紅のオレイカルコス

海崎じゅごん

第1話 それぞれのはじまり

1山代大地

 7月20日、日本各地で梅雨が終わり本格的な夏が訪れる時期となるこの日、山城大地は学校の方針にがっかりした様子で帰路についた。

 それは大地が選択していた地学が来年度からなくなり、必然的に地学Ⅱが履修できなくなるということだった。県内で唯一地学専門教諭がいることでわざわざこの学校を選んで学んでいたのだが、カリキュラム再編成により(おそらく学校の事情というものがあるのだろう)かなわなくなったのである。

「地学がなくなるなんて、絶対に学校の事情だよな。確かに地学を選択している生徒は少ないけど、将来そういった勉強をしたくて大学を選ぼうとしている俺たちはどうすればいいんだ?」

 はあーっとため息をつき、自転車を漕ぐ。体毛があまり生えない家系であることと、整った顔立ちのせいで中性的な大地は女の子に間違われることがままあった。おまけに声も高めのテナーなので女性のアルト声とほぼほぼ変わらない。

 そんな大地も蒸し暑さは苦手だ。特に今日はやたらに蒸し暑く、汗がたらっと額から流れる。内心エアコンが効いた部屋でのんびりしたい気持ちもあったが、それ以上に先週の出来事が脳裏を過った。



 大地は先週の土曜日に地学オタクの会のメンバーとフィールドワークに出ていた。「地学オタクの会」は大地が名付けた名前である。学校を退職した元教師、博物館学芸員、石材屋など多種多様なメンバーがおり、大地は若手としてかわいがられていた。フィールドワークは実際に現場で行うので、自転車しか乗らない高校1年生の大地はいつも誰かの車に同乗させてもらっていた。その日のフィールドワークは町からそんなに遠くない里山だった。この山の一角にメガソーラー計画が持ち上がったのが数年前。所有者が植林や農業を高齢化でできなくなったため、手入れがされず荒れ放題だったのである。

「それにしてもずいぶん増えましたね、ソーラーパネルが」

現地に降り立ち、周りを見渡した大地はソーラーパネルが山の斜面に置かれている光景に違和感を覚えた。

「おかしいと思っただろう。みんな地球にやさしいエネルギーと言ってるが、あれは廃棄するときは産業廃棄物扱いだ」

 地学オタクの会主幹の杉本が吐き捨てるように言う。杉本は大地が2年の時まで理科を教えたほか副担任としてかかわっていた。定年退職をした後は地学オタクの会を立ち上げ、生徒の中で突出して地学に興味を持っていた大地に声をかけたのだ。もっとも、声をかけた理由の一つに大地の障がいを理解してのこともあったのだが。

 杉本の言葉を大地はよく理解していた。太陽光発電による売電で収入を得ようと急速に各家の屋根にソーラーパネルが置かれたのを始め、日当たりのよい山の斜面や買い手のない荒廃地にメガソーラーが瞬く間に設置された。景観が損なわれるだけでなく、樹木が伐採されることで山の保水能力がなくなり、土砂崩れとともに壊れたソーラーパネルの廃棄をめぐって住民とトラブルになることもあった。

 フィールドワークでは地図を見ながら地形形成の確認や土壌調査用のサンプル採取を行う。歴史ある土地では街中でも新しい建築物を建てるため基礎工事をしようとすると過去の遺構が見つかることがよくある。何時代の遺跡か調査がすむまで工事がストップするばかりか、下手したら遺構保存のため工事をやめることになることもあるのだが、こんな山の中ではそうした場合になっても見て見ぬふりをされるかもしれない。メンバーの誰しもそれを危惧していた。


 メガソーラーの場所では次の増設のためフィールドワークの現場近くまで基礎工事が行われている。その日は休日だったので誰もいなかったが放置された重機が現実を物語っていた。崖が削られ、近くの沢に土砂が崩れ落ちている。おそらくこの沢は水質が変わりイワナやアユなど姿を消すだろう。メンバー達は変わり果てた沢に降り、杉本が様子を写真に収める横で大地は崩れた土砂の下にあるものを見つけた。

 土砂の端から黒く長いものが時折揺れて見える。近寄ると蛇の尾だった。黒っぽい体に鎖柄が見え、体の半分以上は土砂に埋もれてしまっている。恐らく工事による土砂崩れに運悪く遭遇してしまったのだろう。その蛇が弱まっているのを知って数羽のカラスが頭上を旋回している。

