隠れ家
翌日、美樹おばさんに連れてやって来られた乳児院。
生まれたばかりの赤ちゃんから、5歳くらいまでの子供達が保護されている。
みんなそれなりに事情を抱えた子供達だけど、とってもかわいい。
「こんにちは」
職員さん達も優しい笑顔で迎えてくれた。
「樹里亜さんはドクターなんですよね?」
院長代理の豊(ゆたか)さんが尋ねた。
「はい。駆け出しの救命医です」
通常、乳児院と言えば公の機関。
でもここは、豊さんのお爺様が私費を投じて創設して施設だとか。
現在は豊さんのお母様が院長。
しかし高齢で体が動かなくなり、今は豊さんが院長代理をしている。
「樹里亜、シェルターも見せてもらう?」
「は、はい」
美樹おばさんに促され、乳児院に併設されている隣の建物へ向かった。
「ここは逃げてきた女性が避難する場所です。一般的にはシェルターって呼ばれます」
シェルター。
そう言われると、周りの女性をキョロキョロ見るのが悪い気がする。
「樹里亜さんも、しばらくここにいるといいわ」
案内してくれるみのりさんが荷物を運んでくれた。
みのりさんは美樹おばさんの高校時代からの友人で、先ほど挨拶した豊さんの妹さん。
すでに沖縄に嫁いでいるが、院長であるお母様の介護のために実家に帰省中。
「ご迷惑かけてすみません。よろしくおねがいします」
簡単に片付けをすませて、私はみのりさんに挨拶をした。
「こちらこそ、ドクターがいてくださると助かるわ」
「いえ、保健所の申請とかしてないんで、大したことはできません」
医師免許があるからと言って、どこでも何でもできるわけではない。
勤務地が変われば、保険医の登録も麻薬処方許可の申請も、各都道府県にしなくてはいけない。
そんなことが逃げている私にできるわけもなく、結局今の私には何もできない。
「いいのよ。ドクターがいてくれると思うだけで安心なの」
とっても優しい笑顔を向けてもらった。
シェルターで、私に与えられた部屋は2人部屋。
精神的に不安定な人も多いからわざと1人にはしないらしい。
「竹浦樹里亜です。よろしくお願いします」
同じ部屋にいた女の子に声をかける。
「愛弓(あゆみ)です。よろしくお願いします」
10代に見える少女は、挨拶を返してくれた。
見ると、おなかが少し膨らんでいる。
でも、黙っておこう。
きっと、事情があると思うから。
色んな子がいるのね。
***
一通り施設内を見て回った私は、庭の片隅にあるベンチに座りポケットから携帯を取り出した。
とにかく、部長に電話しなくちゃ。
このままじゃ、無断欠勤になってしまう。
プププ プププ。
あー、緊張する。
きっと怒っているんだろうな。
コールする間も、胸のドキドキが止まらない。
「もしもし」
不機嫌そうな声。
「竹浦です。突然ですみませんが、しばらく休職をお願いします」
前置きも何もなく、伝えた。
不思議なことに、部長も驚いた様子はない。
『院長は知ってるのか?』
「多分、母が話したと思います」
『はぁー』
部長の溜息が聞こえた気がした。
『知らないぞ。殺されるぞ』
本当に、医者らしくないことを言う人だ。
でも、そこが嫌いになれない。
私はすでにカルテも整理して、書類も作成済みであると伝えた。
「休職届はデスクに入れてありますから」
『そんなものまで用意していたのか・・・』
などと、ブツブツ言う部長。
『どうなっても、俺は知らないからな』
捨て台詞のように言われた。
大丈夫、覚悟はしている。
そして、電話を切ろうとしたとき、
「いいか、みんな待ってるから。いつでも戻ってこい」
ぶっきらぼうに言われた言葉に、涙が溢れた。
***
その日から、私のシェルター生活が始まった。
妊娠の経過は産婦人科医である美樹おばさんに診てもらい、自分の病気については乳児院に提携している近くの医院に薬の処方と検査をお願いした。
「樹里亜さん。朝の薬は飲んだ?」
今日もみのりさんが声をかけてくれる。
「はい。飲みました」
