どうせ君も優しいだけなんでしょ?
@minazu
第1話 ものすごく意味がわからない
「ウソだろ?ウソだと言ってくれよ!死ぬなマリナァァァ!」
俺は書店でライトノベルに顔を埋めながら唐突すぎるマリナちゃんの死に呻き声を上げていた。因みにまだレジには通していない。迷惑極まりない客に周りの客が後退りをする。
「うるさい!ここは公共の場じゃぞ、静かにせんか!」
そう大声を張り上げてきた、いや張り上げてくださった社会的救世主様は見知らぬおじいちゃんだった。
「え、あ、すみません……」
俺の泣きっ面を見て少々関わってはイケナイ部類の輩とでも思われてしまったのだろうか。無論マリナちゃんとかいうラノベヒロインの死に涙しただけであるが、おじいちゃんは逃げるように何冊かの本を抱えてレジに向かう。買いすぎでは?というくらい抱えていた。
レジに向かう途中一冊の本を落とした。腰を落として本を拾う。ん?
「あの、落とされましたよ?」
いないか。
『──痛み──』
人なら一度や二度。いや、必ずと言ってもいいかもしれない。こんなことを思い描いたことはないだろうか。
『痛みさえ感じなければ自分は幾分か強い人間になれるのに』と。
しかし、人生を積み大人へと成長していく過程の中で様々な境地と巡り会い、どこかでそれは間違いであると気付いてしまう。
では、痛みを経験することは大人への成長と関係しているのだろうか。とはいえ、痛みを経験することが人間にとって必要不可欠なものになるか否かは不明なままである。
(中略)
例えば何気なくテレビに目をやった際に『老人が自家用車で人身事故を起こす』といった内容のニュースが報じられていたとしよう。その事故一つとっても様々な痛みがそこにはある。交通事故衝突時の被害者が受ける身体的な痛みはもちろんの事。悪気なく轢いてしまった老人の罪悪感から湧き上がる精神的な痛み。被害者を間近で支えている親族の心配から湧き上がる精神的な痛み。
この事故一つとっても様々な痛みがそこにはあり、一つの出来事が人を辿りながら痛みを与えている。まるで大きな一つの痛みを大勢で共有しあっているようにも見えてくる。
『痛み』がなす役割とは一体何なのだろうか。
はぁー?ものすごく意味がわからない。そんな本を読んでいた。
俺は一体何を読まされているのか。まあ、あの時おじいちゃんがこの本を落としさえしなければ、そして俺が運命と勘違いして購入さえしなければ読むことのなかったジャンルの本ではあるのだが、余りにも興味のそそらないテーマに思わず瞼がずっしりと重く感じてしまう。つまり、半端なくネムイ。
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