 大地は手で土砂をかき分けると土砂から蛇を救い出す。それを見た杉本が慌てた様子で声をかける。

「マムシだから離れろ!」

「いや、これはアオダイショウの幼生ですよ。こうしてマムシに擬態することで身を守っているんです。ほら、早く巣へ帰りな」

 そういって大地は蛇をつかむと沢まで連れて行った。蛇は一瞬大地を見つめていたがやがて沢の中へ消えていった。

「驚いたな、蛇を手づかみするとは」

 杉本が呆れるように言うと

「父さんの方がもっとすごいよ。子供のころは蛇釣りをして蛇を捕まえ、女の子を泣かせて喜んでいたそうだ」

 大地の言葉に驚きが笑いに変わった。

  


 (あの蛇は元気になったかなあ……)

 メガソーラー工事を止める権限も力も自分にはない。それは仕方がないことだ。しかし蛇を助けられたことは良かったと思っている。

 ふと空を見上げると雲が低く垂れこめていた。昨日まで結構な雨が降っていたし、今朝から時折ぱらつくこともある。サウナのようなこの湿度の高さは散髪をし損ねて髪が伸び放題の大地に酷く堪えた。

 自転車を漕ぎながら大気の匂いをかぐ。まだどこか土臭く、そして空にエネルギーをためているかのようなこの状態を幾度経験したことだろう。遠雷が聞こえ、遠くの空で稲光が見えた。すぐに近くまで来るだろう。傘さしで自転車に乗ることは違反で罰金が5万円だと姉から常々言われているので傘は持っていないし、だからと言って雨合羽などあのシャカシャカ感が嫌で着ることもない大地は漕ぎ足を速めた。雷は大地を追いかけるかのように徐々に雷鳴が大きくなってきている。テラスカフェでは椅子やテーブルを片付けている様子が見え、住宅地では洗濯物を取り込む人々が見えた。大地が大きく息をのんだ瞬間、すぐ近くのビルの避雷針に落雷があった。



2鈴木和音

 鈴木和音は小柄でやせっぽちの中学2年生である。いつもおどおどして何かに怯え、滅多に顔を上げずうつむいている方が多かった。一人っ子で大切に育てられたのだが、中学に入ってから女子グループに目を付けられ酷いいじめを受けるようになり、学校へ行けなかったり保健室登校を繰り返したりしていた。それだけに一人で行動することは勇気が必要だった。今日も早めに保健室登校から下校しようと中学校の門から出たところ、いじめのグループに見つかってしまった。3人組のこのグループは和音とは違う大規模小学校から進学している。美人でしかも家は町の名士だったり金持ちの令嬢だったりするので他の生徒の受けは良かった。しかもリーダーは副生徒会長であり、来期は生徒会長の声すらでている。学校の誰もがこのグループの味方なのではと思えてならなかった。

「あら、和音じゃないの。どうしたのかなあ、まだ下校時間じゃないよねえ」

「私たちは真面目に学校生活を送って下校時間を守っているのよ。なのになんであんたがこっそり下校するのかしらね」

グループの面々が口々に言いだす。薄ら笑いをしながら和音の顔を覗き込み、表情をみてクスクス笑い出す。

「私たちは風紀を乱す生徒を見つけて注意してあげるオシゴトです」

3人は怯えて言われるがままの和音を近くの公園へ連れ込むと吐き捨てるように言った。

「あんたみたいなゴミが学校にいると雰囲気悪くなるのよ!」

 リーダーは和音の胸ぐらをつかみそのまま公衆トイレへ連れ込んだ。

「やっちゃえ、やっちゃえ!いつもプールに入れなくて残念だからここで涼しくしてあげるわ」

 周りがはやし立てるなかでリーダーは和音を手洗い場へ連れていき頭を押さえつけ、水を出した。激しい水流が和音の頭に跳ね返り見る間にずぶぬれになっていく。しかし和音は声を上げることも体を起こすこともなかった。

