第52話 結末の先

 泣きやんだ頃に、紗季が言う。


「お兄ちゃん……。もう他の女の人と話さないでって言ったら、あたしのお願い、聞いてくれる?」

「……いや、悪い。それは、無理だ」

「……どうして?」


『あたしと恋人同士になったって言うなら、もう他の女なんて必要ないよね? これからはあたし二人だけの世界で生きていけばいいよね? いくらあの二人が諦めないだのなんだのって言っても、お兄ちゃんが拒絶すればもう近寄ってはこないはず。優しいから簡単に人を拒絶できないっていうなら、あたしが後押しを……』


「紗季」

「……ん?」

「俺は紗季を幸せにしたい」

「……うん。あたしもお兄ちゃんを幸せにするよ?」

「俺も紗季も、まだまだ人として未熟だ。そして、俺たち二人だけじゃ越えられない壁も必ず出てくる。俺たちの事情を知って、それでも忌避せずに受け入れてくれて、色々と相談に乗ってくれる存在は必要だ」

「……本当にそうかな? あたしとお兄ちゃんなら、きっと大丈夫だよ?」

「それは紗季の願望だろ? 俺だってまだただの高校生。わからないこと、できないことはたくさんある。俺たちだけの世界に閉じこもっていたら、いずれ行き詰まって二人とも不幸になってしまうかもしれない」

「お兄ちゃんとなら、あたしはそれでも……」

「俺は嫌だ。俺は、紗季が不幸になるなんて耐えられない。絶対幸せにする。紗季が幸せになれない関係なら……俺は、紗季とも恋人としては付き合えない」

「……今更何を言っているの? あたしとお兄ちゃんはもう恋人同士だよ? この関係は一生変わらない。法律上結婚はできないから、ずっと変わらないの。当然でしょう?」


 俺を見上げる紗季の瞳が真っ黒に染まっているように錯覚する。闇を纏い過ぎて正直怖い。でも、ここをきちんと乗り越えないと、俺と紗季はいずれ必ず来る不幸への道を突き進むだけだ。


「紗季。たとえ紗季の願いだったとしても、俺にだって譲れないものがあるんだ。

 俺と紗季がずっと恋人同士だって言うのは俺の望みでもある。でも、俺と紗季の二人だけの世界に閉じこもることも、いずれ来るかもしれない破滅を受け入れることも、俺は断じて認めない。

 俺は、紗季を幸せにしたい。不幸になんて絶対しない。世間から認められない関係だとしても、俺と紗季の未来を、ちゃんと良いものにしよう。いつか死を迎えるときには、最高の人生だったと胸を張って言えるようにしよう。

 そのために、俺の言うことを聞いてくれ」

「それは……浮気的な気持ちじゃ、ないんだね?」

「全然違う。俺は、紗季の幸せを願っているだけだ」

「……そう」


『お兄ちゃんの言っていることは……悔しいけど、正しいのかもしれない。あたしとお兄ちゃんはただ愛し合っているだけなのに、世間はそれを許してくれない。誰にも迷惑なんてかけないのに。誰も困ることなんてないのに。

 あたしとお兄ちゃんはまだ子供。お金だって満足に稼げない。二人でちゃんと生きて、幸せになるためには、信頼できる人の協力も必要かもしれない。

 そもそもあの二人が信用できるかっていうところだけど……でも、あたしがお兄ちゃんを好きだって話したときも、少なくとも変に気持ち悪がったりはしなかったよね。岬先生は元々破天荒だけど、神坂さんも異質に対して寛容に見えた。

 お兄ちゃんを独占したい。他の誰とも関わってほしくない。でも……今だけじゃなくて、未来を見据えるのも、愛かもしれない……』


「お兄ちゃんは、あたしを幸せにしてくれるんだね?」

「もちろんだ」

「……あたしも、お兄ちゃんを幸せにする」

「ありがとう」

「だから……お兄ちゃんが、どうしても必要だと思うなら、岬先生とかと交流しても、いいよ」

「……ありがとう。わかってくれて」

「でも……あの二人がこの先どんな風に接してきたとしても、お兄ちゃんはあたしだけのお兄ちゃんだよ」

「そうだな」


 紗季をもう一度強く抱きしめる。話が通じて良かった。もしかしたら、少し下手をするだけで紗季の気持ちが大爆発するのかもしれないけれど、一歩踏み出せた。


『はぁ……すんなりと思い通りにはいかないよね……。お兄ちゃんがあたしだけのものにならないのは辛い……。でも、それはこれから少しずつあたしのことしか考えられないようにしていけばいいか……。どんな手を使っても……』


