は、みな全て柳川二十三氏の指導のもと建設された、合成麻薬LSDの巨大プラントであります。次に見えますは満蒙の肥沃な大地に作られた一面の大麻畑。ここで収穫される大麻は、品質良好・良心的価格の満州産大麻でございまして、各国の精神科医からお墨付きを頂いた逸品でございます。満州の麻薬医療品は、国家の産業計画に基づいた大量生産品でありますから、価格の面でも品質の面でも、他国の追随を許すことはございません。……【溶暗】……


【字幕】満州医科大学第二病棟。一九五九年撮影——

【説明】一九五〇年の「精神医学解放実験区宣言」以降、満州では日本のみならず世界各国から重篤な精神病患者を集め、満州でしか行い得ない先進的な治療を行っております。この満州医大はその中心地でございまして、独逸や日本、及び世界各国から優秀な医者・心理学者・科学者・鍼師・漢方医等々を集結致しまして、各種の治療を施しております。

 この地では、従来行われてきたような座敷牢に閉じ込め、拘束し、臭いものに蓋をする方式の、野蛮極まる前時代的な治療は決して行いません。投薬や鍼、ショック療法や外科的治療によって患者を治療し、社会生活を再び営むことのできるよう、快復に勉めて頂くのです。ここ満州の地においては、狂気は風邪や胃痛と同じ次元の病として治療することが出来るのであります。……【溶暗】……


【字幕】元・入院患者津島修一氏(仮名)——

【説明】彼の人はこの満州医大第二病棟に入院され、先日無事快方を来し無事退院された元・入院患者の方であります。

 電気けいれん療法の様子であります。頭に電極を刺し、脳髄に高圧電流を流すことで人為的に癲癇発作と同じ状況を作り出すことで、精神の「洗濯」を行うこの治療ですが、今までは全身の筋肉も痙攣し、被験者の身体的負担は莫大なものでありました。ですが、現在では鍼と投薬による麻酔を施した上で施術するため、見た目には殆ど分からぬほどの痙攣しか起こさずに、同様の効果を得ることが出来るのです。

 電気の施術前と施術後の写真であります。

 効果は一目瞭然、閉じかけていた眼は開き、顔全体に活力が満ち溢れているのがお分かりかと存じます。……【溶暗】……


【字幕】満州医科大学精神医学第三研究室室長・三浦良幹氏——

【映画】——患者は平均して何ヶ月程度で退院するのか。

「おおよそ三ヶ月、長くて半年でしょう」

——苦労した症例は。

「戦後すぐに預かった元共産主義圏の首脳陣、例えばヨシフ・スターリン氏の治癒には二年から三年ほど掛かりましたが、最終的にはみな無事寛解し、現在では祖国で農業に従事して生活を営んでいるそうです」

——どうしても治らない患者は。

「大抵は投薬と鍼で改善してしまいます。どうしてもという場合は外科的手術を行うこともありますが、不可逆的な操作になってしまうので——副作用等は今現在では殆ど見られませんが——重篤な患者にのみ施術しております」

——将来的な精神病の「根絶」は可能か。

「日進月歩の勢いで精神医学は発展しています。故・柳川氏の遺志を継ぐ為にも、全身全霊を賭けて『根絶』の実現に向け努力する所存であります」……【溶暗】……


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ネミロヴィチ=ダンチェンコ『戦前・戦後の満州史』(一九九五)より抜粋

 一九五〇年に柳川が行った「精神医学解放実験区宣言」は、文字通り満州を精神医学の実験場に変えた。

 世界各国から集められた——あるいは学術的好奇心から、「何でもあり」の実験場へ自ら足を運んだ——研究者たちによって、綺羅星のような数多の成果が得られた。こうして樹立された現代の精神医学は、シグムンド・フロイドらの精神力動学を否定し、オカルティックで呪術的な旧時代の遺物としてその息の根を止めたのである。

 しかし、その技術革新の背後には多くの失敗があったという事実も否定すべきではない。「満州医大の地下にはロボトミーに失敗し廃人と化した患者が多数収容されている」という告発を行った元満州医大の研究員・李寿一によると、病棟の地下には脳死状態のまま生かされラザロ徴候(※34)を見せる患者がひしめき合っていたという。

