渚との出会い

「ただいま」

夜になって、私はマンションへ帰宅した。


「お帰り」

遠くの方から声がする。

ん?

部屋の中を見回し、バルコニーで渚を見つけた。


「ここにいたのね」

「ああ」

ビール片手にポテチをテーブルに広げ、渚は座っている。

「なぎさー」

抱きついて泣き出してしまった。

「どうした?また、何か言われた?」

私と親戚達との関係を知っている渚が、ポンポンと背中を叩く。


「お、お見合いを・・・お見合いをすることになった」

「ええ?」

驚いている。


そうだよね。

今こうして、一緒に暮らしている人がいるのにお見合いなんて非常識だと私も思う。


「どうしよう?」

何を期待して言った言葉でもなかった。

ただ困ったなあと、それだけの気持ちだったのに、


「ごめん。悪いけれど、俺には止めてやれないよ。一緒にいたいとは思うけれど、結婚は考えられない」

ハッキリと言われた。

はああ?

私は別に・・・「そうか、それは大変だったね」と言って欲しかっただけなのに。

結婚を迫ったつもりは全くない。


体を起こした私は、拳で渚の胸板を叩くと、

「もういい。私だって、渚と結婚したい訳じゃない」

つい、憎まれ口を言ってしまった。


「そんなに怒るな。樹里亜が嫌いだって言ったわけじゃない。ただ、結婚は誰とも考えられない。俺にも事情があるんだよ」

寂しそうに、ビールを流し込む。


そう言えば、渚は家族や両親の話をしたがらない。

大学卒業時に進路のことでもめて、絶縁状態だとしか私も知らない。


その後、渚が持ってきてくれたビールを受け取り私もバルコニーの椅子に座った。


「怒ってごめん。でも、私もあなたに結婚を迫ったつもりはない。ただ愚痴りたかっただけなの」

「うん。分かっている。それに、俺は同棲しているって言ってもらってもかまわないんだ。隠す必要は無いと思っている。でも、結婚は考えられない。樹里亜の人生を俺の巻き添えにすることは出来ないから。出て行って欲しいならいつでも言ってくれ」

建物に囲まれているにしては綺麗な星空を眺めながら、渚は穏やかな口調で話した。


やはり、渚は自分の素性を話したがらない。

そもそも、私との出会いがネットカフェだった。


***


3年前。


東京の大学を卒業して地元に帰ってきた時、私はアルバイトで貯めたお金を頭金にして賃貸のマンションを借りていた。

さっさとしないと大樹や父さんに止められるのが分かっていたから、2月のうちに引っ越しも終わらせた。


そして、春4月を迎え勤務が始まって1週間ほどたった頃、ネットカフェの入り口で渚を見つけた。

顔に見覚えはあった。

同じ1年目の研修医で、あまり話さない静かな人だという印象。

財布を覗きながらネットカフェの前に立つその人に、私はつい声をかけてしまった。


「あの?竹浦総合病院の研修医ですよね?」

「ええ?」

驚いた彼の手から、500円玉が道路に落ちた。


ああああ。


咄嗟に後を追ったけれど、500円玉は側溝の中に消えた。


「ごめんなさい」

「いえ・・・」

「500円、弁償します」

「いいんです。どうせ・・・足りないし」

と、ネットカフェの看板を見る。


1泊3000円。

「ここに、泊まってるんですか?」

「まあ」

「ドクターですよね?」

「まだ給料もらってないから。それに、実家から勘当されたんです」

はあ・・・

なんだか、事情がありそう。


「よかったら、家に来ます?」

なぜか、口をついて出ていた。


驚きで口を開けたままの彼の手を取り、私は自宅マンションに連れ帰った。


***


マンションに帰り、リビングのソファーに座りながら、

「あの、名前を教えていただけますか?」

その時まで、私は彼の名前すら知らなかった。


「高橋渚です。千葉大学の医学部を今年卒業した24歳。この春から竹浦総合病院で研修医1年目です」

まるで職場の自己紹介みたい。

「私は、」

「知ってます」

自己紹介しようとして、渚に遮られた。

「竹浦総合病院のお嬢さん。有名ですよ」

何か、嫌な感じ。

泊めてあげようとしているのに、怒っている見たいで・・・気分悪い。


「何か怒ってます?」

思わず訊いてしまった。


「お嬢さんは、いつも」

「お嬢さんはやめてください。樹里亜です」

「ああ。樹里亜さんはいつもこんな風に簡単に人をあげるんですか?」

はああ?

「それは、あなたが困っているようだったから」

「困っている人はみんな泊めるんですか?」

淡々と話してはいるが・・・何か、むかつく。


「嫌なら出て行ってください。私はただ、500円の責任も感じたし、同じ職場の同期だし、それに・・・兄と喧嘩して落ち込んでいたし。出来れば1人になりたくなかっただけです。でも、確かに軽率な行動だったかも知れません。どうぞ、出て行ってください」

さあどうぞと、立ち上がり玄関を示した。


渚はしばらく黙っていた。


「言い方が悪くてすみません。僕の言葉は誤解されやすいようで、今後は気をつけます。ただ、若い女性がほぼ初対面の男を家に上げるのはよくありません。まあ、今の話の流れから行くと、僕は男性にはカウントされてないようですが」

確かに、この時の私は渚を男としては見ていなかった。


「もう今日は遅いので、泊まってください。これ以上ゴチャゴチャ言うと、私が出て行きますから」

悔しさ紛れに訳の分からないことを言ってしまった。

「意味が分からない・・・」

など言いながら、

結局、渚はリビングのソファーに泊まっていった。


***


翌朝。

「お陰で、久しぶりにゆっくり寝られました」

やけにかわいらしくお礼を言う。


「病院では秘密ですよ」

もし大樹に知れたら、間違いなく殺される。

「大丈夫です。話すような友人はいませんから」

はああ。

それは、お気の毒に。


「でも、そんなにお金ないんですか?」

「はぁ、それが・・・」

ポケットから出した財布を開いて見せた。


千円札が2枚。


「これだけ?」

コクンと頷く。

「これからどうするの?」


初めての給料日は5月の中旬。

それまでには1月以上ある。


「貯金は?」

「研修先が決まった瞬間に仕送りを止められてしまって、ここ半年の生活費に消えた」

うわー、かわいそう。


「まあ、どうしても困ったら医局で寝泊まりしてつなぐよ」

「お金、貸そうか?」

「バカ。いらない」

イヤー、いらなくはないでしょう。


「じゃあ、給料日までここにいれば?その代わり、研修で困ったときは助けて」

手を合わせて、お願いした。


ただせさえ院長の娘だって注目されているのに、私はそんなに器用ではない。三流大学を卒業し、なんとか医者になったって感じ。

渚が千葉大の医学部出身って事は、私よりかなり頭いい訳でぜひ味方に欲しい。


「いいのか?」

「うん。こう見えて、私の周りって敵が多いのよ。味方は1人でも欲しい」


なんだかとても不思議そうな顔をして、

「ありがとう」

渚は深々と頭を下げた。


この日から、私達の同棲生活が始まった。

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