3.

 朝特有の新鮮さに包まれた空気とは裏腹、教室に入るや、「はああ……」と、鬱蒼とした空気が室内いっぱいに流れていた。出所を探ると、それは俺の席の前、友人である竹郎の元からだ。


 いつもなら騒がしいくらいの竹郎だが、その容体の違いに、疑問を抱かずにはいられない。



「竹郎、どうしたんだよ。辛気臭い顔して」



 そこで俺は、机に突っ伏している竹郎に問いかけた。


 竹郎は、こてんと顔を半面だけ見せて、

「それが、今度の演劇部の公演のチケットが手に入らなかったんだよ」

と、弱々しい声で言った。



「ふうん、そうなんだ。それは残念だったな」



 なんだ、たいしたことなかった。


 俺はそう思ったが、だけど、本人にとっては余程のことであったらしく。


「残念所の話じゃないよ!」

と、竹郎は突然顔を上げ、ばんっ! と、拳を机に強く叩き付けた。



「なんだよ、びっくりした……。そんなに観たかったのか? 演劇部の舞台」


「当たり前だろう! これは、ただの舞台じゃない。天正菊の出る舞台なんだ!

 この前の公演も本当に良かった。天正菊は可愛いだけじゃない。演技も上手いから、文句の付けようもないんだ。

 ああ。天正菊は、本当に可愛いよなあ……」


「そうかあ? そんなに大騒ぎするほどかな」


「この、贅沢者! あれ以上に可愛い子なんて、なかなかいないぞ」


「いくら可愛くても、性格に問題のある人間はどうかと思うぞ」



 俺は反論したが、でも、一方の竹郎は平然とした顔のまま、

「ちょっとツンツンしてるだけで、そんなに悪いとは思わないけどな」

と言った後に、

「寧ろ、そういう所が反って可愛いっていうかさー」

なんて、そんなことまで言い出した。


 恋は盲目、あばたもえくぼと言うけれど。これほどまでに可愛いと思える竹郎が羨ましいと。顔を合わせば憎まれ口ばかり叩いて来る妹を、少しでもそんな風に思えたらと。


 俺が淡い思いを寄せていると、竹郎は、またしても突然、

「そうだ!」

と、声を上げ、

「なあ、牡丹。天正菊に頼んでもらえないのか? 今度の公演のチケット」

と、猫撫で声で言ってきた。


 だけど。



「それは無理だな」


「なんで!?」


「だってアイツ、兄さん達の分のチケットは用意してたけど、俺の分だけチケットがなかったんだよ。忘れてたとかなんとか言って」



 本当の所、どうだか知らないけど……。


 そういう訳だから、潔く諦めてくれと。そう告げると、竹郎はまたしても、ずるずると机に突っ伏した。


 もちろん、そんな竹郎は、その日一日、授業なんかさっぱりで。

「あーあ、どっかにチケット、余ってないかなあ……」

と鬱陶しいくらい、そればかりを口にしていた。

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