2.
「久し振りだな、兄さん」
「なんで、どうして……。どうしてお前がここにいるんだよ、
ぶるぶると震えの止まらない拳をそのままに、俺はどうにかその一言を吐き出させる。だけど、萩は全く表情を変えることはない。冷徹な面を維持させている。
「なんで、どうしてお前がここに……。まさか、あの人に聞いたのか?」
「あの人って、もしかして親父のことか? 仮にも一時、自分の父親だったにも関わらず、そんな風に呼ぶんだな」
俺は何も答えない。いや、答えられないと言った方が正しいだろう。
そんな俺を追い詰めるよう、萩はくすりと唇を歪めさせる。
「……まさか。問い質したが、結局親父は最後まで教えてはくれなかった。
兄さん、この間、テレビに出ただろう?」
「テレビ? テレビってまさか、『幸せ家族策略』のことか?」
「そう、それ」
「出ていただろう」と、もう一度。萩は繰り返す。
「確かにその番組には出たけど、でもお前、テレビは全然見ないじゃないか」
「ああ、確かに俺は見てなかった。けど、番組を見ていたクラスの連中から連絡が来たんだ。お前がテレビに出てるって」
なっ、なっ……。なんで、どうして……。
親父ではなく別なやつが釣れてしまった――!!?
本来狙っていた獲物ではなかった所か、全く予想もしていなかった事態を招いてしまった。
ひくひくと、俺の頬は引き攣る。
「それにしたって、どうやってここを突き止めたんだよ!? いくらテレビで俺のことを見たからって、住所まで分かるはずが……。
大体、なんだよ。さっきから俺のこと、『兄さん』なんて呼びやがって。今まで一度だって、そんな風に呼んだことない癖に!」
「なんだよ。こっちは気を遣って、せっかくお前の顔を立ててやっていたのに。だったらもういいや。望み通り、普段通りにしてやるよ。
そこにいる人達、お前とは半分だけ血が繋がってるんだっけ? 兄さん達が有名人だったおかげで、調べるのなんて容易かった。
今の世の中、本当に怖いよな。ネットで名前を検索するだけで、簡単に個人情報が手に入るんだ。射撃に弓道、それから柔道だっけ? それらの大会の入賞記録がさ。そしたらみんな同じ学校だったからその周辺をふら付いてたら、運良くその一人と接触できて。ここまで連れて来てもらったんだ」
その一人――桜文兄さんの方を眺めながら、萩は淡々と答える。
「ああ、うん。萩くんを連れて来たのは俺だけど……。
だって、牡丹くんとは友達で、どうしても会いたいって言うから。可哀想だなあと思って、それでつい」
じとりと恨めし気な視線を送り付ける俺に、桜文兄さんはすっかりしどろもどろに。ごめんねと謝ってくる。
「おい、牡丹。そろそろ教えてくれよ。結局、そいつはお前のなんなんだ?」
「梅吉兄さん。その、コイツは、コイツは俺の……、俺の、その……」
いつまでも言い渋る俺を萩が押し退け、
「俺は
と、勝手に後を続けさせる。
すると、梅吉兄さん達は、揃ってぽかんと間抜け面を浮かべさせた。
「へっ……? えっと、義理の弟って……」
「俺の親父と牡丹の母親が再婚したので、俺達は兄弟になりました。とは言っても、連れ子同士なので血縁上の関係は一切ありませんが。
だけど数か月前、母が亡くなった矢先、牡丹の父親のことを知るという人物が現れて。その人から父親の元に来ないかと誘われると、コイツは俺達との関係を捨てて家を飛び出しました」
「なんだよ、その言い方は。別に捨てた訳では……」
「それじゃあ、他になんて言えば良いんだよ。お前は勝手に家を出て、親父はその後のお前に関することは、一切教えてはくれなかった。……けど、やっと見つけた」
萩は一度そこで区切り、小さく息を吸って吐き出させてから、
「牡丹、家に帰るぞ――」
「帰るって……」
「俺がただ仲良くお喋りするためだけに、わざわざ東京から何時間もかけてここに来たなんて。思ってないよな? あの番組で言っていたことは、本当なんだろう。親父は行方不明のままだって。
なんだよ、あのおじさん。聞いていた話と違うじゃねえか。親父がいなかったなら、これ以上ここにいても意味ないだろう」
「帰るぞ」と、萩はもう一度繰り返す。
だけど――。
「……嫌だ」
「はあ?」
「だって、だって……。俺はまだ、問題の親父に会えてない……。
確かに会えてないけど、でも、やっと掴んだ手がかりだ。もしかしたら、その内ふらっと現れるかもしれない。
だから……、だから、アイツをぶん殴るまでは、絶対にここを離れる訳にはいかない!」
激しく肩を上下に動かし、俺は荒い呼吸を繰り返す。
そんな俺を、萩は憐みとばかりの瞳で見つめる。
「お前の復讐って、そんなに大切なことか? ぶん殴るだけで、本当に気は晴れるのか? 全てを捨ててまでしないといけないことなのか?
