異世界なんて二度と行かない!! ~異世界転移1DAYインターンシップ~

ヤマタケ

第1話 異世界への扉は、路地裏に

 ふと腕時計を見た時、すでに夜の10時を回ろうとしていた。完全に残業超過だ。「俺」はがっくりと肩を落とした。目の前の仕事はまだ終わる気配がない。


 会社に申請してもせいぜい1時間ほどしか残業にはみなされないだろう。すべてをサービス残業にされないあたり、うちの会社はまだ良心的な方かもしれない。それが俺がこの会社を辞めたくてもやめられない理由だ。


 俺以外誰もいないオフィスに、腹の虫の鳴き声が響いた。


「……そういえば、まだ晩飯も食ってなかったなあ」


 俺はカバンを漁ると、携帯用のサンドイッチを手に取って貪る。こうなることはある程度想定内だった。何しろ今日は金曜日だ。


「丸1日分休みがあるだけマシだろ」


 俺はそう言いながら目の前の仕事に取り掛かる。残っているのは書類のデータ化のみ。単純作業な分、独り言でも声を聞いていないと頭がおかしくなりそうだった。


「頑張れー俺、これを終わらせれば休みだぞー……そして月曜には仕事だぞー……」


 脳が死んでいるので、思いついたことはぽろぽろと口に出る。誰もいないので言いたい放題だ。課長の悪口でも、部長への悪口でも、風俗に行きたいなんてことでも、会社内にはふさわしくない単語がオフィスに響き渡る。


 俺が仕事を終えた時、最後に放った言葉は「美味いもんが食いたい!!」だった。


 よろよろと会社のビルを出て、駅へと向かう。その足取りは重い。疲れていたのもあるが、それ以上に先ほどの言葉が自分の耳に残っていた。自分で言ったくせに。


「美味いもん……」


 さっきのサンドイッチなどでは、腹は膨れても満足はできなかった。それは単に食事がただの栄養補給にしかなっていなかったからだ。


 俺の足が、ふと駅前の居酒屋通り前で止まった。居酒屋ともなれば、まだまだ営業中、むしろかき入れ時だろう。


「……明日は、休みだ……いや、でも給料日まであと3週間……無駄遣い……」


 行きたい言い訳と行かない言い訳が俺の脳裏で交差する。

 だが、行かない言い訳など、いくらでも論破できてしまうものなのだ。


「……課金しなけりゃいいや。課金しないなら、むしろプラスだろ」


 廃課金で毎月の給料の3分の1を使う俺に、それ以下の出費など無駄遣いにもならない。

 俺は酔ってもいないのに千鳥足で、繁華街へと足を踏み入れた。


「さーて、どこに行こうかな……」


 繁華街の看板は、それぞれ個性を出している。やはり多いのは焼き鳥、唐揚げといった肉の部類だ。海鮮居酒屋や、それこそ酒を売りにした看板もある。


 どこにしようか歩きながら考えていたら、いつの間にか繁華街を抜けてしまっていた。


「ありゃあ、なんかビビッとくる店なかったなあ」


 俺はもう一巡しようかとも思ったが、そこで路地裏にぼんやり灯りがあることに気づいた。


「……そういうのもあるのか」


 繁華街の、表通りではなく裏。ぼったくりバーとかあるかもしれないが、そういうのを味わってもみたい27歳のお年頃だ。失敗しても、人生の失敗とかで笑い話にできるという希望的観測があった。


「……行ってみよう」


 そうして俺は、路地裏へと足を踏み入れる。

 思えば、これが不思議な世界への入り口だったのだ。


***********************


 路地裏の光景は、思っていたよりも静かなものだった。表通りとは比べるべくもない、安っぽくて小さい看板が、思い思いに光っている。だが、不思議とそんな方が俺は面白いと思った。


「……なんかいい店ないかなあ」


 看板をよけながら歩いていると、ふと鼻腔をくすぐる香りに足を止めた。


 不思議な香りで、今まで嗅いだことがあるようなないような、そんな香りだ。だが、不思議と不快感はない。むしろ美味そうだ、という感想が脳裏に浮かぶ。


 匂いのする方を向くと、「空中庭園」と書いている看板がドアの上についていた。ほかの店と比べて、照明は薄い。匂いがなければあることにすら気付かないかもしれない。


 そして、ドアの横には小さい木の板で「営業中」の文字が。


「……まあ、小さくてぼろくても、美味い店があるって、テレビでもやってたしな」


 そういう掘り出し物を探すのは、いかにも「通」っぽくて俺好みだ。


「よし、ここにしよう」


 俺はドアに手をかける。路地裏なのに引き戸ではなくドアノブ式だ。しかも引くタイプ。後ろの壁に引っかからないように気を付けながらドアを開ける。


「お願いします!!! お願いします!!! なにとぞ!! なにとぞぉぉぉぉ!! 」


 入る店を間違えたかと思った。


 店に入るなり目についたのは、俺の目の前で土下座する女と、それをカウンター越しに見つめる女。恐らく後者が店の人だろう。


 店の人らしき女が俺に気づいた。


「ああ、いらっしゃい」

「ど、どうも……」

「好きなとこ座って頂戴な。はい、お水」


 俺はひとまず、土下座している女から離れた席に腰かける。

 出された水を口にしながら、店の中を一瞥した。


 席はカウンターの7席と、座敷が2つ。カウンターはL字になっていて、2:5席ほど。5席の後ろに座敷があるような小さな店だ。カウンターから料理の様子は見えるが、詳しい様子が見えるわけでもない。清掃は行き届いているようだ。


