殺される事の条件
木野原 佳代子
第1話
ある日ふと思った。「殺されてみようかな」
良く考えてみると、この世の中不思議なもので、無差別に人を殺す人がいるが、その中で
「ある日ふと殺したい衝動に駆られた」と話す人がいる。でも、誰も殺されてみようかなと思った人はいない。当たり前である。もし、そんな人がいたとして、もしその状況が実現したとしても、語れないからだ。そして、これは自殺をしたい願望とは違う。自殺の場合は、目的が死であるだけで、その過程には重点を置いていない。
また、例えば推理小説にあるように、誰かを犯罪者に仕立て上げる事が目的の場合もは、目的はそれ自体で、手段が自殺である。
だが、殺されるという願望があった場合には、殺されるという事が目的で、死は二次的に、まぁ、確実ではあるが、派生するものである。
さて、そこで私は殺される事の条件なるものを考えてみた。まず、人を殺したいと思っている人間が必要である。さて、どうやって探すのか。無理である。一々聞いて歩くわけにもいかない。では、通り魔殺人に巻き込まれるのを待つのか。無理である。そんなに悠長な話ではない。では、これならどうだろう。誰かに殺したい程憎まれてみようか。
だが、どうやって?
通常人はどんな時に他者を殺したいと思うのか。そしてまた、その思いを抱いたとして、本当に殺す人間がどの位の確率で存在するのか。私はそんな事は知らない。私自身、誰かを殺したいと思った事は無い。
さて、困ったぞ。
こんな場合はどうしたら良いか。過去、先生だった人の言葉を思い出してみよう。小説は身の回りの事をヒントに書くと良い。なるほど。
で、あるならば、これもまた身近な人間に当てはめてみよう。
おや。自己紹介が遅れてしまった。
申し訳ない。私は、そうだな仮名によう。
唄絵 (うたえ)クレオ がいいかしら。幾何学に王道なしと言った、エウクレイデスから。
私、絵唄 クレオは街の本屋さんを営んでいる。朝から晩まで、このカウンターに座っていると、どうしても余計な事を考えてみたくなるものだ。さて、私には妻がいるが、時に憎らしく(妻の方が実家が裕福なので話が噛み合わない時がかある)、時に可愛い(故に世間知らずなので何でも信じる)。まだ、子供はいない。代わりにというわけではないが、猫がいる。この際だ。妻に殺されるくらい憎んでもらおうか。よく考えてみると、私の勝手な思いに、まったく関係のない人間を巻き込んでも可哀想だ。私の為に殺人者になって貰うのも忍びない。だがまぁ妻なら、この位の甘えは許してくれるだろう。こんな風に甘えられるのも妻しかいないのだ。
だが、どうしたものか。
私の妻は、猫を可愛がっている。この子を殺したら、妻は私を殺したいと思うだろうか・・・。だめだ。私も猫は好きなのだ。そんな事は出来ない。よし、次に行こう。信頼させておいて裏切る。これなら、殺意を抱くだろうか。愛憎と言うくらいなので、愛情と憎しみは紙一重の感情である。好きの反対は無関心。と言ったのは誰だったか。さて、もうある程度は信頼して貰っていると思う。私の妻になってくたので。そして勿論、私を好いてくれているはずだ。私の妻になってくれたので。
では、どう裏切るか。浮気をする。王道だ。だが、これもまた難関である。結婚して数年。
今から、改めて他の女性と信頼関係を築くのもまた難儀である。口説きたいと思えるほど、好きになれる人がいるかどうかもわからない。いやいや。浮気なので、信頼関係を築かなくても良いのだ。肉体関係が有れば良い。だが、私は結構好みがうるさい。それは、自分で良くわかっている。
例えば、今雑誌のコーナーで立ち読みしている女子高生。若すぎる。年齢を考えれば私が向こうに相手にされないだろう。
料理本を読んでいる中年の主婦ではどうか。年齢は合うが私の好みからは外れている。元々、細身の女性なのか結婚してやつれて細くなってしまったのかは分からないが、私は細身の女性よりは肉付きの良い方が好みなのだ。
豊満な乳房。
括れた腰。
まろやかな臀部。
そうあの日。十歳の頃に父の書斎で見た本の中の女性の様な身体つきの女性が好みなのである。かの女性は、日本家屋の座敷、二間ぶち抜きにした天井の梁から、縄で吊るされていた・・・・。
ではなくて。話を元に戻そう。と、思った今、目の前に女児。白いワンピースに花柄のエプロンドレスが似合っている。論外だ。私にその手の趣味はな・・。
「おじさん、これ下さい」
あぁ、お客さんだ。
「はい」
受け取った本の値段を読み込み、伝える。
その本は小学校高学年の女子児童向けの少女雑誌であるが、この子はどう見ても低学年の子である。
「この本が読めるのかい?」
女の子は不思議な顔をした、
「おじさん。読めない本は買わないわ」
なるほど。女の子はこんな小さな時から女の子なのだな。おませさんなのだ。自分の年齢よりちょっと上の子が読むもの、欲しいもの、が欲しいのだ。お金を受け取り、本を袋に入れて渡してあげる。
「気をつけて帰るんだよ」
「うん。ありがとう」
笑顔で帰って行った。
さて、何処かに手頃な女性はいないものか。
そんな事を思いながら、作業をしていると細身の中年の主婦に声をかけられた。
「あの、すみません」
「はい。何でしょうか」
女性はしどろもどろとしていて中々に話は要領を得なかったが、私は丁寧に対応してまた作業に戻る。本が大量に配達された日は段ボールもまた大量にゴミとして出るのだ。今日は朝から、ダンボーンをビニール紐で縛ってばかりいて手が痛い。
と、いつのまにか女子高生もいなくなっていた。何も買わずに。まぁ、そんな時もあるだろうと、店の閉店作業に入る。
カウンターの上に置かれた日記帳。いつも私の妄想に付き合ってくれているただ一人の友達。また明日、宜しく頼むよ。
『街の本屋 青木』
看板を見上げてから帰路についた。
その日、男は殺された。
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