父の思い

数日後、たまたま誰もいない時間に父さんが病室を覗いた。


「1人か?」

「うん。渚はみのりさんと出かけてる」

「お母さんだろう」

言い直されてしまった。

確かにね、彼のお母さんを名前で呼んでる私って非常識かも。

「気をつけます」


父さんは病室のソファーにどっかりと腰を下ろした。


ところで、何の用事だろう。

父さんとはここしばらく冷戦状態のはずだけれど、


「彼はいつまでこっちにいる気なんだ?」

はあ?

何、渚が目障りって事?

ちょっとムッとしながら、父さんを見返す。


「なあ樹里亜。父さんが古い考えなのかも知れないが、男は仕事が一番でなきゃダメだと思うんだ。もちろん色んな生き方があるだろう。それを否定する気はない。でも、お前も同業者だから分かるよな。いついなくなるか分からない医者なんて信用できない。病院に入れば、家族に病人が出ても、目の前の患者を診なくちゃいけない。私の知っている高橋君は優秀で、仕事が好きな若者だった」

うん。

知ってる。

渚は救命の現場が好きだったし、能力を生かせる職場だと思う。


「そろそろ帰してやらないか?」

私は返事ができない。


***


「お前は、母さんから出生の状況を聞いたんだよな」

「うん」

「お前の誕生には少なからず私にも責任があると思ってきた。だから、厳しくもしたし、やりたいことは何でもさせてきたつもりだ」

確かに、私立中学からわざわざ公立高校に行きたいと言ったときも、東京のお金がかかる大学に行きたいと言ったときも、反対はされなかった。

一人暮らしだって、始めは反対されたけれど結局は認めてくれた。


「今回のことも、お前が望むことなら仕方がないと思っている。ただ、いきなり妊娠だの同棲だのと言われて動揺したんだ」

普段は見せることのない、父さんの困った顔。

「父さん・・・」

いつも寡黙で、厳しくて、ただ怖い存在でしかなかったのに・・・

どうやら、私はちゃんと愛されていたらしい。


「あの後、何度も彼が私の元へやって来たんだ。『どうか樹里亜とのこと認めてください。その為なら僕がこっちに戻ってきます』と、頭を下げたんだぞ」

私は胸が熱くなった。


「なあ樹里亜、彼は、渚君はいい青年だ。ちょっと堅物で頑固なところもお前といいバランスがとれている。医者としても優秀だ。できればうちにずっといて欲しい。でもな」

一旦言葉を切って、父さんが私を見た。

「私には、あちらのお父さんの気持ちも分かる。血が繋がらなくても、いや、血が繋がらないからこそお父さんは渚君を大事に育ててこられた。今もきっと、彼の帰りを待っておられるはずだ」

いつの間にか、涙が溢れていた。

「父さんはもう十分樹里亜に親孝行してもらったから、今度は渚君に親孝行させてあげなさい。彼のことだから、お前が言わないと帰らないだろうから」

ボロボロに泣いてしまった私の頭をポンポンと叩きながら、父さんは笑ってくれた。


***


「お前の1度言い出したら聞かない所はジュリアさんそっくりだ」

「父さん・・・」

驚いて、顔を上げた。

初めて、父さんからジュリアさんの話を聞いた。

私を産んだ人の話なんて、1度もしてくれなかったのに。


「どんな人だったの?」

今の父さんになら聞けそうな気がする。


「そうだなあ・・・真っ直ぐで、正義感で、弱いものの味方だったな。病院に迷い込んでくるホームレスに勝手に治療して、よく怒られていた」

「へえー」

いい人だったのね。


「樹里亜、今まで育ててもらった恩を少しでも感じるなら、それを渚君のご両親へ返しなさい。そうすればきっと上手くいくからな」

「うん。父さん、こんなわがままな娘でごめんなさい。そして、育ててくれてありがとう」

珍しく、素直に口を出た。


「バカ、樹里亜はいい子だよ。自慢の娘だ。幸せになりなさい」

「はい」

返事をしながら、父さんと母さんのような親になるんだと心に誓った。

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