3.

「こらあっ、馬鹿親父――っ!!

 親父、親父、親父はどこだ!?」



 部屋に入って来るなり、きょろきょろと室内を隈なく見回す牡丹に、藤助は、すっと、ある箇所を指し示し、

「桐実さんならたった今、そこの引違窓から出て行ったけど……」


「くそう、相変わらず逃げ足の速いやつだ!」



 ひゅう……と、隙間から入り込んで来た風を頬に受けながら。牡丹は悔しげに、その場で何度も地団太を踏む。


 すっかりご立腹の牡丹の面を眺め、

「ぷぷっ。どうしたんだよ、その顔は。一段と男前になったんじゃないか?」

 くすくすと笑みを溢す梅吉を、牡丹は鋭く睨み付ける。それからごしごしと、手の甲を使って頬を強く擦る。



「駄目だ、全然取れない。選りにも選って、油性ペンで書きやがって……!」


「まあ、まあ。少しくらい大目に見てやれよ。誰も相手をしてやらないもんだから、親父のやつ、拗ねてるんだよ。

 それに、なんせお前は、親父の――、天正家唯一の跡取りなんだからさ」


「ちょっと、梅吉兄さんってば。そんなこと、勝手に決めないでよ」


「そう言われてもなあ。道松は復縁しちまって、藤助はじいさんの養子になることが決まってる。桜文も伯父さんの所にいくことになってるし、菖蒲だって恋人の従兄妹の子の所にいくだろう。俺も彼女の家に婿養子で入るつもりだから、となれば牡丹、お前しかいないだろう」


「何を言ってるんだよ、芒がいるじゃないか。それに、親父だって、芒を跡取りに決めたって言ってただろう」


「駄目だよ。僕も望峯もねちゃんの所に婿入りすることになってるから」


「へ? 望峯ちゃんって、誰……?」


「僕の彼女。望峯ちゃんの家、造り酒屋なんだ。だから望峯ちゃんに、一緒にお酒を造ってって。お願いされちゃってるの」



 けろりと告げる芒に、牡丹はあんぐりと口を大きく開かせる。


 梅吉は、くすくすと嫌味たらしく笑みを漏らし、

「残念だったな、牡丹。芒に先を越されちゃって。これでもう天正家は、全てがお前に託されたぞ。

 それにしても。また背が伸びたんじゃないか? そろそろ萩も越えたか」


「本当、成長期ってすごいよね」


「いや。アイツにはまだ五センチ負けてる……」


「ふうん、そっか。けど、顔付きも日に日に親父に似てくるし。うん、うん。やっぱり天正家を継ぐのは、お前しかいないってことだな。

 ううん、牡丹も将来、八人の……、いや、その記録を塗り替えて、十人くらいの女を手玉に取るかもなー」


「冗談じゃない! 俺は親父とは違うっ!!」


「けど、明史蕗ちゃんから聞いたぞ。牡丹が女の子達をはべらかせてるって。遊ぶのもいいけど、ほどほどにしろよなー」


「それは、兄さん達が卒業したから。だから、俺に変えただけだろう。アイツ等が勝手に群がって来るだけで、俺は別に……。

 大体、俺には紅葉がいるし――!」



 しんと静まり返る中。牡丹ははっと気が付くと慌てて口を押さえるが、間に合わない。その上、周りからの視線は想像以上に痛々しいもので。



「へえ……。けど、紅葉ちゃんには、まだちゃんと返事してないんだろう」


「いい加減、はっきり言ってあげるべきだと思うよ」


「男なら腹括れよ」


「よく分からないけど、牡丹くん頑張れ」


「だから周りも放っておかないんですよ。自業自得です」


「でも、牡丹お兄ちゃんだもんね」


「ヘタレ」



 一度に非難の音を浴びせられ、牡丹は顔を真っ赤に染めさせたまま、ぷるぷると小刻みに肩を震わせる。


 何も言い返せないでいる牡丹を他所に、ぱんと軽い音が響き渡った。



「ごちそうさまでした。僕はそろそろ学校に行きます」


「僕も。もう行こうっと」


「行って来る」


「うん。三人とも、いってらっしゃい。

 ほら、牡丹も急がないと遅刻するよ。それから早くその落書き落とさないと」



 牡丹はようやく状況を思い返すと、再び頬を濡れたタオルで強く擦り続ける。


 が。



「あー、駄目だ、全然取れないーっ!? どうしたらいいんだよー!」


「そりゃあ、油性ペンだもんな。絆創膏でも貼って隠したらどうだ?」


「なるほど! 梅吉兄さん、ナイスアイディア!」



 パチンと指を鳴らし、牡丹は早速、救急箱を取りに行こうとする。が、「あっ」と、藤助が小さな音を上げた。



「ごめん。絆創膏、切らしちゃってたんだ。買うの、すっかり忘れてたよ」


「えーっ!? そんなあ。せっかくいいアイディアだと思ったのに」


「絆創膏なら、俺、一応持ってるけど……」


「本当!? 桜文兄さん、ちょうだい!」


「えっと、でも、ちょっと柄が入ってるんだ」


「文字さえ隠せれば柄なんて。そんなの、どうでもいいよ!」



「だからちょうだい!」と、半ば噛み付くよう。食ってかかる牡丹につい流され、桜文は牡丹の頬の、問題の箇所へと絆創膏を貼ってやる。


 一安心とばかり、牡丹は肩の荷を下ろす。


 が。



「やばっ、もうこんな時間だ。いただきます! ……げほっ、ごほっ」


「もう、慌てて食べるから。はい、お茶」


「うん……、ぷはあっ。ありがとう、ごちそうさま。

 それじゃあ、いってきまーす!」



 ばたばたと嵐みたいに過ぎ去って行く牡丹の背を、大学生組である四人は見送りながら。



「ったく、慌ただしいやつだ。見てくれは変わっても、中身はちっとも変わらないな。アイツ、鏡も見ないで行っちまったぞ」


「まあ、『パパLOVE』よりは、マシじゃない?」


「ていうか、桜文。その絆創膏、まだ持ってたのかよ」


「うん。菊さん、たくさんくれたから。まだあるぞ、ほら」



 桜文は机の上で手を広げ、開かれたそれから、ひらひらと何枚もの絆創膏が振り落ちる。その一枚、一枚にはご丁寧にも、大きな黒い文字で、『バカ』と書かれており……。

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