8.
「栗饅頭があるんだけど……」
最早、日課とばかり。「食べる?」と後を続けようとするが、
「いりません」
と冷ややかな音が、ばっさりとそれを遮る。
端から分かってはいたが、桜文は、へにょりと太い眉を下げる。
「栗饅頭、おいしいのになあ。
そう言えば、具合はもう大丈夫なの? 良くなった?」
そう訊ねるが、いつまで経っても返答はない。便りのないのは良い便りと言うけれど。どうせなら本人の口から直接聞きたいものだと、桜文はちらりと隣に立つ菊を盗み見るが、彼女の表情は別段普段と変わらない。
もぐもぐと一人饅頭を頬張っていると、ふとか細いながらも甲高い音が耳を掠めた。
「ん? この鳴き声は……、あっ、猫だ。あんな所に」
声のした方に視線を向けると、木の幹にしがみ付いている白い小さな塊が目に入る。
にゃあにゃあと心細げに鳴き続ける子猫に、桜文は食べかけの栗饅頭をパックの中に戻すと立ち上がる。その木に登って行くこと、数分後――……。
「ふう。ほら、もう大丈夫だぞ。
ん……、もしかして、お前。お腹空いてるのか?」
桜文は試しとばかり、饅頭を手で小さく千切ると、猫の口元へと持っていく。すると、子猫は、ぱくんとそれを口に含んだ。食べ終えてしまうと、今度はちろちろと真っ赤な舌を突き出して、桜文の太い指先を舐め始める。
そんな子猫の頭を、桜文は軽く撫でてやる。
「よし、よし。もっと食べるか? 余程お腹が空いてたんだな。
それにしても。コイツ、野良猫かなあ。親の姿も見当たらないし」
きょろきょろと辺りを見回しながら、子猫をあやす桜文の様を、菊は横目で見つめる。
「……どうするの?」
「どうするって?」
「その猫、どうするの?」
「ああ。ううん、そうだなあ。このまま逃がすのは、ちょっと心配だから。誰か飼える人がいればいいんだけど」
「自分で飼わないの?」
「本当は飼いたいんだけど、藤助が動物はお金がかかるからって。許してくれないんだよなあ」
「心配だなあ」と、手の中の大きな瞳を見つめながら、桜文はへらへらと後を続ける。
けれど、一方の菊の眉間には、自然と皺が寄っていく。
「……バカじゃないの? なんでアンタが心配するのよ」
「なんでって、だって、まだこんなに小さいのに、ひとりぼっちみたいだし。菊さんだって、心配だろう?」
「別に。猫なんて元々野生なんだから。それを人間が勝手な都合で飼い始めただけで、放って置いても勝手に生きるでしょう。心配するだけ無駄よ」
「うーん、確かにそうかもしれないけど。でもなあ」
菊の言い分に同意はするが、しかし、桜文は、うんうんと小さく唸り続ける。
そんな彼の煮え切らない態度に、菊はますます顔を顰めさせる。
「バカじゃないの……? なんでいつも、いつも、余計なことばかり気にするのよ。その猫のことだってそうだし、私のことだって……。
大体、アンタとはなんの関係もないじゃない」
「余計なことって、でも。困ってたみたいだったし」
ぽつりとそう溢した刹那、桜文の目の前の視界は白一色に染まる。一瞬、状況が理解できずにいた桜文だが、その正体が菊の持っていたタオルだと分かった。
投げ付けられたそれをどうしたものかと持て余している間にも、菊は珍しくも薄桃色の唇を大きく開かせる。
「誰も助けてくれなんて、そんなこと頼んでない!
アンタのしていることは、お節介以外のなんでもない。人の気持ちも考えないで、そうやって親切ぶって。自分は余裕があるって、優越感に浸りたいだけなんでしょう。どうせ都合が悪くなると、直ぐ掌を返す癖に。
アンタみたいな人間が、一番質が悪くて大嫌いっ――!」
そう強く言い放つと、菊は鋭い目付きを添え。思い切り、桜文を睨み付ける。それから華奢な背を向けると、直ぐにも走り去って行った。
取り残された桜文は、跋の悪い顔を浮かばせたまま、ただその場に居続ける。彼の腕の中では、子猫がにゃあと。甘ったるい声で小さく鳴いた。
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