……もういいだろう。母さんだって亡くなってるんだ。それに、あの人はお前と違って恨んでなんかいなかった。
それともなんだ? お前と同じ境遇の、そこにいる異母兄弟同士、仲良く慰め合って暮らしていくつもりなのか?」
傍らに控えている兄さん達を見渡しながら、萩は落ち着き払った声で言う。
その声の調子に合わせ、室内の隅々まで緊迫の糸が張り巡らされていき。沈黙とした空気ばかりが流れ続ける。
いつまでも歪んだ表情をそのままに下唇ばかりを噛み続けている俺に、萩はもう一振りとばかり。ゆっくりと刃に似た唇を開かせていくが、その矢先――。
「ただいま」
「あのっ、お邪魔します」
と、二つの高低差のある声により、ガチャンッと硝子が粉々に砕け散るみたいに。緊張状態は打ち壊され、その場はしんと静まり返った。
その異様な雰囲気に、リビングに入るなり菊がぽつりと口を開く。
「……なに、この騒ぎは」
「その、牡丹の弟さんが訊ねて来たんだよ」
「弟?」
藤助兄さんに促されるよう、ちらりと菊が俺達を見る。俺達も、菊の方に視線を向ける。
その視線を受けたまま、菊の後ろに控えていた紅葉は、
「あの、私、今日は帰った方が……」
いいですよねと遠慮がちに、くるりと体を反転させようとしたが、その手前。黒い塊が彼女へと差し迫り――。
「そんなことありませんっ!」半ば叫ぶように、萩はがしりと紅葉の手を掴み取った。
「へっ!? そうですか?」
「はい、ちっとも構いません。
……あの、付かぬことをお聞きしますが、あなたのお名前は……」
「名前ですか? 私は甲斐紅葉といいます」
「紅葉さんですか。素敵な名前ですね。
あの、紅葉さんとこの家とのご関係は? まさか、牡丹と兄妹とか!? いや、それにしては苗字が違うな」
「私は菊ちゃんの友達です。部活帰りにちょっと立ち寄っただけです」
「菊ちゃんの友達?」
「はい。えっと、菊ちゃんが牡丹さんの妹なんです」
そう言うと、紅葉はちらりと隣の菊へと視線を向ける。
だけど、一方の萩は、ふうんと上辺だけで答えた。
「そうですよね。あなたのような方が、まさか牡丹と一滴でも血が繋がっているなんて。そんな最悪なことがある訳ないですよね。本当に良かったです」
「はあ。えっと、そんなことはないと思いますが」
「おい、萩。お前、いきなりどうしたんだよ。おまけに人のこと、散々言ってくれるじゃないかっ……!」
俺が怒ると、萩はやっと俺の方を向き直る。
ごほんとわざとらしく咳払いすると、体裁を整え直した。
「時間も時間だから今日はこれで帰るが、このまま引き下がると思うなよ。お前なら、分かってるだろう?」
萩は本日一番の鋭さを携えた瞳で俺を一瞥すると、静かにリビングから出て行った。その場から嵐は立ち去ったが、余韻だけはいつまでも残り続ける。
誰もが口を堅く閉ざしている中、俺は喉奥を震わせ、
「済みません。俺、今日はもう部屋で休みます」
それだけ言うと、一人その場から抜け出し。一段ずつ、のろのろと階段を上がって行った。
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