 それから、紗季の思考が桃色に染まる。下半身の血の巡りが良くなりそうだったところで、神坂さんが提案。


「ねぇ! いいところ悪いんだけどさ、藤崎君、あたしと偽装カップルやらない?」

「……え? 偽装カップル……?」

「そう。藤崎君たちの関係、他人に知られたらまずいでしょ? でも、わたしと付き合っているってことにしておけば、少なくとも目くらましにはなると思うの。二人にとって、悪い話じゃないと思うよ?」


『……何を言い出した、この女。どうせ偽装カップルしながらお兄ちゃんを自分の方に引き寄せるつもりでしょうが』


『偽装カップルになれば、わたしは藤崎君と近くにいられる。そうすれば、わたしの方に気持ちを引き寄せる機会が作れる! 諦めないことは紗季ちゃんも了承済みだし、問題ないよね?』


『……ちっ。偽装カップルの役は私にはできない。対外的に見れば、神坂さんが一番自然に藤崎君の彼女として認知されやすい。下心見え見えだけど、適役ではあるか……』


「……そ、そうだなぁ……悪い話じゃ、ないような……?」

「あたしは嫌」


 明確に拒絶する紗季に、神坂さんが……どこか嗜虐的な笑みを浮かべて言う。


「紗季ちゃんは嫌かもしれないけど……藤崎君との関係を長く良好に保ちたいなら、わたしの協力を得ておいた方がいいんじゃないかな? その方が色々と言い訳しやすくなるよ? それに……わたしの提案、断れると思ってる?」


 ……おっと。神坂さん背後に何か黒い影が見えている気がする。ぞくっと来たぞ……?


『あはっ。わたしとしてはちょっと大胆な発言だったけど、まぁ、遠慮なんかしてられないよね? 良い子でいてもどうせ見向きもされないなら……わたしも、なりふり構わずグイグイ行っちゃってもいいよね?』


『神坂さんも怖い子ね。私と同じステージに上がってきた感じがする。これは、神坂さんも簡単には追い払えないな』


『……ちっ。あたしたちの関係をバラすと脅されたら、あたしも簡単には拒絶できない。やっぱりあんな打ち明け話をするべきじゃなかったかも……。でも、覚悟してね? 脅してくるってことは……もう何をされても文句は言えないっていうことなんだから。それくらい、わかってるよね?』


「……わかりました。お兄ちゃんと神坂先輩が偽装カップルになることは認めます。でも……あくまで偽装です。距離感は間違えないでください」

「うん。わかってるわかってる。それに、二人の関係を邪魔するようなこともする気はないから安心してね?」

「……それは良かったですよ」


 神坂さんの笑顔が怖い……。いつの間にか「85」になっているし。前途多難の予感しかしない……。

 戦々恐々の俺に、岬先生が言う。


「なんだか大変な状況になってしまったね? 私ならいつでも相談に乗るから頼ってね?」

「……はい」

「大丈夫。私はどんなときも藤崎君の味方だよ?」


『アドバイザー的なポジション……か。これじゃ弱いな。まぁ、少しずつ藤崎君を絡め取っていきましょ。焦る必要はない。藤崎君は、きっと紗季ちゃんと将来的に別れることも視野に入れてる。それを理解できるのは、今は私だけ……。近いうちに、必ず私を必要とするときがくる……』


 何故だろう。巣でじっと獲物を待つ蜘蛛を連想してしまう。

 恐ろしいけれど、きっと岬先生の力は必要で……。俺、大丈夫かなぁ……?

 三人の勝負に一応の決着はついた。しかし、本当にまだまだこれからが本番だと痛感せざるを得なかった。

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