「なんだよ、何とか言ったらどうなの?はーん、人間やめちゃったか」

 3人はげらげら笑うと手洗い場から動かないずぶぬれの和音を蹴り飛ばした。衝撃で和音の体は床にたたきつけられ、思わずうなり声をあげる和音に

「なあんだ、声がでるのか。さては声が出るお人形さん?」

リーダーは和音を片足で踏みつけると和音のカバンをひっくり返し中身をばら撒いた。

「ほら、さっさと掃除しな!このゴミが!」

そう言ったとき強烈な閃光が走った。



3加賀美剣斗

 加賀美剣斗はアメリカ人の父親を持つ大学生3回生である。父親の血が濃く出ているのか傍から見ても日本人離れした顔立ちで分かりやすく言えばイケメンといえた。マスコミを席巻しているアイドルグループにいないのが不思議なくらい顔良し背は高しで、常に頼みもしないのに女の子が取り巻いている。講義を聞こうものなら誰が剣斗のそばに座るか話し合いがもたれ、剣斗はその誰かの視線を浴びながらずっと講義を聞く羽目になるのでおいそれと居眠りなどできなかった。もっとも、仮に居眠りをしていても多分彼女たちは起こしてくれるだろうが、残念なことに剣斗はたいして彼女たちに興味関心を持つことはなかった。

「ああ、このまま何となく大学生活を送って何となく社会人になっていくのかなあ……」

 学生食堂で取り巻きに囲まれながらコーヒーを飲んでいた剣斗はどんよりした空を見つめてため息をついた。今までスムーズに物事が進み、別段勉強をしなくても大学に入ってしまい、それまでも胸躍るような、わくわくするような「冒険」をすることなくきていた。何かが自分に足りないもどかしさが常に剣斗の心にあった。イケメンだと周りからは言われるが実はまだ恋愛をしたこともない。美しい女性がいないわけでもないが惹かれるものはなかった。

「ねえ、剣斗は夏休み帰省するの?良かったら私と……」

そう取り巻きの一人が言いかけると他の女の子も口々に同様のことを言い出し、たちまち騒々しくなった。周りの学生たちは「またか」といった感じで見ている。そう、これは日常茶判事なのだ。

「神様がもしいらっしゃるなら、どうか胸躍る出会いと冒険を僕に下さい」

 そう呟いたとき、垂れこめていた暗雲が豪雨をもたらし、激しい音が周りの音を遮った。



4水原渚

 1台の白い商用ワゴン車が大型ショッピングセンターの駐車場に停まった。中から作業服を着た一人の長身の女性と2人の男性が降りてきた。「全くどうなっているんだろうかねえ。今年で漏水が5件、この施設の見てくれは良さそうなのにさ」

 年配の男性がぼやく。漏水が立て続けに起きているので何かおかしいとは感じている。

「その分、ボーナスははずんでくださいよ、専務」

 若い男性が嬉しそうに言う。夏の賞与はもう支給済みなのに若気の至りで消えてしまったか。

「わが社ほど良心的な会社が他にあるっていうの?よそ様に比べたら利益なんてそこそこ、追加で棒についたナスを所望するならそのぶん身を粉にして働き給え」

 専務と呼ばれた長身の女性、水原渚は黒く長い髪をまとめ上げ、若い従業員に笑いながら話しかけた。美人でモデルのような体型をしているが性格は気さくで従業員や取引先からも慕われている。大学を卒業して普通に事務をしていたがあるきっかけでこの仕事に就いていた。汗まみれで体を使い、道具や工具を使いこなし、果ては重機に乗って工事をすることもあるこの仕事が好きだった。むろん、おしゃれをして町を闊歩するのも嫌いではないが、そんなのは他の女の子たちに任せればいいという考えだった。飾らないこの性格が人を引き付けていた。

 

 3人は漏水現場へ行くと原因を調べ、応急処置をした。漏水現場はショッピングセンターの外の緑化された場所だった。店の従業員の一人が「晴れていてもそこだけ濡れている」ということを不思議に思わなければ漏水はずっと続いていただろう。それはショッピングセンターが高額な水道料金を払う羽目となる。

「以前の地震がかなり水道管に響いているね。こりゃ全面的に見ていかないとまた別の場所で漏水がおきるだろう。となるとあらかじめある程度の見積もりをしておいたほうがいいかもね」

 渚はタブレット端末に今日の工事の情報を入力した。現場以外の仕事も専務である渚の仕事だ。エアコンを効かせた車内で一通り入力をし、ふと空を見上げた。2人の従業員は後部座席で休憩をしており、若手の方はアイスクリームを食べている。蒸し暑いから仕方がないと渚は大目に見ていた。重く垂れさがった雨雲は町全体を暗くし、昼間なのにスモールライトをともした車が行き交うほど視界が悪くなった。


(梅雨明け前のひと雨かなあ、これで終わりならいいけど)

 渚がそう思ったとき、強い稲光とともに衝撃が走った。




時が止まり、大地、和音、剣斗、渚の4人はこの世界から姿を消した。

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