 それにしてもだ。さっきもまたいだのだが、この土下座している女は何なのか。


「お願いします!!! どうかご助力を!!! 」


 水を飲みながら彼女を見るが、その格好は明らかにおかしかった。


 今は4月で、夜の寒さもだいぶ収まったとはいえ、明らかに薄着が過ぎる。それに髪の色も透き通るような銀髪だ。土下座していたので気付かなかったが、露出も多い。今も胸元が土下座しているからか垂れて見えそうになっている。ノーブラだ、この女……。


 凝視はできないが、ちらちら見てしまうのは男の性である。


「やめなよみっともない。他のお客さんもいるんだから。とりあえず座んなよ。邪魔だし」


 店の人がそう言って、彼女はようやく立ち上がる。


 改めてみても、とんでもない恰好だった。薄着とかそういうレベルではない。ノースリーブにノーブラ。しかも着ているのはその1枚のみという。俺は飲んでいる水をこぼした。


 そして、土下座していた彼女も席に座った。


「やれやれ。ごめんねお客さん。注文は?」

「え?ああ、じゃあ……このチキンソテー定食?お願いします」


 俺はメニューのおすすめに書いていた定食をとっさに頼んだ。見とれてメニューなどろくに見ていなかったのだ。


「あいよー」


 店の人はオーダーを受けて、てきぱきと準備を始める。店主と客との距離が近い。

 俺は席に着いても若干泣いている彼女のことが気になって仕方なかったが、ごまかすために店主に話しかけた。


「……こ、この店、どれくらいやっているんですか?」

「え?そうだなあ、結構やってるねえ。ここ10年くらいかなあ」

「そんなにやってるんですか。あなた若いし、もっと最近かと思ってた」


 お世辞どうも、という彼女の見た目は、どう見ても自分と同世代くらいだ。お世辞でも何でもないのだが。茶髪の彼女はけらけら笑いながら料理を進める。


「レイラさん、お願いです!! 助けてください!! 」

「アンタもまずはなんか注文しな。そしたら話聞いてやるから」


「じゃあ、ドラ肉丼!! 」


 ……ドラ肉?


 何だろうそれ。聞いたことがない。


 俺の中の好奇心が、一気にその単語に傾いた。


「あの、ドラ肉丼、こっちも」

「え?チキンソテーもあるでしょ?」

「大丈夫です。両方食べるんで」


 レイラさん、と呼ばれた彼女はちらりとこちらを見ていたが、やがて「あいよー」と了承してくれた。俺を見て、食べられるだろうと判断してくれたのだろう。


 そして少し待っていると、先にチキンソテー定食の方が到着した。ソテーには先ほど嗅いだうまそうな匂いのするソースがかかっている。それだけで一気に食欲がそそられた。


「いただきます」


 俺はチキンソテーにかぶりつく。丁寧にカットされているチキンは、噛むたびに肉汁があふれる。そしてその肉汁を飲み込む前に米を口へと運べば、もう止まらない。


 勢いのままにチキンと米を食べつくし、最後に締めとして味噌汁を流し込む。これが俺の定食の食べ方だ。


「ふう……」


 食べつくし、満足感に浸っていると、レイラさんがじっとこっちを見ている。


「……やっぱり、ドラ肉丼はやめた方がいいんじゃない?」

「いや、行けます!! 」


 俺は腹をぽんと叩いた。実際、チキンソテー定食はとても美味しかった。もう1回食べられる、と言われれば喜んで食べられるだろう。


「ああ、そう。ならいいけどさぁ……」


 レイラさんは笑いながら料理を進めている。それから5分ほどで「はい、お待ち」とドラ肉丼なるものが俺の前に現れた。


 見た目は、何と言うか普通の肉である。だが、豚、牛、鳥、何とも形容しがたい肉だと思った。だが、かかっているソースの匂いに惹かれて、恐る恐る肉を口に運ぶ。


「う……美味あぁぁーーーーーーーーーーーーーーーーーーーぃぃぃぃいいい!!! 」


 俺は思わず叫んでしまった。食感はチキンのそれに近い。独特の風味はあるが、食べやすかった。しょうゆベースのタレも聞いており、下のご飯も進む進む。


 気付けば先ほどの定食よりも早く、俺はドラ肉丼なるものを完食していた。


 満足げに丼から顔を放すと、レイラさんと席に座った彼女がぽかんとしてこちらを見つめている。俺は恥ずかしくなり、咳ばらいをして水を飲んだ。


「……あんた、よく食うねえ」

「む、昔スポーツやってたんで」


 そうして、一息ついていると、彼女もドラ肉丼を完食したようだった。箸をおき、ナプキンで口を拭っている。


「ごちそうさまでした。……それで、レイラさん、その……」

「ああ、はいはい。わかったわかった。引き受けるよ」


「ほ、本当ですか!? ありがとうございます!! 」

「わかったから、丼ぶりちょうだい。お客さんも」


 俺と彼女はレイラさんに丼ぶりを渡す。このまま帰ろうかと思ったが、どうにも気になることだらけだ。


 ……ちょっと首を突っ込んでみようか。どうせ明日は休みだし。それに、終電ももう過ぎてしまった。こうなると、家に帰るのもだるい。


「……なんか、やってるんですか?」

「ん?そうだねえ、副業的な?」

「へえ、副業……どんなのです?俺もできないかな。給料低いし」


 俺はそう言って、へらへらと笑った。


「ちょっと、手に負えないやつの始末をね」


 俺は笑顔を保ったまま凍り付いた。

 どうやら危ない系の副業らしい。俺は首を突っ込んだことを、さっそく後悔した。

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