3.
今日も今日とて部活に励み。薄紫色に染まっていく空に向かい、俺はぐっと背筋を伸ばす。
引き続き家に向かって歩いていると、前方に見覚えのある姿が目に入り……。
「あっ、菊……」
その人物――、菊も俺に気が付くや、げっと顔を歪めさせ。歩くペースを速め出した。
「あっ、おい、ちょっと……!」
「なによ。付いて来ないでよ、変態!」
「仕方ないだろう、同じ家に帰るんだから。それと、何度も言うが、俺は変態じゃない!」
ここぞとばかりに主張するが、しかし。一方の菊は、ぷいとそっぽを向いてしまう。
この女、どこまでしつこいんだ……!
俺はふるふると拳を握り締めるが、一呼吸置かせ。大人げないかと省みると、ちらりと隣を歩く菊を盗み見た。
「それより、体はもう大丈夫なのか?」
「……」
「なあ、おいってば」
なんだよ。せっかく人が心配してやっているのに、無視しやがって……!
可愛くない奴――!
つい数秒前にした反省は、すっかりどこかへと吹き飛んでしまい。俺は心の内で思い切り叫んだ。
そして、俺も足を速めるが、俺が足を速めれば、今度は菊が足を速め。俺達の歩く速度は自然と速まる。
本当にしつこい女だと、視線を横に流すと。菊の鞄にぶら下がっている、クマのマスコットキーホルダーが目に入り――……。
「へえ。お前もこういう可愛いものが好きなのか?」
意外だなあ。
俺がキーホルダーに触れると同時、ばしんっ! と鈍い音が轟く。突如迸った痛みに、俺の口から苦痛の音が漏れる。
「おい、なにするんだよ!」
「汚い手で触らないで!」
「なっ……、誰の手が汚いって!? それに、何も叩くことないだろう!」
「なによ。アンタが勝手に人のものに触るからでしょう!」
「なんだよ! 確かに勝手に触ったのは悪かったけど、でも、だからって叩くことないだろう!」
いつもなら言い負かされ、簡単に諦めてしまう俺だが、今回ばかりは負けじと反撃を試みる。
だが、菊の手は止まらない。俺目掛け、ぶんぶんと鞄を大きく振り回し出す。
「いたっ。おい、ちょっと……。止めろって! いたっ……」
俺の制止を促す声も虚しく、菊の攻撃は激しさを増していく。だが、何度目の攻撃になるだろうか。菊がここ一番の力を込めて鞄を振ると、その拍子に先程のキーホルダーが外れてしまう。
それは小さな弧を描きながら宙を飛び、そのまま――、ぽちゃんっ! と池の中へと落っこちた。
「あっ……。あーあ、落っこちちゃったぞ。お前が鞄を振り回すから」
呆れがちに菊の方を振り向くが、そこに彼女の姿はそこにはなく。辺りを見回すと、いつの間にか菊は濡れるのも構わず、バシャバシャと池の中へと入っていた。
「おい、何をしてるんだよ!? こんな時期に池になんか入ったら、風邪引くだろう。おいってば!」
そう叫ぶが、菊は一切無視し。腰を曲げさせ、水の中へと手を突っ込ませる。
一心不乱に池の中を漁り続けている菊に、俺はぎゅっと拳を握り締め。
「なあ、菊。そんなに大切なものだったのか? だったら、また同じものを買えばいいだろう。こんな広い池の中から探し出すなんて、無理に決まってるだろう。
おい、菊ってば!」
もう一度、声を張り上げると、菊はやっと顔を上げた。かと思いきや、きっと鋭く俺のことを睨み付ける。
そして、すぐにも視線を池に戻し、また手を動かし出すが。だけど、その一瞬。俺は決して見逃さなかった。菊の目の端に、薄らとだが涙が浮かび上がっていたのを……。
「なっ、なんだよ。分かったよ。探せばいいんだろう、探せば!」
俺は半ば自棄になって、靴と靴下を脱ぎ捨て。ズボンの裾を捲り上げると、池の中へと入って行く。
肌を突き刺すような冷たさに思わず後退りしてしまいそうになったが、どうにか気を紛らわせ。思いっ切り、手を突っ込ませた。
うっ、冷たい……!
なんだよ、なんだよ。たかがキーホルダーくらいで、何も泣くことないだろう……。
だけど、言いたいことは、上手く口から吐き出されることはなく。冷たさに嫌になりながらも、俺は必死になって手を動かし続ける。
だが、先程から掴むのは虚しい感触ばかりで。本当に見つかるだろうかと、諦めかけた刹那。固い塊が指先へと触れ――……。
「あっ……、あった……!
あった、あった! ほら、これだろう?」
手にしたキーホルダーを、ずいと菊の鼻先へと突き付ける。
菊は、ぱちぱちと数回、瞬きを繰り返した後。それを受け取ると、すっ……と目元を下げていき……。
うっ……、菊のこんな顔、初めて見た……。
なんだ、こんな風に笑えるんだ……って、あれ。なんで俺、こんなにどきどきしているんだ……?
ばくばくと、ひとりでに跳ね上がる心臓を、俺はどうすることもできず。不可思議な動悸に、動揺しながらも池から上がる。
結局はそれを上手く処理できないまま、俺は菊と肩を並べさせて。ぼたぼたと大きな水雫を垂らしながらも帰路を歩いて行った。
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