 とはいえ、こうした証言には多分に旧連合国側のプロパガンダが含まれていることが予測されるため、額面通りに受け取るのは危険だろう。

 一九七〇年台に入り、満州国−ドイツ第三帝国は新たな局面を迎える。日本が打ち出した宇宙進出計画「あけぼの計画」に対し、「我々は宇宙へは向かわない。向かうのは内宇宙である」という言葉とともに「内宇宙の月面着陸」を目指す「ヤナガワ計画」が打ち出されたのは記憶に新しい。

 この計画の骨子となったのが、戦後数奇な運命を辿った後にドイツにおいて草稿が発見された、二〇世紀の発明家ニコラ・テスラによる「世界無線網設立計画」である。


(※34)脳死患者に見られる自発的に手や足を動かす動作。名前は新約聖書でイエスによって甦ったとされるユダヤ人・ラザロに由来する。具体的には、腕が持ち上がる、背中が反るなどの動作が見られる。


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加藤博啓・編『見果てし夢——満州国秘史』(一九八〇)より抜粋

(大陸浪人時代の柳川を知る、後の側近である人物へのインタヴュー)

 柳川さんが自分の発狂に怯えていた、というのは恐らく本当だろうね。身内の遺伝病というのもそうだし、大陸浪人時代から売春宿には絶対に近寄らなかったんだ。

 ある時訳を尋ねたら、

「昔友人が梅毒に罹って発狂したのを知っているから、僕は絶対に女は買わない」

 と言うんだね。

「しかし先生、梅毒は一度罹ってしまっても、脳を侵すまでには十年やそこらの期間が掛かると聞きますぜ。ニイチェのように、五〇やそこらになってから発症することもある。先生も、もう罹っちまってるんじゃないですか。罹っちまってるなら、今更何をしようが一緒でしょう」

 と、僕がブラック・ユーモアのつもりで軽口を叩くと、柳川さんは今まで見たことのないような不機嫌さで、往来を駆けてどこかへ消えてしまった。悪いことをしたと思って、次の日に謝ろうとしたら、

「梅毒に罹っているのなら、子にもそれは遺伝するのだろう。僕は大丈夫だったから、その心配はない」

 と厳しい口調で言い切った後、踵を返してまたどこかへ行ってしまった。

 柳川さんから子供の話が出たのはその一度きりだった。恐らく日本に妻子があったのだろう。何にせよ、梅毒に怯えていたのは確かだね。

 その癖、後年になって満映の女優は囲うんだから、脇が甘いというか、やっぱり女好きというか、権力を持つと誰でもそうなってしまうというか。難儀だね。


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ヨシコ・ヤマグチ『三度目の正直――柳川二十三回想』(二〇三〇)より抜粋

(ヤマグチの死後、遺品の中から発見された原稿(草稿)。遺品を回収したドイツ政府により没収され、死後五〇年経った後、「ヤナガワ計画」の成功を祝して公開された)

 ……あの日、屋敷のあの部屋のなかで、柳川さんと私は向かい合っていました。

 私は懐中時計をさり気なく盗み見ます。十一時五十分。予め決めてあった時刻までは十分程。

 口喧嘩など、あの日には起こらなかったのです。彼は沈み込んだ精神を浮上させるべく、気怠げに椅子にもたれかかり目を閉じていました。処方薬――〇・八のヴェロナァル――がよく効いて、彼の意識はおぼろな薄闇の中にあったのです。

 その安らかな顔を見つめながら、私は思い返していました――柳川さんが「或る狂人から聞いた話」として話した、不可思議な妖怪が棲まうもう一つの世界の話を。生殖器に口を付け、胎児に生まれ落ちる意思を問い質す妖怪。堕胎される反出生主義者の妖怪。嘴が腐り落ち、頭の皿が砕けた妖怪――河童の話を。

