5.

「おーす! 牡丹……って。どうしたんだよ、目の下のクマは」



 教室に入るなり声をかけて来た竹郎へ、牡丹はげっそりとした顔を彼に差し向けながらも、

「ちょっとな……」

と、適当にはぐらかす。それに対し、これ以上追及する気はないのか。竹郎は、ふうんと上辺だけの相槌を打った。


 牡丹は自分の席に着くと、一つ小さな息を吐き出させる。



(結局、)



 昨日は全然寝付けなかったなと、上手く回らない頭を揺らし。そのままこてんと、机に突っ伏す。


 だが、またしても竹郎が小声ながらも口を開かせ、

「そういやあ、足利も様子が変なんだよなあ」


「萩が?」


「ほら、あれだよ、あれ」



 竹郎に言われ、ぐらぐらと揺れる頭をそのままに。牡丹はどうにか机から上げさせると、竹郎の指の先を追って行く。すると、竹郎の言う通り、そこには虚ろな瞳をした萩の姿があった。



「本当だ。アイツ、どうしたんだ?」


「さあ。朝からずっとあんな調子なんだよ。話しかけても上の空でさ」



「不気味なんだよな」と気味悪がる竹郎に、牡丹も同意する。そして、遠くから、そっと見守るスタンスを取ることに決め込む。


 一方、気味悪がられている萩だが、彼は深い息を吐き出させ。



(紅葉さんの……、紅葉さんの告白シーンを……。)



 見てしまうなんて――! と、一層色濃い影を背負う。


 半分生気が抜けたまま、未だ焦点の定まらない目で窓越しに空ばかりを眺める。



(帰り道の公園で、紅葉さんを見かけ。つい走り寄ってしまった、昨日の自分を恨みたい……。

 牡丹の野郎、返事はしていなかったようだが、一体どうするつもりなんだ? まさか、前に与四田が言ってた通り、オーケーする気なんじゃ……!? いや、いや。あの牡丹に限って、そんなこと……。ある訳ないじゃないか。ああ、そうだ。そうに決まってる。

 それにしても。紅葉さんが告白するとは)



 思ってもいなかったと、萩は再び昨夜のワンシーンを思い出してしまい、更に精神的にダメージを受ける。


 その傷が癒えないまま、いつの間にか放課後になり。萩はとぼとぼと一人、帰路を歩いて行く。


 が、公園に差しかかった所で、萩の足は自然と止まった。



「紅葉さん……」


「あっ、萩さん」



 萩の存在に気が付くと、紅葉はその場で足を止め。軽く頭を下げて見せる。それにつられ、萩も頭を下げ返すものの。



(どうして紅葉さんがこんな所にいるんだ? もしかして、牡丹に会いに……。だが、今の時間、アイツならまだ部活中で、学校にいるだろうし)



 萩は思わず眉を顰め、じろじろと、食い入るように紅葉のことを見てしまう。


 不審面を突き付けられた彼女は、思わずたじろいでしまう。



「あの、どうかしましたか?」


「へっ!? いえ、なんでもありません。それより、紅葉さんはどうしてこんな所に? もしかして、牡丹に用ですか?」


「いえ、私は菊ちゃんに会いに」


「あ、そうですか。牡丹の妹に。俺はてっきり、牡丹に昨日の返事を訊きに行ったものだとばかり……」



「思っていました」と、後を続けるよりも先に、きょとんと目を丸くさせる紅葉を前にして。萩は、しまった――!? と、心の内で思い切り叫ぶが時既に遅い。


 不穏な空気が漂う中、萩の額から、だらりと冷ややかな汗が、己の意思とは無関係に流れ落ちた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る