10.
ぶらんぶらんと頼りなくも足は地から離れ、数メートルという高さから萩は床を見下ろしている。
「あの、ちょっと……!」
(おい、おい。なんだよ、なんなんだよ、この展開は!? せっかく紅葉さんと一緒に花火が見られると思ってたのに、一体どこに連れて行く気なんだ。
俺が何をしたと言うんだよ……! って、そう言えば。前に牡丹を探しに来た時、この人のことを騙して、家まで案内させたっけ。まさか、今頃になってそのことを……。)
仕返しとばかりボコボコにされるのではと、つい嫌な想像をしてしまい。また、自分を担いでいるこの男は、確か柔道の大会で入賞ばかりしていたよなと。萩の全身からは、更にだらだらと冷や汗が流れ出す。
けれど、突然桜文の足が止まったかと思えば、ひょいと床に下ろされた。
久し振りの地面の感触を確かめながらも萩はおそる、おそる、桜文の顔を見上げていく。
「えっと、その……。あの時は、」
「済みませんでした!」と先手必勝とばかりに謝罪しようとしたが、不意に、
「あのさ」
と横から口を挟まれてしまう。萩は内心どきりとしながらも開きかけていた口を閉ざし、おとなしくその続きに耳を傾けさせる。
「俺、ちょっと急用ができて。だからその間、代わりに菊さんのことを見ていて欲しいんだけど、駄目かな?」
「えっ。見ていてって……」
(なんだ。)
そんなことかと、萩は思わず呆気に取られる。二の句を告げなかったことが、おそらく了承の意味と取られてしまったのだろう。
「それじゃあ、菊さんのことお願いね」
言うなり桜文は、早々とその場から駆け出した。
その声で萩は我に返り、咄嗟に桜文を引き止めようとしたが、間に合わない。
「……って、どうして俺が牡丹の妹を見てないといけないんだよ!?」
せっかく紅葉さんと花火が見られるチャンスだったのに……! と、今日はとんだ厄日だと思う傍ら。だけど、頼みを断ったら、それこそボコボコにされるのではないかと。また、ポケットに入れっ放しだったキーホルダーのこともあって、結局は、ぶつぶつと愚痴を溢しながらも萩は保健室へと向かう。
念のため、軽くノックをし。それから中に入ると、目に飛び込んで来たのはベッドではなく、なぜか床に伏している菊の姿であった。
その光景に萩は一瞬ぎょっとしたが、すぐに事情が分かり。先程よりもわざと強く手の甲で戸を叩きながら、
「おい、牡丹の妹。地面に這い蹲って、一体何をしてるんだ。もしかして、探しものか?」
華奢な背中に向け、そう問いかける。
「だったらなんですか? 足田先輩には、関係ありませんよね」
やっと萩の存在に気付いた菊は、一瞬顔を上げたが、また床と睨めっこを再開させる。
そんな菊に、相変わらず可愛くないと。萩は額に青筋を立てるが、一つ咳払いをして調子を整えさせる。
「もしかして、お目当てのものはこれか?」
ちょっと得意気に、今度は例のキーホルダーを掲げながら、萩は再び問いかける。すると、菊は一寸間を空けさせが、それが目に入った瞬間、薄っすらと口を開かせていき。簡素ながらも素直に礼を言った。
それに対し、萩はぽかんと口を半開きにさせたまま。しばらくの間、本人の意思とは無関係に間抜け面を浮かばせる。
「その顔はなんですか?」
「いや、その。お前が素直に礼を言うなんて」
やはり、先程の出来事をいま一つ信じられず。萩はぱちぱちと、何度も瞬きを繰り返す。
だけど、いつまでも疑っていても仕方ないかと割り切ると、萩は近くの椅子へと腰を下ろし……、いや、下ろそうとしたが、その直前。菊がそれをさっと横に引き、萩はそのまま盛大に床へと尻餅を着いてしまう。
「おい、牡丹の妹! どういうつもりだ、痛いじゃないか!」
「どういうって、それはこっちの台詞です。用は済みましたよね? なのに、いつまで居座るつもりですか」
「いつまでって、お前の兄貴が戻って来るまでだよ」
「はあ?」
「だから、頼まれたんだよ、お前の兄貴に。急用ができたから、用が片付くまで自分の代わりにお前のことを見ててくれって。
俺だって本当は、紅葉さんと花火を見る予定だったんだぞ。それなのになあ……!」
萩は菊から椅子を奪い取ると、今度はきちんとそれに腰を下ろす。
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