 柳川さんがドイツ第三帝国に接近したのには、あの物語が根底にあったのでしょう。もしかしたら、自分もまた第二十三号なのだと言いたかったのかもしれません。ある時、私は尋ねました――どうして精神病に拘るのです、と。

 彼は言いました。私も救われた側の一人であるから、と。

 私のような人間が苦しむことのない世界を作りたいのだ、と。

 ……そうしている間に、約束の時刻が訪れました。振り子時計の鐘の音が響きます。私は部屋を出、黒い服の男とすれ違いました。

 そして屋敷の門から出た時、あの音が聞こえました。


 それからのことは、もうあまり覚えていません。私はドイツ軍の諜報員に言われた通りに、事後処理を進めていきました。ただ、屋敷の中に入った時、彼の腫れ上がった死に顔を見て気分が悪くなったことだけは、数十年の時を隔てた今日でも、鮮明に覚えています。今もなお思うことですが、眠っていた彼をそこまでして殴る意味などあったのでしょうか。他殺――日本軍の関与――に見せたいドイツ側の意図もあったのでしょうが、今となっては真相は文字通り藪の中です。ですが、私には可哀相に思えて仕方がありませんでした。

 彼らの助けで欧州へ亡命した後も、私は彼らのもとで働きました。情けなくも、私にはそれ以外の道は残されていなかったのです。情報を小出しにし、回想録を出版したのも彼らの指示でありました。けれども、あの本の中で、決して私は嘘は付いていません。それだけは、私を心から信頼していた彼に対する私の、せめてもの挟持だったのです。

 彼は精神病の根絶を願い、その道半ばで斃れました。けれども、皮肉にも、その願いの実現のためには、そもそも彼は邪魔だったのです――ドイツからすれば、満州を日本から引き離し、自らの傀儡国家としてその巨大プラントや肥沃な大地を直接統治する方が、合理的かつ日本の脅威に対する緩衝地帯として有効だったのですから。

 ですが、彼はこうも言っていました。地獄を描くためには、わが娘さえも進んで犠牲にせねばならない、と。

 彼の描いたヴィジョンはもうじき成就するでしょう。私はそれを見届けずに逝くでしょうが、地獄で彼とその実現の日を共に待ちたいと思います。……


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ネミロヴィチ=ダンチェンコ『戦前・戦後の満州史』(一九九五)より抜粋

 一九七五年、満州で新たな精神医学療法が開発された。rTMS(反復経頭蓋磁気刺激法)と呼ばれるこの施術は、主に8の字型の電磁石によって生み出される急激な磁場の変化によって弱い電流を組織内に誘起させ、脳内の神経物質を活性化させることで、鬱病や双極性障害といった精神疾患を非侵襲的に治療する仕掛けである。従来電気けいれん療法で行っていた脳内に電気を流す施術をより非侵襲的に行えるため、新時代の精神医学療法を担う技術として注目を浴び、現在では標準療法の一つとなっている。

 現在、満州国−ドイツ第三帝国は、大連にある満州航空局から人工衛星を打ち上げている。その衛星の中には、rTMSで用いられる電磁石を応用した装置が収納されている。

 ニコラ・テスラは、地球の固有振動数に合わせた波動を送ることで共振を発生させ、あらゆる地点に高周波高電圧交流を電線無しで送電する理論を打ち立てた。テスラ自身が晩年神秘主義に接近したこともあり、荒唐無稽、狂人の戯言としてこの理論は誰にも顧みられることなく、テスラの死後約三〇年間放置され続けた。柳川が満州に優秀な科学者を集めることがなければ、そのまま再発見されることなく、歴史の泡沫として消えていたであろう。

「内宇宙の月面着陸」を目指す「ヤナガワ計画」では、このニコラ・テスラの地球共振理論とrTMSを組み合わせることで、地球周回軌道上から高磁場を地球に降り注がせ、全世界の人々の精神に干渉——精神病を「根絶」——することを目標に掲げている。

