8.
ずどんと鈍い音に続き、埃が軽く舞い上がり――……。
鼻先で絡み合う瞳に、鼓動は勝手に速まり。体温は必要以上に上昇していく。
どくどくと、心臓の音ばかりが頭の中に強く鳴り響く中。
(落ち着け、俺、落ち着くんだ。)
理性を保つんだと萩は強く自身に言い聞かすが、脳内は沸騰し、目はぐるぐると回るばかりだ。
紅葉の瞳には、相変わらず自身の情けない面がありありと映り込んでいる。それを見つめ返しながらも、萩は無理矢理生唾を呑み込ませた。
✳︎
一方、同時刻。その外側では――。
「おーい、萩。プリント、持って来てやったぞー」
半ば渋々紙の束を片手に、牡丹は萩の部屋のチャイムを鳴らす。軽く戸も叩いてみるが、一向に反応はない。
「なんだよ、アイツ。せっかく来てやったのに。寝てるのか?」
風邪を引いているのだから当たり前かと、牡丹はすぐに考え直すが、しかし。どうしたものかと試しにドアノブに手をかけると、扉は自然と開いていく。
「あれ。開けっ放しなんて。不用心だなあ。
おい、萩ってば」
入るぞと一応断りを入れ、靴を脱ぐと、牡丹は短い廊下を進んで行く。が、すぐにも差し迫った戸を開ける。
が、扉の隙間から飛び込んできた光景に――、想像もしていなかった目の前の情景に。自然と足が止まってしまうが、数拍の空白の後、牡丹は再び歩を進め、持っていた紙の束を萩に押し付ける。
「これ、今日配布されたプリント。ちゃんと渡したからな」
それだけ言うと、牡丹は背を向け。そのまま後ろ手に扉を閉める。
靴を履き直し、来た時と変わらぬ歩調で一段ずつ階段を下りて行く。
が。
(なんだよ、紅葉のやつ。俺のこと、好きだって言った癖に。萩とそういう関係だったなんて、全然知らなかった。
……なのに、ずっと気にしていたなんて、)
「馬鹿みたいじゃないか――」
最後の一段を下り終え。地面に足が着くと、牡丹は通りの向こうに見える我が家へと進んで行こうとする。が、不意にどたどたと鈍い音が遠くの方から鳴り響き、何事かと振り向くと、肩を上下に激しく揺らし、二階の階段の手摺に必死の形相でしがみ付いている萩の姿が見えた。
「牡丹、てめえっ……!
おい、ちょっと待てよ!」
「なんだよ、うるさいな。お前、寝てなくていいのかよ。具合、悪いんだろう?」
「悪いに決まってるだろう! 風邪引いてるんだ……って、そうじゃなくて。
お前、勘違いしてるだろう」
「はあ? 勘違いって、なんのことだよ。
大体、具合が悪いなんて言って、随分と元気そうに俺には見えたけどな」
「だから、違うって言ってるだろう!」
「何がどう違うんだよ。大体、お前と紅葉がどこで何をしていようと、俺には全然関係ないしな」
「お前なあ! いい加減にっ……」
おそらく、「しろ」と続けるつもりだったのだろう。けれど、その言葉が紡がれることはなかった。
代わりに萩の体が、ぐらりと大きく揺れ動き。続いて、ずだだだだんっ……! と、鈍い音がその場一帯に響き渡る。
目の前に転がり落ちて来た大きな塊に、牡丹はおそるおそる、近付いて行き、
「萩……? おい、萩? 萩ってば、おい!?」
いくら牡丹が呼びかけても、返って来るのは荒い息遣いばかりであった。
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