自分の母さんに言われたら、「も-、飲んだわよ」って言うところだろうけれど、ここでは素直に返事ができる。
「愛弓ちゃんも、今日は受診だから早く用意してね」
「はーい」
幾分朝食をもてあましながら、愛弓ちゃんも返事をした。
愛弓ちゃんは14歳の女の子。
小さい頃からお母さんは留守がちで、いつもひとりで育ったらしい。
その性か朝からきちんと食事を取る習慣がなく、彼女にとっては朝から食べるお味噌汁とご飯が苦痛なんだそう。
「残していいですか?」
かなり頑張っていた愛弓ちゃんが、みのりさんに助けを求めた。
「仕方ないわね」
ほぼ半分ほど食べた朝食を見ながら、みのりさんがOKを出した。
本当に、親子みたい。
「ごちそうさまでした」
2人で声を合わせた。
***
「愛弓ちゃん、どうぞ」
妊婦健診のために訪れた美樹おばさんのクリニック。
もうすぐ臨月の愛弓ちゃんも診察を受ける。
「樹里亜さんは、初めての妊娠よね?」
愛弓ちゃんの受診を待っている間、付き添いのみのりさんが訊く。
「ええ、初めてです」
答えたっきり、会話が止まった。
結構デリケートな話だけに、私もどこまで話していいのか分からないし、みのりさんも遠慮している感じ。
バタンッ。
診察室のドアを開けて、美樹おばさんが顔を出す。
「みのり、愛弓ちゃんの貧血が進んでるみたいだけど、食事には気をつけてよ。それに、腹帯。安定のためにもつけた方がいいから」
「はい」
みのりさんはなにやらメモを取りながら、頷いた。
「次、樹里亜入って」
私も愛弓ちゃん同様、美樹おばさんの診察を受ける。
***
診察後、
「みのりさんは、介護の為に帰省しているんですよね?」
凄くお世話になってしまい、申し訳ない気持ちで尋ねた。
「母の介護で帰省中なんだけど、実際のところ別居みたいなものなのよ。子供も2人とも家を出ているし、主人も忙しい人で、私がいなくても大丈夫なの」
フフフ。
と笑ってはいるけれど、なんだか寂しそう。
みのりさんには息子さんが2人。
社会人として働く長男と、今年大学に入学し家を出た次男。
ご主人は沖縄で医師をしているらしい。
「私も、下の子は美樹にとりあげてもらったのよ」
へえー。
私もそうなれるんだろうか?
「育児ってね、生んでからが大変なのよ。今はとっても大変な気がしていると思うけれど、まだまだだから」
なんだか脅されている感じ。
「やっぱり大変でした?」
「そうね。私は上の子を二十歳で産んだの。若かったし、好きな人の子供だったけれど、大反対されての結婚でね。結局上手くはいかなかったわ」
「離婚したんですか?」
「ええ。その後5年ほどして今の主人に出会って、子連れで沖縄に嫁いだの」
「へー。ご主人と息子さんは上手くいったんですか?」
なぜか、そこが気になった。
血の繋がらない親子って、人事ではない気がして、
聞かずにはいられなかった。
「血は繋がらないくせに、2人はとても似ていてね。小さい頃は周りがうらやましがるくらい仲良しだったの。8歳下の弟が生まれても、上の子の方が主人と仲良しだったわ。でもねぇ・・・」
「でも?」
「子供は子供なりに気を遣っていたのね。大学を卒業する頃になって、沖縄には帰らないって言い出したの。主人は息子が帰って来てくれて一緒に働けると思っていたから、ショックが大きくてね・・・今は、音信不通」
えっ。
音信不通って、穏やかではない。
みのりさんは懐かしそうに育児の話をしてくれた。
子育ては苦労が多いけれど、その分楽しみも多い。
折角授かった命だから、できれば生みなさい。
そう繰り返す。
「息子さんに会えないのは辛くないんですか?」
「まあね。バカ息子でも、おなかを痛めた子供だから・・・会いたいわね」
ちょっと遠い目をしたみのりさん。
「でも、会いたいのは主人も一緒なの。どんなに厳しいことを言っても、6歳からずっと育ててきた息子をかわいく思わないはずはないんだから」
なんだか、ご主人がかわいそう。
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