 現在(九五年)までに打ち上がった衛星の数は、計画達成目標の三割程度とされる。

 このまま衛星が無事打ち上がり、目標数に達した時、本当に世界から精神病は「消える」のか、そしてそれが実現した時、世界はどう変わるのか——。

 まだ見ぬ未来へ希望を託しつつ、柳川二十三の遺志を尊重し続けたドイツ第三帝国及び偉大なる総統閣下に大いなる尊敬の念を捧げたい。


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満州医科大学精神医学教室所蔵カルテ(一九六〇年度)より抜粋

【氏名】柳川二十三

【年齢】六十八歳

【性別】男性

【主訴】抑鬱、偏執病、睡眠障害

【現病歴】一九二〇年代後半より大陸浪人として日本から満州に渡る。その後思想家・政治家として活動するも、患者本人が「漠然とした不安」と称する抑鬱症状が生じ、同時に視界に歯車状の光の断片(閃輝暗点を疑わせる?)が見えるとの訴えがあり、当院で電気けいれん療法を施行。快復傾向が見られた。

 その際、過去の生活歴の聴取を試みるも応じず。定期的な通院を続けるよう指導する。

 一九四〇年の通院時、過去の生活歴を語り始めるも、「かつては日本で売文業を営んでいた」「一九二七年に斎藤茂吉先生の伝手で満州に渡り、彼の地の電気けいれん療法にて神経衰弱を快復し現在に至る」「以前自死を試みた事あり、斎藤先生は命の恩人なり」「田端に今なお残した妻子があり、配慮のため偽名を用いている」など、或る種の誇大妄想と思しき発言あり。偏執病の疑いありとして現在も治療を継続している。

 睡眠障害のためヴェロナァルを〇・八g処方するも、希死念慮の疑いもあり、投与中止も含め慎重に判断していく。

【家族歴】母親が神経衰弱症状のため死亡。

【生活歴】……


***


『新京ニュース』二〇三〇年七月二四日付朝刊より抜粋

精神病「根絶」へ ヤナガワ計画本日実行

 偉大なる満州の元指導者・柳川二十三の七〇年目の命日である今日、彼の遺志を継ぐ我らがドイツ第三帝国によりかねてから計画されてきた「ヤナガワ計画」が実行されます。

 本日正午に、地球軌道上の衛星並びに地上に建設された送電塔から高電圧が放たれ、全世界の人々の脳異常は完全に修正される見通しです。

 ドイツ第三帝国に抵抗する勢力圏では、頭にアルミホイルを巻き防御に励むなど涙ぐましい努力が見られておりますが、我々の正義の槍はあらゆる遮蔽物を貫通し人々の精神を正常へと作り替えるのであり、そうした抵抗の一切は無益に終わることでしょう。

 偉大なる三代目総統閣下におきましては、「この計画が実行された暁には、天地開闢以来初めて、戦争のない世界、完全なる平和が訪れるだろう」と声明を発表され、決定的瞬間を目前にして、計画成功への期待は今なお高まり続けています。また、満州の首都新京では、柳川二十三の銅像の前で大勢の若者たちが正午への秒読みを始めています。


***


新京郊外、柳川二十三の墓碑より抜粋

「……わたしは勿論失敗だった。が、わたしを造り出したものは必ず又誰かを作り出すであろう。一本の木の枯れることは極めて区々たる問題に過ぎない。無数の種子を宿している、大きい地面が存在する限りは。……」



【参考文献】

芥川文述、中野妙子編『追想 芥川龍之介』(中公文庫)

関口安義『よみがえる芥川龍之介』(NHKライブラリー)

山崎光夫『藪の中の家——芥川自死の謎を解く』(中公文庫)

『新潮日本文学アルバム13 芥川龍之介』(新潮社)

太田尚樹『満州帝国史 「新天地」に夢を託した人々』(新人物ブックス)

太平洋戦争研究会編『写説 満州』(ビジネス社)

姜尚中・玄武岩『興亡の世界史 大日本・満州帝国の遺産』(講談社/講談社学術文庫)

角田房子『甘粕大尉』(筑摩書房/ちくま文庫)

荒俣宏『パラノイア創造史』(筑摩書房)

小笠原豊樹『マヤコフスキー事件』(河出書房新社)


〈了〉

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