黒曜石と青い空
街の中には魔法少女の商品があふれている。
“魔法少女”がこの世界に降り立って以来、彼女たちは現実になった夢想として業界に君臨していた。活動資金を名目としたグッズなどの多様な商品展開、連日テレビに出演して華やかな姿を見せるアイドル的な魔法少女。駅前の看板や、巨大スクリーンで歌って踊る魔法少女たち。
ホワイトリリーは、こうした活動について、あまりいい感情を持っていない。
元々、魔法少女のサポートのために産み出されたホワイトリリーのようなマスコットは、魔法少女の精神のケアも仕事の一つではあるが、魔法少女たちが笑顔を振りまいてお金を貰っている姿を見ると、違和感を覚えて仕方がない。「気持ちよくやらせればいい」と他のマスコットに言われたことはあるが、ホワイトリリーは彼らのことも好きではなかった。
重い気分だった。空を見て、なぜあんなにも青いのだろうと考えてしまうほどに。
「青いんじゃないよ。青く見てるんだよ」
オブシディアンならそう言っただろう。不思議とオブシディアンのことを考えると、ホワイトリリーの心は少し軽くなった。オブシディアンが原因で気分が重くなっているのに、なぜなのだろう。本当に不思議だった。
オブシディアンとは、その点では気があっていた。オブシディアン、ダイヤモンド、ルビー。彼女たちのいる地区は日本でも有数の巨大人口都市なので、そこで活躍している彼女たちはかなり人気のあるほうだ。当然、アイドルまがいの仕事が舞い込んでくることもある。二年ちょっと前、ダイヤモンドはまだ入ってきておらず、ルビーがまだ幼気なだけの少女だったころ、丁度、彼女たち二人をタレントとして売り出そうという動きがあった。大手の芸能事務所からの勧誘に舞い上がっていたルビーを諫めたのは誰であろうオブシディアンで、持ち前のマイペースで彼らを撤退させ、写真の一枚も撮らせなかったのである。ダイヤモンドの入ったあとはダイヤモンドとルビーの二人でモデルをやったりテレビに出ていたりしてはいるものの、オブシディアンはほとんど顔を出さない。それに、ダイヤモンドはダイヤモンドで身持ちが固く“人気があれば避難誘導のとき従ってもらいやすい”ぐらいしか考えておらず、その程度であればホワイトリリーには許容範囲だった。
オブシディアンの部屋は、はじめて来たときとほとんど変わっていなかった。窓、黄色いカーテン、ベッド、本棚、ポスター。ただ、本棚の片隅にしかなかったCDはいまは本棚の下部分にすべてを埋め尽くしており、ポスターは別のバンドになっていたが。テーブルのうえのスピーカーからは、女の人の唸り声が聞こえていた。実際にはそれは、60年代に売れた女性歌手の曲だったが、ホワイトリリーにはただの唸り声に聞こえた。
オブシディアンはベッドに座って、英単語帳を見ていたが、ホワイトリリーの姿を認めると、ベッドの上にぽいと放った。
ホワイトリリーはオブシディアン・スライサーがなければ魔法少女をやめられないと言った。
「でもあれは奈落の底に落ちたじゃん。リリー言ってたよね。奈落に落ちたら終わりって」
確かにホワイトリリーはそう言った。
水晶の足場と足場の間。闇の奥底。奈落とは死に繋がっているのではなく、死そのものだ。人間は最後にそこへ行きつく。ホワイトリリーのような生物も。今まであそこに落ちて助かったという事例は、今のところはない。
「言ったら見逃してくれないの? “ハンドラー”って人は」
ホワイトリリーは考える。ハンドラーが“専用武器”の回収よりも、“悪堕ち”を恐れているのならば、武器は奈落へ落ちたと言えば許してくれるかもしれない。ホワイトリリーにも、もしかするとオブシディアンにもなんらかのペナルティはあるだろうが。
――と、しかし、ホワイトリリーはその点についてはなにも言わなかった。自己中なオブシディアンであれば、ペナルティがなんだと言うだろうことは容易に想像がつく。それで貧乏くじをひくのは、ホワイトリリーだけなのだ。
「ムリだと思う。やっぱりなんとかしてオブシディアン・スライサーを見つけ出さないと。だからそれまでは魔法少女でいてよ。オブシディアン」
ホワイトリリーは試すように言った。
オブシディアンは押し黙っておなかのうえで両掌を合わせ、指を絡ませた。カーテンが閉められていたため灯りは電気スタンドだけで、それがオブシディアンの青白い肌を浮かび上がらせていた。オブシディアンの横顔は、ホワイトリリーを見ておらず、すべて自分の内側を向いていた。
――やがて内省を終えたオブシディアンは、軽い調子で「わかった。やるよ」と言った。そしてホワイトリリーが希望を抱く前に、「でも活動はしないから」と言った。
オブシディアンに妥協を二文字はないのだ。
これといったラインは絶対に守るのがオブシディアンだ。
「どうしてなんだい?」
ホワイトリリーは再びそう訊いた。自分のなかに暗く、ホワイトリリーの本来の性格を押しつぶそうとする感情の波がおこっていた。
「どうして、君は……」
「どうだっていいじゃん」オブシディアンが言った。「それより、これ」オブシディアンが携帯をホワイトリリーに差し出す。
“まほうつかいが あらわれた”
市民向けのアラートが鳴っている。
市民向けのアラートが鳴っている。
オブシディアンは変身しない。
「君は本当に疲れたというだけで魔法少女をやめるつもりでいるの!? 人が襲われているのを見たり、聞いたりしてもなんとも思わないの!?」
「わたしと話してる暇があったらダイヤモンドたちのところへ行ったら」
オブシディアンはにべもなく言った。
ホワイトリリーはカッとして、「君には失望した!」と言い放った。
「どんなに変人でも! どんなに自己中でも! 使命感だけは持っていると思ってたのに!」
そのときホワイトリリーは再び、空について「青いんじゃないよ。青く見ているんだよ」とオブシディアンが言うのを幻聴のように思い出した。悲しくて仕方がなかった。ホワイトリリーは部屋を飛び出し、オブシディアンの元から去った。
残されたオブシディアンは、ホワイトリリーの気配がなくなったあと、一人息を吐き、苦悶の表情を浮かべた。
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